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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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半場多目的公園を出発したのは
朝の六時
友さんとウッチャンと三人で六月に登った山
戸口集落から(第二発電所出口上流)からの登山でGPSをたよりの道なき道の登山だったように感じた。
それでも、辿り着いた戸口山山頂、そこからは歩道も整備され眺望も開け快適だった。
が、「希望」「健康」「叡智」
戸口山は別名三盛さんと呼ばれ、地域の人に親しまれている。
三盛さん、山でなくて「さん」
地域の学校の歌の歌詞にも入っていて歌われている。
見よ赤石の三つの峯
そう
「希望」「健康」「叡智」と歌われているのだ。
「健康」が頂点だとすれば、戸口よりのピークは「希望」
その「希望」のピークに行けなかったのが、チョット残念だった。
その、行けなかった「希望」を探しに行った。
「叡智」のピーク、佐久間の街並み、その向こうに佐久間ダム、遠く富山の山(八嶽山・日本ヶ塚山)などが見える。
開けた歩道を降りると反射板がある。そこから上り「健康」戸口山山頂がある。
そこを下って、友さんウッチャンと戸口集落から上ってきたところがあった。
「希望」は、と思い、探すと、遠くにピンクのリボンがなびいていた。
そのリボンをたよりに登ると「希望」のピークは、あった。
歩道には紫の山野草が咲いていた。
「希望」のピークから、今来た道の先、整備されている、向かっていくと下っていくと、
山の作業の道だろうか、縦横無尽に出来ている。
歩道がわからなくなり、もと来た道を帰ってきた。
「希望」「健康」「叡智」を通て。
「希望」を等高線のユルイ、方向に行ったのだ。
そして今回、戸口集落を超えて、林道の途中からの登山をと考えた。
それも、自分の家から、
半場多目的公園→戸口集落→戸口登山(希望・健康・叡智)→半場登山口→半場多目的公園

GPSを入れ忘れ、登山口の前に入れた。
戸口からの登山ではヤマップは頼りになる。
途中山仕事に人(夫婦)出会い話をした。
下山の時にも登ってくる人がいた。
もう何回か、この山を登っているみたいだ。
その人も夫婦みたいだった。
半場多目的公園に帰ってきたのは
11時30分
戸口登山口から林道歩き、大輪の橋が見え綺麗だった。
戸口集落から登ることができたなら、もっと素晴らしいコースになると思う。
戸口山(三盛さん)
昔は、地域の人に親しまれていた山、今はその存在もわからない人が多い地域になってきた。
先人の人たちが遺してくれた、もの。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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