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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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何回も言うようだが、戸口山は地元では、別名三盛山(みつもりやま)と呼ばれている。
見よ赤石を かたどれし
わが校章の 三つの山
と佐久間の高校で校歌として歌われている。
そして
希望・健康・叡智をば
示すを常に うち仰ぎ
と、その校歌は続いている。

写真は佐久間町の豆こぼしトンネル(国号473号線)の佐久間から出口付近で撮ったものだ。
左から
「希望」「健康」「叡智」
とした。
今回、道に迷った。
「叡智」のところで、写真のように、尾根沿いに降りてこなかった。
道が整備されている方うに歩いて行ったのだ。
リボンもあり、どんどん降りていくと、山の作業道が至る所に出来ていて、その道も消えていた、それでも目を凝らして降りていくと、廃車のマイクロバスがあった。
そこからは、山道は分からなく作業道沿いを歩いていく、すると沢の流れる音が聞こえた。
完全に間違えたな。
そう思って、もと来た道を(作業道沿い)を歩いていると、前から人が三人歩いていた、声をかけると、佐久間森林組合の人だそうだ。
その人たちはGPSを頼りに来たそうだ。現在地を確認し、ヤッパリ違っていることを再確認した。
「もと来た道を帰る」
と言って、私は同じ道を登った。
「希望」に帰ってきて、佐久間方面の道を確認したが、道はない。
「健康」「叡智」と通って帰る。
「叡智」からの景色が、朝は霧がかかっていた浦川方面が、その霧が無くなり綺麗に見えた。

この写真が、「叡智」の地図だ、等高線の緩くなっている方面に進んだのだ。
6月13日に戸口から登った。
その時も、戸口方面の登山道は確認できなかった。
道なき道を進んだ。
だから、同じ道を帰ることにした。

水窪は「山に生きる会」そんなNPOがあり、地元の登山道の整備を目的とした集まりがある。
佐久間も、こんな良い山があるのにナ~。と思った。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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