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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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一日二日と、南アルプス聖岳(3013m)に登ってきました。
それは
2022年9月17・18日遠山郷で「勝手にチャレンジマラニック」を走っているとき下栗から聖岳を見て
「登ってみたい」
そんな言葉から計画を立てたのだった。
「チャレンジマラニックin遠山郷」
平成の大合併、浜松市は太平洋沿岸の町が山深い北遠を飲み込んで大きな政令指定都市浜松市を目指した。
ちょうどそのころ、北遠最北端の村「水窪町」の長野県側の隣村、南信濃村は飯田市と合併をした。
日本でも長野県は国の思惑が叶わず合併が進まなかった地域が多い。
阿南町・泰阜村・天龍村etc
南信濃村は、合併賛成派と合併反対派が二つに割れ大変だったそうだ。
様々なことがあり、南信濃村は飯田市と合併した。そんな翌年「チャレンジマラニックin遠山郷」始まった。
そして、私は、そのマラニックで、山好きのタカノさんと一緒に走り。
遠くの南アルプスを指差し
「あのとがっている山、あれが聖岳だ」
と教えてくれた。
そのマラニックに参加するたびに見上げていた聖岳だった。
ラン友の山好きな人に連れられての山行
私は、このためにジャンボ白鳥でテントを買った。
7年前、人生の先輩から譲り受けたリックにテント・シュラフ・カッパ・ダウン・飲み物・食べ物を詰め込んだ。
アンバマイ館に朝の5時に集合、私は一時間前に着いた。
ワクワクしていた。
渋沢ゲートに6時に向かった。
ダムで帰ってくる人がいた。満車だそうだ。
私たちはダムの駐車場に車を止めた。
ダムの駐車場で登山の準備をして歩きはじめる。
7時
第二駐車場も満車、関東のナンバーが多い。
渋沢ゲートで登山計画書をだし、林道を又歩く。
便ヶ島に8時
まだ、ココからも林道がある。しばらく行くと聖岳の名物ゴンドラがある。
私たちは上流の木橋を渡る。
ここからが急登。汗が噴き出る。リックの重さが肩に伝わる。
苔平にやっと少しの平らなところ。
やっとの思いで分岐に着いた。リックを下ろし聖岳を目指そうかと、時計は午後2時過ぎ、行けるところまで行こう。三時半になったら帰ろうと話し合った。
少し上がったところで富士山が東の山の奥に姿を現していた。
感動した。南アルプスからの富士山、東名高速から見る富士山のように左側には宝永山がある。が、しかし、私の目の前の富士山はまた違った山容をしている。
尾根沿いを歩き、小聖岳に着いたのが三時半、聖岳は見るだけ、明日の楽しみにして、テント場に帰ることにした。
分岐に戻り、リックを背負って、テント場がある聖平小屋を目指す。
木道を渡るとテント場、聖平小屋に
テント場には、すみに小川が流れて、そこが水場だ。トイレも綺麗な設備だった。
カップ麺、ソウセイジ、それを肴にワインでカンパイ。
夜は更け、空イッパイに星がマタタキ始めた。
明日は早い。18時には就寝した。

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どうする家康君
聖岳、お友いただきありがとうございました。
重い荷物と登りには参りましたが、頂上に着いたときは景色の素晴らしさに疲れは吹き飛びましたね、西から恵那山、御岳、空木、木曽駒、北アは奥穂高、槍ヶ岳、南アでは赤石、塩見、東に行って富士山、愛鷹山・・・
そしてびっくり駿河湾が・・・、田子ノ浦辺り・・・空に浮かんでいました。あの幻想的な風景は最高でした。また行きたくなりますね。どうします新間さん?
ともぞう 2022/10/06(Thu)22:25:45 編集
REどうする家康君
友さん。ありがとうございました。
ヘタヘタで辿り着いた分岐、そこから上がると富士山が見えました。
富士は日本一の山、聖岳は日本百名山、そうは思いますが、それは人間が感じること。
だからこそ、地元の山を又登りたいと今思っています。
山の魅力を教えて下さった。智さん感謝です。
しんしん 2022/10/10(Mon)17:14:04 編集
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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