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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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前日、佐久間の郵便局のATMで送金しようとしたが。

何度やっても処理できなかった。焦った(-_-;)

12月10日
浜名湖半周忘年ランのを送金したときは問題なかったのに????

窓口に行って聞いて見たところ。
「磁気不良ですネ~」

だった。

「携帯などの近くにおきませんでしたか?」


あ、携帯の入った胸ポケットに入れていた。


知らなかった。


58年生きてきて、初めて知った。


局員:「その他、磁気の出るところの近くにおくと磁気不良をおこしますの気をつけてください」


と言われた。


一つ利口になった。。。


振り込みは
笑顔の絆プロジェクト実行委員会 大分県教育委員会 人権問題講師
首藤雄三さんのクラウドファンディングの支援です。
https://www.facebook.com/yume.santa
理解のあるかった他にいたら協力してください(^O^)/

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85歳を迎えられる天皇陛下の、誕生日前の記者会見のお言葉には涙を誘った。

自分の人生の歩みを人生の旅として振り返った言葉の中には多くのことへの感謝の言葉があった。

自分の父親が生きておれば何と言っただろうか。

母親が生きていれば如何答えただろうか。

12月23日
天皇誕生日の日に皇居に行ったランナー仲間の動画を見た。

「天皇陛下・・・バンザイ\(^o^)/
との声が聞こえる。


大正15年生まれの母親は、辛い戦争時代を思い出し嫌だと言うかもしれない。


昭和10年生れの父親は、なんというのだろうか。


人は、それぞれ人生の旅をしている。


参考HP
Yahooニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181223-00000002-jct-soci&p=1

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昨日は浜松で忘年会


アクト・ホテルオークラ
ガヤガヤと終わった。


二次会は有楽街の怪しい店

そこが終わった後、自分は一人で「トライアングル」に行った。

(昔の写真)トライアングル前


すごーーーーーく賑やかだった。

ビール一杯飲んで店を出て、アプレシオに、そこでラーメンでも注文しようと思ったら。
「5時間パックならウドン・カレーがサービスでありますョ」
と。
ウドンを頼んでみた。


翌日の朝早く浜松~西鹿島までジョギングの予定。
20㎞くらいあるので自分の足では余裕を持って3時間ぐらい。
ココを3時半には出たい。

朝3時に起き。
会計を済ませたら。
23時24分~3時7分
会計 1059円
安い。


雨は心配ないくらい。
ハンドライトの明かりがショボイのが心配。

途中、東洋人の女性から声を掛けられる。
「マッサージ・・・どう」

いらない、先を急ぐ。キッパリ。

朝早くから頑張ってるナ~。どっちも。

新聞配達のオートバイ。ゴミ収集車。水商売からの帰りの女性。都会は朝でも賑やかだ。

西鹿島駅に着いたのが6時。

水窪行のバスは6時45分

腹が減ったが近くにコンビニはない。

自動販売機でミルクセーキで我慢した。

水窪行のバスに揺られ、ウトウトしていた。天竜川の川の流れをみていた。西渡(にしど)に着いた。
ずいぶん山奥に来た。バス代は690円。

西渡の浜松市営駐車場においてある車に乗って帰ってきた。

同じ浜松市の中なのに、この違い。

寂しい。。。

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毎年、清水寺で年末に発表する漢字が「災」になった。
これは日本漢字能力技能検定会が毎年、一般公募で集った漢字の最多の文字を「今年の漢字」としている。
応募総数は193214票「災」は20858票、二番目は「平」三番目は「終」だったそうだ。
北海道の地震、大阪市であった地震、西日本の豪雨、自然災害の多かった年だからか。また、相撲界を始めスポーツ界でパワハラや暴力事件があったからか、多くの人が、今年の一年を通して「災」いを感じたのだろう。

「災」の文字は不吉だ!!
日本には「息災」という言葉がある。
息災
病気をしないで、元気なこと。また、そのさま。「息災に暮らす」「無病息災」
仏の力で災難を防ぎ止めること。
HPコトバンクから。

日曜日の大河ドラマ「西郷どん」を見て明治維新のときの日本の動きを感じて、今の時代を感じている。
「明治」「大正」「昭和」「平成」
わたしが佐久間に帰って来て横吹(よこぶき)で暮らし始めた次の年の初めに小渕官房長官がテレビで「元号は平成です」と、伝えていた。
「平成」には「内外、天地ともに平和にしよう」という意味が込められているそうだ。

その平成の年も
平成3年、雲仙普賢岳の噴火
平成7年、阪神・淡路大震災
平成16年、新潟県中越地震
平成23年、東日本大震災
今年の7月に西日本の豪雨
と平成の時代には大きな自然災害があった。

そして平成の大きな事件といえば
平成7年のオウム真理教の地下鉄サリン事件ではないだろうか?
高学歴の優秀な人たちが無差別に、罪のない人たちを死に至らしめ、今でも後遺症に苦しむ多くの人たちの人生を奪ってしまい、人としての生き方が問われる衝撃的な事件だった。
生まれたときには純粋無垢は心も、出会う人や書籍によって大きく変わってまう。

平成30年。
佐久間に帰って来て30年。
今年の初め、佐久間駅伝の練習会で山香チームの人との集まりがあった。
山香チームといえども集まってくる人は佐久間町内其々からの人が山香という地域の呼びかけで集まってきた。
いわゆる寄せ集め。
練習が終わって、集会所に集まると、ある浜松市の職員が佐久間協働センターのセンター長からの年賀状の住所が浜北になっていたとコソっと喋ってから市の職員たちは輪になってコソコソ話し出した。
その時は何だか分らなかったが、後から聞いた話によると、まだ定年二年前で浜北に家を建てたそうだ。
わたしの暮して居た横吹(よこぶき)区ではヒーロ―のような存在だった今の協働センター長。頭も良くてスポーツ万能。当時山間部では佐久間町の役場に勤めていることは大きな魅力の一つ優秀な人の一人だった。
「明治」「大正」「昭和」「平成」時代は変わって今は自由な平和な世の中だ。
 そのセンター長も、佐久間で生まれ佐久間の役場に勤め、その職場で多くに人に出会い「昭和」「平成」と生きてきて、今の決断に至ったのだ。

しかし、佐久間ダムという巨大プロジェクトで一大王国をきずいた地域、佐久間村・城西村・山香村・浦川町が合併して出来た佐久間町。
平成という平和な世の中の時に、合併という国からの要請を了承した。
その佐久間町という王国が浜松市への合併で崩壊した今、まず先に脱出するのがその大国に使えていた人だとは怒りより先に悲しい出来事だった。

 

最後に佐久間高校で知り合った柿島先生のFBの投稿が胸を刺した。

12月13日 わたしの道

あなたはあなたの道を行け
 わたしはわたしの道を行く
 これがわたしのすべてだ。そのために不幸になろうと孤独になろうと、敢えて悲しむまい。詩はわたしにとってこれを貫く矢のようなものだ。そういうことを目覚めて強く思う。もう誰も何者をも羨むこともない。自分は自分の道をまっしぐらに行けばよいのである。勤めをやめてから、このことがいよいよわたしの骨髄を一本強く貫いた感がする。

 坂村真民 一日一言より

参考文
平成30年12月13日中日新聞
到知出版社「おかみさん他より」

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11月の終わりに百田尚樹の『日本国紀』を読み終わった。
神話とともに誕生した日本。私たちは何者なのか――。 天皇を中心に、独自の発展を遂げてきた、私たちの国・日本。
百田尚樹ならではの切り口で教科書では教えてくれない日本史が書いてあった。
『日本国紀』を読み終わって、その余韻もまだ残る中に、わたしの手元に届いた
 
『佐久間の民俗』という本

この本は遠州常民文化談話会の人たちが佐久間町のことを調べ一冊の本にしたのだ。
ソレゾレの担当の人がソレゾレ調べ書いている。
第一章
環境と生業
第二章
産業
第三章
社会組織
第四章
交通・交易・運搬
第五章
衣・食・生活全般
第六章
年中行事
第七章
人生儀礼
第八章
信仰
第九章
祭礼と芸能
第十章
民話・昔話
第十一章
佐久間のくらし(衣・食・生活全般)
資料編 参考文献
おせわになった方々
で構成されている。
はじめにP9~編集後記P463
佐久間の民俗の歴史が、この分厚い本にまとめられている。

『日本国紀』はAmazonで注文し私の手元に届いた。
『佐久間の民俗』は12月の初め遠州常民分化談話会代表の名倉さんから頂いた。
それは、もっと前の話になるが、昔水窪で学校の先生をやっていた方から携帯に着信があり「城西地区にある横吹の話を聞きたい」その問いを承諾し、話をしたことが切っ掛けである。
協力者には無料で配布してくれるそうだ。
『日本国紀』と『佐久間の民俗』たまたま出会った二冊の本、自分の生れた国の話、自分の生れた佐久間の話し。
深い深い縁を感じる。
 
ブログ
第30回 常民大学合同研究会 だそうだ。。。 
田舎が注目されている。大学の研究材料だそうダ、、、。
 

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今年の9月、森町三倉(ムーハウス)での勉強会&読書会で自分の生き方の話し合いの中
男性K
「10年20年先のことより100年もの先を考え生きるべきだ!」
そんな話が合った。

先日送られてきた「到知」一月号の特集は国家百年の計、
こんなことが書かれていた。
会社が発展するには、経営理念・ビジョンをもたなければ発展することはない。国とて同じ。
日本に国家百年の計があるのだろうか?
松下政経塾の塾頭を務めていた上甲晃さんの話が合った。
松下政経塾とは、松下電器の創業者松下幸之助氏が1979年(昭和54年)84歳にして、未来のリーダーを育成するために設立した。
私が19歳のとき、政治の世界ではロッキード事件、政治と金の問題があった時代だ。
そんなときに私財70億円を投じ松下政経塾を創った松下幸之助氏は八十四歳であった。


また今回の「到知」に、その松下政経塾の第一期生
松下政経塾元塾頭
上甲晃氏
参議院議員
山田宏氏
衆議院議員
逢沢一郎氏
衆議院議員
野田佳彦氏
の対談がある。
まさに松下幸之助氏の想いを繋いでいる人たちだ。

今回、9月の森町三倉にて男性Kの話を思い出し。
先日、家に届い到知を見て四人の対談を読んで。
また、最近読んだ本 百田尚樹の「日本国紀」
佐久間町いや北遠の100年後はどうなっているのだ?
そう考えた。
 
松下政経塾 卒業生一覧
https://www.mskj.or.jp/almuni/list/

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先日の勉強会のときに諸先輩から出た言葉「モラロジー」
何だと思い検索してみた。
http://www.moralogy.jp/moralogy
公益財団法人モラロジー研究所

モラロジーとは、モラル(道徳)とロジー(学問)を組み合わせた新しい学問分野の名称です。
なんだそうだ。
まるでマラソンとピクニックを組み合わせたマラニックみたいだ(笑)

 エチケットやマナーなど習慣や慣習として発達してきた倫理道徳。高い道徳的精神を学び実践することが、個人の道徳性や品性を向上させ、人類の幸福や世界の平和を実現する基礎であることを明らかにしたものです。と書いてある。

どうとく【道徳】
①  ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、正しく行為するための規範の総体。法律と違い外的強制力としてではなく、個々人の内面的原理として働くものをいい、また宗教と異なって超越者との関係ではなく人間相互の関係を規定するもの。
②  小・中学校において、道徳教育を行う教育課程。1958年(昭和33)に設置。
③  〔もっぱら道と徳とを説くことから〕 老子の学。
コトバンクから。

道徳か~。。。。
なにか物事を決めるにあったって、これは自分にとって損得で考えるのではなく、正しいか否かで考えること。
道徳・モラルのこともう少し考えてみよう。
モラルジーのこと。

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敬天愛人
西郷隆盛が墨で描く。
天を敬い。人を愛すること。
おのれの天命を知り、慈愛に満ちた天の意思を知る事が大事である。
 

土曜の夜は、今年最後になる森町三倉の勉強会最後が終わっての飲み会だった。
夜の参加者は私を含めて6名。
人はソレゾレ違う。今までの生きてきた経験も、これから生きていこうとすることも。
次の日、地元での防災訓練のタメ主催者に挨拶もできないで森町三倉を朝早く後にした。

また、そんな自分より早く起きて朝食を準備してくれた、人がいる。感謝!!
温かい味噌汁が美味しかった。

西郷ドンは日本の明治維新の時の話である。
日本はその後多くのことがあり、今の平成の世の中になった。
平成30年 最後の勉強会。
参加することができ、夜実りある話ができたことに、感謝、だ。

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戦争が終わって 僕らは生まれた~~♪

戦争を知らずに 僕らは育った~~~♪

1970年に発表された「戦争を知らない子供たち」フォークシンガー、ジローズのシングルの曲の一部だ。

昨夜、読み終わった本 百田尚樹の「日本国紀」
第十二章
敗戦と占領
P421
WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
わかりやすくいえば「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」
日本人の精神を破壊する。こと。

戦争は善くない。争い事は嫌いだ。

自分は左寄りでも右寄りでもない。

右寄りHP発見!!
学校が教えない社会科・歴史・公民
https://ncode.syosetu.com/n4357cw/
憲法9条とは?

左寄りHP見~つけた。
「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信
TAPthePOP
http://www.tapthepop.net/news/74253

2020年
日本で東京で、オリンピックが開催される。
また
2025年には、大阪で万国博覧会を開催するという。

戦争が終わって 僕らは生まれた~~♪

戦争を知らずに 僕らは育った~~~♪

「戦争を知らない子供たち」
作曲した杉田二郎の歌は大好きだ。


戦争を知らない大人たち
戦争を知らないオジイになったけど。
日本のために戦った本物の男同士がいたことを忘れてなならない。。。

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7月23日
突然のメールが来た。
【Nexyz.BB】個人ホームページ開設サービスをご利用のお客様へ
===============

【重要】Nexyz.BBサービス提供終了のお知らせとバックアップのお願い

===============
株式会社ネクシィーズは、インターネット接続サービス「Nexyz.BB」を提供して
まいりましたが、2018年11月30日(金)をもってサービスの提供を終了させて
いただくこととなりました。

永らくのご愛顧、誠にありがとうございました。


なさに晴天の霹靂、夏真っ盛りカミナリが直撃したようだった( ゚Д゚)ガーン

長年、付き合ったNexyz.BBも今月を持って最後となった。

年末、タダでも忙しい時にホームページのバックアップ他のサーバーへのアップロードなどやらなくてはならない事が多くある。

頑張ろう。(ノД`)・゜・。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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