忍者ブログ
平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
[1722]  [1721]  [1720]  [1719]  [1718]  [1717]  [1716]  [1715]  [1714]  [1713]  [1712

に、行ってきました(^O^)/

場所は静岡県静岡市 駿府公園近くの

静岡県総合社会福祉会館(シズウエル)

10年前、初めて行ったときには飯田線の始発の電車に揺られて参加してみた。

それが、2014年
東海道を走って静岡まで行こうと思い立ったのでした(^O^)/

日曜日は「静岡骨髄バンクを推進する会」の総会だった。2014

掛川駅から日坂峠を越え島田に出て、大井川の橋を渡ってすき家で牛丼食って、もっと頑張ろうと思ったが、チョット無理だと考えて藤枝駅から電車で静岡駅に行って総会に参加した。

今年、2017年
そいじゃ~。
今年は、菊川駅から走ろうと計画して実行した(^O^)/


藤枝駅から北上し藤枝市に合併した岡部町を通り宇津ノ谷峠を越えて静岡市に入った。
岡部町の観光協会でパンフレットをいただき、宇津ノ谷峠の説明をしてもらった。
明治のトンネル・大正のトンネル・昭和の平成のトンネルの話。
 蔦の細道の話。

チョットふっくらした観光協会の女性は、岡部町・東海道の説明を丁寧に語ってくれた。
そこの地で出会った人が、そこの地の第一印象を自分に印象付ける。
岡部町は初めて行った土地だけど、自分にとっては好印象の地域に感じた。

今回、宇津ノ谷峠で明治のトンネルに向かった、半袖のTシャツで走っていた自分に「トンネル内は寒いですョ」と若い女性が声かけてくれた。
明治のトンネルを抜け、宇津ノ谷峠地区カントリートレイル案内図の看板を背に写真を撮ってもらう。

その人の連れの女性が
「どこから走ってきたのですか?」
そう言われたので
「藤枝駅から」
と、答えた。
また、
「これから駿府公園を目指します」
と言うと。
「頑張ってください」
と笑顔で答えてくれた。

宇津ノ谷峠地区は東海道の宿場町そのままの綺麗な街並みだった。

自分は東海道を忠実に走るつもりはなかった、それぞれの街が地域がどんなになっているか、そんなことを感じたかった。

綺麗な街並みは、そこに暮らす人たちの気持ちで維持されているのだと思う。

そのまま静岡市の駿府城跡の公園に、ちょうど2時ごろ到着

さって
静岡県総合社会福祉会館(シズウエル)

に行って。
 「静岡県骨髄バンクを推進する会」の総会に参加しなければ(^O^)/

つづく。

 

拍手[2回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
カウンター
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
4 5 7 8 9
10 13 14 15 16
17 18 19 21 22 23
25 26 27 28 29 30
31
カウンター
忍者ブログ [PR]