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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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夜中、NHKの放送で・・・・・。
その番組は若者と中高年の対談形式のかたちでの内容だった。

バブルがはじけて、これからの日本どうなる!!!
そんな内容だったと思う。
今思うと、その若者と中高年は(団塊世代と団塊ジュニア世代)での討論だったのではないだろうかと思う。

私は、この団塊世代と団塊ジュニア世代の真ん中ぐらいの世代である。
こんな内容の放送は好んで観る。
若い世代は、就職難 フリーターやニートなどの問題がある。自分の将来のことに悩んでいる若者の意見があった。
こらからどうなるのだろう。と自分も思った。

番組も最後の方になり。
今の中高年の定年退職している人のあるシーンがテレビで放映された。
それは豪華客船で世界一周の旅にでる日本の中高年の姿である。
夜はダンスパーティー、昼はクルーズ、世界の主要な港にいくゴウジャスな旅のビデオだった。
そのビデオが終わり、其々の立場から意見が出て、最後に団塊世代の女性の言葉が、私の脳裏から離れない。
「わたしたちは戦後 苦労をしてきて今まで働いてきた。自分御金で旅に行って何が悪い」

これからの自分の生き方、自分の自由になるお金の使い方を考えている。
自分の自由に使えるお金の範囲で走りを楽しんでいこうと思っている。
自分の為だけでなく、走る仲間が楽しんでくれて自分も楽しもうと考えている。

夜中、NHKの放送で・・・・・。
その番組は若者と中高年の対談形式のかたちでの内容だった。
団塊世代と団塊ジュニア世代の討論会という形だった。

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浜松に佐久間から走って行ってきた。
帰りは浜松駅から豊橋、豊橋駅から飯田線で中部天竜まで行くことになる。
同じ浜松市なのに、いったん愛知県に出て飯田線に乗り静岡県の浜松市に行くことになる。
なんと不便なところでしょう(笑)
もう笑うしかない(泣)
 
毎回言っているが、、、、、。
浜松駅~中部天竜駅 1940円
浜松駅~豊橋駅    670円
豊橋駅~中部天竜駅 1140円 計1810円
もったいないので分けて買った。
1940円-1810円=130円儲けた。
 
浜松でミリオネア(百万長者。大金持ち)の講演を聴いたのだけど、いや聴いたからこそ130円分ケチった(笑)
今回の貯蓄口座(わくわく未来のために)は講師に登坂 一幸さんを呼んでの講座だった。
登坂GrowRichホールディングス株式会社 代表取締役 
ファイナンシャルプランナー
経営コンサルタント

現在、貯蓄アドバイザー・セミナー講師として教育委員会、行政(県や市)や企業からの講演依頼を受け、講演活動で全国各地でひっぱりだこ。
ご自身もゼロから億の富を築いた資産形成の天才!
そのノウハウもおしみなく大公開。
見るからに「えびす顔」の先生です!

そんなパンフレットで紹介され行くようになった。
ラジオ番組でも、若い時お金のことで大変苦労した人だったみたいだったので興味があった。

講演で言っていたことを簡単に説明すると、コツコツと貯蓄しなさい。
一攫千金を夢見ない事。お金を貯めるには世界でのお金の動きに関心を持ち今あるお金を減らさないように考える。
自分でわからなければ相談に乗りますョ。
そんな感じだった。
左腕にはめていた金の時計が気になった。
 

億という金を持っていて、外車も数台持っていて、すごい人だが、お話の中で浜松はガソリンが安いという話が面白かった。
浜松市に来たらハイオクが148円。長野ではハイオクが170円と言っていた。
また、昔郵便局の利息がいい話をして、今は0.01パーセントと安いそれに税金が着く。
今は郵便局に預けば良いとそんなゆ~ちょことを言っていられない。
と軽いジョークまで飛ばしてくれた(笑)
とっても面白い、また役に立つ講演だった。
興味のある方は↓
夢を叶えるライフプラン
クリック
 
話しは本題に
缶ビールを二本買って17時57分の水窪行の飯田線に乗り込んだ。
中部天竜駅まで約二時間の長旅だ。
しばらくすると海外の方が同じ席に来たので酔った勢いで話しかけた。
私「どこまで行きますか」
彼「東新町」
私「お国は?」
彼「ペルー」
と、東新町駅までは、その彼と話、暇をつぶせた。
年齢は21歳。小学校一年生の時日本に来たと言っていた。
ちかじか故郷ペルーに帰り、レストランを開くと夢を語ってくれた。
写真撮っていいですか?
OK
と、答えてくれたのでパチリ。
 
わたしは何歳に見えますか?
そんな質問に、
さてここで問題です。
そのペルーの彼は、このオッサンを何歳と答えたでしょうか?

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朝、5時22分自宅を出発した。
まだ薄暗いので懐中電灯で足元を照らしながら走りはじめた。
あ、ここも浜松市なので正確には浜松市の和地山にある友達の店舗に行ってきたってのが正解だ。
大輪に6時半、ここから国道を離れまっすぐに走る。瀬尻橋のバリケードの所には7時少し前、警備員が打合せの最中だった。
これからの道路は迂回路となっているので下平山に行こうと思っていたが、人力での浜松行 体力がそんなには無いのでまっすぐ行くことにした。

しばらくすると浜松方面から上って来る車に出会う。
対岸に崖崩れの現場が見える。
下の沢の吊り橋を渡り国道に行く。
せっかく国道が崩れ、いつもはトラックの往来で人や自転車が走るのは危険な国道、こんなチャンスは無いそう思い152号線を走ることにした。
国道152号線(青谷ポケットパーク)から秋葉ダムまでのコースは初体験だ。

旧龍山中学校前を走り、寺田さんのCreek Soundの前を走る。今話営業していないBooの前を走る。秋葉ダム湖の風を受け無人のブランコが揺れていた。
鎮魂と書かれた石碑があった。道路山側の斜面には工事の跡がある。過去斜面の崩落での犠牲者の碑ではなかろうか。

ここ、秋葉ダム西岸、瀬尻側、山が崩れやすいと下平山に行ったとき地元の人が言っていた。
自分が記憶にあるだけでも何回道路が寸断されたことか。愛知県のように立派な国道を造るようにしてもらいたいものだ。
愛知県は新たに道路を造る場合、歩道を整備しなければならない条例があるそうだ。
佐久間では新原田橋を造るときの話で、歩道を造る造らないの論争が役所側と地元住人との間であったそうだ。

せまいトンネルを抜け、八部咲の桜の花見をしながらのジョグ。しばらく行くと大嶺集落の登り口、ここからは先週走った道だ。
秋葉ダムのトンネルに入り、トンネル内の交差点を左折し西川の商店街を走った。
 
秋葉トンネルを抜け。横山トンネルを抜けた。
横山小学校の校庭の桜が満開だった。
船明ダム湖ではボートの高校総体が開催されていた。
道の駅花桃の里から夢の吊り橋を渡り船明ダムへ。
ローソンで朝ヌードル。

遠鉄の西鹿島駅に到着、11時の赤電で助信まで行く。電車は便利だ。
助信(スケノブ)スケベのノブさんが居たのでこのような地名になたのか?
検索してみた。
助信と言う名前の刀鍛冶や武士がこの周辺に土着したからと言う人名説がある。
だ、そうだ。
 

助信駅から友人の店舗がある和地山まで走る。店舗に着いたのが12時ちょうど。
6時間38分の長い旅だった。

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国道152号線、またや通行止め。
 
写真は切開の時のです。

浜松市ホッとメール
国道152号線(天竜区龍山町瀬尻地内)におきまして、土砂崩落による全面通行止めを実地しております。
・通行止め区間
 雲名橋から瀬尻橋まで(約10㎞)
現時点において復旧の予定は未定です。
ご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますようお願いします。

先週の金曜日の午後、152号線通行止めの話が舞い込んだ。
土曜日に浜松に行く予定があると言うのに、なんてこったい。

土曜日、8時50分出発、瀬尻に着くと3台の車が警備員の指示で止まっていた。
しばらくすると、若い浜松市の職員が回って来た。土木課の職員だろうか?
「浜松市です。土砂崩れのタメ30分くらい、お待ちください」
わたしたちの車の窓ごしで立膝を突き、いかにもすまなそうに説明してくれた。
わたしは何も言わなかった。
ホッとメールで事情は分かっていたし、文句言ってもしょうがないし。

土砂崩れが、大雨の度に起きるもの大変だが、龍山は、迂回路がある。
合併前の龍山村の時代に村道をつくっていたのだ、瀬尻の村々に家々に道が付いている。
今思うと、助かっている。

国の道と書いて国道。
そんな国道が土砂崩れ。
県の道と書いて県道
国道が土砂崩れなので、県道を迂回路に使わせてもらう。
また、龍山村だったころ誘致した村の道を使わせてもらう。

なんてこったい。
そう思うけど、龍山村だった時代の道を利用させてもらうと考えたなら、ありがたく思う。

また、浜松市の土木課も丁寧に説明も大切だが、国道の維持管理を徹底してほしい、と、、、思った。

 

 

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目的は、とら兄の墓前に手を合わせること。

西浦田楽、長い長い伝統を受け継ぎ、別当での使命を果たした男。

そんな人に、私の人生の中で、少し出会うことができた、、、こと。

時代は変わっても、変わってはいけないこと変わらないようにしなければいけない事もある。

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人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと。人の生死は予測できないものだということ。▽人生の無常をいう仏教語。「不定」は一定しないこと、決まった法則や規則がないこと。「少」は若い意。
goo辞書から引用
 
先の勉強会で下さんが言っていた言葉「老少不定」若いからと長く生きるのではなく、年寄りだから老い先短い事はありません。
そんな下さんは、オリバー先生の父親と同い年だと言う。
  

「命のアサガオ永遠に」
光佑くんは小学校一年生でこの世を去った。

今の世を生きている人は、どの様に生きていくのか。
最高の人生
2016年3月、に書いたブログ。
三月になり、佐久間にも春の訪れが朝のランニングで感じられた。

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命のアサガオ永遠に
このような本に10年前に出会た。
それは、佐久間町がまだ、浜松市に吸収合併していなく単独で佐久間町という行政区だったころ。
静岡県市町村駅伝大会が行われていたとき、佐久間町は、その駅伝大会に参加していた。
それが、佐久間町が浜松市に合併すると決め、最後、静岡県市町村駅伝大会に参加できる年、佐久間町は静岡県市町村駅伝大会には参加しないと決めていた。
 
その年、他の北遠(佐久間町・龍山村・水窪町)も同じように静岡県市町村駅伝大会には参加しないと決めたいた。
佐久間町の役場でやらないなら、と。
そんなとき・・・・。
有志、が集まり、佐久間町で最後の静岡県市町村駅伝大会に参加しようと話が出て。話が進んで。ボランティアでの参加が決まった。
まずは資金集めから始まった。
町内の郵便局、農協の窓口に青竹で作った貯金箱を設置した。
その有志とは「佐久間町体育協会のメンバー」だった。
 
佐久間町最後の静岡県市町村駅伝大会が終わり。
その大会に参加したメンバーで「さくまRC」は結成された。
駅伝大会、マラソン大会に参加した。
10年前の春、早朝、いつものようにジョギングをしていたら、「さくまRC」のメンバーのひとりと出会い、こんな話を聴いた。
「○木さんが白血病になった」
その人はその年に浜名湖クオーターマラソンを走った人だ。
何故
 
その年、自分は、骨髄バンクを知り。
静岡県骨髄バンクを推進する会を知って。
そこの襷をかけてマラソン大会を走る骨髄バンクの広報をするボランティアを知った。
 
そして、先に書いた「命のアサガオ永遠に」を知って、丹後まみこさんの講演を聴いて、骨髄バンクをもっと世の中に知ってもらう活動に思いを馳せた。
賽の河原の石積み
昔、若くして、まだ小児で、亡くなる人が多かった。現在、医療は発達し助かる命がある。
今を生きるプレミアム世代。
プレミアム→オマケ
そのプレミアム世代が、オマケの時代をどう生きるかを、後を追いかけていく世代が見つめている。

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死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途(さんず)の川、賽の河原。ここで子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。
そんな話からか、やっても意味のないこと、という感じで使われることがある。賽の河原の石積み。
やっても意味のないことの例えとして使われる言葉になった。と言う。
「ひとつ積んでは父ののタメ。ふたつ積んでは母のタメ。」

この話には、つづきがある。
最後に、地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。 そうだ。

いっけん意味の無いようなことが、続けて行っていると、人々の心を引き寄せる。

今日の夕方、いつものように、佐久間ダムまでランニング。
電力館に行ってダムカード。
 
走るという行為、フルマラソンを走りたく、走り込みをする。
目標があり、その目標を達成するために走り込む。
最初、フルマラソンを走りたくて走っていた自分が、いつも走ることによて走ることがライフラークになってくる。
 

走ることを続ける。賽の河原の石積み のように。
いっけん意味のないことのように思うことも、続けることによって何かを得ることができる。

走ることによって、得た者は、ラン友。。。

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佐久間しし鍋マラニック
だった。

10年くらい前かナ。
知り合いから
「佐久間に豊川の走る仲間が家を買ったので、そこで何かやろう。ログハウスもあるよ」
といわれて始まった。このマラニック。


去年までは、
中部天竜駅→西渡(八丁坂)→横吹→切開→城西→野田→ホウジ峠(昼飯)→中部天竜駅
だったが、今年は
城西から水窪に行き向市場の粒食いしもとで昼飯とすることにした。


10名の走る仲間が日曜朝10時に、中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集まった。
 
遠くは横浜から。もっと遠くはアメリカから。


中部天竜~水窪まで21㎞


何を感じ走るのか。
それはひとそれぞれ感じるものは違う。

わたしは八丁坂から登って峠を越え瀬戸から見える景色が好きだ。
竜頭山が見え、鮎釣や和泉の村が見える。

そして、そこから塩の道を進むと、間庄・立原と続く。次の村が「横吹」わたしの故郷だ。
小学校の当時、20軒いじょうあった家が今は4軒。


島の村から国道に出て、その国道を北上、城西小学校は今年度で廃校になった。


ゴールは水窪向市場の粒食いしもと、過疎で寂しい気持ちもあるが、心に太陽を持って進んで行こう。

最後に坂村真民の詩
後から来る者のために

 『 あとから来る者のために

 田畑を耕し 種を用意しておくのだ

 山を 川を 海を きれいにしておくのだ

 ああ あとから来るの者のために

 苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ

 あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために

 みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ 』

後から来る者のために

みなそれぞれが同じように思ったなら、地域は変わる。

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フェイスブックをやるようになり、誕生日の夜が慌ただしい。
59人の友達から誕生日のお祝いメッセージが来て、その返信をしていたのだ。
自分なりに、その相手とのであった時を思いめぐらし返信した。
名古屋いいとこで出会ったランナー。ゼロ富士で出会ったランナー。
多くの先輩ランナーからのお祝い励ましメッセージにも感動した。
平成の合併で飯田市になった遠山郷で始まった
チャレンジマラニックin遠山郷
で出会った神奈川の釣り人からも。
遠くシンガポールの友達からも。
地元、浜松市に合併しても、過疎になってもまだココにしがみ付いている仲間からも。
驚いたのは、奈々さんからのメッセージだ、奈々さんとは本人に出会ったわけでもない、それは数年前の「たつやま凸凹」(春)の時の話である。
参加した浜松のランナーからの紹介で友達申請をした。
たった一行
お誕生日おめでとうございます
だったけれど、最後についている絵文字が嬉しかった。

パソコンという器械の前で、自分の精一杯の思いを伝える。

自分がこの世に、58年前に誕生した。
それは、母親が、そのとき、自分という生命体をこの世に送り出そうと、生死をかけて戦った日だ。
丁度、その誕生日の前日、2月19日
到知出版社の女将さん便りが来た。
「天は自分という人間をこの世に生んだ、天が生んだ自分には必ず用、即ち役割、使命がある」
坂村新民先生の「後から来る者のために」という詩とともに。
http://www.chichi.co.jp/special/24/winter12/?utm_source=willmail&utm_medium=email&utm_campaign=okami_20180219
 
その19日に
自分の長女の子供二人が、我が家に来た。
長男3歳が、いきなり家に入ってきた。
「こんにちは」
というと、
「こんにちはではない シー」
と、小さな右手をポケットに突っ込んでこたえる。

太古の時代から綿々と続いている命のリレー
58回目の誕生日に思いを馳せる。

最後
塩山市民病院の医院長
多和田さんから
新間さん、お誕生日おめでとうございます。一日遅れですみません。今後も様々なレースでの雄姿を楽しみにしています。
そんなメッセージで今日になったことを知った。
おわり

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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