平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
村には70歳になると、口減らしのために、姥捨ての習わしがある。
深沢七郎の小説「楢山節考」

親孝行の辰平(54歳)70歳で山に行くと決めた意志の強い母親おりん(79歳)
孫のけさ吉に子供ができると(曾孫)出来ると、家の食いぶちが増える。年寄りが山に行く風習は、そこには貧乏な村の生活があった.。

今は、そんな貧乏などない。しかし、親を山に置いていく現実がある。
町に行っても年寄りの居場所がないのか、山に帰ってくる。
おりんが楢山に行った帰り、雪が降ってきた。
掟を破り、おっかあのいる岩陰にもどり、緒形兼ふんする辰吉の言葉
「おっかあ、雪が降って運がイイナぁ」
母親役、坂本スミ子、おりんは掟を守り、何も言わずに手で早く山を下りろと言った。
尊厳死
人生の最終段階において過剰な延命治療を行わずに、自然な経過に任せた先にある死
尊厳
人が人として生きる権利
このような時代もあった。テレビのニュースで自殺者の数を言っている。
楢山節考も自死の話しだ。しかし、時代背景はかなり違う。
何故、こうなったのか、こんな時代になったのか。解らない。
今は、この時代より良い世の中になったはずだ。

日本の過去を知ることで、これからの糧にしよう。
しんしん
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今年5冊
非正規介護職ヨボヨボ日記
タクシードライバーぐるぐる日記
住宅営業マンペコペコ日記
メガバンク銀行員ぐだぐだ日記
は著者が男性だったが、今回は女性の著者。書いた当時がコロナ過の時、ケアマネージャーをやりたくて様々なことがあり転職したけど、今の職場につき頑張って続けている。
私の前職(介護職)でも、そうだったが高年齢の女性が働いている。家で家事をこなし、車で出勤してきて職場で働いている。そんな人に「どうしてそんなに働くの?」と問うと。
「年金だけでは、やってけない」
「孫に金がかかる」
そんな返事が返ってきた。
貴賤・述懐・片鱗・狼狽
著者岸山真理子さんは、小学生の頃から注意欠落症・多動性障害で物覚えが悪かったと書いてある。
また30歳代まで単純労働非正規職員だったので、38歳で出産を機に正規職員の仕事を求め介護職になり47歳でケアマネージャーになった。
最初、このシリーズを読んだとき、ある仕事の人は、作家を目指してたが、作家だけでは食って行けなので、その仕事をしてると、そして最後に作家の仕事は諦めてないと書いてあった。
著者岸山真理子さんも自分のことを卑下して書いているが、本には貴賤・述懐・片鱗・狼狽と難しい言葉を的確に文中に書いてあるとても頭のいい人だと感じた。
継続は力なり
これからの介護の世界、介護される人は増えるばかり。介護を仕事をする人は必要とされてる。
介護の現場で働く介護職、介護の計画を立てるケアマネージャー、医療行為をする人、様々な人がチームを組み介護を必要とする人を支えている。
著者岸山真理子さんは、88歳現役を目指しているという。
日本高齢化社会、このようなウーマンパワーが明るい日本を支えてるのだ。
続けて来れたこと、続けてけてから、見えてくる世界、振り返って過去の自分に「ありがとう」
本の差後の言葉が印象的でした。
尊敬、敬うこ。
本を読んでいて、こんな言葉が浮かんできた。生きていると様々なことがある。今の自分は過去からの結果だと思う。
しかし誰も、こうなるとは思わなかった。
いろいろな世界がある。
本の中で『楢山節考』の映画の話しが度々出てくる。
今は、そのような時代ではない。著者を始めとする日本女子がる。
はらはらの日常の私が読んだ
「ケアマネジャーはらはら日記」
だった、、。。。
このシリーズも4冊目となった、この日記シリーズ。
今回は銀行員の物語だ。どこの世界もそうだが、人は出会う人で人生が変わってく。ココでは上司との出会いが著者(目黒冬弥)の、その後の世界を作ってる。
出世がある。働く者にとって出世することが大きな目的でもある、と。しかし、みんなが、その場所に頂点君臨することは、できない。
それぞれの自分の、与えられた職場で、自分なりに考え職務を遂行する。
仕事でのお客との出会い。感謝されることも多いと書いてある。そこから付き合いが始まることも。難解を解決したとたんに連絡が途絶えた人もいる。
あとがきで、
どこかで誰かが、見ていてくれる。嬉しかった。
と、ある。
それは、著者「目黒冬弥さん」も、その誰かを見ていたからだ。
共感
共感
共(ともに)感(かんじる)
著者があとがきで書いていた言葉
どこかで誰かが見ていてくれる。そして共感してくれる。
私も、この本を読んで共感したことが多くあった。
人は「おぎゃ~」と生まれて自分の人生という時間を使い生きている。
古く中国では「春」「青春」。「夏」は「朱夏」。「秋」は「白秋」という。そして「冬」を「玄冬」と
まだ人間として芽吹く前の、幼少期は
「玄冬」
「玄冬」
若々しく未来に希望を持つ
「青春」
「青春」
バイタリティーある活動を見せる現役時代の
「朱夏」
「朱夏」
心穏やかな人生の実りを感じる
「白秋」
「白秋」
人生は、冬・春・夏・秋と巡り巡っていくという。
人それぞれに、その季節があり。それぞれの時期を楽しんだり苦労したりしている。
振り返って思いめぐらすと、その時々に、出会いがあった。
今年の年の初め、多くの年賀状が、我が家に来た。
63円のハガキが様々なところから届いた。
19の春田端義夫の唄がある。
人もまた、人生の旅をする。
個人では仕事は、そんなにはできない。
だから、本を読み、多くの人の仕事の苦楽を読み、自分なりに共感する。
また次の本を読もう。。。
旅もしたいな~~。。。
旅もしたいな~~。。。
「非正規介護職員ヨボヨボ日記」を読んだ。
「タクシードライバーぐるぐる日記」を読んだ。
この日記シリーズも三冊目である。
「同僚が次々やめていく仕事」
ブラック業界の、 ブルーな私
介護の仕事は大変だけど、薄給激務なのに夢があり希望があるように感じた。
営業マンは薄給ホワイトだと思ったけど。。。
実際は大変。ココの職場(タマゴホーム)だからかもしれないけど、、、
泣くに泣けない。笑うに笑えない。真実がある。
歩合制、頑張れば頑張っただけお金が入る。しかしその制度は同じ仕事仲間がライバルになる。
過労死、過労死を隠そうとする会社。情に絆される社員は(会社に逆らう人は)会社から消される。
仕事が無くなった人の結末、家のローンが払えなくなり、離婚→家庭崩壊→ホームレス
働くということは、生きてくということ。家族が居れば、その家族の命も家長の背中に重くのしかかる。
だから、ブラックだろうと働く。しかし、その人は最後に、その会社に退職届を出した。
夢だったマイホームを手放すことになった。
若い夫婦に夢のマイホームを売る住宅営業マンが、今は月5万5000円のアパートで暮らしているという。
今の生活で、2DKのアパートの生活で、著者は幸せを感じる。著者は言っている。身の丈に合った生活に幸せを感じると。
何千万もするマイホームに暮らせる人もいる。アパート暮らしでも幸せを感じる人もいる。
客観的にものを感じる。誰から見てもその方が幸せだろうと。しかし、主観的に感じることが大事、自分が幸せ感じれば、それでイイ。
そしてその住宅営業マンは、また営業の仕事を始めた。そして働くことに楽しみを見つけた。
私もアルバイト生活一年目が終わった。様々なことがあるけれど、この本を読んでマダマダ頑張らなければと思った。他の人からアリガトウの言葉をもらうために。
著者屋敷康蔵さん。ありがとうございました。
APU学長出口治明氏が言っている人生は人×本×旅が自分を大きくすると。
良い本を読んだ、なぁぁぁ。。。
中部天竜駅~富山まで約25㎞のマラニック。佐久間村は1955(昭和30)年、電源開発株式会社よる佐久間ダム建設を受け入れた。そして、そこは佐久間村と浦川町・山香村・城西村の三つの村と一つの町が合併して佐久間町となった。私の生まれる五年前のことだ。
当時二万人以上の人口は、ダム工事の時には潤い。その後も様々なことで潤った。しかし、その町は昭和の時代が終わりを告げたころから陰りを見せかけた。そして平成になり当時の町長が平成の合併で浜松市との合併を決断した。
そして、その町長は東京に去ってった。

今日は、その佐久間ダムの湖岸約25㎞を走る仲間九名でユックリ走った。
コース上には真っ暗な長いトンネルが多く、走る人はチカチカライトやハンドライト・反射タスキなどで装備してきた。
砂を運ぶ大型トラック等も走り大変危ないいコースだ。トンネル内ではトラックが来ると壁に張り付き邪魔にならなように注意した。
砂取り場所を過ぎいると、車も少なく走りやすくなる。
ユックリだから話もできる。誰かが、お正月2日羽田での事故の話をした。
旅客機が着陸した直後、海上保安庁の航空機のと接触事故の話し。
日本航空516便の機長をはじめキャビンアテンダントは冷静にお客を誘導し全員無事に脱失したこと。

信じれない事故、だけど、事故は起こった。
様々な犠牲があり、今があること。
佐久間ダムでは約350万人が働き96名の殉職者がある。

今、この時代に生きている者は
巨人の肩に乗っている。
科学者ニュートンが書いた手紙の一説として広く知られる。

今の便利な生活は、今の平和な世の中は、先人達が積み重ねた結果なのである。
佐久間ダムで殉職した人がいる。そして労働基準法ができ安全対策が語られるようになった。

そんなことを思いながら。話ながら。天竜川リバーサイド約25kを走り切り。
湯の島温泉で汗を流し、食堂でユヅ味噌カツ定食を食べビールで乾杯したのだった。
年の初め、職業日記シリーズ10冊セットを買った。
そして昨日に引き続き、今回は、この本を読んだ。
人の数だけ人生があり。職業の数だけ苦しみもあれば楽しみもある。
昨日は、自分が経験した職業だけど、今回は知らない世界、

東京の大手のタクシー会社で働いた,お話し。様々なお客さんの思い出話には泣かせる話しや笑わせる話し、怒れた話しが散りばめられている。
東日本大震災の時、仕事でタクシーを走らせてたそうだ、大都会東京での様子がリアルに感じたページであった。またソープ嬢を載せて世間話をして車を降りてからのサービス。同じサービス業の絆を感じた出来事だった('◇')ゞ
「世の中に寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿は起きて働く」
私の母親からも聞いたことがある。
「小欲知足」
自分のための時間や主体性を犠牲にしてまで必要以上の収入を得ることはない。
そんな意味だそうだ。
私は趣味で走っている。普通の人から見れば、一銭にもならないのに如何して???と思うかもしれない。
馬鹿なのかもしれない。
ここに越してきて36年。もう63歳になった。
コロナが収まり静岡マラソンを申し込んだ。42,195k
苦しんだ最後に得るもの。何回も感じたとだけど、何も変わらない。残ったものは老いた身体だけだ。
良かったのか悪かったのか判断をくだす必要もない。
私は、そうやって走ってきた事実だけがあるだけだ。

「タクシードライバーぐるぐる日記」を読んだ。一人の男性の生き様の物語だった。
ブログは最後は、この本の「あとがき」をまねて自分の事を書いてしまった。
スイマセン
著者内田正治様
汗と涙の日記シリーズ「非正規介護職員ヨボヨボ日記」を読んだ。
実をいうと私も62歳で一年間、介護の仕事に就いたことがある。
いろいろと納得する言葉が実体験が、私の胸を突く。 だろうと、この本を手にした。
本の最初にある
「それでも私が続けるワケ。介護職員が立ち尽くす老いと死の現場」
そして私はページをめくった。

想像をはるかに超えた景色
著者はハローワークで紹介された介護職員養成講座で半年間通い終了証書をもらい介護職に就いたそうだ。
私は約20年前、母親が介護が必要になりそうなころ、通信のNHK学園の社会福祉学科を一年間勉強し続け介護福祉の免許に挑戦しまぐれで合格した。
その次の年の年末、母親は家の近くの特養に入所した。
ちょうど社会福祉学科で一週間実技研修に通った施設だった。
そこで11年間お世話になった母親は地元のお祭りの時に危篤の知らせを聞き亡くなった。
そんな母親を見て感じて、62歳最後のチャンスだと思い。介護の仕事に就いた。
20年前とは、想像を超えた世界を見た。実習と現場とに違いも。
私の母親は、認知症で、家族で行方不明になった母親を探し回ったことが幾度もある。
施設に入って、すごく助かったのを、ほっとしたのを覚えている。
施設に入った時には、もう息子である私の名前も知らないようだった。
父親が亡くなった時も、葬式には参列できない状態だった。
そして母が死んで、私は介護職の扉をたたいた。
そして、母親が入所した時の部屋に、今度は入所者の家族としてではなく、介護職員として部屋に入り、天竜川を望んだ。
B型鉄橋が半場の村が奇麗に見えた。

さて本題の、この本は、実に現場の事をよく書いている。
利用者の事、介護職員の序列関係、読んでいて納得することばかりであった。
よくぞここまで書いてくれてと、アッパレをあげたい。
是非買って読んでもらいたい本だと思った。
(私はメルカリで中古を買った)

老人の介護の現場について、様々なことを経験して、最後に著者は
「あと数年で私も高齢者になる。これまで情けなく反省の多い人生だった。それでも私はいささかも後悔はしていない」
と書いてあった。それは「その時々を必死に生きてきたからだ」とも書いている。
そして、介護職を続けていくと締めくくっている
重松清さんの本は「エイジ」「ビタミンF」「ひこばえ」「ナイフ」と読んだ。
今度は「くちぶえ番長」
悲しい現実、悲しくて涙がでそうになったときは、口笛を吹く。
小学校4年、その学年の始めに女子の転校生が、その子が挨拶で「番長になる」と宣言、そこから物語は始まっていく。
番長とは、ケンカが強いだけではない。イジメを許さない。
いじめる側にも理由がある。が、その子は許さなかった。
その本は、過去を振り返る形で始まっている。そして、最後、再開することは無かった。
私にもある。
LINEだけで繋がっていて、同窓会の話をして、出会うことができないまま、遠くに行った人が。
別れには、様々なことがある、人の哀しい気持ちを、自分なりに考える。
「くちぶえ番長」
読んでよかった。
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
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”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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