それは、君に、伝えた事が、あるから。
ゼロ富士とは
H氏が企画した
H氏がはじめたウルトラマラソン、私は湖西市鷲津の工場で若き日の頃働いていたので思い出があった。
郷土愛溢れる大会だった。
表題の
浜名湖一周ウルトラマラソンの思い出。
それは、朝5時にスタートしたウルトラマラソンの思い出ではなく、走り終わってからの宴会、宴会が終わってからの二次会での思い出なのだ。
次の日仕事があり、もう寝よう。と思ったけれど二次会会場は、H氏の部屋、私は同じ部屋だった。
部屋の隅、布団をかぶった。
二次会の人たちの声が聞こえる。
H「今回の浜名湖、如何でした?ご意見を聞きたい」
初めて見る人、関東からの人みたい。
仮にBとしてみる。
B「地図が、チョットわかりにくい、かな、、」
H「私は、このコースマップには命をかけている・・・・」
突如、怒った。
他の人たちが
「まーまーまーぁ」
H「いやいや、今のは置いといて、それで」
心を落ち着かせ、また、B氏の話を聞こうとしたH氏
B「地図が、チョットわかりにくい、かな、、ココのとこと・・・」
H「私は、このコースマップには命をかけている・・・・」
突如、怒った。
他の人たちが
「まーまーまーぁ」
そんなことが繰り返され、Bさんは部屋に帰って行った。
残った人たちで、残ったアルコールを飲んでいた。
私より年上の人ばかり。元気の良い人ばかりだ。走りも酒も。
私は、もう眠れない。
いつも温厚はH氏が怒った。
質問したのはH氏、それに答えてくれたB氏。
H氏は私に、
「自分にとって批判的なことを言う人から学ぶことがある」
そんなことを聞いたことがある。
酒とは酔っぱらうとは、こんなこと、いつも冷静にいても、いつもと違う自分が出る。こと。
自分もそうだ。譲れないところがある。
命はかけてこなかったけど、一生懸命自分なりにやってきた。
浜名湖一周ウルトラマラソン
楽しかったナ~。走るということは大変だけど、楽しいことがある。
表裏一体
どんな事でもそうだ。楽しい事には陰で支えてくれる人がいるものだ。
浜名湖一周ウルトラマラソン命をかけて開催にこぎつけてきた人がいるのだ(^O^)/
私は佐久間中学校の頃、3年B組だった。
3年B組金八先生~。ならぬ深田先生だった。
今思い返すと、叩かれた思い出がある。それも連帯責任という感じでクラス全員を、そんな記憶がある。
それも、私のおぼろげな記憶で、さだかではない無い。
今、その時の先生より多くの歳を重ねた自分が思うことは、その先生も真剣だったのだナ~。と思う。
当時、そのクラスにイジメはあったのか?
答えは、あった。
ボス的存在の輩がいて、当時はやっていたプロレスの技をかけ涙が出るまで締め付けたり。
悪い言葉で罵倒したり。
でもそんな陰湿なイジメとは感じなかた。
イジメたりイジメられたりしながら、時は流れ、忘れてきたのだと思う。
人はイジメたりイジメられながら生きていく。
今、コロナ禍
金八先生は、どの様な授業をするのだろうか???
私は
森町三倉「勉強会」で修身教授録の読書会に参加した。
そこで「尚友」という言葉に出会った。
意味は、本を読み、昔の賢人を友とすること。
だ
そうだ。
「ヤッつあん先生の人間学」
八ツ塚実先生は広島県福山市での中学の理科の教師だった。
本当にこの世にいた、金八先生だった。
他に「大人になるということ」「思春期の節目」と自分の本棚にある。
わたしは大人になっていないだろうか???
もう一度、読み直そう。
その彼女は、北海道の出身の人で、ある出逢いが縁で今このステージに立っていると。
夢を追いかけている女性だった。
例え話で、こんなことを話した。
「電車がホームに来る、次の街に、その電車に乗って行こうか行くのを辞めようか。グズグズしていたら前には行けない。思い切り、その電車に乗って今がある」
のだと。
12市町村が合併して、山間部は益々過疎になっていく。
ねこバスが、4月になるとやってきて、多くの人を乗せ都市部に護送していく。
バカで頑固な自分は、そのねこバスには乗らない。いや乗ることができない。乗車券を買うお金が無いから。
私は思う。
ねこバスに乗る人も、乗らない人も、良しと思う世界。
今、過疎地域で困っていること。買い物、病院通い、車を運転できないと暮らしていけない。
多くの金を使って、有料老人ホームに行った人もいる。
電車に乗った人、その人はTOMOKO
電車に乗る人も、乗らない人も。
愚者も賢者も。
田舎も都市部も。
健常者も障碍者も。
コロナ禍、そんな時の竜頭山スーパーマラニック2021、そこに懐かしい人が着た。
私の家の前を三人で出発
当時、新聞で竜頭山スーパー林道に風力発電の風車を建設するための報道があった。
私は、スーパー林道の景色も変わっていくだろう。だから、今の景色を自分の目に焼き付けた置きたいとの気持ちもあった。
麻布山の登山口からは、水窪ダムまですり鉢状の曲がりくねった道を下る。
水窪の国盗りで遅い昼食。
切開には私のオジイの店が、まだ「新間商店」の名前を遺して建っていた。
そこから国道473号をスタート地点だった、私の家の前の公園を目指した。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |