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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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ナンじゃない。そんな笑い話があった。静かなほうずき平にみんなの笑い声が響いた。
友さんから助言きた。
人の言葉、発言、投稿、聞く人にとって刃ともなり、ホットすることもある。

マラニック同走会
いろりの宿「島畑」で
シゲさんヒロボーさん私で布団に入り暗闇で、話したことで
ランナーの事があった。
シゲさん
「ランナーは自分本位の人が多い」
ヒロボーさん
「私のマラニック来るランナーは良い人ばかり」
と。
「・・・・・・・・」
(マラニック出ているけど、チョットと思う人もいる、かな)
思った。自分本位とも。自分も、とも。

チャレンジマラニックin遠山郷
第一回目参加した。
とても楽しい、思い出の大会だ。だが、そのマラニックの生みの親、が、原点の人が、今いない。来ない。寂しい。。。
ヒロボーさんに相談したことがある。
原点に返って(酒)

ところが
ヒロボーさんから
「一度割れた茶碗は、元には戻らない」
「・・・・・・」

ナンが消える。難が消える。
時間と共に、過去の事を忘れる。許し合える。 昔、そんなことがあったが、今は良い思い出。
i何時の日にか笑いあってを飲める日が
きっとくる。
分かりあえる時は来る。

思うわたしはおもう。

森町三倉「勉強会」
人生の先輩からの厳しい助言、経験から学んだ有り難い言葉、私の気持ちが浄化する。
森信三「修身教授録」読書会
「尚友」そんな言葉を知り読書した。
多くの先人たちの本を読んだ。

ヒロボーさん、今なら言える。
声を出して。
「私たちは瀬戸物でなない」
ましてや
「プラスチック」
でもない。
「私たちは血の通った人間なのだ!!!」
キット分かりあえる時が来る。

と、
私は信じています。

\(^o^)/

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先日、藤原ていさんの本を読んだ。
日本は戦争があった。そんな時、藤原ていさん夫妻は満州にいた。藤原ていさんは三人の子どもを連れ満州から日本へ祖国に帰って来た話だった。
今回
その藤原ていさんの自叙伝「旅路」を読んだ。
読み終えた。

藤原ていさんは、女学校時代、学校の先生になりたかった。ペスタロッチの本が好きだった。
修身教授録にも書かれていたペスタロッチ、森信三さんも藤原ていさんも、教育の道で同じ人の本で言葉で、その人の本に導かれている。
ところが、藤原ていさんは学校を卒業することはできなかった。家庭での父親との関係、大正後期・昭和初期の親子関係、男女関係は様々だったと思う。
求婚があり、見合いがあり、藤原寛人(新田次郎)との出会合いがあり結婚、満州へ、新婚生活があった。

戦争は終わりかけた。
荷馬車に乗る労働者に石を流られた。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
大きな声で云って労働者は笑い出した。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
くりかえしている。私は直立したままで、その顔をきじしくにらみつけていた。
「センソ ニホンマケタ」

満州から引揚げ。朝鮮での暮らし、「流れる星は生きている」では書いていない壮絶な暮らしが書いてある。
勝ち組・負け組、負けた物は屈辱をうけた。
それは日本人だから。
しかし、あたたかい手もあった。
そんなことが書いてある。

北緯38度線を越え、アメリカ軍領内へ。日本に帰国、故郷長野県諏訪へ。
ソ連軍の捕虜となった夫との再会
藤原てい「流れる星は生きている」ベストセラーに。
そんな妻を持つ、夫の気持ちを慮っている。
藤原ていさん
夫の直木賞受賞
滅多に笑顔を見せない夫の喜びの表情が藤原ていさんが書いている。
人間として大切なことは・・・・・
物を大切にする心、つつましい心、物以上に人間として、最も大切なものがあるのだと、教えてやりたい。
子育ても信念があった。
夫の死
それは心筋梗塞により突然な別れだった。半狂乱になって夫の死体に泣き伏せた。
満州からの日本に帰るもの、夫の「子供たちを日本に連れて行ってくれ」その言葉を力に故郷の諏訪に辿り着いた。
夫の死後、藤原ていさんは、ためらっていた原稿も講演活動も身体のかぎり引き受けて、少しでも後に続く人たちの心に残したいと思い続けた。
藤原ていさんは1918年(大正7年)11月6日 - 2016年(平成28年)11月15日まで生きた人だ。
本の最後に
なんともありがたいことである。
と書いてあった。

わたしの母親は、昭和元年生れ。
水窪に生まれ、斜面集落「横吹」に嫁いできた。
そこで長男・長女を生み、夫を亡くした。次の夫から私が生まれた。
今回藤原ていさんの本を読んだ。自分の母親の若い日を考えてみた。
母親に感謝します。

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先日、
そんなことをブロブを書いた。
今、
藤原てい「旅路」を読でる途中だ。藤原ていの自伝書。中国孤児の悲劇はなぜ起こったか。敗戦の苦しみを綴った、戦後の超ベストセラー「流れる星は生きている」の著者が、30年ぶりに、女学校時代の思い出や戦争の痛手、夫婦愛、親子の情、夫の急死など、細やかな心の遍歴を語る、書下ろし女の半世紀。


藤原ていは私の母親より8歳年上である。
わたしの幼きころ
よく聞いた、母親の言葉
おまえは良いときに生まれた」と、私たち戦争を知らない人は、分からない。大正生まれの女の生活は、しかし、この本を読んで、読み始めて、藤原ての青春時代と私の母親の青春時代が、重なって見える。

藤原てい夫婦は満州に渡った時は、日本人街で働く中国人は日本語が上手で親切で、道を尋ねても、現場まで連れて行ってくれる五族協和の精神を体得している、とか。
日本人も満州人も、朝鮮人も、白系ソ連人も、蒙古人も、いわゆる五族が、みんな仲良く平和な市民であるように思われた。
と、
書いてあります。
それが
第二章新婚生活P69 
荷馬車に乗る労働者に石を流られた。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
大きな声で云って労働者は笑い出した。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
くりかえしている。私は直立したままで、その顔をきじしくにらみつけていた。
「センソ ニホンマケタ」


第三章 放浪生活
この章から、藤原ていの満州からの引き上げ、が書いてあるのだろう。
昨日・今日・明日
過去・現在・未来
過去があるから現在がある
10年後のことは分からない。が、過去を忘れないで未来を考える、こと。

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ふるさと創生事業、1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけての日本で、各市区町村に対し地域振興のために1億円を交付した政策である。正式名称は自ら考え自ら行う地域づくり事業。1億円を交付したので、ふるさと創生一億円事業とも言われる。
ふるさとを大切にしよう、そんな政策なのだと思う。そんな時に私は湖西市新居の促進住宅から磐田郡佐久間町相月(斜面にある村)横吹に、山間部の故郷に北遠に帰って来た。
昭和という元号が終わり、小渕官房長官 の「新しい元号は平成です」とのテレビを横吹の居間のテレビで見た。
時が経ち、2019年4月30日をもって、その元号は終了した。

平成が始まったのは1989年、バブルの崩壊とほぼ同時に幕をあけました。以降「失われた20年」と呼ばれる長い不況の時代が続きます。多くの企業はデフレと低成長に苦しみ、団塊ジュニア以降の世代が経済的な負担を被ったことで、晩婚あるいは未婚の傾向は加速しました。日本が少子高齢化社会に突入することが決定づけられたのは、この時期のことです。
リーマンショック、東日本大震災によって日本の経済・社会が巨大なダメージを負う一方、隣の中国は猛烈な勢いで経済発展を遂げ、日本を追い抜いてアメリカに次ぐGDP世界第二位の座に就きます。他のアジアの国々の成長も目覚ましく「もはや日本は二流国に転落した」という声が、あちこちで聞かれるようになりました。


「平成の30年余りの間に日本は衰退した」と悲観したり、「今後は斜陽国家として落ちぶれていく」という未来予想図をしている人は数多くいます。
(茶文字、落合陽一日本進化論「はじめに」より一部抜粋)
落合陽一日本進化論、それは、これからの日本を
「ポリテック」という、政治(Politics)に技術(Technology)を組み合わせて、日本の社会問題を解決しようという提言の本。

私が暮らす北遠も、もうダメだ。
そのような雰囲気です。
「ポリテック」という、政治(Politics)に技術(Technology)を組み合わせて、北遠の社会問題を解決することはできないか?
考えています。
今、天竜区の区長が上平山の人になりました。
浜松市でも天竜区のことを考える雰囲気になりました。
自分は自分なりの道を歩みます。

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著者、藤原ていとは、
長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供を連れ満州より引き揚げ、帰国後しばらくして新田も帰国。
帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。一部創作も含まれている。またTBSの『愛の劇場』で1982年にドラマ化された。
読売新聞「人生案内」の回答者を1997年3月まで約13年間務めた。
80歳を過ぎた頃から認知症を発症し、表舞台から退いた。2016年11月15日、老衰のため死去。98歳没。
ウィキペディアから。


戦争のあと、満州からの引き上げる体験を書いた本だ。
三人の子供を連れて、
昨日の夜、12時ごろ読み終わった。
壮絶な北緯31度線を超えるところ、印象的だった。
朝鮮の人は、日本人をかくまうことはできない、が、温かい手を差し伸べる人がいた、こと。
人形を作ろうと、ソ連兵から布をもらうシーン
子供がジフテリアにかかり、朝鮮人医師にロンジンの時計を1000円で買ってもらった。こと。
★虐待死★
★けがされた人形★
★三百円儲けた話し★
★かっぱおやじの禿頭★
★死んでいた老婆★
★三十一度線を突破する。★
★アメリカ軍に救助される。★
★気の狂ったまねをする法学士★
★コンビーフの缶詰★
★貨車の中の公衆道徳★
★上陸の日★
★博多から諏訪へ★
★ああ両親の手に抱かれて★

藤原ていさんは遺書のつもりで書いた、と言っている。
私の心には、何処の国の人にも、悪い人もいれば良い人もいると映った。
国家の品格を書いた藤原正彦さんは藤原ていさんの次男だ。
国家の品格の中に
「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」をしっかり持って「人類愛」とにつなげる。
そんなことが書いてあった。
流れる星は生きている。を読んで、藤原正彦さんの、この言葉を意味が少し分かったような気がする。

 
私の母親も、80歳で特別養護老人ホームに入所、認知症が進み私の名を呼ぶこともなかった。
92歳でこの世を去った。
この12年間を考えた。
母親の偉大さを、この本で知った。

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叡智とは


1 すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。

goo辞書から

深く物事の道理に通じる才知


道理とは

1 物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。「道理をわきまえる」「道理に外れた行為」

2 すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。「言われてみれば道理な話」
同じく
goo辞書から


物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。に通じる才知

 

「希望」「健康」「叡智」

戸口のその人は、まず希望を一番として、二番目に健康、その健康を一番高い戸口山にした。
そして最後に「叡智」をもってきた。

物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。に通じる才知。を。

昨日は、その戸口山に登り。

希望」に出会うことなく、「健康」である戸口山頂上の三角点で写真を撮った。

辺りは木で茂って、眺望は何もない。が戸口山の頂点に。

そこを下っていくと、反射板があり、昼食とした。

木の陰から、佐久間の街並みがみえる。

昼食を終わり、片付けを終え、次のピーク「叡智」へ。

鉄塔がある、その「叡智」からの眺望は素晴らしかった。

物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。に通じる才知。


遠い過去に、佐久間町という行政区は、実在した。
もっと遠い過去に、鶴田浩二の傷だらけの人生、そんな歌があった。
1970年発売のレコードだ。

筋の通らぬことばかり。

時代と共に、様々な事が変わっていく。
変わらないものもある。
それを探すのだ。
「叡智」を持って。

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「希望」「健康」「叡智」
それは
浜松市の北部(ほくえん)に、ある高校の校歌にある言葉です。
見よ赤石を、かたどりし わが校章の、三つの峯。
希望・健康・叡智をば
示すを常に、うち仰ぎ、蛍雪琢磨、たゆみなき・・・・・・。
赤石とは赤石山脈の事
三つの峯とは戸口山の事と聞いている。
その戸口山は、別名三ツ山とか三盛山と地域の人には言われている。
今回、その、三つの山三盛山戸口山」に三人で登ったのだった。
予定では
戸口登山道から、
希望・健康・叡智と登る予定だったけど、最初の希望のピークが見つからずに、戸口山(1026m)に辿り着いた。
道なき道を、スマホのGPSを頼りに登って行ったのだ。
戸口山からは、登山道が整備され順調に、戸口山山頂(健康)次の鉄塔がある(叡智)と通って半場の戸口山登り口に辿り着いた。
今回、希望を通ることができなかった。

その、佐久間町の高校、今はその佐久間町も浜松市の一部になった。
70年前、その高校ができたときは、希望でいっぱいだったのだ。
戸口集落に、その詩を書いた人は暮していたそうだ。
三盛山を高校に通う子供たちに
「希望」「健康」「叡智」
と伝えた。






因みに私の高校の校歌

陸上部で駒沢陸上競技場で1000mを走ったことが忘れられない思い出だ。

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今回、参加者の皆さんに、如何して救う会&骨髄バンク&返信ハガキを同封したか。
それは、まず
「救う会」について
を見てください。
オールジャパンでの活動と、ありますが、はたして(自分を含めて)と思い、、、です。

「骨髄バンク」
私が44歳の頃、病気し、「死ぬのかナ~」と思った事がありました。
死ななかった。
その一年後、走る仲間が白血病になり。
何故
チョット前に、浜名湖クォーターマラソンを走ったばかりなのに
ビックリした。
人の運命など、分からない。
その時、ネットで白血病と検索、骨髄バンクを知った。
の人たちを知り、今に至っています。

「返信ハガキ」
遠山郷は、チャレンジマラニックin遠山郷の第一回目から楽しんでいます。
それは、東京マラソンが始まった、その年に
H氏に、北遠駅伝の待合室で、その話を聞きました。
そして16年たった今
遠山郷は、バイパスができ、交流人口を増やそうと頑張っています。
そんな、山間部を応援してほしい。
その
考えです。

人の脳には、ミラーニューロン・ものまね細胞と呼ばれるものがある。
感動的なドラマを見て、涙するのも、その細胞からだ。
共感する心
「救う会」&「骨髄バンク」
ある日、忽然と、自分の子どもがいなくなった。
ある日、白血病になって、治療したが、その子は小学校一年生の時に亡くなった。
自分の暮らしているところは過疎化が激しい。
分かってくれる人もいるけど、分からない人は分からない。
それでも、自分は話していく。

「あっしには関わりのないことでござんす」
木枯し紋次郎
セリフ
小島よしお
「そんなの関係ない!」
そんな世の中でない事を望みます。
しんしん

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浜松駅からザザ方面へ。
そこに国道152号線があります。
飛龍街道というのでしょうか?
その道を北上、単調な道、約21キロ走ると天竜川に架かる橋があります。
その橋を渡り、歩道のトンネルを抜け、二俣の町へ。
クローバー通り。
二俣の町を北上、最後のコンビニがある。
早めに、補給食飲料を確保を。
そこから、何も無い世界になります。

左手に「船明ダム」があります。
そのダム沿いを行くと、月まで3㌔の看板が。
そっちの方を行くと、道の駅「花桃の里」の遊歩道、夜マムシがいると怖いです。
オススメではありません。
トンネル「船明隧道」をクグッテください。
道の駅「花桃の里」にトイレがあります。
道の駅から、国道を走ると、いつもならホタルがいます。
今年はどうでしょうか???
横山橋を渡り
横山トンネルをくぐり。
秋葉トンネルを抜ける。
この、秋葉トンネルが、雨量100ミリを超えると通行止めになる。
秋葉トンネルを抜けると、目の前に「秋葉ダム」が現れる。
152号線から西川の町へ、秋葉ダム堰堤を渡り、ダム公園にエイド
ここから、秋葉ダム湖湖畔は単調な道が11キロ
大輪まで続きます。
暗い暗い道が続きます。
大輪に出て、国道を一キロ弱走ると、西渡(にしど)の集落が。
たどり着いたコタン
そこから、八丁坂を登ります。
八丁坂峠に辿り着き、少し山の裏手を下ると、エイド
目の前に聳える山が佐久間町で一番高い山「竜頭山」標高: 1,352mです。
山の斜面にある村、
瀬戸
間庄(ましょう)
立原(たっぱら)
横吹(よこぶき)わが故郷
と続きます。
下ったところが「島」
旧国道に出て、曲がりくねった道を、「夢街道」の看板、
そこが
切開(きいなま)
城西の町を走る。(我が母校見える)
城西小学校(廃校になった)
城西を抜け、少し行くと、特別養護老人ホーム「みさくぼの里」
ここは過去、フジユニバンスの工場だった。
私の働いていたところ。
フジユニバンスは富士鐵工所、そんな名称だった。
本社は湖西市鷲津、私は、そこの寮生だった。
「わ~しづのええきを東向き、ドンドン歩くと見えてくる~♪
ゆこ~ゆこ~富士鐵工へ~♪富士鐵工いいとこ、よいところ~♪なんとかオマンマ食えるとこ~♪」
そこから坂道を下り、水窪の町の入り口になる。
そこを商店街の方へ
水窪の町は「本町」「大里」「小畑」と続く、町を抜けると、坂路も勾配が急になる。
喘ぎながら、その道を行けば、浜松市最北端の酒屋「ハクリヤ」がある。
そこに命の水がある。
ダブン。H氏が飲んで無くなっている可能性もある、が。
そこで、知り合った人と、「青崩峠」か「兵越峠」を選択して、LINEかメッセンジャー、夢街道のFBにて連絡してください。
わたしとしては、兵越峠を選択して、ほしいナ~♡
草木トンネルの向こうには水窪のNPO「山に生きる会」の山の駅があるのです。
今年10周年ということで、幟もあるそうです。エイドもやっていま~す。
そこから、峠までが長い。
「青崩峠」は直登で短いけど、「兵越峠」は長い。
最終のバスは、16時、それに間に合うように。
そこまで行くと、携帯もつながらないので、「ハクリヤ」で、決断してください\(^o^)/
「兵越峠」から下っていくと、下に下に下っていくと、遠山のバイパスにでます。
バイパス沿いに、看板があります、佳江さんの植樹した10月サクラの木があります。

最後、短い「下市場トンネル」を抜け、道の駅「遠山郷」入口の遠山郷観光協会「アンバマイ館」がゴールです。
アンバマイカ、如何いう意味だか解りますか?
観光協会の人に、お聞きください\(^o^)/

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朝ランで聴きながら走っている、紅蓮華&優しいあの子。

紅蓮華
日本のアニメ、鬼滅の刃の主題歌、鬼になった妹を思う兄の物語、竈門炭治郎(かまどたんじろう)
強くなれる理由を知った。

 
優しあの子

NHK連続テレビ小説『なつぞら』の主題歌、スピッツの曲だ。
重い扉を押し開けたら、・・・・・。

その歌詞にアイヌ語の単語を使用している。
チョットした心遣い、

 
 
 
 

たどり着いたコタン
コタンとは集落を意味する。
私の故郷『横吹』の集落を見てほしい。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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