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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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ふるさと創生事業、1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけての日本で、各市区町村に対し地域振興のために1億円を交付した政策である。正式名称は自ら考え自ら行う地域づくり事業。1億円を交付したので、ふるさと創生一億円事業とも言われる。
ふるさとを大切にしよう、そんな政策なのだと思う。そんな時に私は湖西市新居の促進住宅から磐田郡佐久間町相月(斜面にある村)横吹に、山間部の故郷に北遠に帰って来た。
昭和という元号が終わり、小渕官房長官 の「新しい元号は平成です」とのテレビを横吹の居間のテレビで見た。
時が経ち、2019年4月30日をもって、その元号は終了した。

平成が始まったのは1989年、バブルの崩壊とほぼ同時に幕をあけました。以降「失われた20年」と呼ばれる長い不況の時代が続きます。多くの企業はデフレと低成長に苦しみ、団塊ジュニア以降の世代が経済的な負担を被ったことで、晩婚あるいは未婚の傾向は加速しました。日本が少子高齢化社会に突入することが決定づけられたのは、この時期のことです。
リーマンショック、東日本大震災によって日本の経済・社会が巨大なダメージを負う一方、隣の中国は猛烈な勢いで経済発展を遂げ、日本を追い抜いてアメリカに次ぐGDP世界第二位の座に就きます。他のアジアの国々の成長も目覚ましく「もはや日本は二流国に転落した」という声が、あちこちで聞かれるようになりました。


「平成の30年余りの間に日本は衰退した」と悲観したり、「今後は斜陽国家として落ちぶれていく」という未来予想図をしている人は数多くいます。
(茶文字、落合陽一日本進化論「はじめに」より一部抜粋)
落合陽一日本進化論、それは、これからの日本を
「ポリテック」という、政治(Politics)に技術(Technology)を組み合わせて、日本の社会問題を解決しようという提言の本。

私が暮らす北遠も、もうダメだ。
そのような雰囲気です。
「ポリテック」という、政治(Politics)に技術(Technology)を組み合わせて、北遠の社会問題を解決することはできないか?
考えています。
今、天竜区の区長が上平山の人になりました。
浜松市でも天竜区のことを考える雰囲気になりました。
自分は自分なりの道を歩みます。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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