1月10日(日)は
第八回「湖西連邦トレイルラン」
静岡県西部「浜名湖」の西側、湖西連邦のハイキングコースを走るトレラン(トレイルランニング)(不整地を走る)があるのだ。
トレイルランニングとは。
トレイルランニング(英: Trail running)は、陸上競技の中長距離走の一種で、舗装路以外の山野を走るものをさす。トレランやトレイルランと略される。
ウィキペディアから。
私は第一回目からずーっと参加している。
今までは普通のランニングシューズで走っていたが、
今回、トレランシューズを初めて購入した。
品 名 ナイキワイルドトレイル
使用用途 ランニング
原産国 ベトナム
今まで買おう買おうと思っていたが、なかなか踏ん切りがつかづいた。
去年の年末、御殿場プレミアムアウトレットのナイキで、目につき、エイっと思い切って買ったのだ。
私は幅広の足でナイキはチョットとは思ったが、決め手はリーズナブルなお値段(#^.^#)
今週の日曜日は、このシューズで、張り切って走ろう。
多米峠のカレーエイドと、本坂峠のお汁粉エイドも楽しみな
「湖西連邦トレイルラン」
オッと、その前に去年の暮れから拗らせている風邪を治さなくては(^O^)/
またですか、風邪(笑)
走ってる人は風邪をひきやすい。
ブログより。
佐久間町から約1時間半かけて通っている浜松市内の歯医者さん
やまぐち歯科❤矯正歯科医院
知り合いから紹介してもらったけど、遠~いナ~。
完全予約制、
今日は1時半。
その前にお昼は
五味八珍新津店で。
ラーメン。
五味八珍は、静岡・愛知・山梨県下に現在42店舗もあるんだ~。
FBの友達が、三重県にも何店か有ったと言っていたな~。
たまに食べる五味八珍の味噌ラーメン、美味しかったナ~。
治療した奥歯は痛かった。
年をとるにつれて、一年が過ぎるのがなんと早く感じるものなのか。
フランスの心理学者ポール・ジャネーの
「ジャネーの法則」
この法則の言うのは、5歳の子どもにとって、「1年」という時間の長さは、5歳のうちの「1年」ですから、人生の5分の1に当たる。つまり、「1年」は人生の20%を占める時間。
私は55歳だから、55歳のうちの「1年」、55分の1。
私とっての1年は人生の約1,8%
しかし、同じ一年間という時間、何歳の人にも同じ時間が流れている。
年齢によって経験してきたことで。感じ方が違うという話。
それは、もしかして、暮らしているところでも違うのではないだろうか?
東京のど真ん中で暮らしている人と、私みたいに佐久間町という田舎で暮らしている人。
またはアフリカの奥地で暮らしている人は、また時間の流れの感じ方は違ってくるのではないか。
またまた、同じ人でも、1日の中でも時間の感じ方はだいぶ違ってくる。
朝の目覚めるときや、帰って来て晩酌をしているときなど、ずいぶん違って感じられる。
モチロン、一杯やっている時間 リラックスしている時はユックリと時間が流れていると感じる。
浜松駅から国道152号線を自分の足で走って浜北・天竜・龍山・佐久間・水窪
青崩峠を越えて長野県の遠山郷に行く。
「夢街道」90㎞
浜松駅南口を夜中の9時に出発して遠山郷に着くは次の日のお昼頃、私は14時ごろには着く。
約17時間の長旅になる。
こんな距離、走ったことがない人には、なんとバカげたことと笑うかもしれない。
しかし、この17時間という時間を使って、自分の人生の時間を使って、走っていくマラニック。
なんともロマンを感じずにはいられない。
そこで、美空ひばりさんの
川の流れのように。
の歌詞が脳裏に現れる。
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える~。
私の母親は水窪の生まれ。
私が小さいころ、聞いた話がある。
水窪中学校を卒業し、多くの女生徒が青崩れ峠を越えて信州の製糸工場に働きに行ったと聞いた。
青崩峠を越えるとき、一人の女の子が水窪の方を振り返り「しばらく水窪とは別れだ」と涙声で言ったら。
つられてみんな泣いたと言っていた。
ロマンだナ~。
今年の「夢街道」90㎞も楽しみだな~。
年を重ねるほど、時間は早く過ぎ去る。
その分、自分なりに充実した時を過ごしたい。
ああ~♪川の流れのよ~ぅ~に♪
ユックリ楽しく面白く。
マラニックとはマラソン&ピクニック
ユックリ話しながらニコニコペースで走る有酸素運動をする、、、こと。
1月2日、昨日の田峯観音初詣ラン42㎞
知り合いと話しながら楽しく走ることができたマラニックだった。
新城運動公園から田峯観音までのコース沿い強右衛門久楽部の会長さんと話しながらランニングすることができた。
その会長さんからのお話で、子供の時間と大人の時間の話が出てきた。
「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」
そんなことを話してくれた。
要するに大人と子供では生きてきた体験の違いから時間の感じ方が違うという話だったと思う。
一歳の赤ちゃんは一年間という時間は自分の全人生の長さ。
私55歳のオッサンは一年間は55分の1の長さということ。
同じ一年間を長く感じるか短く感じるかは、本人が1年間の間にどれだけの事を挑戦してきたかではないだろうか。
そんな話を、ネットで検索して調べてみた。
「ジャネーの法則」というらしい。
ネットでの検索で
「ジャネーの法則」(平成23年度修了式校長訓辞)
三重県立亀山高等学校の校長先生のお話
http://www.mie-c.ed.jp/hkamey/kouchou/kouchou_201108.htm
がヒットした。
強右衛門久楽部の人には三重県亀山市に新城市から単身赴任に行っている仲間もいる。
2月21日にはその人に梅花駅伝の助っ人を頼んだ。
その人の話で亀山市から隣の伊賀市の話が出た。
随分山奥で、本当に忍者が出そうな雰囲気の所だと言っていた。
一年間365日、自分の自由に使える時間はそれほど多くなはい。
しかし、去年と同じ様には過ごしたくはない。
新しい体験や挑戦をしたいと思っている。
同じことを続けること、新しいことに挑戦すること。
2016年は始まったばかり、これからもウルトラマラソンやトレランもニコニコペースでユックリ仲間と会話しながら走っていこうと思ている(^O^)/
私にとって毎年恒例になっている
「田峯観音初詣ラン」
新城運動公園~田峯観音、約42㎞
強右衛門久楽部の人たちの企画の初詣ランだ。
田峯観音とは
三河三観音の一つで、元は田峯城の守護観音であったお寺です。田峯城は、日光寺の再建にあった文明2年に菅沼定信が田峯城を築城し、松芽観世音菩薩と十一面観世音菩薩を合祀。それが田峯観音と呼ばれるようになりました。毎年2月11日には国指定重要無形民俗文化財に指定されている田峯田楽が披露されます。
また駐車場にある水場は、神聖な場所として保護されていて森から引かれたわき水でありそれを求めて連日多くの人で賑わっています。
三河観光Webから引用。
新城運動公園を朝8時に出発。。。
今回は、このメンバー
7名
走りはっじめたら。
一人遅れてやってきた人が、珍しい人だ。
しかし、この人は究極のショートカット。
サヨウナラ。
孫の世話ガンバってください。。。
初詣ランのメンバーは、国道257号線に出てこの道を北上するのであった。
天気は最高にいい天気。
「長楽」の所でエイド、
休憩。
行は国道257をますぐ行くのだが
帰りはココの交差点である県道436から下って来るのだ。
水分補給を済ませ、また走り始める。
長い道程、話をしながらニコニコペースでのラン。
豊川になるのかナ~。
とても綺麗な川だ。
ダムの無い川は美しい。。。。
トンネルを抜け「田峯」の信号を右折。
ココから田峯観音まで上りが続く。
躊躇なく歩くことにする。
今年は天気に恵まれているのか、参拝者の人々が去年より多い。
参拝までも大渋滞。。。
このとおり。。。
参拝を済ませると、恒例の
甘酒をご馳走になる。
今回は駐車場の茶屋での五平餅も2時間待ち。
甘酒でエネルギー補給。。。
せっかく田峯まで来たので
「田峯城」に行きたい・・・・。
私が言うが、皆さんあまり乗る気でない。
私の希望を押し通し。
帰りは「田峯城」周りで、遠回りで帰ることにした。
やはり
年末年始の休城日。
足元に気を付けながら入口まで行ってみる。
門の外から写真
私設使用料の中に
「御殿使用料」というのがあった。
9:00~12:30住民1080円住人以外1300円
12:30~16:00住民1080円住人以外1300円
何に使用するのかナ?
研修の場にするのか。
集まってイッパイする場。
冠婚葬祭に使用するのかナ。
バリアフリーでないから、杖を突いたオシイチャンオバアチャンは来にくいかもしれない。
「田峯城」の高台から田峯の村を撮影。。。
ランナー一行は、坂を下り、国道247導線に出て
これからは県道389号(富栄設楽線)を南下するのであった。
目の前には長いトンネル。
全長1,5㎞の稲目トンネルだ。
しかし流石の愛知県、歩道がシッカリあり、走るには安心。
途中県道を離れ脇道へ。
怪しい通行止めのバリケード。
スイマヘン
ゴメンナスッテ。。。
丁寧に目には見えない守衛さんに断り。
進むことにした。
途中。
この様な事も。
工事箇所を過ぎると、新しい道路。
ホント愛知県はスバラシイ。
歩行者のためのホントにホントに素晴らしい歩道を造っている。
また、こんなトンネルも多い。
岩石をくり抜いたトンネル。
この様なトンネルと数個抜けると「やまびこの丘」が見えてくる。
エイドだ。
ここから新城運動公園まで約10㎞。。。
まだ10㎞もあるのか。
いや10㎞しかないのか。
好きで走っているも、走るのは楽ではない。
膝が痛かったり、腰が痛かったり。
それでも走る。
何故だろうか????
そう、そう、ランナーはMマゾヒズム。
別に性的快感はないけど、ゴールした時には、走り終わった時には、ここまで来たよかったと思う。
前を走っている人は、私より10歳年上の人だ。
そんな人の後ろ姿を追いかけて、今まで走ってきた。
運動公園に入ると、わんぱく広場の坂を上っていく。
子供たちの歓声が聞こえる。
ゴールである。
新城運動公園の駐車場に着く。
14時45分。
6時間45分の長い長い旅だった。
ゴールでは強右衛門久楽部の女性ランナーがボランティアで駆けつけ
トン汁のサービスがあった。
ありがたいことです(^O^)/
また今まで私のブログでは強右衛門倶楽部と書いていましたが、
今回、このクラブの会長さん社長さんからクラブの説明があり
強右衛門久楽部との話をお聞きしました。
倶楽部が久楽部となっています。
ひさしくたのしく遊ぼうという意味合いがあるそうです。
家に帰って、戦国街道ランの10回記念大会の時に頂いたTシャツを見たらそのように書いてありました。
年を重ね、身体のアチコチがガタガタしてくる。
ホドホドに頑張るように、久しく楽しく
久→ながく時を経るさま。
年を重ね、いつの日か走ることなどできなくなる時が来る。
身体のケアをシッカリして、ナルベク長く走り続けていきたいものです(^O^)/
この「田峯観音初詣ラン」毎年楽しく走らせていただいています。
地図を作ってみました。
明けましておめでとうございます。
浜松市の隅っこ佐久間町。
私の暮らしているところは半場。。。
年末
地元お宮の初詣参拝のためにと、地域の中高年の集まり「親睦会」での参道の整備
元旦の今日は、その片付けから始まった。
家を出る前、テレビでは初日の出のシーン、おめでとうの言葉とともに新春の番組が始まっている。
ところが、私は暮らす佐久間町は四方を山に囲まれているため日の出は、平野部に暮らす人たちが拝んでからしばらくしてからになる。
その中でも私が暮らす半場地区は北向き斜面に点在するため、南向き斜面にある佐久間地区が太陽の日に照らされているのを羨ましく眺めているのだった。
昔、私が横吹(よこぶき)に暮らしていた時には、この反対。
横吹は南向きの斜面の集落、日に照らされ温かく思っているも、向かいに見える小相月は今だ日が当たっていない様子を見て哀れに感じたものだ。
これと同じように、全ての幸・不幸は、比べることで自分が感じてしまう。
「足るを知る」
今を満ち足りたものとし、現状に不満を持たない。
己の身の程を知り、それ以上を望まないこと。
去年は多くの柿の実が出来る生り年だったと聞く
多くを望み過ぎ枝が折れない様に、、、、、。
走る方もリタイヤする勇気も必要かもしれない。。。。
みなさん、本年も宜しくお願いします(^O^)/
今月、富士市の「ふじのくに田子の浦みなと公園」に行ったときに、富士青年会議所寄贈の「はじまりの鐘」があった。
2015/12/15に書いたブログ
「富士に行ってきた(^O^)/ 」
今日は動画で久しぶりに中村文昭さんの動画を観た。
中村文昭さんの動画では、過去「お金ではなく人のご縁ででっかく生きろ」を観たことがある。
そして、
2015/8/18
「何のために、今それをやるのか」このようなブログを書いたことがある。
佐久間町が合併して、超長距離(ウルトラマラソン)を走るに仲間に出会い、多くの事をチャレンジするようになってきた。
今年も色々な事をやった一年だった。
5月の連休には荘川桜の咲く御母衣ダムまで名古屋から走っていった。
自分かってに「さくら道」
自分かってに「さくら道」no2
自分かってに「さくら道」no3
未来への創造
佐久間町には未来はあるのか?
このままでは明るい未来は無いのかもしれない。
未来への創造
創造とは、新しいものを産み出すこと。
自分が個人で出来ることとは何だろう?
そんなことを考えている日々だ。
一度、引きこもり芋焼酎「親泣かせ」を飲んでみたいものだ。
ほろ酔い気分んで考えていこう。
http://kurofune-online.com/?pid=58825338
今年の忘年会、5回目。。。
11月27日
山に生きる会忘年会
12月12日
竜神忘年会
12月19日
浜名湖半周忘年ラン
12月23日
舘山寺サゴーロイヤルで職場の忘年会
そして今回、
12月26日は
1975年佐久間中学校卒業生の忘年会、なのだ。
10年前、佐久間町が浜松市に合併すると決め、この佐久間町も益々過疎化が進んでいくだろうと思い。
地元同級生のメンバーで、45歳の時に浦川の清流荘で始めたのが、この集まりの最初の一歩だった。
佐久間中学校の同窓会だから、佐久間でやるのが一番でなないか。そんな思いもあったが、今はその様には別に思わない。
今回の忘年会は、今年の55歳の同窓会を企画してくれた浜松市内の同級生からのメールで知った。
「忘年会のお誘い。12月26日土曜日18時、浜松肴町「百里」いかがですか」
スマホの予定帳でも丁度空いている。
佐久間から浜松市に飲みに行く場合は、宿泊の手配から始まる。
ネットで検索して駅南のコートホテルを予約。
朝5時に佐久間を出発して、浜松駅に13時50分に着いた。
ホテルでシャワーを浴び汗を流し、缶ビルを飲んで仮眠。。。
夕方浜松肴町の「百里」に予定の30分前に座敷の席に着いた。
今回の同窓会の忘年会を企画してくれた幹事にお礼を言って他の同級生はどの様な人が来るのだろうかと心待ちにしていた。
同級生の(^O^)(^O^)(^O^)
同じ時代を生きてきた同志。。。
チャッピーから注がれた生ビールを手にカンパ―イ。
今年も様々なことがあった。
二時間飲み放題で宴が終わり近づくと幹事が二次会の手配もしているという。
ありがたいことだ。
二次会はカラオケjoyjoy
ミ―ヤン、三井も合流。。。
三次会まではとても付き合いない。
一人で「すき屋」で牛丼大盛を食べてビールを飲んでホテルに帰って就寝ZZZzzz...
2015年12月27日(日)朝5時、浜松駅南口を出発。。。
動画は、佐久間町が浜松市に合併した年に
私が大きくなった浜松市を走ってみたいと始めたマラニックです。
マラニック=マラソン&ピクニック
10年前自分が走り始めた道。
10年たった今も走っている。
10年後、65歳になった自分も、出来るなら今と同じように走り続けていたい。
湖西は浜名湖は、私の青春時代の思い出が詰まった場所だ。
当時の「富士鐵工所」今の「フジユニバンス」に就職したのが始まりだった。
鷲津の町は思い出がいっぱい詰まっている。
社内研修では鷲津港から舘山寺まで遊覧船で行ったことがある。
結婚して新居町の海側に暮らし、3年。
私は29歳の年のとき、故郷である佐久間町に帰ってきた。
そして佐久間駅伝・北遠駅伝を誘われて走ることを趣味にするようになり。
平成の合併でウルトラマラソンを走る人に出会い、マラニック(マラソン&ピクニック)を知り。
一年んの〆は「浜名湖半周忘年ラン」と決めていた。
動画です。
中部天竜駅を、始発の電車に乗り。
乗務員に弁天島駅往復の切符を購入。
3320円也
弁天島に着いたのが八時。。。
今回お世話になる弁天島のホテル(THE OCEAN)のロビーで新聞を読んで時間をつぶす。
多くの知り合いのランナーが集まってきた。
10時、浜名湖100㎞のスタート地点に行き集合写真。。。
今回は浜名湖半周。
舘山寺まで行き、そこからは遊覧船だ。
船内では おたのしみのカモメの餌付け。
レイク浜名に着き、ココからは弁天島まで約20㎞。
ホテル(THE OCEAN)に到着したのは3時12分だった。
S藤さんI村さんうっちゃんK地さん
それと私しんしんで一緒にゴールしたのでした(^O^)/
着替えを済まし、みんなの帰って来るのを待ち。
ホテルの風呂に入浴。
忘年会の始まり。
17時~19時まで。
弁天島から豊橋。豊橋駅の構内のワインバーで二次会。
九時前に解散。。。
21時50分の最終電車にはまだ時間がある。キヨスクでワンカップ購入。
お酒を飲みながら飯田線に揺られ中部天竜駅に23時43分に到着
走る仲間の楽しい忘年会。
今年もよく走った、いろいろなところを走った。
感謝です~♪
富士山一周マラニック100㎞
日本一の山「富士山」を一周100㎞を丸一日かけて自分の足で走る。
そんなバカげたたことを毎年楽しみにしている私。。。
今回はいつも迷惑をかけている家内を誘って、その100㎞の道を車で走ろうと思い
12月11日(金)に休みを取って心待ちにしていた。
ところが、その週の週間天気予報を見ていると。
月火水木と晴天なのだが金曜日が雨。。。
それも雷マークまである。
しょうがない、予定変更としよう。
最初は雨の中、御殿場プレミアムアウトレットにいく事にした。
雨はそんなではないが、風がすごい。
観覧車など乗れたものではない。
買い物を済まし、高速で富士に行く。
富士山頂往復のスタート・ゴール地点の「ふじのくに田子の浦みなと公園」に行ってみることにした。
天気予報では一日荒れ模様だったが、風は強いけど天気は回復してきた。
毎年7月にこの公園から富士山頂を目指す。
ひと夏の自分の挑戦の場。。。
天気は回復したが富士山は見えない。
すると見慣れない鐘があった。
「はじまりの鐘」
ここは海抜0メートルに隣接した
日本一の山へのはじまりの地
あなたの願いをこの鐘に込めて
霊峰富士に響かせよう
平成27年9月
富士青年会議所 寄贈
今年7月に行った「富士山頂往復マラニック」が終わってから建てられた物なのだな~。
そう、俺の富士山への始まりは、2011年の夏からであった。
その年、挑戦しようとしたが、なんと病に侵された残念した(≧▽≦)
2012年、この年は「富士山頂往復マラニック」10回大会の祈念の日だった。
完走者には記念Tシャツが配られると言っていた。
ところがその年は制限時間の24時間に間に合わなかった。
たった一人でのゴールとなった。
そして
2013年2014年今年2015年と参加し時間内にゴールすることができた。
話が脱線してきた。。。。
車を走らせ、富士山頂往復のコースを沿いに富士宮方面を目指す。
白糸の滝に行こうと思う。
途中、雲の切れ間から富士山が顔を覗かす。
白糸の滝も綺麗だった。
静岡県でも富士山が見えない。佐久間町。
毎年二月には「富士山の日」何て日が静岡県にはあるのだが、富士山が見えない佐久間町。
よほど天気のいい日には竜頭山の展望台から微かに見えるのだが。。。
しかし、そんな富士山。
いつもも見えないから、ありがたみを感じるのかもしれない。
今回の旅も、天気が荒れていて富士山は見えないだろうと諦めていた時に、顔を表してくれた。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |