この初詣ランは私の毎年恒例の行事だ。
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
今年も行こうと思い昨夜、いくよし君にラインしたら。
な、なな何と。
「明日の初詣ランは中止です」
と返信が来た。
「了解しました」
と返したが。一人でも走ろうと心に決めていた(笑)
佐久間の家を朝6時45分に出発。もしかしたら誰かいるかもしれない。
ヒョッコリ誰か顔出すかのしれない、と思っていたが、誰もいなかった(涙)
7時40分には着いて、朝8時、一人で何時ものスタートする場所で時計のスタートボタンを押した。
いつもはベテランさんの後を着いていたが、今回は一人、コースがハッキリしていない、今までボーっと走っていたのだと、自分で自分を呆れた。
それでも何とか新城運動公園の四季サクラのトンネルをくぐり公園を出て国道257を北上した。
花の木公園の横を走り、橋が出てきた、ここ渡たっけな~?真っ直ぐは通行止め書いてある?でも直進してみた、やはりダメだった。
戻って橋を渡った(笑)
また国道257号線を北上、見覚えのある第一エイドがあった(今回はエイドは無し)
休憩せずに進んだ。
只持の交差点で迷ってスマホで確認した、そして左折した。県道436を進んだが、待てよチョットオカシイぞ。
3人組の街人に尋ねた。
この道を行くと作手村に行くそうだ。
元の道に戻り、真っ直ぐ行くと田峯には着くそうだ。
この時、富士屋旅館がよい目印となった。インパクトの高い旅館。
間違ったところ↓
道聞いてよかった。
なんとか無事に田峯観音に到着。
初詣をして、甘酒をいただく。
売店で唐辛子を購入、これも毎年同じ。
その唐辛子をリックに詰め、田峯観音を後にする。
帰りは稲目トンネルを、これからは県道389号を南下するのであった。
やまびこの丘で休憩、残りは10㎞
ぼちぼち走り出した。重い橋どり。
「長楽」ガソリンスタンドの交差点、第一エイドのところだ。
思い出した。
あとは、この道をヒタスラ南下、アッチコッチ身体が悲鳴を上げているけど、走れることに感謝しながら走った。
新城運動公園の坂道は歩く、今回は一人だから急ぐことは無い。展望台に上って田峯観音の方を見ようかと思ったが、展望台は鍵がかかっていた。
新城運等公園内でも迷った(笑)
ウロウロしてゴールである我が愛車の前に帰ってきた。
時間は3時37分、ずいぶんかかったが恒例の初詣ランを無事に帰ってこれて安心した。
今日は走ったコース、一人で走ったが、LINEやメッセンジャ―で他の人の様子がわかり楽しいランだった。
なによりエプソンGPSランニングウォッチが走る友だった。
ありがとうございました。
今年も宜しくお願いします。
総集編を見た!
日本人が東京にオリンピックを持ってきたのには多くの物語があったのだ。
オリンピックに初めて参加した男、マラソンの金栗四三、短距離選手として三島弥彦、たった二人の選手が1912年(明治45年)「ストックホルム大会」に参加した。
1936年(昭和11年)の「ベルリン大会」では、水泳の前畑秀子をはじめ金メダルを量産。
「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」
次の開催地に念願の「東京オリンピック」招致を勝ち取る。しかし、その年は戦争で夢と消えた東京オリンピックだった。
太平洋戦争が終わり、焼け野原になった日本が戦後の復興を世界に示したのが東京オリンピック。
明治44年、大日本体育協会の創立、初代会長は嘉納治五郎、その思いが繋がって日本にオリンピックがやってきた。
東京オリンピックが終わり、その後、 金栗四三は1967年(昭和42年)、スウェーデンに招待された。
オリンピック委員会のはからいで、1912年ストックホルム大会のときに競技場に帰ってこられなかった金栗四三の残りのコースを走ってもらったのだ。
金栗四三がマラソンのゴールに入った。ゴールテープを切った時。「54年8カ月6日5時間32分20秒3」の記録がアナウンスされたという。
金栗四三76歳のときだった。
韋駄天(いだてん)
足の速い神とされ、足の速い人のたとえにされる。
走る仲間から癌になった女性の実体験を書いた本の話を聞いたことがある、その人は「ありがとう」という言葉を言い続けて癌細胞が無くなったという話だった。
全ての臓器や細胞に感謝の言葉を語りかけ、余命宣告をされたその人は十か月後には癌細胞は消えていた。という実体験を書いた本だという。
その本は「ありがとう」100何回の奇跡
多くの出来事が私の周りで起こっている。多くのことを感じている。そんな夜、先日、ありがとうで検索してみたら、こんな本がヒットした。
ツキを呼び運命を開く・「ありがとう」といえたとき、夢が叶う人生が始まる!
「ありがとう」は魔法の言葉佐藤富雄
本の題名より、私に響いたのは著者の佐藤富雄さんの事、知り合いに同姓同名の人がいる、10月の浜名湖を走った時の夜、一緒に酒を飲んだ前職場での大先輩の人と同じな名前だったのだ。
そのときのブログ↓
浜名湖ウルトラ60㎞2019
「ありがとう」は魔法の言葉佐藤富雄著
不思議なことがある、先日サンタクロースの格好で浜名湖半周忘年ラン2019を走った。ウッチャンとラインで話し合ってそんな恰好で走ることを決めた。羞恥心があったが走ってみると。な、なな何と、サンタクロースが次々と自分の目の前に現れるのではないか、ビックリ!
この現象は、この本にも書いてある、自分の意識したものが見えてく現象だという。
感謝の言葉を意識すれば、感謝する自分になる。愚痴や嘆きばかりの言葉を発していれば、そんな人になってしまう。そんなことが書いてある。それも脳科学的に。
私たち人間の脳と身体は常に快の言葉を欲している。よい言葉がよい人生をつくる。
人間の脳には大きく分けて
思考脳→大脳新皮質(人間の脳)
感情脳→大脳辺緑系(哺乳類の脳)
身体脳→自律神経系(爬虫類の脳)
とある。
脳トレなどは思考脳をトレーニングすることだ。
この本では、肯定的な言葉を口から発し、自分の感情脳に働きかける、こと。自律神経にも。
ドーパミン・セロトニン・gaba・ベータエンドルフィン其々の脳内で機能する神経伝達物質をたくさん出して人生を豊かにしよう。そんな本だった。
自分の人生の価値、それは自分が感じること。
また、その人生は其々の人にその人なりの価値がある。
昨日は浜名湖半周忘年ラン。。
クリスマスも近いとあってサンタのカッコウで走ってみた(^O^)/
気賀に暮す孫にプレゼントを持って行こう、そんな考えで走り出した(^O^)/
クリスマスソングといえば、マライア・キャリー
「恋人たちのクリスマス」
そんな曲を頭の中にグルグルしながらのラン。
舘山寺を目指して走ると、マツダ ロードスター 集団がフルオープンにして走っている。
乗っている人を見ると、なんとサンタが運転している(笑)
そんな集団に愛想をフリフリ走っていると、いつものエイドの場所に、そのマツダ ロードスター の集団がいた。
サンタ仲間で写真
「メリークリスマス、私の車、バッテリーがあがったので今回は走ってきました」
サンタの集会、其々が夢と希望をみんなに与えましょう。そんな話し合いをして私たち走りサンタは舘山寺を目指した(^O^)/
遠く舘山寺方面の奥浜名湖の湖面にヨット?ウインドサーフィン?たくさん浮いている、なに?
舘山寺に着くと、多くの子供たちが・・・。
聞くと「サンタが浜名湖に大集合」そんなイベントなのだという。
先着100名の子供たちにプレゼントが貰いえる、とか。
静岡新聞↓
サンタが浜名湖に大集合!
舘山寺のコンビニでお菓子を買い、気賀を目指して一人で走る走る。
孫は、気賀駅の近くだが、その気賀駅に着いたのが12時15分、電車は12時21分、孫には会いに行けない(涙)
お菓子は、駅で待つ人々に配った(笑)
天浜線で気賀駅~知波田駅までワープ、知波田駅からウッチャンたちと走る。
途中良心市でミカンを買い、新居の関所でミカン休憩。
国1を弁天島を目指す。
朝走り始めた、ゼロ地点に帰ってきたのが15時ちょうど。
6時間の浜名湖の旅ランを楽しみました(^O^)/
さっ~。
ホテルのお風呂に入って、疲れを癒したら、お楽しみの忘年会だ(^O^)/
浜名湖を半周走って、ゴール後に走る仲間と忘年会、「浜名湖半周忘年ラン」今年で16回目になるそうだ。
私は、この大会10回参加している。
去年は↓
浜名湖半周忘年ラン2018 no1
浜名湖半周忘年ラン2018 no2
浜名湖半周忘年ラン2018 no3
浜名湖半周忘年ラン2018 no4
今年も、よく走った。
いろいろなことがあった。
忘年会、忘れる年の会
今年一年を振り返って、語り合う。
楽しかったことも、悲しかったことも。
いつの日か、その思い出も忘れるときがくる、忘れないように、今日は走る仲間と思い出を語る集い。
今年も有難うございました。
(人''▽`)ありがとう☆
昨日は浜松の街中で職場の忘年会があった。
佐久間町から60㎞もある忘年会の会場、そこはオークラアクトシティだそうだ。
ついでだから、鍼灸医院で身体のケアーもと思い。山東の「田口鍼灸医院」によってみた。
お尻から脚の裏側の筋肉をマッサージと針・電気治療器でほぐしてもらった。
最高に気持ちよい。が、車に乗るとシビレが出てくる。
ナカナカ厄介な我が身の座骨神経痛である(涙)
11月の終わりごろ、知り合いのFBで、「中田島砂地防潮堤に関する現地意見交換会」なるものを知り、その日が丁度、忘年会の日だった。
FBの繋がりだけでなく本人にも出会いたい。山に暮らすことにも課題が多いが、海岸部に暮らす人たちにも様々な問題がある、のではないかとその集いに参加してみた(*^^)v
12時半ごろ中田島の公園に車を止め、近くのコンビニで軽い食事をとり、その会合の代表者にメッセージを送った。
13時半、集合場所に行き、自己紹介をして、驚いた。ケッコウそれなりの人が着ているのではないか。
議員さん、県土木の人、地元代表者、etc
代表者の案内で、防潮堤の見学、中田島砂丘が砂丘では無くなっている?
砂が風で飛んでいき、CSG工法が出ている、砂丘にあるはずもない大きな石ころが出ている。
完成予想図とはかけ離れている。とか。
佐久間に暮らす私は如何して、この中田島の防潮堤の見学に来たのか?
それは、今の世の中、多くの人が、自分には関係ない事を他人事と考える風潮があると思う。
浜松市の山奥に暮らそうとも、自分事として考える(私が考えても何もならないけど)こと、大切だと思う。
話し合いが終わり、中田島の駐車場に我が愛車(軽トラ)を置いて、宿泊先の「キャビン」タイプのホテルを目指した。
そのホテルで風呂に入り、忘年会場へ。
一次会、二次会と楽しく終わり、「キャビン」タイプのホテルに帰り、そこに夜食のカップ麺があるはずだったのに、残念11時で締め切り。
有楽に出てラーメン。
帰ってきて睡眠。二階の人が遅く帰ってきてヤカマシイ。
朝はバイキング。腹いっぱい食べた。
ホテルを朝8時に中田島に向けて出発、中田島から防潮堤を西に向かい行き止まりまで行き帰ってきて、まだ10㎞にならないので公園内をグルグル。
車内で着替え、ストレッチをして帰ってきたが、車に乗ると足がシビレてくる。帰りまた鍼灸医院でマッサージと針・電気治療器でほぐしてもらった。
二日間、いろいろなことを経験でき楽しかった。。。
しかし、尻はしびれる。。。
中田島砂丘を未来につなげるシンポジュウム
木曜日の夜、LINEで
「土曜日、明神山登らない?」
私をスキーに連れてって、ならぬ山へのお誘いがあった。
天気も良さそうだし、明神山は気になるルートがある、一度は行ってみたいコースがあった。
それは、山頂からの下山コース、鳳来湖の上流に下りるコースが気になっていたのだった。
ウッチャン・友さん・山草人さん、私を入れて4人での山行だ。
乳岩峡の板敷の川は透き通ってい水中の小石までハッキリと見える。
川沿いから山道になり、また川が現れる。
鬼岩にはクライマーが集まっている。岩に登るのが趣味だ、そうだ。どこから来たのか聞くと富山県からやってきたときく。
富山県と聞くと名高い山が沢山あるのに、ここ鬼岩は別の魅力のある岩だそうだ。
胸突き八丁を越え、三ツ瀬登山口分岐をパスし、クサリ場、ハシゴを登り、ウマノセで遠くにチョコンと雪化粧をした富士山を望んだ。
山頂に着き、展望台に登り寒さに耐えれず降りて着たら、下で食事中のカップルは豊橋のマラソン大会「穂の国」のシャツを着ていた。
30分くらい休憩して、鉄塔がある北側の登山道を進むことにした。
鉄塔からの三人組の登山客と出会い、初めてのコースで不安になっているので道を聞いた。
鉄塔の小屋から栃木沢のコースを教えてもらったのに、どうも東栄町と新城市の境を進んだみたいだ。
最初は穏やかな尾根歩きが続いたが、それがダンダン下り坂になり、かなりきつい下りが続くようになってきた、立木が私たちの命綱だ、遠くに悪魔のような大岩が見える、友さんが「あれはウマノセだ」平然とつぶやいた。
友さんがヤマップでコース確認しをしなおす。
「だいぶ違う、しかし鳳来湖の上流には下りれる。まだ14時前時間はある。」
引き返そうか、そのまま進むか。
私は引き返そうかと思ったが、他の人はウマノセにワクワクしているみたいだ。
私は悪魔のウマノセに完全にビビッてしまったいた(/_;)
その山道を下り切り林道が出てホットしているのも束の間、ウマノセの案内が。
そのウマノセが出た。
最初、見た所、明神山山頂近くのウマノセと変わらないが、進むと、その悪魔のウマノセが姿を現した。
へっぴり腰
しかし、渡ってみると、なんか懐かしい。恐怖の中からの脱出、その解放感。
後はヒタスラ下り、鳳来湖上流、砥沢に下りた。助かった。
林道を下り、鳳来湖に出て、キャンプ場のオジサンに会おうと思ったが、その人は亡くなっていたと引き継いだ管理の人が言っていた。
線香をあげた、その部屋から見た鳳来湖が美しかった。
電気が無い生活、ライフラインが整っていない生活、そのキャンプ場でのコンサート、気になる。
スタートした場所、乳岩峡に着いたのは15時少し前、16㎞、6時間45分の山行だった。
綺麗な川、素晴らしい山々、日本は素晴らしい。
グルット明神山、日本の山は本当に素晴らしい。
12月、ヒロボーさんの御縁塾(勉強会)
人生の大先輩、そんな人たちとの語らい。自分は謙虚に耳を傾けているつもりだが、集まった仲間には私を謙虚だと思う人もいれば、そうは思わない人もいる。
修身教授録を読んでも感じ方は其々だとは思う。
ヒロボーさんの御縁塾(勉強会)
今回集まった10人、女もいれば男もいる。顔も違えば考え方も違う。
自分の意思で集まった人たち、育った環境も歩んできた道も様々だとは思う。
その、
12月のヒロボーさんの御縁塾(勉強会)隣りの席の山草人さんが小説を書いたというので、お借りしてきた。そして読んでみた。
とても面白かった。
刹那とは。仏語、時間の最小単位。
人生とは過ぎてしまえは、、、、儚いものだ。
深夜特急で書いてあった。
インド、デリーからイギリス、ロンドンまでのバスでの一人旅、地中海を渡るフェリーの舳先で酒を飲み
「飛行よ飛行、汝に一杯の酒をすすめん」
小説を読み終わり。ページを閉じ。題目「時が輝くとき」を見て感じた。
時が輝くとき。
時→時間
時、それは交通事故で車いすの生活になった時枝さんのことだろうか?
速くても遅くても。走ってる人も走っていない人も。若くても年老いても。
其々の人生を輝くものに、その様に著者山草人さんは伝えたかったのではないだろうか。と思った。
袋井メロンマラソン2019
そんなマラソンを走った。走っている途中、変なオッサンが声をかけてきた。
「マミちゃんで~す~♡」
その人は、その彼(彼女は?)は性同一性障害なのだという。
男性なのに「本当は女として生きるべきだ」と確信する現象を「性同一性障害( gender identity disorder, GID)」
外見、見た感じ、やはり変なオジサンだ。その様に感じた普通の人ではないと。
「普通」って何だろう。
goo辞書で調べてみた。
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。
それがあたりまえであること。
当たり前→あって当然なこと。それが普通なこと。
それとは違ってありがとうとは。
有難う。有難し。有ることが難しいこと。
ということは、普通ではないことは「有難いこと」なのだろうか。
今回、そのマミちゃんは名古屋ウイメンズのTシャツを着ていた。
名古屋ウイメンズを走ったのだろうか?
愛知県には、今男性が走れるフルマラソンが無い。男性はハーフマラソンで我慢していた。
名古屋ドームをゴールする女性ランナーを羨ましくも感じた。
普通でないことを、周りの人が揶揄するときがしばしばある。
だけど、普通でない故に、少しの励ましに感激するときもある。
普通でない人、少数派→マイノリティー
普通な人 多数派→マジョリティー。
様々な人がいる。様々な考えの人がいる。
多様性(ダイバーシティ)
性別、年齢、人種などさまざま違いを持った人たちがお互いに尊重し合って生きていける環境をつくる。
そのためには偏見なく、公平性、客観性を持って世の中の一人ひとりがお互い尊重し合って暮らせる社会を目指すこと。だと思う。
2013年、初めて名古屋ウイメンズの応援に行ったことがある。
女性はかりのフルマラソン大会、そんなスタートの場面の動画を撮った。
えっこの人女性???と思うような人がケッコウ多くいたような気がする。
性同一性障害の男性、世の中には多くいるのではないかと、思った。
だから、多様性(ダイバーシティ)大事だと。
相手を尊重すること、大切だと思う。
今年で31回目になる、このマラソン自分の記録を覗いてみた。
初めて走ったのは1993年、33歳のとき3時間54分58秒で走っている。
この時は袋井商業高校がスタート・ゴールだった。懐かしいナ~。。。。
袋井クラウンメロンマラソンも小笠山総合運動公園エコパができ会場を、そのエコパに移した。
今回のフルは、わたし初めての仮装をしての参加とした。
青空の下、エコパをバックに 中学生ボランティアに写真を撮ってもらった。
しんしん、仮装へのデビューなのであった。
長いマラソン人生、よく続いてきた、自分で自分を褒めてあげたい。
さて、この年になると、マラソンの楽しみは、記録ではなく記憶、長年走ることが趣味で繋がりができた人に会うことが楽しみの一つなのだ。
仮装はしていても、骨髄バンクのタスキをしていることで、多くの仲間に声をかけてもらった。写真も撮ってもらった。
スタート会場ではヒロボーさんと一緒に走りはじめた。私の兄姉の同世代のヒロボーさん、私より10歳以上年上のヒロボーさんである。
エコパのトラックを半周して外に出る、人人人の中を走っていると、ランニングパトロールのシャツが前を走っている、声をかけると池さんだった。
調子がイマイチだとは聞いていた、昨日の勉強会でナオミちゃんから袋井を走るとは聞いていた。
スタート前の人ごみでキョロキョロ探しても見たが、見つからなかった。が、目の前を走っていた、心配していたが声をかけると元気そうだった。お先にと言われ少し先を走り始めた。
「サンタさん頑張って~」そんな沿道の応援を背にエコパスタジアムから袋井の茶園に囲まれたコースに向かった。
袋井メロンマラソンは年末のマラソンとあってサンタの仮装は多いのだった。しかし、その人たちは速い、とても着いていくことは出来ない、自分のペースを守って走ることにした。10キロ地点を過ぎた頃だろうか、「マミちゃんです♥」そんな声をかけてくれる人がいた。
見るからにはオジサンにしか見えない。しかし髪の毛を縛って着ている服も、女性の感じ。????
彼は性同一性障害なのだという。
男性なのに「本当は女として生きるべきだ」と確信する現象を「性同一性障害( gender identity disorder, GID)」
その人と分れ、先を行く、しかし、その彼も(彼女?)と抜きつ抜かれつ走るのであった。
ハーフを過ぎ、自分の身体もキシミはじめた。足の裏が痛い、腿の内側がピリピリしている、攣りそうだ。
去年の浜名湖100㎞の脱水が蘇る(サンタ脱水症状で救急車)そんなことになったらシャレにならない。
不安な心と戦いながら走っていると、後ろから女性が声をかけてくれた。
「バンクの人ですか?」
「私、登録者で、今適合者だと選ばれているところです」
その人と、しばらく骨髄バンクの話をしながら並走した。
令和元年、その年の年末、師走、そんな時に走っている。身体のアッチコッチの痛みに耐えながら。
その彼女は、提供者に選ばれ感激していると言っていた。楽しみにしているとも。
人は、人には様々な人がいる。私もその中の一人だ。
ハーフを過ぎ、30㎞地点を過ぎ、最後の直線、フラフラ走っていると、クラチさんが軽快な足取りで走ってくるではないか。
10キロ付近で走っているクラチさんは大変そうだったのに。
しばらく一緒に走った。ところが着いていくことが出来なくなった。
クラチさんの背中が遠くなった。
最後のエイドで中学生ボランティアにバナナを貰って、ミカンを頂いて、最後のエコパを目指す坂を、歩いた。
若い、初マラソンだという青年と話しながら。
坂を登りきり、エコパの外周をユックリながらも走った。酷使した足をダマシだまし走った。
ところがマンホールのチョットした所につまづいて、その調子に右足のフクロハギが攣った。
「ギョエ~」自分で、そこを揉んだ。
さっき一緒に走った青年が、心配そうに声をかけてくれた。
何とか治まって、また走りはじめた。
エコパスタジアムに入ると、人々の歓声とオーロラビジョンに写るランナーの姿があった。
帰ってきた。
記録は
5時間37分07秒
着実に記録は下っている。
しかし、走り通せたことに感謝している。
いや、たとえ途中リタイヤしても、ココに来ることができただけで満足としよう。
人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ。
この言葉は映画「最高の人生の見つけ方」での俳優モーガン・フリーマンのセリフだ。
何時か死がやってくる時が自分にも来るだろう。
人は人、自分には自分の生き方がある。
令和元年、無事に完走できたことを有り難いと感じた。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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