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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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総集編を見た!

日本人が東京にオリンピックを持ってきたのには多くの物語があったのだ。

オリンピックに初めて参加した男、マラソンの金栗四三、短距離選手として三島弥彦、たった二人の選手が1912年(明治45年)「ストックホルム大会」に参加した。

1936年(昭和11年)の「ベルリン大会」では、水泳の前畑秀子をはじめ金メダルを量産。
「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」

次の開催地に念願の「東京オリンピック」招致を勝ち取る。しかし、その年は戦争で夢と消えた東京オリンピックだった。

太平洋戦争が終わり、焼け野原になった日本が戦後の復興を世界に示したのが東京オリンピック。

明治44年、大日本体育協会の創立、初代会長は嘉納治五郎、その思いが繋がって日本にオリンピックがやってきた。

東京オリンピックが終わり、その後、 金栗四三は1967年(昭和42年)、スウェーデンに招待された。
オリンピック委員会のはからいで、1912年ストックホルム大会のときに競技場に帰ってこられなかった金栗四三の残りのコースを走ってもらったのだ。
金栗四三がマラソンのゴールに入った。ゴールテープを切った時。「54年8カ月6日5時間32分20秒3」の記録がアナウンスされたという。
金栗四三76歳のときだった。

韋駄天(いだてん)
足の速い神とされ、足の速い人のたとえにされる。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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