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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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和尚さんの説法では、
人の死から次の世界(あの世)に行くまでの期間は四十九日だという。
今日は、先月亡くなった叔母さんの四十九日法要だ。
亡き叔母さんが、安心してあの世に行けるように、こっちの事は心配しなくていいよ。と、お経の最後に拝んでください。


親戚が集まり、皆で和尚さんのお話を聞く、そして皆でお経をあげる。
「修証義」の第四章「発願利生(ほつがんりしょう)」

 


第四章「発願利生」 仏の心を起こし、自他ともに救われることを願うべきと説く。
自分も楽しく、他の人も救われる世の中を、、、。

親戚が集まり、お経を読んで、亡き叔母を忍び。

酒を飲んで、思い出話をして、次は山芋で一杯やろうと話が決まる。

そんな、山での生活も楽しいものだ(≧▽≦)

拍手[4回]

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ブログの記事を見て、何らかの反応をしてくれるのは、書いているものとして励みになる。

それは"コメント"だったり"拍手"だったり。

コメントを書いてくれれば、その内容は誰でも見えるから、私もなるべく早くコメントで返そうと思っている。

拍手の場合拍手コメン場合、私しかわからない。

また、私がお世話になっているブログには"アクセス解析"があり、自分のブログの訪問者を解析することができる機能がある。

この様に、他人の目は気になるものだ、、、(≧▽≦)

他人の目も気になるけど、一番このブログを見ているのは、、、自分。

以下
私に来る致知出版社からのメール引用
小学校教師歴32年、
学級崩壊に瀕したクラスを立て直すという経験をされた
著者である平光雄氏が行ってきた、
子供たちの心に「伝わる」ため「残す」ために必要な
実践的道徳教育の話です。

 例えば「自尊」という言葉を説明するのに登場するのが「目玉おやじ」です。

その説明の注目すべき内容とは・・・

***

自分の中にもう一人の自分がいること知ってる?

「自分」には、「する自分」と、それを「見ている自分」がいるんだ。
(紙芝居を見せて)

この「目玉おやじ」みたいな「見ている自分」は、
自分のやることをすべて見ているんだ。

「おまえ、あのときずるいことしたよな」

「おまえ、あのとき全力じゃなかったよね、手を抜いたよな」

「おまえ、あのとき人につられて本心じゃないことをやったよな」って。

他人に解らなくても、いつも厳しい、中立な目で見ている。
誤魔化せない。

「目玉おやじ」に、「うん、オマエモなかなかよくやっている」
と認められるということが大切なんだね。

これを「自尊」の念という。

「目玉おやじ」に尊敬してもらえるような生き方をしていこう。

***

他人の目は気になる。
しかし、そんなものを気にするより、、、、。
自分の人生なのだから、自分らしく生きよう。


「自尊」の念は大切、それはこの本でも教えられた。

自分を愛する力 乙武 洋匡   (著)

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今日は成人病検査の再検査の再検査の再検査・・・・・・・・。
二年前から言われている危ない影、その厄介な影の経過を観察する検査なのだ。

CT撮影。
また放射線を浴びに行ったのだ。

結果は、変化なし。
また、半年後に経過観察するので検査に来てください。
そう言われた。
(また半年後、、、検査(;_;))

肺の影の組織を取っての検査はどうかと、聞いてみたら。

その検査でわかるのは、、、六割、、、だと言っていた。

影はある。
大きさは一センチ。
何かはわからない、傷かもしれないし、癌かもしれない。
大きさが変わっていないことは、進行性の癌ではないだろう・・・と。
そのように言われた。

ガガガ━Σ(ll゚д゚(ll゚д゚ll)゚д゚ll)━ン!!!

ま、この検査は、だいたい予想はついた(^O^)/
厄介なのは、もう一つの検査。
悪玉コレステロール。
去年は115だったのが、今年の数値が180
今回は好きなビールも二日前から飲むのを少なくして臨んだ再検査だった。
検査の結果は・・・・・・・ブ~。だった・・残念(;_;)
187だった。増えてた(笑)

基準値は70~139
だいぶオーバーしている。

血圧も高め。
悪玉コレステロールが増え、血圧が高いと、、、、脳梗塞が心配です( ゚Д゚)キッパリ

食生活指導員に散々言われた。

再検査は三か月後。
「それでも下がらないようなら薬を処方します」
だそうだ。

薬は飲みたくないな~。

拍手[2回]


城西地区の横吹で生まれた私は、小学生のころ電車に乗り遅れると家まで歩いて帰った。
その時、トミさんの家の前を通った。
城西地区を代表する人の家だと思っていた。

20歳のころ、友達と車で走って、トミさんの家の前で脱輪した。
トミさんの家の人が多く出てきて、みんなで車を引き揚げてくれた。

湖西市から佐久間町に帰ってきて、水窪のフジユニバンスで働いているころ。
走ることに目覚めた私は、会社の昼休みにジョギングをしていた。
その時、トミさんも走っていてすれ違うことが数回あった。
その頃は挨拶する程度、だった。

佐久間町が浜松市に合併して、佐久間町は「NPOがんばらまいか佐久間」を作り、初めの事業「ふるさとの森づくり」を始めた。
私はコイジのミ~兄に連れられて、浜松にその会合を聞きに行った。
その分科会では、おおきな講堂で大学の先生が「ふるさとの森づくり」の事について説明していた。

その時、トミさんが手を挙げ意見を述べた。
「先生の話も、もっともだが、今、北遠には人工林のスギ林がある、その人工林もしっかり手入れをすれば保水力はある」
トミさんの端的な意見に、大学の先生もタジタジだった。

その日から数年がたちfacebookをやるようになり、トミさんと友達になり、、、。
去年の「北遠駅伝」を同じチームで走った。
そして今年は「北遠駅伝」それと、長野県の天龍村の「梅花駅伝」も行った。
天龍村という小さな村で行っている駅伝、それが終わって飯田線で帰ってくるときにトミさんと少し話ができた。

今年の6月、トミさんから電話が来た。
佐久間町でライブをやろうと話が出ている、ぜひ参加してほしい。
そんな話だった。
佐久間を代表する人から電話が来て、恐縮だった。
しかし、自分なりに違うと思い、facebookのメッセージで答えた。
おはようございます。
この前は電話、ありがとうございました。

昨日、佐久間観光協会に行ってきて、その話のことを聴きました。

その話とは別に、民話の里会館で、昔のグループサウンドの人のコンサートをやろうかとの打診は来ているみたいです。

私が、思うに、
個人の人(グループ)が、勝手に盛り上がるのもいいと思うにですが、
ヤッパリ、しっかりした団体(観光協会・NPO)などが、地域のことをしっかり考える人が居て、地域を盛り上げていくのが、健全な姿だと思います。

今、佐久間観光協会にはお金がなく、大変困っている状態だと聞きます。
NPOに入る話も聞きます。

がんばらまいか佐久間のNPOです。
ここは、合併当時から参加していますが、理事の人が今の事務局の人に何も言えない状態です。

色々なことを事務局の河◯さんに任せ過ぎて、何も知らない理事ばかりです。
設立当時作ったNPO憲章すら知りません。

NPOの事務局の河◯さんとも、長年付き合っていますが、理事の人たちの会合での話の時には、私たちの話を聞くようなふりをしていますが、
個人的に話すと・・・・・なんと横柄な口のきき方でしょう。

そんな人のため、このNPOに来なくなった人が、佐久間町には多いです。

今の佐久間は、シッカリした(観光協会・NPO)ができ、それからです。
個人的なグループでの盛り上がる活動をするのは。

元佐久間町議会に関係した人には、NPOがんばらまいか佐久間をシッカリしたものにしてほしいです。
今の事務局の河◯さんに勝手にやらせているようでは、佐久間町民の一人として、大変に困っています。


その時に私が書いていたブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E3%82%84%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E3%80%82

関係ないと思っていた佐久間町でのライブ。
ひょんなことから、応援するようになってしまった。
関係者から連絡が来て、様々な佐久間町でのトラブルなどを聞いた。
自分にできることならと、協力しようと思った
先ずは自分がチケットを買った。
 夏のヒットパレードin佐久間

そして、トミさんに連絡した。
そしたら、トミさんは、病の話をしたのだった。
嘘だと思った。

今年も「北遠駅伝」「梅花駅伝」に一緒に行けると思ったのに。
浜松から遠山郷まで走る「夢街道90㎞」
トミさんの家の前を走るので、応援してほしかったのに。

佐久間町の「NPOがんばらまいか佐久間」を作った経緯を聞きたかった。
何故、トミさんは、この活動に参加しなかったのか。

今となっては何も聞けない。

 

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2009年5月1日
ブログ「ほくえんの風」は始まった。
その時は、Googleが提供するブログサービス『Blogger』で書いていた。
http://sakumagogo.blogspot.jp/search?updated-max=2009-05-25T20:35:00%2B09:00

それが
2009年7月9日
忍者ブログに・・・お引越し。
現在
2014年11月9日まで続いている。

また、「ほくえんの風」このブログの名前、
それは、ブログを始める前に、出会った、
ブログ「南アルプスの風」
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/junpei_s/
から真似て命名している。
そう、その中でも
 「くも膜下出血の闘病記」
  の記事に感銘して、、、、。
自分の、これから続けていこうとするブログの名前を
「ほくえんの風」
に、したのだった。

私も
くも膜下出血の病をした者として。

ほくえんの風(くも膜下出血)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E3%81%8F%E3%82%82%E8%86%9C%E4%B8%8B%E5%87%BA%E8%A1%80%EF%BC%89
ほくえんの風(くも膜下出血) 其の2
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E3%81%8F%E3%82%82%E8%86%9C%E4%B8%8B%E5%87%BA%E8%A1%80%EF%BC%89%20%E5%85%B6%E3%81%AE2
ほくえんの風(同窓会をやろう)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A%E3%82%92%E3%82%84%E3%82%8D%E3%81%86%EF%BC%89%20
ほくえんの風(浜松マラソン)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%EF%BC%89
ほくえんの風(同窓会)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A%EF%BC%89
ほくえんの風(浜松マラソン)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%EF%BC%89_100

どの様な些細なことでも、続けて行くこと、それは大切なことだと思う。

過去から学び、今を生き、未来へ期待しよう。

ほくえんの未来を期待しよう。

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昨日は「チャレンジ明神山」(1016M)だった。

よっぴーさんと東栄駅で待ち合わせ、二人でスタート場所である「とうえい温泉」向かった。

四年前の年の暮れ、とうえい温泉に車を置いて一人で東栄町を走っていると、尾籠と書いてあり矢印があった。
昔、横吹(よこぶき)という斜面集落で育ったからか、上り坂は・・・けっこう好きだ。
その尾籠集落を目指して坂道をジョグしていると、山の中腹に村が出てきた、初めて見る尾籠集落だった。
そこは、横吹というよりも、水窪でいう「上村」のような村だった。
急な上り坂の上には平らなところがありそこに数件の家があった。
その村の一番上に集会所らしき小屋があり、そこで尾籠のパンフレットを貰ってきた。

そして、岩山の行者様のお祭りを知り、そのお祭りから東栄町のFacebook友達が広がっていった。

岩山に登り、ココからも明神山に行けるなだと知り、一人では怖いのでよっぴーさんを誘い明神山に行ってみた。

2011年、そのよっぴーさんと試走をした動画(*'▽')


2011年のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E6%9D%B1%E6%A0%84%E6%B8%A9%E6%B3%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E6%98%8E%E7%A5%9E%E5%B1%B11.016m#comment
2012年のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0/%E6%98%8E%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF2012
2013年のブログ。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E4%B8%89%E7%80%AC%E6%98%8E%E7%A5%9E-1.016m-2013

そして、今年 2014年の動画です。
 

今回の「チャレンジ明神山」、走り始めて最初に出会った看板に書いてあった。

 

ユックリゆっくり、それでいて着実に、続けていこう。。。。っと思った。

色々な人に支えられ人は生きているのだ(^O^)/

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まだ夜明け前、目が覚めると、、、昨日の雨音が聞こえない。
昨日の雨が嘘のように晴れ青空が見える。そして少し寒く感じる。
走る支度をし、朝ご飯を食べ、
朝、6時50分
愛車に乗り込み、佐久間の家を出掛た。

8時50分に
豊橋の中田さんと、つま恋の南ゲートで待ち合わせ。
間に合うだろうか?

つま恋まで、どう行けば一番早いか。
袋井から小笠山運動公園に出ていく方が早いか。
森町・掛川と行った方が早いか。
それとも
磐田に出て、国道一号線のバイパスで行った方がいいのかと、悩んだ。

まあ、最初に思った、
袋井インターから国道一号線のバイパス・小笠山運動公園に出ていき つま恋を目指すコースで行くことに決めた。

インターの所が混んでいないか心配だったが、スムーズに行くことができ
つま恋の南ゲートに着いたのは
8時半だった。

8時50分
丁度に、中田さん登場。
二人で
私の愛車に乗り込み、スタート地点である小笠山運動公園「エコパ」へGOー。

小笠山RCのメンバーがコース説明をしてくれた。
大変危険なコースなので十分気を付けて走ってほしい、、、そう。


今日の参加者で集合写真

9時30分にスタート
スタートしてエコパの駐車場を出ると、ウォーキングの人がたくさん歩いていた、
聞くと「JRさわやかウォーキング」の人たちだそうだ、目指すは法多山、
今日は法多山の団子祭りとの話を聞いた(^O^)

第8回 小笠山トレイルラン
コースの様子は↓の動画でどうぞ(≧▽≦)

 


14時50分
無事に つま恋の南ゲートに到着。


 ボランティアの皆さん、一日
ありがとうございました。


感謝♪。

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峠の綱引きマラニック
動画を作ってみた(^O^)/

参加者の
ともぞう(湖西市)瑚子(豊橋市)よっぴー(豊橋市)カズキ(碧南市)いちご大福(静岡市)しんしん(佐久間町)ヤッチャバ(日進市)チップ(浜松市)
たち、ご苦労様でした(^O^)/

作成は
Windows ムービーメーカー

音楽は
「峠の綱引きマラニック」(1)
ロイヤリティ・フリーの無料音楽素材「甘茶の音楽工房」
http://amachamusic.chagasi.com/index.html

「峠の綱引きマラニック」(2)
著作権フリーBGM配布サイト HURT RECORD
http://www.hurtrecord.com/bgm/37/muscat-to-shiroi-osara.html

から、お借りしました。

ありがとう。
Thanks ☆☆** v(o^▽^o)v**☆☆ Thanks

拍手[2回]

先日のマラニックのときに、、
青崩峠から兵越峠に向かう遊歩道を歩いているときに。

走る仲間から質問された。
「新間さんはリニアのこと、どう思う?」

この話は、私、ず~っと前から考えている。
4月の「名古屋ハーフ」を走り終わってからの慰労会
FBのラン友の仲間が集まって楽しく飲んで騒いだ。
東京・大阪・名古屋の仲間。
遠くは北海道からやって来た。
東京から新幹線で名古屋まで1時間半。
「新幹線があるから、リニアなんて必要ない」
そんな話が聞こえた。


9月の「チャレンジマラニックin遠山郷」
この大会の時に、関係者が開会式で
「リニアの話が出ています。東京からの選手も将来は1時間くらいで遠山に来ることができるでしょう」


そんな話を聞いた都会のランナーが
「リニアなんていらないョ~。南アルプスを貫くトンネルなんて環境破壊だ!」

そんな話も・・・・・。

4月、「静岡骨髄バンク推進する会」の総会の時
私は佐久間から西渡まで走っていき、西渡から二俣までバス、二俣本町から掛川駅まで天浜線。
掛川から藤枝まで自分の足で走ってみた。
東海道を走ってみたかったのだ。

掛川から日坂峠を越え金谷に出たらSLが走っていた。
昔の人は、いくつもの峠を越え旅をしていたのだろう。今はこの峠の下にはいくつものトンネルができ浜松方面から静岡に行くにも便利になった。
車っでも電車でも。

100年前の日本の風景


このような昔の日本を残していきたい。

 戦後、新幹線が、今リニヤの話が。
神谷正昌先生のお話でもあるように
その後、新幹線は次々と路線を延(の)ばし、人々の生活圏(けん)は広がり、新幹線が走る静岡県や栃木県、
群馬県などから東京への通勤や通学も可能になりました。一方で、新幹線は大都市への人口の流出を促(うなが)し、
地方の過疎化の要因の一つになったという指摘(してき)もあります。

そんな話もある。
人々が昔のように移動する手段を自分の足に頼っている時代ではない。
 
 

そうだ!!。今は、便利な世の中 21世紀を生きているのだ。
そして、時代は流れていく。

リスクとベネフィット
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%88

なるべくリスクは最小に、、、、。
リニヤの計画を進めてほしいと思ている。
都会に住もうと、田舎で暮らそうと、今の日本は暮らしやすい国だと思う。
皆で協力して日本を盛り上げよう。

参考にしたHP

日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60280160X20C13A9TY1P01/

JWSSNニュース(^з^)-☆
http://jwssnnews.blog.jp/archives/30194940.html

「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-07-22/2014072214_02_1.html

拍手[4回]

10月26日(日)
「峠の綱引きマラニック」
参加者8名
ともぞう(湖西市)瑚子(豊橋市)よっぴー(豊橋市)カズキ(碧南市)いちご大福(静岡市)しんしん(佐久間町)ヤッチャバ(日進市)チップ(浜松市)

前日に作ったゼッケンを配布、簡単なコース説明をして、お互い自己紹介。

毎回説明している通り
私のマラニックは自己責任でお願いします。
普段、自分が練習で走っているような感じで、交通規則を守って、地元の生活道路を走らせてもらう、そんな感じでお願いします。
感謝の気持ちを持て走りましょう。

出発前に集合写真

走る仲間は、青崩峠を目指し走り始める。


水窪の町を過ぎると上り坂が続く、エッチラオッチラゆっくり進む、夢街道100㎞の時の「トマトエイド」はくりや に到着、

パンチパーマの大将がから威勢の良い声が聞こえる。
「なんだっちゃいや!!今日も歩け歩けか~」

こっちは走っているつもりだけど、見る人にとっては走っているようには見えないのか???
いつも歩いてるといわれる。

最近では否定はしません、でも歩くよりは早いつもり。

池島、青崩峠と兵越峠の分岐地点が見えてきた。
夢街道100㎞では、ココから兵越峠を目指すのだが、今回の「峠の綱引きマラニック」は、先ずは青崩峠に行くのだ。
 
池島にて↑
 
草木トンネル↑

日本一の名水「足神の水」↑

紅葉が綺麗↑

ココから遊歩道↑

石畳の道↑
 
青崩峠で、記念写真。↑

今来た道を少し引き換えし、兵越峠までの遊歩道を行く。


静かな遊歩道を2時間ほど歩くと、遠くで歓声が聞こえる。

峠の綱引きの会場に到着。


遠州軍の総大将・行司・信州軍の総大将
勢ぞろい(^O^)
山奥に暮らす者として、こんなありがたいことはない。
今回、遠州軍の殿の笑顔が見れ良かった。


色々な人に出会い写真を撮った(^O^)


そのイベント会場を後に、遠山郷を目指し兵越峠を下っていく。
すると、なんということでしょう。。。。
素晴らしい景色が、山全体が紅葉しているではないか。

しばし、うっとりしながら走っていく。


遠山郷の分岐を、天龍村(平岡駅)方面に向かって走る。
ココから11㎞くらいある。
ともぞうサンとカズキさんは順調に走っていく。
途中、雨が振り出しリックカバーを付けた。
そんな時、よっぴーサンが後から来た。
よっぴーサンと一緒にユックリ走っていると、突然前に車がハザードを着け止まった。
瑚子さんが下りてきた。
「走っていたら、車の人に声かけられて乗せもらっちゃった
マラニックは、このような出会いも楽しいのだ。

色々な、手段で今回のゴールである平岡駅の目指した8名である。

平岡駅に3時40分到着。

チップ・ヤッチャバ・ともぞう は15時46分の電車で帰るそう。
私は駅のお温泉(300円)で疲れをいやす。

さっぱりして、売店でビールでもと思ったが、水窪から車で帰らなければいけない。
コーラで我慢する。

特急伊那路が16時42分に出るので、豊橋に帰る人はそれで帰る。

私は特急料金がモッタイナイので次の17時35分の電車で帰ることにした。

今回、青崩峠から兵越峠までの遊歩道が心配だった。
チョットしたアクシデントはあったものの全員無事にイベント会場に着き綱引きを観ることができた。
遠山郷の紅葉も綺麗だった。
自分としても、本当に楽しいマラニックだった。
ヤッパリ一人で走るより二人三人仲間で走るともっと楽しいマラニック。

遠くから来てくれた皆さんありがとう。

感謝・感謝感謝。

 

 

 

 

拍手[11回]

プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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