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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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『13日にくも膜化出血のため入院。今日、16日繰りに半場に帰ってきた。いろんな人に心配をかけた、俺は44才、子供は二女がまだ中学生、自分の子供が働くようになるまでは・・・、生きていて良かった走れなくても、空手で黒帯が取れなくても、生きていれば良いときも楽しいことも来る。16日間いろいろな事、いろいろな人に出会った感謝と言う言葉を忘れないようにしよう』
退院してきて、家に来て、寝る前に書いた、俺の4月29日の日記だ。この日は、病院から、父の車で、家に帰り、長く車に乗っていたので、疲れたのか、夜九時前には、寝ることにした。

次の日、朝五時に目が覚め、外に散歩に出た、携帯電話を持って、ゆっくり歩く、いや ゆっくりしか歩けない。
ひと月前には、早朝ジョギングに向かう時に歩いていた道、でこぼこの道がうまく歩けない、自分の体を支えるのがやっとだ。
いつもの、俺のジョギングコースを歩く、朝の空気は気持が良い、天竜川を見て、佐久間の景色を見て、またこの景色を見れる自分に感動した。川の流れる音を聞き、「もう少し、小学校の裏まで歩いていて行こうか」、自分に聞いた。いや、今日はここまでにしよう。
http://run2.ina-ka.com/www3/Untitled3.html

その日の昼インターネットで、「くも膜化出血」を調べた。なんと恐ろしい病気なんだ、見なければ良かった、外に出て一人になりたくなった。遠くの山を見ていた。「これからどうならるのだろう・・・」その時、○山さんから電話が来た、その○山さんの父親もくも膜化出血だったらしい、病院に運ばれ、家に帰ってきて車椅子の生活だったけど、脳梗塞を併発して亡くなったらしい。
その○山さんが、「勉ちゃは、身体のことに気を使い、鍛えていたし、タバコも吸わないので、ここまで快復したんだよ」と励ましてくれた。自分がへこんでいる時、○山さんの電話は本当に励みになった。

5月1日、相月のお寺にある、お墓を拝みに行く。
半場に引っ越す前に、私はこっちの方に住んでいた、半場より山の奥深いところだ、新緑の山が、お茶畑が目にまぶしかった、お寺の和尚さんが、お墓で草取りをしていた「先日、救急車で運ばれた様だが、いかいだね?」「何とか無事に帰ってこれました、ご心配かけました」和尚さんは、私が佐久間病院に運ばれた時に、佐久間病院にたまたま居たらしい。

家に帰ってきて、暇で、やることがない、いつもなら、ゴールデンウイークは自転車で外に出ていたのに。本を読むことにした、テレビを見るより、パソコンでネットサーフィンするより、気が休まる。昔読んだ本「人生の目的」を読み出した、30歳代半ばでこの本を読んだその時と、今、とでは、またちがう、この本の、内容が心に染みる、その中の一部を書かせてもらう、
『人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。さびしいだけではなく、むなしい。むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は「自分の人生の目的」をさがすことである。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。へんな言い方だが、「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってもいい。私はそう思う。そのためには、生きつづけていてこそ・・・』
こんな時、自分「人生の目的」、目標をと思い、中学の時の同窓会をやろうと思ったのだった。

そういえば病気する前に、佐久間に居る人だけで、同級生のやっているすし屋「江戸芝」で飲み会をやった、その時も、その話が出た。とりあえず、一人で佐久間中学校の卒業アルバムを見て住所録作りを始めた。

44歳の春。クモ膜化出血になり、なにもやることもなく自暴自棄になっていた時に、職場からの帰り道、中学校の同級生に会い、同窓会をやらないかと言われ始めた。佐久間中学校同窓会。
目的、目標ができたら、なんか気分がスーっとした。
 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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