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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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5月1日pm7:00
愛知県名古屋市中川区小本の「JR東海バス株式会社」出発して

5月3日am10:00
名古屋の市街から、からココ岐阜県白川村158㎞「荘川桜」まで39時間かかった。

さくら道ウルトラ遠足のコースマップは、まだ3ページ半ある。
まだ100㎞以上の距離がある。


しかし、
もうヤメにしよう。
御母衣ダムを下って行ったバス停「牧」に立ち寄った。
時刻表に記載してある電話番号に電話し、金沢方面のバス時刻を聴くが、
この路線には無いようなので、14時17分の高山行のバスが来るのを待つことに、
待てよ、時間はまだある。
白山登山口まで行くことにする。
163㎞
ココで終わりだ。
「平瀬診療所」でバスを待つ。
14時45分のバスの中は自分一人、運転手さんが言うには
「白川郷に行くと満員になる」と言っていた。

バスは白川郷で多くの外国人旅行者を乗せ
東海北陸自動車道に入り飛騨トンネルを抜け中部縦貫自動車道を走り高山本線高山駅に
高山駅から下呂へ。
下呂温泉で風呂に入り、近くの台湾料理店でビール。
となりに座っていた人は東京からの旅行客だ、彼は自転車だそうだ。

東京では感じることのできない、日本の中山間地の豊かな自然に触れて感動していた。

温泉街には宿がいっぱいあるけど、どこも満室。
今日の宿は下呂大橋下の雨風しのげる場所が今日の寝床。
ZZZzzz。

4日の朝。
下呂の駅で
JRの東海のお得な切符
青空フリーパス
(大人 2,570円)
と、下呂~名古屋までの特急券
(1.830円)
購入。
下呂を[特急]ワイドビューひだ2号で
7時32分出発

9時17分名古屋発の
特別快速で豊橋に

豊橋を10時42分の岡谷行の飯田線に乗る。
中部天竜に着いたのが
12時46分


あ~思い出深い旅だった。
旅ランだった。

ジャンジャン。。。。

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名古屋駅に着いたのが17時20分
萩田さんから借りたコピーしたコースマップを頼りに、「JR東海バス株式会社」に行こうとするも、迷ってしまう。
途中コンビニで、道を聴く。
スタート地点に行くまでに、こんなんでどうなるんや(-_-;)

7時前、ようやく「JR東海バス株式会社」着く。

走る支度をして、今回初となる「さくら道」写真撮影。
セルフタイマーを使い、自分の写真を撮ろうとしたが、私のデジカメ、セルフタイマーがもう機能しなくなっていた。
(壊れかけたデジカメ)
残念!

7時に記念碑の前をスタート

名古屋南五丁目の交差点を左折して、名古屋駅に、ココから駅前を桜通大津に行くも、手前の交差点で分らなくなり道を尋ねる。
桜通大津に出て、名古屋城に向かって走る。
これは名古屋どえりゃマラニックの時に走った見覚えある道だ。
夜中9時過ぎ、名古屋城公園、お城がライトアップされていた。

幅下橋の所も分らなかったな~。
丁度、宴会の帰りだろうか、気持ちよく酔ったサラリーマンに訪ねてみたら、丁寧に教えてくれた。

国道22号線に出た。
しかし、ここまで道が分らなく多くの人に尋ねながらの道程だった、こんなんで大丈夫かな~。
これから真夜中だし。

しかし、国道22号線沿いからは、ほとんど道沿い、コースマップの目印を追いかけながらの走りだ。
一宮を走っていると左側にとても大きなマンションがあった。
歩道も広く整備されている。
一宮駅前には真夜中、酔っ払いが駅前でたむろしている。


金園町のコンビニで休憩、ビールにカップ麺。
仮眠しようとしたが、眠れない、先を急ぐことにする。

岐阜北部で夜があけ、走りもその頃には歩きになっていた。

美濃・郡上八幡、
円空のふるさと「美並」

走りも歩きに代わって、景色を眺めながらゆっくり歩いていると円空彫りの作業場の横を通りかかった。


色々なお話を聴かせていただき、写真も撮らせていただいた。
帰って来てネットで調べた
http://www.gifu-np.co.jp/tokusyu/2011/shinsai/shinsai20110504_2.shtml
世の中には様々な人がいる。


石川・岐阜の県境にそびえる白山は、日本三大霊山の一つである。
白山は、平安から鎌倉時代にかけて山岳信仰として栄えた。
郡上街道は白山に至る岐阜県側の主要な道で多くの修験者が通った道である。


美濃白鳥駅に着くころには、5月2日の真夜中。
疲労困憊の中だった。
地図では民宿てんごの方を記しているのだが、今回はそっち方面には行かず先を急ぐことにした。
民宿さとを見て、交差点を右折した。

白鳥町・白鳥町商工会館先の交差点を間違え左に行ってしまう。
後戻りし右の道へ進む、ところが正ヶ洞の所でまた分らなくなる。
あたりは真っ暗。
配達の仕事の人が丁度いて道を尋ねた。
コンビニにたどり着き、温かい物を食べた。

これから先、ひるがの高原までコンビニはないそうだ。
コースマップには、そんな事まで丁寧に書いてある。


大日岳道の駅、に着いた、四駆に乗っていた人に写真を撮ってもらった。

ひるがの分水嶺に着く


ココから流れる水は、南に流れれば長良川を経て太平洋へ
北に流れれば荘川を経て日本海に流れていくのである。

人の人生も、今ココに暮らしているのも、なにか運命を感じるのである。
今、自分がこの道を走るのも。

ココからは下りがおもだろう。
しかし、足の裏はもう限界にきている。
暑い熱い、まだ道路横に残っている雪で、その足を冷やした。


ココで141㎞
御手洗川沿いを下っていくと、荘川であいの森案内板が、荘川町 日本一の五連水車の看板があった。
ようこそそばの里荘川へ
の看板があった。

147㎞を過ぎ、よいよ御母衣湖に、148㎞
御母衣ダム湖のトンネルを走る、佐久間ダムのトンネルを想像していただけに、そんなには狭くはないと感じた。
しかし、観光客だろうか、車が多い。
危ない。

しばらく御母衣湖を下ると「ドライブインみぼろ湖」があった。

観光案内のテントの女性と話をした。
静岡県の佐久間町(佐久間ダム下の町)から来たことも話した。
荘川町も高山市と合併した。
その合併を機に、荘川町の役場の職員も町に出ていった人が多いと言っていた。
荘川町には温泉があるそうだ。
しかし、荘川町時代に多くの施設を作り、これからの維持が大変だとも言っていた。
ココのドライブインも、その一つだろうか。


日本一大きな市「高山市」そこに合併した「荘川町」
二番目に大きな市「浜松市」そこに合併した「佐久間町」

しかし浜松市は政令指定都市になった。
佐久間町での問題は、政令指定都市の中の中山間地だから、そこに暮らす人々はこれからの地域に不安を感じづにはいられない。

「荘川桜」まで残り1㎞
御母衣ダム建設当時、ダム建設で多くの荘川村の人が翻弄された日本のエネルギー問題。
ダム建設で移転になる人、何とか免れて村に残った人。

私が住む、佐久間町も同じだっただろう。

あれから半世紀以上たった今、日本の暮らしは豊かになり人の心も変わっていった。

平成27年5月3日午前10時
佐久間町が合併したとき知り合った、走る仲間から教えてもらった
荘川桜、今回、
ようやく、本物の「荘川桜」にたどり着くことが出来た。

次回につづく。

ps
動画です。

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「さくら道」とは
北陸地方にある金沢市から中部地方にある名古屋市までの国道の別名、および、それに取材した中村儀朋の小説である。
1994年に、これを題材にした映画が公開され、2009年には、読売テレビの制作でドラマ化された。

名古屋市から金沢市までの国鉄バス名金急行線の車掌・佐藤良二は、岐阜県荘川村(現高山市)にある御母衣ダム建設によって水没する集落の象徴だった桜の木(荘川桜)がダムの畔に移植され、見事に開花したことに感動し、「太平洋と日本海を桜で繋ごう」と1967年から名金急行線の沿線(国道304号・国道156号ほか)に桜の苗木を植え始めた。1977年に47歳で亡くなるまでに約2,000本の桜を植えた。起点の名古屋城本丸前にはその1,000本目、終着点の金沢市兼六園に1,500本目がある。
この話は『さくら道』(中村儀朋・著/風媒社・刊)及びそれを映画化した『さくら』(1994年)のモデルとなっただけでなく、国語の教科書にも載った。
名金急行線は廃止され佐藤も故人となったが、その桜は荘川桜と共に毎年咲き誇り名古屋と金沢を結び、旧名金急行線沿線では『さくら道国際ネイチャーラン』などのイベントが行われている。
Wikpediaから引用

今回私は、もう一つの大会「さくら道ウルトラ遠足」266㎞のコースマップを手に、この「さくら道」のコースを走ろうと思ったのだ。

太平洋と日本海を桜で結ぼう「さくら道」を読んだ。
荘川桜・御母衣ダム
自分勝手に「さくら道」

それは、佐久間町が2005年7月1日に浜松市に合併することになり、役場の職員が地元に合併の説明に来た時の事だった。
合併を男女の恋愛に例え、
「当初は天竜市以北での合併を考えていたのだが、難しく、、、」
「そこへ浜松市のラブコールが来て合併になったのだ」と。
また、静岡市に合併した井川地区を例にとって
「佐久間町もいずれ井川地区のようになるでしょう」
とも言っていた。

これから自分の暮らす佐久間町はどうなってい行くのだろ?
そんな事を考えながら、国道152号線を車を走らせていると、数人のリックを背負ったランナーがいた。
そんな人と出会い、ウルトラ(フル以上を走る)マラソンの世界を知った。
そして「さくら道ウルトラ遠足」266㎞の事を知った。

そして、「荘川桜」の話を知ったのだった。

そんな出会いから10年がたった今、100㎞マラソンは何回か走ったことはあるが、それ以上の距離は考えられない。
266㎞想像できない距離だ、しかし、行けるところまで行こう。
御母衣ダムに沈むはずだった「荘川桜」
今年は満開に咲いているだろうか。

 

5月1日中部天竜駅を14時17分の電車で出発

次回につづく。

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人生は旅である。

ある目的を持て、人は旅に出る。

中部天竜駅14時17分出発。

大勢の仲間との旅も楽しいが
一人旅も、またいい。

自分自身と語り合うには。

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10年前に、佐久間町が浜松市に合併!!
役場の職員が私たちの暮らす集落に来て
合併の経過を説明に来た。
そのとき、その職員は
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「やがて佐久間も、このようになるでしょう」
と言って帰っていった。


その後、佐久間町で採用された役場の職員は
「今は浜松市だから、市内どこに住もうと勝手だ」
と、佐久間を出ていった人が増えた。

今宵もはじまりました(^.^)/~~~
は、香川県観音寺市 まちなか活性プロジェクトだ、
今、地方は衰退してると、国を挙げて地方創生を叫んでいる。


佐久間町は、浜松市になり、国にとって地方とは浜松市
浜松市にとって山間部の佐久間町は、これからどうなっていくのか。


遠い先の事を考えて、悩んでいてもしょうがない。
今、佐久間町に住んでいる人も、理由がありココを出ていった人も
仕事で佐久間に来ている人も、酒好きな人が集まって
年に一回、飲もうではないか。


(片桐先生送別会にて)

それが
今宵もはじまりました(^.^)/~~~ in佐久間
次の予定
場所:浦川キャンプ場


佐久間町が、浜松市に合併したとき
佐久間中学校の同窓会を始めた。
本当は、この同窓会を、佐久間でず~っとやろうとしたのだが、去年から浜松市の市街での開催になったので、、、、、次はこれにした(^O^)/

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休日のひと時、NHK朝の連続ドラマ「まれ」を観て
ほ、っとしていた時、このドラマは始まった。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ
http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/index.html

江戸時代末期に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾、その松陰を陰で支えた妹(文)の物語である。
妹(文)は長州藩の軍事調練を率いる兄・吉田寅次郎(のちに松陰)を誇らしく思っていた。
松陰は11歳にして藩主・毛利敬親に兵学を講義するなど、藩の将来を背負うと期待された天才だった。
そんな松陰が、脱藩という藩主を裏切る重罪を犯し、苦しめられる家族、
また1853年ペリーが来航すると、その翌年今度は国禁を犯して密航を企てた。
またまた家族は松陰の前代未聞の罪でさらに辛い境遇になる。

野山獄がら出た松陰は、家から出るのを禁じられたため、家族や近所の若者を集めて孟子の講義を始める。
それが松下村塾の始まりだ。

松陰の教えにひかれるようにきた仲間が高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・吉田稔麿・前原一誠などだ。

物語は、松陰が貫いた日本のために生きた人生、それを支えた文の生きた道だだった。

安政の大獄は松陰の死を持って幕が引かれることになった。

5月3日の放送が楽しみだ。予約録画をしよう。

至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり
こちらが誠心誠意をもって物事に対処すれば、あるいは、人に接するならば、どんな難局であろうと事態は必ず改善されるものだ

一生懸命に頑張っていれば、どこかでみている人が必ずいるのだ。

byしんしん

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知り合いに紹介されて、この本に出合った。
「農山村は消滅しない」小田切徳美

この本の著者は
過疎や限界集落等、農村問題の専門家として、政府の各種審議会の委員等も務めている人だ。
そして、この人は
日本の農山村の問題を研究し、これからの農山村、日本の国のあり方を模索している人である。

「誇りの空洞化」で衰退する日本の農山村。
格差是正と個性のある発展二兎を追って、
国内戦略地域として再生を目指すべきだ

小田切 徳美(明治大学農学部教授、農学博士)

このブログでも書いてある通り、みんなが自分の住んでいる地域に「誇り」を持てなくなっている。
農山村では、子どもに関して「こんなところで苦労をさせたくない」「東京、大阪にだして高い教育を受けさせたい」といった発言が当たり前のように聞かれる。
根底にあるのは「誇りの空洞化」だと考えている。一言で言えば、住民自身が農山村に住み続ける誇りがなくなってしまった、あるいは農山村に住み続ける意義を見い出せなくなってきた、ということだ。

この本では
「増田レポート」での「地方消滅社会」が発表され、著者が疑問に思い

自分が農山村を訪ね歩いてみてきた現実を
過疎化・超高齢化の難問を突破しつつある現場を事例を紹介しつつ書いてある本である。
例えば、市域住民が個人出資で都会からの若者を呼び込んでいる村の紹介、
バイオマスエネルギーの利用や、新しい産業物加工を販売して新規会社の成功した例などを伝えている。


「地方消滅社会」
これからの中山間地は、頑張っている地域は発展するが、何もしない地域は衰退の一途をたどるのであろう。




PS
小田切徳美先生
上手いこと言いますネ~。
「誇りの空洞化」
根底にあるのは「誇りの空洞化」だと考えている。一言で言えば、住民自身が農山村に住み続ける誇りがなくなってしまった、あるいは農山村に住み続ける意義を見い出せなくなってきた、ということだ。
フムフム(。_。)φメモメモ

その昔、佐久間ダムが最盛期の時には人口2万人以上の、この街の今の現状は
学校の先生、当時の政治家の先生など、あっさりココを出ていってしまっているのですョ。
どこに誇りが、、、、あるのでしょうか?

なにから~、なにまで~、真っ暗闇さ


ま、、、嘆いてのしょうがない。
自分の道を、自分なりに、歩き続けよう(^O^)/


 

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関西電力のCM、YouTubeこの様な動画もあった。
40年前の決意の灯り篇

第10回「天女の羽衣ウルトラマラソン」の時に
原子力についての走る仲間で少しの言い争いがあった。

TKさん「原子力はヤメルべきだ!」

KKさん「そんなことなら昔の生活に戻らなければならない」

TKさん「今の生活は後戻りすることはできない」

KKさん「原子力発電なしで今の生活はできない」

TKさん「原子力なしでも電力はある現に今生活できている」

KKさん「その他の多くの資源を使っているからだ」

TKさんとは、私のマラニック「夢街道」90kmを
そんな長い距離を走ったこののない自分をサポートしてくれた仲間だ。
浜松縦断 夢街道 90km no4

一緒に真夜中二人で走って、多くの話をした。
原子力の話も、仕事の話も、家族の話も・・・・・・・。
中部電力に勤める走る仲間の話も聞いた。

私は佐久間ダムの真下の町
「佐久間町」に暮らしている。
佐久間町は平成の合併で浜松市になり
この地域で暮している人々が合併をきに、街へと流れていく。

地方というところは、都会への電力事情に翻弄され続けてきた。

夢街道90㎞
浜松駅南口から国道152号線を走り続け
12市町村が合併して出来た巨大な浜松しを突き抜け、遠山郷の道の駅まで走る90㎞

私たちが走ることで
私たちの出会いで織りなす布で
多くの人を包み込むような活動になったらいいと思う。

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テレビのCMで採用された
歌手:中島みゆき「糸」
FBで歌詞の内容が紹介されていた。

最後の詩が、興味深い。
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせ と呼びます~。

コトバンクから引用
「仕合わせ(しあわせ)」とは「運命の巡り合わせ」
しあわせ【仕合わせ・幸せ・仕合せ・倖せ】
① めぐりあわせがよい・こと(さま)。幸運。幸福。 「友人の-を祈る」 「 -な生涯」
② めぐりあわせ。運命。 「我はそも,何時ぞやも言ふ如く,-も悪ければ/仮名草子・竹斎」
③ ことの次第。始末。 「無念ながらも長らへて,さて只今の-なり/浄瑠璃・出世景清」

私が暮らす
浜松市ではトヨタホームでのコマーシャルで、その曲が流れている。

ネットで検索したら
関西電力のYouTubeがヒットした。

佐久間町で、佐久間ダムの直ぐ下の町で暮らすようになったことも
「運命の巡り合わせ」
走ることが好きで、フルマラソン以上の距離を走るウルトラランナーと出会い
そんな人たちに刺激を受け、自分なりの目標に向かって走り始めたことも

ゴールデンウィークは
自分なりの
仕合わせ探しの旅ラン

 

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5月31日(日)
竜頭山スーパーマラニック

がある。
動画は去年のだ。

佐久間町が浜松市に合併し、当時45歳だった私は竜頭山のスーパー林道を
竜頭山山頂から山住神社へと走ってみた。
そして、走る仲間を誘って「佐久間・水窪スーパーマラニック」をやるようになった。
最初は、新城の中川さん佐久間町の竹花さんと私の三人で走った。
コースも
半場から竜頭山の平和登山口まで行き、そこから登山、スーパー林道を山住神社・野鳥の森・水窪ダム・水窪・城西・島・立原・間庄・瀬戸・西戸・半場と走ってみた。
次の年、このコースを走りたいと萩田さんに提案したら・・・・長すぎる、と一言。
やむなく山住から向市場にショートカットした、思い出がある。

合併して、もう10年
今までの思い出の、佐久間・水窪スーパーマラニック





去年からスタートゴールは西渡にした。
もっと多くの人に走ってもらいたくて、コースを短くしたのだ。
大会名も
「佐久間・水窪スーパーマラニック」
から
「竜頭山スーパーマラニック」
とした。
今日は、そのコースの試走。

平和登山口を
5時50分
に登り始める。
水窪の「山に生きる会」の登山ノートに記入
仙戸の分岐には
6時20分
青なぎ には
6時35分
汗をかいてきたので、ジャンバーを脱ぐ

次の分岐には
6時45分
杣小屋→頂上 の方に歩みを進める。

杣小屋の横を通過したのは
7時10分

沢を越え、次の沢で、丸木橋が新しく作られていた。
この橋を渡って、リボンを探しながら対岸の登山道を登っていく。

この標識が出ると、杉林をぬけあたりが明るくなってくる。
左側の上の方に、山頂の展望台が見えてくる。

熊にも遭遇することがあるみたいな竜頭山、今回は熊にも鹿にも出会うことはなかった。
山頂の展望台に着いたのが

8時14分
20分くらい休憩して、景色を観たり汗を拭いたり食べ物を食べたりした。

山頂を通過して、「ほおずき平」へ
ここからは、スーパー林道を行く。
ウォーキングポールを使いながら歩く、中央駐車場の桜が満開だった。

山住神社に着いたのが
10時55分
峠の茶屋「大杉」でオデンにビール、ウドンも食べた。
茶屋のオジサンと話し込んで
店を出たのは
12時30分
ココからは、ひたすらに下り。
日本一おいしい湧き水、ココで一休み
布滝で癒しの時間
向市場に着いたのは
14時00分
国道152号線を南下
城西・切開・横吹・立原・間庄・瀬戸・西渡
車を置いてある、平和 竜頭山登山口に着いたのは
5時30分
だった。

あれから、10年、、、、。
自分の体力も、だいぶ落ちてきた。

昔は、自分の住む半場から、このコースを走ったのに、今は
平和登山口からが、、、やっとだ(≧▽≦)

本日の試走、
特別、がけ崩れしているとこもなく、よかった。
しいて言えば、杣小屋コースの丸木橋が新しくなって、少し戸惑うかな、、といったところです。
来月の「竜頭山スーパーマラニック」参加の皆様
お楽しみに(^_-)-☆

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
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