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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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腰痛は、人間が二本足で起立し、歩行するようになって以来宿命づけられた病気だと言われます。
腰痛が起こるのはなぜか、腰や背中の仕組み、動きを見ながら考えていきます。
私たち人間は、母親の胎内にいるときには手足を曲げ、背中を丸めた姿勢をしています。脊柱(背骨)も丸まっています。
しかし、生まれて3~4か月もたつと、首のところが前に曲がってきます。ちょうど”くびがすわる”という状態で、うつぶせにすると両手で突っ張ってくびを持ち上げることができるようになります。
5~6ケ月には寝返りが、7~8カ月ごろにはお座りやはいはいできるようになりますが、このころになると、こんどは腰のところも前に曲がってきます。
横から見ると脊椎は、首が前、背中が後ろ、腰が前というS字型のカーブを描きます。
一年ごろ二本足で立って歩けるようになると、この形はいっそうはっきりしてきます。
つまり、私たち人間の脊椎は、まっすぐな柱を立てたようなものではなく、上半身を支えると同時に曲げたり伸ばしたり、ひねったりという自在な動きにうまく対応できるよう、S字形のしなやかな柱の構造をしているのです。
そのS字形の脊椎が、骨盤の上に積み上げられた24個の椎骨、その中の腰椎(ようつい)は5つの骨が椎間板をはさみ連なっています。

腰痛は、椎間板の老化が腰痛の原因だったり、筋肉の低下が原因だったり、筋肉のバランスが悪く腰痛になったりするそうだ。

私は3月の半ばごろから、腰痛が出てきた。

2月に森町ロード(ハーフ)浜松マラソン(ハーフ)と走り3月にも駿府のハーフと走って無理したからかな~。

私も50歳代、これからも走り続けたいのなら、走るだけではなく腹筋やその他の筋肉トレーニングもやっていかないと。

 

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脳の血管の様子や、脳内の異常を発見するために、今日は脳ドックに出かけた。

物覚えは悪いし、50歳になったし、若年性アルツハイマーっていう病気もあるし。

予約の一時間前に病院に到着、待合室で写真をパチリ(^^)
IMG_1182.JPG




MRI撮影のための注意を言われる、「心臓のペースメーカーや体内部に金属が入っていませんか?」
7年前くも膜下出血でクリッピング手術をやった私の体には脳内にクリップが入っている。
せっかく来たのに、今日は出来ないのかな~。

受付の女の人は、困った顔をして「先生に聞いてみます」と言っただけだった。

順番が回ってきて、診察着に着替えて二階に行き、問診。

普段の生活の話をする。
「去年の目標は、運動を続けると間食をしない。ですがどうですか?」
「運動はバッチリ続けています」「間食はよくするかな・・・」
「点数で言うとどのくらいですか?」
「95点です<(`^´)>エッヘン」


次は、身長と体重。

よいよ、MRIだ。

先生が「クリップのところは画像には写りませんがいいですか?」
今更、「それならいいです」とも言えないから「いいですよ」と言った。

耳栓をして、MRIの前にあるベットに横になる。
先生「どうしても、怖い場合はこのボタンを押してください」と言って握らせてくれたボタン・・・これから狭い所に行くんだ・・・・・。

ず~っと目を閉じていた、ガ・ガ・ガ・・・カシャカシャカシャ・・・ブンブンブン・・・耳栓をしていても聞こえる・・自分の心臓の音も聞こえる、ドクンドクンドクン・・・・・。

最後の方は、寝ていたようだ、ベットがスライドしたのに気付き目が覚めた。

先生「帰りに画像を焼いたCD-Rを差し上げます」

先生「結果は一週間以内に郵送します」

受付で会計を済まし、ダダになる車の駐車券に代えてもらい、車の置いてある立体駐車場の屋上に行き、写真を撮った。

遠くにアクトタワーが見えていた。

IMG_1183.JPG

 


家に帰ってパソコンで自分の脳内を見た。
ちょっと素人には解りにくい、もっとリアルにカラー写真にならないかな~(^^)

 

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昨年の9月、初めて大腸内視鏡検査を行ない、ビラン・ポリープなどの検査をし来年もう一度検査した方が良いと言われた。

あれから一年、今日また去年の様に2リットルの洗腸剤を前に同じ席に座って、看護師さんの大腸内視鏡検査前の説明を聞いているのだった。
 

3時間後、洗腸剤を飲みほしたが、まだ少し便が混じる、もう10回ぐらい通っただろうか・・・トイレ。

色は疲れたときに出るオシッコのような色、その中に便が少しはいる。

13回目、和式のトイレで済まして確認すると・・・何にも出ていない。

色も大分無色になってきた。

検査着に着替え、検査室へ。

▽〇◆☆■●▽〇◆☆■●▽〇◆☆■●

◆☆■●▽〇◆☆■●▽〇◆☆■●▽〇

何時間かかっただろうか、ベットに横になった私はユックリ起きあがって、先生の説明を聞くために先生の前の椅子に座った。
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先生「ビランが見られつ所の組織を取って検査に回しておきます」

先生「一年前の所は変化ないです・・大丈夫でしょう」

私は「ありがとうございます」と頭を下げて検査室を出た。

検査はとっくに終わっているのだけど、おなかの調子が悪い、まだ何か入っているような? 同じ検査をして待合室で知りった人がトイレでガスをすれば少しは楽になるよ!と教えてくれたので・・・。

早速、トイレに向かい長い屁をこいてきたら幾分楽になった。

今回の会計9920円

 

 

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8月の始め身体の調子が悪くなり、夏風邪かなと思って座った佐久間病院の待合室。

あれから一ヶ月、今日は検査日、胸のレントゲン。
どうなっているのだろう?

自分的には調子もよくなったと思って、昨日も朝ラン10km 走ったのだけど・・・ (-_-;)

なんか心配。

受付が始まり、外来診察室に移動していく。
皆それぞれ、病を持っているのだろう。

田舎の病院は、知り合い同士よく話をしている時には笑い声も。

その時に血液検査の呼び出し(^○^)
太い注射針を持った看護師さんに血を抜かれ、レントゲン室へ。


待合室で私が座っていた横に、水彩画が飾てあった。
元佐久間病院長の軽部先生が描いた浦川キャンプ場の絵画だ。

夢100プロジェクトが終わったときに
ここで慰労会をやろうかな?っと悩んでいたときに見つけた・・・・。

そんなときに、私の受付番号が掲示板に・・・・よいよ(^o^;)

「ま~いいでしょう」p*

「血液検査の結果も良いし」

「レントゲンの胸の影も無くなってるし」

やった~(^_^)/
遠山マラニックはガンバルそ(^.^)

会計3460円を収め佐久間病院を後にした、しんしんであった(^-^;

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若いころ、まだ独身の頃、湖西の工場で働いていたころ。

風邪をひいて寮で一人 寝込んだことがある。

熱が出て、汗をかいて、食欲もないのだが、お粥を作ってくれる人はいなく、寮の食堂での食事をするしかなかった。

何日たっただろうか、調子が良くなり、汗をかいた布団を干そうと その布団を上げたら畳まで濡れていた。

体調管理が悪いのか、若いころから風邪をよくひいていたような気がする。

結婚して、長女が生まれたときにタバコを止め、今の地に引っ越してきたときに長男が生まれた、そしてその年の春に走り始めた。

走り始めた理由は、佐久間駅伝に参加するため、それと健康な体になりたい風邪をひかないようになりたい。

初め、数キロしか走れない身体が、10kmマラソンに参加するようになり、ハーフマラソンに、フルマラソンに参加できるようになった。

あれから幾年たただろうか、私も中年と言われる年齢になり、マラソン大会で一生懸命走るより、長い距離をリックを背負って ゆっくり走りるマラニックが健康にはよいのではないかと思うようになった。

マラニックを走るようになり、沢山のマラニックが縁で知り合った仲間ができた。

そんな仲間から「さくら道ウルトラ遠足」を知り、荘川桜の物語を知り、何時の日か御母衣ダム湖畔の荘川桜を(走って)見に行きたいと思う様になってきた。

ところが、270kmと言う距離、とても普通では考えられない。

今年6月に開催した「夢街道90km」夜の九時にスタート、車からランナーの存在が解るように反射板を付けての夜走りは、いつの日にか走りたいと思っていた「さくら道ウルトラ遠足」が私の夢にあったから。

そして、次に申し込んであった「富士山頂往復マラニック」このマラニックを完走できたなら「さくら道ウルトラ遠足」を申し込もうと思っていた。

そんな思いで、今年の6月7月は走り込みをしていた。

NPOがんばらまいか佐久間の用事、村の夏祭りの付き合い、他にも色々なことがあり忙しかったけど、夢があるから楽しめた。

しかし、体は疲れていた・・・。

何らかの菌が肺に侵入したのだ、病名は肺炎。

歯の治療もしていたので、その菌が気道からか、血液からか肺に侵入したのでは?

今年の夏は、目標としていた「富士山頂往復マラニック」を棄権せざる負えなくなってしまった。

同じ練習をすれば、みんな同じタイムで走れるわけでなない。

皆ひとりひとり、違う体を持っているのだから。

今の自分がおかれている環境に感謝し、来年の「富士山頂往復マラニック」を目標にして、自分の体とよ~く相談して明日からの生活を送って行こう。

夢・希望を持って未来に進もう。

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八月になり、肺炎になり、どうしてだろうと考えた。

どうして肺炎なんかになったのだろう???

私の一日は朝ランで始まっていた。

朝のランニングは気持ちよく、自分としては最高の一日を始められいいことだと思っていたのだが、走りすぎたのかな~。

昨日の 静岡新聞の夕刊の見出しに目が止まった”自律神経を鍛え元気に”「健康は自律神経のバランスで決まる」「呼吸、動き、生き方「ゆっくり」を意識」

順天堂大学医学部小林弘幸教授の本「なぜ「これは」健康にいいのか」自律神経について詳しく書いてあるそうだ。

今日、仕事から帰っていてアマゾンで草々注文した。

この本を読み、今までの生活習慣を少し変えてみよう。

風邪をひかない、風邪をひいても肺炎にならない体に変えたいものだ。

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7月の終わりに半場のお祭りがあり、咳が出始めて来た。

そのお祭りで久しぶりに出会た人から親戚の人が入院したと噂を聞いた。

如何したのだろうと電話を掛けたら「肺炎でね~」と言っていた。

俺も咳が出るけど・・・肺炎ではないだろうな~???と思っていた・・・そんなことはないだろう・・・とも思っていた。

その咳で少しタンが出るのだけど・・・その味が嫌な味がした。

祭りが終わり、仕事をしていたが少し心配になり・・金曜日休みをもらい佐久間病院に行って診察してもらった。

レントゲンを撮ってもらい、血液検査・CT撮影、タンの検査は思うようにタンが出なく検査できなかった。

検査の結果は・・・「肺炎ではないか~」との診断だった。

タンが出れば、どういう菌が原因なのか分かり薬もその菌に会った薬を処方で来たのではないかな~。

沢山の薬をもらい家に帰った、その時は一週間くらいでまた走れるようになるかとも思っていた。

処方された薬は6種類、中には"抗生物質"(オーグメンチン配合錠250R)病気の原因菌を死減させる薬、などが入って3日間飲むようになっていた。

薬を飲み終わり、8月9日(火曜日)にまた佐久間病院を受診、タンの検査をしたいと言われたけど、この時にはタンはほとんど出なくなっていた。

その日に、担当の先生から「もしかしたら他の病気(結核・その他)かも知れないので大きな病院で調べた方が良い」と進められたが、まだすぐ治るのではないかと思っていた私は「様子を見ようと思います」っと言っていた。

その日も、前と同じ薬を三日間処方され家に帰ってきた。

タンも出なくなり、調子も良くなってきたけど、微熱(37.0℃)あり、熱帯夜もあり大変だので、佐久間病院に電話し聖隷病院を紹介してもらい8月12日(金曜日)行くことになった。

レントゲンを撮影、血液検査をして、先生に説明してもたった。

初めて佐久間病院を受診した時の血液検査を見て、

「白血球が基準値より増えています、これは菌と戦うために増殖したのでしょう」

今日の血液検査を見て。

「白血球は基準値に近くなっています、抗生物質が効いてきたのでしょう」

「しかし肝機能が心配です、今日は"抗生物質"をオーグメンチン配合錠250Rからクラビット錠500mgに変えましょう、朝だけ飲むように」

との説明だった。

8月19日(金曜日)佐久間病院にてまた検査、レントゲン・血液検査。

「もうすっかりいいですよ、普段の様に生活してください・・・」

と言われると思って居たのだが、この日もクラビット錠500mgを七日間処方された。

しかし、生活はいつもの様に、軽い運動はOK、お酒は「大量に飲まなければ良いですよ」との話だった。

(肺炎とは)
肺炎とは、さまざまな病原菌の感染によって肺に炎症が起こった状態のことです。一般的には、体力が落ちているときや高齢になって免疫力が弱くなってくると、かかりやすくなると言われています。
  肺炎の原因となる細菌やウイルスは、呼吸をするときに鼻や口から身体の中に侵入します。健康な人は、のどでこれらの病原菌を排除することができるのですが、風邪などをひいてのどに炎症が起こっていると、病原菌が素通りして肺に入ってしまい炎症をおこしてしまいます。ただし、風邪にかかった全ての人が肺炎になるのではなく、肺に侵入してしまった細菌の感染力が人の免疫力を上回った場合にだけ発症します。
 日本では、全死因別にみると年間約8万人が肺炎により死亡し、その死亡率は8.6%になります。死因順位は、最近20年間第4位を占めています(「国民衛生の動向」1999年度版より)。

治験ドットコムより引用

疲れている体にタマタマ、肺炎になる原因菌は私の体に侵入したのだろう。

今思えば、嫌な味がしたタンが出ているときに早めに病院に行き検査してもらえばよかったのでは・・・っと思っている。

これも後の祭り、後から気が付くネジョンベンだ。

(´△`)トホホ。

 

 

 

 

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6月7月は休みのたびに良く走った。

7月の終わり、なんか身体が疲れているな~とは思いつつ半場のお祭りの練習に行っていた。

そんな状態だったので、お祭りの時は酒もホドホドにしていたのだった。

8月1日(月曜日)から仕事、体の調子が悪いと思っての仕事、8月4日(木曜日)予約していた歯医者に行く。

その夜、熱帯夜のこともあり暑くて寝苦しく微熱もあったので次の日の8月5日(木曜日)佐久間病院を受診したのだ。

そこでレントゲンを撮り”肺炎”と診断された( ̄□ ̄;)ガ~ン

その日から抗生物質を処方さ食事の後はその薬を飲むようになっていった。

この薬を飲めば飲み終われば治ると信じて。

ところが微熱は続き、夜も熱帯夜の日があり寝汗もかいたので、汗疹ができ大変な状態(゚ロ゚)ギョェ~

佐久間病院でもしかしたら他の病気(結核・その他)知れないので大きな病院で調べた方が良いと進められ聖隷病院に行く8月12日(土曜日)、そこで抗生物質を飲む前と、飲んでからの血液の中の白血球の違いを説明してくれた。

抗生物質の影響なのか、肝機能も悪くなっているとも言っていた。

また一週間分の抗生物質を処方され、家に帰ってきた。

あれから一週間、今朝 体温を測ると36度と平熱になった。

今日は佐久間病院へ行く日、今日の診察で何と言われるか。

今回、私51歳の夏は肺炎と言う病気を経験した。

真夏の肺炎は大変だ、滝のような汗が出て、汗疹は出来るし。

肺炎は、高齢者や幼児のかかる病気だと思って居た。

しかし、ジョギングを趣味としている私が肺炎になっていしまった。

天の神吉様が、「走りすぎだ休め」と、この病気を授けたのかもしれない。

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腫れた手の甲は熱があり痒かった。

昨日の夜から今日の昼間まで、左手に軍手をはめ腫れたところに保冷剤を入れアイシングをしていた。

今は、腫れも少し引いてきて、左手でのグーパーも違和感なくできるようになった。

しかし、痛痒いのは今まで以上だ。

仕事から帰ってきて、なっちゃんにその手を見せたら。

「ムカデかな~」「痒くなってきたのは 治りかけてきたことじゃ~」と言っていた。
 

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昨日、空手の稽古をしているときから、右手の甲に痛痒さを感じていた。

ムカデにでも刺されたかな?
(自分としては刺されたことは覚えていない)

家に帰り、風呂に入り、かゆみ止めを塗って寝ることにした。

今日、久しぶりに朝ラン10km、帰ってきたら、手の甲が腫れている。

アロエを塗ったり、キンカンを塗ったり、保冷剤で冷やしたりしたが、夕方 まえよりも腫れがひどくなったような???
IMG_0860.JPGIMG_0861.JPG

 

左手は今のところ、パーの手にしているといいのだが、グーの手にしていると皮が引っ張られ上手くできない状態だ。
(わかるかな~)

夢街道の時までには腫れが引いてくれればいいのに(TT)
 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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