若いころ、まだ独身の頃、湖西の工場で働いていたころ。
風邪をひいて寮で一人 寝込んだことがある。
熱が出て、汗をかいて、食欲もないのだが、お粥を作ってくれる人はいなく、寮の食堂での食事をするしかなかった。
何日たっただろうか、調子が良くなり、汗をかいた布団を干そうと その布団を上げたら畳まで濡れていた。
体調管理が悪いのか、若いころから風邪をよくひいていたような気がする。
結婚して、長女が生まれたときにタバコを止め、今の地に引っ越してきたときに長男が生まれた、そしてその年の春に走り始めた。
走り始めた理由は、佐久間駅伝に参加するため、それと健康な体になりたい風邪をひかないようになりたい。
初め、数キロしか走れない身体が、10kmマラソンに参加するようになり、ハーフマラソンに、フルマラソンに参加できるようになった。
あれから幾年たただろうか、私も中年と言われる年齢になり、マラソン大会で一生懸命走るより、長い距離をリックを背負って ゆっくり走りるマラニックが健康にはよいのではないかと思うようになった。
マラニックを走るようになり、沢山のマラニックが縁で知り合った仲間ができた。
そんな仲間から「さくら道ウルトラ遠足」を知り、荘川桜の物語を知り、何時の日か御母衣ダム湖畔の荘川桜を(走って)見に行きたいと思う様になってきた。
ところが、270kmと言う距離、とても普通では考えられない。
今年6月に開催した「夢街道90km」夜の九時にスタート、車からランナーの存在が解るように反射板を付けての夜走りは、いつの日にか走りたいと思っていた「さくら道ウルトラ遠足」が私の夢にあったから。
そして、次に申し込んであった「富士山頂往復マラニック」このマラニックを完走できたなら「さくら道ウルトラ遠足」を申し込もうと思っていた。
そんな思いで、今年の6月7月は走り込みをしていた。
NPOがんばらまいか佐久間の用事、村の夏祭りの付き合い、他にも色々なことがあり忙しかったけど、夢があるから楽しめた。
しかし、体は疲れていた・・・。
何らかの菌が肺に侵入したのだ、病名は肺炎。
歯の治療もしていたので、その菌が気道からか、血液からか肺に侵入したのでは?
今年の夏は、目標としていた「富士山頂往復マラニック」を棄権せざる負えなくなってしまった。
同じ練習をすれば、みんな同じタイムで走れるわけでなない。
皆ひとりひとり、違う体を持っているのだから。
今の自分がおかれている環境に感謝し、来年の「富士山頂往復マラニック」を目標にして、自分の体とよ~く相談して明日からの生活を送って行こう。
夢・希望を持って未来に進もう。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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