広島の旅
最後は福山市の駅前に宿を予約してあった。
(カプセル&サウナ日本)
チェックインは午後4時、まだ時間があるので荷物を宿に預け福山駅から瀬戸内海を目指し走った。
暑い熱いギラギラと輝く太陽の熱、舗装道路からの照り返し、溶けてしまいそうな暑さだ。
道沿いにバラの花の花壇がある、福山市はバラの町だそうな。
2015年9月18日に「福山市ばらのまち条例」を制定し。この条例は、市民と行政が一体となってばらのまちづくりを進め平和の尊さや心の豊かさが実感できる活力ある福山の実現をめざしています。
と謳っている。
コンビニによってガリガリ君とスポーツドリンクを買って体を冷やす。
しばらく走ると、釣り用品の店が出る、海ももうすぐか?
橋が見えてきた。
川沿いの遊歩道沿いに歩き芦田川大橋の下の日陰で休む。
もう帰ろ。暑いし、かえって風呂に入ろう。
瀬戸内海の広い海までは行くことは断念した。
今回 走ったコース
片道約5㎞
福山駅に帰ってきて北出口にある福山城を散策
駅でお土産を買い、ついてに明日帰る中部天竜駅までの乗車券も購入
7時24分(福山駅)
↓
↓のぞみ
↓
9時20分(名古屋駅)
9時29分(名古屋駅)
↓
↓こだま
↓
9時57分 (豊橋駅)
10時08分(豊橋駅)
↓
↓伊那路
↓
11時21分(中部天竜駅)
乗車券 8960円
新幹線 4540円
伊那路 590円
計 14090円
宿に行きサウナに入って汗を流した。
風呂上がりに休憩室で高校野球を見ながら生中二杯
ウツラウツラ少し眠った。
腹が減り、外に飯を食べに出る。
目についた、この看板
焼き肉
スタンダードコース
2280円
飲み放題
1280円
上ハラミ・ケタカルビ・ハナハナ
何だかわからないが食べた、腹いっぱい。
しかし一人の食事は味気ない。
ビルに帰って就寝。
カプセルの中に忍び込んだ。
予約の時に
「一番安いの」
と言ったので、今回はテレビも無い。ラジオも無い。
何も束縛するものがない。
ただ眠るだけ。
8月7日(火)早朝7時24分
バラの街 福山駅を後にして新幹線は発車した。
4時間後には、11時21分には、杉の街 佐久間町に到着した。
何年か前に佐久間町が町として存在しているときに、杉の街として提案する人がいたのだろう。
佐久間町で検索してみた。
ウィキペイアがヒットした。
佐久間町(さくまちょう)は、かつて静岡県磐田郡に存在した町である。
2005年(平成17年)7月1日、周辺10市町村とともに浜松市へ編入合併され消滅した。同時に地方自治法第202条の4に基づく「佐久間地域自治区」が設置された。
2007年(平成19年)4月1日に浜松市が政令指定都市へ移行したことに伴い、天竜区の一部となった。政令市化後も佐久間地域自治区は存続したが、2012年(平成24年)3月31日をもって廃止された。
ウィキペイアから
基本的に「見る」と書き、「観る」「視る」「診る」「看る」は意味を強調したいとき使う漢字である。
「観る」「視る」「診る」「看る」を「見る」と書いても間違いではない。
テレビなど、なんとなく見るのであれば「見る」を使い、じっくり見る場合は「観る」を使う。
「看る」は、「看病」「看護」の熟語があるように、世話をするという意味で、病気のこどもを「看る」などと使う。
八ツ塚先生は、母親の看病のため大好きだった教員の仕事を退き離任式で、こんな言葉を残している。
「人間には自分がしたいことを断念しなければならない時もある」
八ッ塚先生の本を読み
このブログ
https://blog.goo.ne.jp/fuifui_dec02/e/bc7bc960321445137bc013b9530d9684
で八ッ塚実先生の資料館の事を知った。
松永駅を降り、北口には八塚酒店があった。
テクテク歩いて町人に先生の資料館の話をして聞いてみた。
丁寧に教えてくれた。
チャイムを押し、頭を垂れて資料館を観たいことを伝えた。
資料館は家の隣の車庫の上だった。
奥さんの後に着いて階段を登ると下がり切っていないガレージに頭をぶっつけた(涙)
学級歴史年表
受け持った生徒の一人ひとりの歴史が、そこにはあった。
授業も本物を使う八ッ塚先生は「百姓一揆」の授業で番傘を買い当時の一揆で使用したという番傘をつくった。
人権がテーマの授業では
まさに本物の授業を展開しての人なのだと思う。
人権?
人権を説明する前に
権力
自分たちの暮らす社会には、様々な権力関係がある、警察と一般市民。会社の経営者と、被雇用者。学校の先生と生徒の間に力関係がある。
どのような社会においても、権力は生まれてくる。秩序をつくるために権力は必要だが、その権力を乱用することがある。
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する。」という格言もあります。
何も策を講じなければ、弱い側は虐げられる一方になりかねません。そこで、権力関係の中でも人間の尊厳が守られるように、弱い側が「人権」という概念を生み出したのです。
人権
人間が人間らしく生きるために必要な権利
あなたは、どっちを選ぶ?
生きていく日々、あなたは選ぶ!
特権・人権
みんなで生きる道・自分だけを守る道
生徒たちに考えさせる授業
生徒との絆を大切にして生きてきた八ツ塚実先生の資料館を訪ねて来て
今思う。
こんなにも膨大な資料、デジタルで保存して後の世に伝えていかなければならないと。
働くということ、お金を稼ぐということ、今の世の中お金に支配されてはいないだろうか?
そんなことを感じながら
本物の中学校教師、八ツ塚実先生の資料館を後にした。
薔薇の町「福山市」
広島県の旅、最後のレポートに
つづく
行かねばならぬ
そう思って何年もたった。
今回、思い立って行くことに決めた。
広島駅のコインロッカーに荷物を預け、広島平和記念公園まで走った。
あの、原爆投下の日も今日のように暑い時だったそうだ。
テクテク走っていると、やけに人が多い所に遭遇、警官・機動隊が集まっている。そんな人の向こうに原爆ドームが、あった。
73年前の今日
原子爆弾はこの建物の南東約160メートルの上空約600メートルでさく裂した。
特徴ある緑色のドームによって市民に親しまれていた、この建物は大破・全焼して館内にいた全員が即死した。
ココに来た理由は、もう一つある。
広島ー長崎リレーマラソン
の見送りである。
スタートは9時、まだ時間があるので原爆ドーム横のベンチに座っていた、その横のカメラを持っていた年配の人と話す機会に恵まれた。
元教員で徳島県の人、昔修学旅行で子供たちと何回も訪れた原爆ドームの話、精霊流しは夕方行うと教えてくれた。
川下に学校があり、原爆で黒く焦げた学校の壁面にチョークで教職員の被災状況の連絡を書いてあった、そんなお話をしてくれた。
リレーマラソン参加者らしき人が集まってきた。
見たことがある人が何人かいた
今回の
見送り隊
ピース・アイチとその仲間たち
のメンバー
私は菊池さんを慕って広島に来た。
ウルトラマラソンを知らない8年前、菊地さんに浜松駅から遠山郷までの90㎞を一緒に走ってもらった。
真夜中の道、様々な話の中に広島―長崎リレーマラソンの話があった。
その地に今日来た(走らないが、そんな走りを見送った)
真夏の暑い中のリレーマラソン
そんな人を見送って、自分はもと来た道を広島駅を目出し走りはじめる。
おっと、その前に広島中央郵便局に暑中お見舞いを投函。
デパートの前では職員がお茶を道行く人に差し出していた。
広島駅から平和記念公園まで片道2,5km
往復だから5㎞のジョグ
ロッカーで着替え、次の目的地「松永駅」行かなければ。。。
それは最近読んだ本
ヤッつあん先生の「人間学」
大人になるということ
思春期という節目
本の著者
八ッ塚実先生の資料館に向かったのだ。
広島駅で在来線で松永駅に向かおうとしたら、先の豪雨で通行不能の区間があるらしく新幹線を利用して行くことになった。
広島駅10:59発
⇩新幹線
三原駅11;25着
三原駅11:29発
⇩山陽本線
松永駅11:55着
山陽本線の舎窓から先の豪雨の影響か崩れている山肌がいくつも見えた。
そういえば、リレーマラソンの菊地さんは4日5日と災害ボランティアに行って来たといっていた。
隣の家は被災していないのに、すぐ隣の床下は泥だらけだった、といっていた。
運がいいとか悪いとか、人はトキドキ口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見ててそう思う。
見る・看る・観る
よ~くみる
八ッ塚実先生の資料館に
つづく
家族とは?
今年の2月に行った
まちむらリレーション市民交流会議
そのとき講演した
熊本大学名誉教授 徳野貞雄
「『集落ドクター』から見た地域再生:世帯と家族は違う。子供は近場にいる」
その録音を聴きながら朝のジョギングをした。そこに
家族とは?
との問いが出ている。
行政は住民台帳で、その地域の人口を調べ減った減った大変だ村が無くなる地域が無くなると騒いでいる。
家族とは?
あなたの家族は誰ですか?
その問いに
「今現在一緒に暮らしている人」
と、ほとんどの人が答える。
嫁に行った娘は家族ではないのですか?
単身赴任で東京に住んでいる夫は家族ではないのですか?
答えに杞憂する我々。。。
家族とは?
で
◆家族とは「綿たっぷりの掛布団」である。重たいけどあったかい。決して羽毛布団ではない。
ゴンタ選手さん
◆愛し合っていた妻と、愛しているのに無視する娘と、両想いの犬。
うたまるさん
◆いちばん「ありがとう」を伝えるべきなのに、いちばん「ありがとう」って言いにくい人たち。
Ike Hiroさん
◆私が私でいられる存在。
pinkcatさん
◆大人になるにつれ、その尊さを理解できる存在。
柱くだるさん
◆喧嘩をしてもご飯が用意されていたり、られても決して見捨てることをしない者のこと。どんなことがあっても自分の味方でいてくれる存在のこと。
ふうちゃんさん
◆無償の愛をくれる大切な存在。
大根さん
◆迷った時も、寄り道した時も、嵐にあった時も、長い旅に出た時も、どんなときでも、いつも最後に迎え入れてくれる港。
papankoさん
◆生まれて初めて出逢う最小単位の社会。その単位は必ずしも血縁者や人類に因らず、共に生きる、住む、心を通じ合わせる生物も含む場合がある。
ゆうこさん
◆時々面倒で、近くに居すぎて大切さに気付きにくいもの。
aiaiさん
デジタル大辞泉から引用
こんなページがヒットした。
家族とは?
共に生きる、住む、心を通じ合わせる生物も含む場合がある。
私の家には文鳥が一匹いる、それも家族
我が家の先祖には戦争に行って帰ってこれなかった家族もいる。
熊本大学名誉教授 徳野貞雄先生も言っていた。
亡くなった親兄弟その他の人も、心に残っている家族だと。
海抜0メートルから日本一の山富士山(3776m)までを目指そうというマラニック(マラソン&ピクニック)
凄いのは
富士山頂(3776m)剣ヶ峰を極めてから、もと来た海抜0メートルまで帰って来ること。
帰りの五合目からの真夏の走り歩きは厳しい厳しい道程である。
人はそれを
ゼロ富士という。
今年は、そのゼロ富士を走らないことに決めた。
DNSすることに、決めた。
環境省のホームページで0泊2日の弾丸登山を危惧している。
ゼロ富士は海抜0メートルから3776mまでの往復を丸一日(24時間)かけてのマラニックだ。
普通の人では考えられない事かもしれない。
しかし考えてほしい。
今の便利な世の中に暮らしている人に、これからの日本を先進国の行く先を、考えている人に。
車の社会になり、今でこそ五合目からの登山が不通とされてはいるが、先人の富士山詣ではみな自分の足で頂を目指したのだ。
末法の時代
末法というのは、仏の在世から遠く隔たったため、教法が次第に微細・瑣末になり、僧侶が戒律を修めず、争いばかりを起こして邪見がはびこり、釈迦の仏教がその効力をなくしてしまう時期とされる。 ウィキペディアから
自分のことは棚に上げ、人のことばかりを指摘する時代と解釈する。
そんな時だからこそ、
ゼロ富士は、自分にとっての修行と考える。
富士山世界遺産の決定 2013年
富士山頂往復マラニックは 今年で16回目になる。
毎年、夏 何人かの兵が富士山頂を目指し、海抜0メートルに帰って来る。
今年は、その兵の一人ではないが、遠く富士山の見えない佐久間町から
有徳の国、富士の国の静岡県民の一人として応援している。
105歳
どうしても遺しかった言葉
を読み。
10年前に買った日野原先生の本
(続)生きかた上手
を読み返している途中です。
最初のページに末期のがん患者の人からの、お手紙が紹介されていた。
71歳の患者さんは、末期の癌であることは知らされてはいるが「死に対する恐れとか不安はあまりない」と書いてある。
それは
日野原先生の「生きかた上手」の本を何十回となく読ませていただいたからだと書いてある。
「まず人間の不完全さを謙虚に自覚する」
「患者のあなたへ、自分の身は自分で守る」
「患者さんを苦しめてはならない」
「音楽には病む人の心とからだを癒す力があります」
等々の言葉から勇気をもらっている、と。
モルヒネで痛みをうまくコントロールしていただいており、音楽療法として日本の名曲、唱歌を聴き、朝夕には瀬戸内寂聴さんの般若心経と法話を聴いて涙したり大笑いをしたりと、とってもいい時を楽しませていただいています。
と書いてあり、それもこれも「日野原先生のご本のおかげ」と。
生きていることの意味は、その長さよりも深さです。
日本は世界でも長寿国と言われている。
この日本で、いまの時代に生きている。
アタリマエのことではなく、アリガタイことだと思って生きていくこと。
日野原先生の本
(続)生きかた上手
読み返していこう。そう思っている。
出逢い
それは良き人との出逢いであったり、良き本との出会いであったり。
浜松市の山間部。
佐久間町では夏祭りが主だ。
半場地区は毎年七月の最終土日に行っている。
ココに越してきたのが平成1年3月
毎年、お祭りに参加してきた。
地域の行事に参加することは、アタリマエと思って参加してきた。
今日は神楽舞の練習は休みになった。
https://www.youtube.com/watch?v=NUi1OyyGLqo
暑い熱い
夏がやってきた。
富士山頂往復マラニック
田子の浦港「みなと公園」から富士山頂に剣ヶ峰に行くのだ。
この挑戦の始まりは
7年前
息子が富士吉原に就職が決まった時
アパートに泊まった次の日の朝、スタート地点である田子の浦港に行った時、そこからの富士山に魅せられて決めた。
その年、申し込みをして始まった自分の挑戦
2011年、この夏は、走れなかった。申込はしたが、、、。
2012年、時間外完走
2013年、時間内完走
1014年、時間内完走
2015年、時間内完走
2016年、富士宮から電車ワープ
2017年、時間内完走
そして、今年
2018年
は、どうなるか?
暑い熱い
富士山頂往復マラニック
この挑戦の一番の難所は、帰り。
富士山五合目に下りてきて、そこからの踏ん張りにある。
暑い熱い
富士山頂往復マラニック
ゼロ富士
自分の消えかかった炎を再び燃え上がらせようとする挑戦である。
森町三倉
修身教授録
大人の
読書会&勉強会
第33講 ペスタロッチ―断片
いつもは、白墨入れの小箱以外には、何一つ持たない先生が、今日は珍しくも書物数冊と、「渾沌」(雑誌)とを持って入ってこられた。そして右のような題を書かれた。
渾沌とは
中国の神話に登場する怪物。目があるが見えず、耳のあるが聞こえない。
森信三先生の気迫がこもった授業の始まりである。
第34講 国民教育の眼目
かくして今日教育の無力性は、これを他の方面から申せば結局「志」という根本の欠けているということでしょう。
原文まま
昭和初期、戦前のとき、森信三先生はこう思っていた。
「志」
ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標、使命。
心の持ち方。信念。志操。「志を高く保つ」
わたしの「志」、使命
先日、出した暑中見舞いに書いてある。
命の炎を燃やし走り出さねば。
人は生まれやがて死んでいく、この時代を
生きている自分が何を残せるか?
一人でも多くの人に『遠山郷・北遠』の
素晴らしさを経験していただき
その価値を伝えていくことが
私の使命だと思っています。
今月の勉強会&読書会
「志」の事について考えた。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
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