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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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浜名湖リゾート&スパ ジオーシャンに早く着き○田さんに出会い、世間話をして受付を手伝ってと言われた。
OKとばかりにやるようになった。
昨日書いたように顔は見たことがあるが、名前が、、、、。
そんなことがある。
自分の夢Tシャツの事もあるので、ほんとうは誰かにやってほしかった。
が、いつもお世話になっている○田さんのオネガイだ。受付を優先にしなければならない。

大○さんが申込書にハンコが無かった話がでる。
「私のはハンコを押してほしい」
大○さんは大○さんで言いたいことはある。
「わかったわかった、これから気を付ける」
大○さんがそう言って受付である私に参加誓約書を渡した。
その誓約書にはハンコが無かった。ガックシ。わかっているのかナ~。
朝のあわただしい時、自分のやりたいこともある。
観て見ぬふりをして、黙って受け取った。
忘年会が終わって○田さんが参加誓約書を確認して後で叱られるかもしれない。と思った。
が、そのときは、私はこう判断した、そのときは黙っていた。
「わかったわかった、これから気を付ける」
と言った大○さんにコッソリ伝えた。
私 :「ハンコなかったョ。気をつけて走ってネ」
大○:「えっ無かった。如何しようか~出すのヤメル」
○田さんに言われたら忘れたと言って謝っておく。
○田さんの気持ちは痛いほどわかる。大○さんの気持ちもわかる。

そんなこんなで時間が経って、スタート会場へ

2018年
浜名湖半周忘年ラン参加メンバー
女性15人 男性24人

わたしは先週の袋井クラウンメロンマラソンの残念な結果を払拭するように前を走った。
といってもマラニック、お話ししながら走った。
世間話をしながら走るのがマラニックの良いところ。
トモゾウさんと竹○さんと、ウッチャンがバカ速い 凄い人だと話をしていた、すごいナ~っと。
浜名湖を眺めながらのジョギング、すると、後ろからきた、元気100倍のウッチャン。
今日はヨッピーのリックを背負っての参加だそうだ。

左からトモゾウ・カッちゃん・ウッチャン

マラニックはこのスタイル。
リックに必要な物を詰め込んで走る。
その必要な物は自分で考える。他の人に聴くのもいい。それを参考に自分で考えて必要な物をそろえる。
なにか大切なものを忘れた時、他の誰かが持っていて助かる場合もある。例えば絆創膏や痛み止めなど。
基本は自己責任。いつも誰かが助けてくれるとは限らない。

舘山寺に着きコンビニで買い物。○崎さんは缶ビール。美味しそうだった。
去年までだったら舘山寺から遊覧船で瀬戸港まで行くのだが、台風24号の被害により営業を中止しております。と、なっており。天竜浜名湖鉄道の気賀駅まで走ることになる。
舘山寺から浜名湖100㎞のコースだと思い初参加の女性ランナーと一緒に気賀駅を目指した。
ところが、○田さんがメールで添付したコースは違っていたそうだ。
(添付のコースマップは見ていない、どうせ一緒だとかってに思い込んでいた)
また○田さんに叱られる(泣)

○田さんには悪いが、浜名湖100㎞のコースの方がわかっているし、浜名湖沿いだから景色も良いから、指定した道から外れ浜名湖100㎞のコースを選んだ。
後ろから佐久間で市町村駅伝が縁で知り合った○出さんが「コースどっちですか?」と尋ねてきた。
男性二人が正規のコースを行くので、私たちは浜名湖100㎞のコースに行きます。男性二人が行くコースが正規のコースです。と答えた。
ついでに
「ちなみに男性二人は独身です」
と冗談を言ったら、隣の女性が笑った。

初参加の女性と二人走っていたら前方に初参加の人と一緒に来たという女性が走っていた。
初参加の女性が言うには、彼女は奥の細道、芭蕉の通った道を走ったという。
その女性に追いつき、その話を聞くと
芭蕉の句を一句
「蚤しらみ馬の尿する枕もと」
 芭蕉が一夜を過ごした家に行ってきた話をしてくれた。感動したと話してくれた。
女性が一人で奥の細道 全行程600里(2400キロメートル)を走ったのか~。
日本は治安がいい。世界に誇れる国だ。
(税金は高いが)

気賀の関所に着いた。
ココは去年の浜名湖一周100㎞で、城西小学校5・6年生のときの担任の先生にウン十年ぶりに出会ったところだ。
去年のブログ
ぐるっと浜名湖一周エンジョイ・マラニック2017

気賀駅は気賀の関所のすぐそばだった。
わたしの娘のアパートが近くにあるので届け物を持っていく。
帰って来て気賀駅に着いたらみんなビールを飲んでいた。
俺もと思ったが、自動販売機の日本のサイダーで我慢した。

気賀駅で集合写真、気賀駅は直虎ブームの面影があった。
酒飲んでいなかったけど酔っ払い状態だった。
電車が来て、天浜線に乗り込もうとしたら。ポケットの中にあるはずの財布がないのにきずいた(汗)

つづく。

 

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今年は行かないようにしよう。
そう思ったけど、二度目の お誘いで参加するようにした忘年ラン。

昨日の日曜日、中部天竜駅から始発の電車に乗った。
今回は乗客は二人だった。

話しは変わるが、川村カネトの合唱劇を観たことがある。
昔、NPOがんばらまいか佐久間の活動委員会に入っていた頃だ。
そんな物語があったとは知らなかった。
遠山郷の観光協会の会長と知り合って、様々な事を話すようになった。
「何時かは飯田線も奥三河から廃線になるかもしれてない。」
「そうならないように飯田線を利用する企画の考える」
遠山郷の人たちで豊川稲荷へ行ってきたと言っていた。
また、浦川の知り合いから、こんな話も
PTA会長だった彼は合併時に中高一貫だと浦川中学校と佐久間中学校を統合させた時に、通学時に不便だった飯田線のダイヤを改正してくれないかと豊川駅までPTA役員とでかけたそうだ。
その時、丁寧に対応してくれたJRの人に、このように言われたそうだ。
「ところで今日はココまで何で来ました?」
「車です」
「こんな時は飯田線を利用してほしかった(笑)」


飯田線にゆられ豊橋駅について、東海道線の浜松行の電車に乗った。
大きいリックだったので出入り口の所で立ってスマホを見ていた。
鷲津駅を過ぎたのは気付いたが、スマホに夢中で次の駅で降りてしまった(泣)
一駅手前の新居駅(汗)
寒いホームで二十分待って次の電車で一駅前の弁天島の駅に行った。
中部天竜駅~弁天島駅まで1660円

浜名湖半周忘年ランの集合場所は弁天島駅前の浜名湖リゾート&スパ ジオーシャン
そこに8時には到着。
ロビー内のにあるカウンターでラーメンを食べた。
冷えた身体に温かいラーメンは美味かった。
欽ちゃんヌードルだけど。。。

そのうち呼びかけ人である○田さんが来た。
受付を頼まれる。
参加者名簿の人たちは知っている人が多い。
しかし、顔を見ても名前が出てこない。
名前は思い出しても、苗字は何だっけ
そんな状態だけど、○田さんは違う。出会うと瞬時に名前を呼ぶ。
素晴らしい。
この人の頭はどうなっているのだろう。
長年付き合って分かったことは、頭の中が整理整頓されている、こと。そう思った。
鍵山さんの本「掃除道」を読んでも、整理整頓されている。
その人の身の回りの整理整頓が、同じように頭の中も整理整頓されているのだナ~っと、思った。
自分は、昨日酔っぱらって帰って来て、脱ぎ散らかした服がある。
あ~あ。
頭の中も、こんなのか。な。

つづく。
 
写真はウッチャンから お借りしまし(笑)

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佐久間町に帰って来て職場の人から佐久間駅伝に誘われて走りはじめた。
20歳代の後半
今もヨタヨタだが走っている。
いろいろあったが続けてきて良かったと思っている。
 

志ネットワークの上甲晃さんも到知の対談で続けてきたことが一番良かったと書いてあった。
あなたの志は何ですか?

佐久間町が合併して自治地区として消滅したときから地元の人で立ち上げた佐久間中学校の同窓会も毎回参加している。

三日坊主
続けることは難しい。
なかなか出来る事ではない。
最近「掃除道」という本を買った。
日本を美しくする会
鍵山秀三郎さんの本だ。
徹底した掃除の本だ。

掃除か~。
なかなか難しい。
とりあえづ今朝、茶碗を洗ってみた。

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2013年12月10日のブログ
限界集落株式会社
そんな本を読んで、思った事を書いた。
都会は都会で良いところもあるし大変なところもある。そう思った。
わたしは、その限界集落と言われる横吹(ヨコブキ)という村に住んでいた。そこは山の中腹にあり斜面集落とも言われている。
小学校は城西小学校、中学校は佐久間中学校、どちらも国鉄(現在JR)の相月駅を利用していた。
飯田線
(中部天竜駅~佐久間駅~相月駅~城西駅~向市場駅~水窪駅)
相月駅を利用している主な村は(相月・島・横吹・立原など)
学校に通う人は相月駅を利用する。
水窪川を挟んで急峻な山がそびえる、横吹という集落は水窪川の西側にある山の中腹にある斜面集落だ。

佐久間中学校を卒業し、就職したところが静岡県湖西市鷲津2418「富士鐵工所」。
鉄工所の寮生活が始まった。そこには寮の歌があった。
わーしづのええきを南ゆき~♪。ドンドン歩くと見えてくる。
ゆけ~。ゆけ~。フジテッコーへ~フジテッコいいとこ良いところ~。。。
だったっけカナ(笑)

初めての喫茶店
お腹がすいて友達と喫茶店なるのもへ入った。
その友達は定員さんに
「スパゲティー、ナポリタンで」
と注文。
自分も同じものを頼んだ。
スパゲティーは知っているテレビで見たことがある。しかし、ナポリタンとは?
今のようにスマホで直ぐに検索できる時代ではない。
定員さんがバスケットにいれた様々なものを持ってきた。そのうち鉄板にアツアツのスパゲティーを運んできた。
友達がチーズを入れるとおいしいと言って粉チーズを振りかけた。
そうか~。このバスケットの中のものは自由に使っても良いですョと出したのか。
わたしは粉チーズを振りかけ、同じように赤い細長い瓶の調味料らしきものも同じぐらいの量振りかけた。
ど辛った。食べれたものではなかったが、腹が減っていたしモッタイナイから全部食べた。
湖西には喫茶店にはスパゲティーにはナポリタンとイタリアンがあるそうだ。ソースとパスタが一緒か別々の違いだそうだとか。
そんなの如何でもいいジャン。腹に入れば一緒になるジャン。と思った。
八百屋の前を通って、店先に柿が並んでいた。
斜面集落「横吹」に暮らして、水窪や佐久間の商店街に行っても柿 は売ってはいなかった。
柿は買うものではない。他所の家の庭の木に生っているのをかっぱらって食うものだ。
いや修正、柿は自分の家の庭の木から手で取って食うものだ。そう思っていた。
 

そんな田舎者のわたしも数年たてば、郷に入れば郷に従えの如く都会の生活になれてきた。
柿もスーパーで買うことができる。
喫茶店でスパゲティーを注文して、タバスコを多く振りかけることも無くなった。
そんな慣れた土地だけど、長男ということで横吹に帰らないと。月に帰るかぐや姫の心境に。。。
昭和の終わり。また長男は跡継ぎ、家を守っていく、日本人として当たり前のこと。だと。
二十代の若造にも感じていた。少しだけど。。。

斜面集落「横吹」に帰って、次の年小渕官房長官がテレビで「元号は平成です」と、伝えて、元号が昭和から平成になった。
その年、私たち家族は車が家まで入ることができる佐久間町半場に越してきた。
もう、サクドウにたよることも無くなった。
サクドウとは?
道路が家から遠い人が駐車場から自宅まで繋ぐゴンドラのような物

しかし、この半場、昔あれほどいた同級生が誰も居ない。みごとにいない。
立派な家に老夫婦だけの家が多い。
小学校が近く中学校も近い。県立高校もすぐ近くにあるのに。如何して。
ここ半場で消防団の付き合いが始まったけど、同級生が居ないのは一抹の寂しさがあった。
佐久間消防団は人口減少でも定年の延長は無かった。町長の挨拶では
「定年を延長しても、それは延命処置にしかならない」だった。
立派な町長だった。
人口減少に伴い団員数の減少、隣町中部との合併になった。
佐久間中学校の同級生も数人いた力強かった。
バカが多かった同級生でも消防の役員をやるようになってきた。
収支収入書の書き方を丁寧に教えてもらった役場に勤める一級年上の人がいて本当によかった。
中部の祭りに行って騒ぎ、バカな同級生が「俺はこの街が好きだ!」「だから帰ってきた」と言っていた。


平成17年(2005)佐久間町が浜松市に合併し、平成19年(2007)その浜松市は政令指定都市になった。


限界集落とは、社会学者・大野晃が、高知大学人文学部教授時代の1991年(平成3年)に最初に提唱した概念である。


佐久間町(さくまちょう)は、かつて静岡県磐田郡に存在した町である。
2005年(平成17年)7月1日、周辺10市町村とともに浜松市へ編入合併され消滅した。
ウィキペディアから。
昭和31年(1956)から平成17年(2005)から49年続いた佐久間町は自治地区としては消滅した。
役場の職員、町議会議員が代表として山間部の地域にはこれ以上の延命処置はできないと、最後の酸素吸入器を外したのだろう。

平成の市町村合併、佐久間町の自治地区としての消滅して数年たって東日本大震災が平成23年(2011)にあった。
合併時に始めた佐久間中学校同窓会の二回目のときだっただろうか。
酸素吸入器を外された佐久間町で浦川の清流荘でやった同窓会だった。

わたしの職場に電気工事の人が来た。
その人と親しくなり何でも話すようになる。
昔、親は西渡(にしど)で鍛冶屋をやっていたという。
「よかったゾ~。親が引っ越してくれて」
人の気持ちも知らないで(怒)
「もうちょっと頭がよかったらわかりそうダニ」
とも。
どうせわたしゃバカだョ(爆)

諸行無常
この世の中のあらゆるものは変化・生滅してとどまらないこと。この世のすべてがはかないこと。
限界集落、わたしの生まれ育った村「横吹」は今年の夏に一人暮らしのお年寄りが亡くなり残すところあと二戸になった。

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毎年、清水寺で年末に発表する漢字が「災」になった。
これは日本漢字能力技能検定会が毎年、一般公募で集った漢字の最多の文字を「今年の漢字」としている。
応募総数は193214票「災」は20858票、二番目は「平」三番目は「終」だったそうだ。
北海道の地震、大阪市であった地震、西日本の豪雨、自然災害の多かった年だからか。また、相撲界を始めスポーツ界でパワハラや暴力事件があったからか、多くの人が、今年の一年を通して「災」いを感じたのだろう。

「災」の文字は不吉だ!!
日本には「息災」という言葉がある。
息災
病気をしないで、元気なこと。また、そのさま。「息災に暮らす」「無病息災」
仏の力で災難を防ぎ止めること。
HPコトバンクから。

日曜日の大河ドラマ「西郷どん」を見て明治維新のときの日本の動きを感じて、今の時代を感じている。
「明治」「大正」「昭和」「平成」
わたしが佐久間に帰って来て横吹(よこぶき)で暮らし始めた次の年の初めに小渕官房長官がテレビで「元号は平成です」と、伝えていた。
「平成」には「内外、天地ともに平和にしよう」という意味が込められているそうだ。

その平成の年も
平成3年、雲仙普賢岳の噴火
平成7年、阪神・淡路大震災
平成16年、新潟県中越地震
平成23年、東日本大震災
今年の7月に西日本の豪雨
と平成の時代には大きな自然災害があった。

そして平成の大きな事件といえば
平成7年のオウム真理教の地下鉄サリン事件ではないだろうか?
高学歴の優秀な人たちが無差別に、罪のない人たちを死に至らしめ、今でも後遺症に苦しむ多くの人たちの人生を奪ってしまい、人としての生き方が問われる衝撃的な事件だった。
生まれたときには純粋無垢は心も、出会う人や書籍によって大きく変わってまう。

平成30年。
佐久間に帰って来て30年。
今年の初め、佐久間駅伝の練習会で山香チームの人との集まりがあった。
山香チームといえども集まってくる人は佐久間町内其々からの人が山香という地域の呼びかけで集まってきた。
いわゆる寄せ集め。
練習が終わって、集会所に集まると、ある浜松市の職員が佐久間協働センターのセンター長からの年賀状の住所が浜北になっていたとコソっと喋ってから市の職員たちは輪になってコソコソ話し出した。
その時は何だか分らなかったが、後から聞いた話によると、まだ定年二年前で浜北に家を建てたそうだ。
わたしの暮して居た横吹(よこぶき)区ではヒーロ―のような存在だった今の協働センター長。頭も良くてスポーツ万能。当時山間部では佐久間町の役場に勤めていることは大きな魅力の一つ優秀な人の一人だった。
「明治」「大正」「昭和」「平成」時代は変わって今は自由な平和な世の中だ。
 そのセンター長も、佐久間で生まれ佐久間の役場に勤め、その職場で多くに人に出会い「昭和」「平成」と生きてきて、今の決断に至ったのだ。

しかし、佐久間ダムという巨大プロジェクトで一大王国をきずいた地域、佐久間村・城西村・山香村・浦川町が合併して出来た佐久間町。
平成という平和な世の中の時に、合併という国からの要請を了承した。
その佐久間町という王国が浜松市への合併で崩壊した今、まず先に脱出するのがその大国に使えていた人だとは怒りより先に悲しい出来事だった。

 

最後に佐久間高校で知り合った柿島先生のFBの投稿が胸を刺した。

12月13日 わたしの道

あなたはあなたの道を行け
 わたしはわたしの道を行く
 これがわたしのすべてだ。そのために不幸になろうと孤独になろうと、敢えて悲しむまい。詩はわたしにとってこれを貫く矢のようなものだ。そういうことを目覚めて強く思う。もう誰も何者をも羨むこともない。自分は自分の道をまっしぐらに行けばよいのである。勤めをやめてから、このことがいよいよわたしの骨髄を一本強く貫いた感がする。

 坂村真民 一日一言より

参考文
平成30年12月13日中日新聞
到知出版社「おかみさん他より」

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地域的には浜松市の最北端の街、水窪町。
気候的にはサブイ(寒い)冷える、くそ寒い。
土曜の夜は、その水窪の街で水窪のNPO「山に生きる会」の忘年会だった。


お酒を飲む前に
平成30年度 山に生きる会 実績報告《中間12月現在》
平成30年度 中山間地まちづくり事業収支予算書(中間12月1日現在)


説明が終わり。
顧問の人から森林の整備の話、ドブロク特区の話が出た。


水窪の地で酵母を採取し、水窪でしかできない酒を造る。


忘年会が始まり、ドブロク特区の話題なのか、宴は盛り上がっていた。


年齢的には高齢者だけど、瞳が光輝いている。


浜松市北の果て、気候的には厳しい地域だ。

過疎高齢化で人口が着実に減っている、しかし、そこには希望・夢ある。その様に思う。


人々も、お酒の酵母も、厳しい自然環境だからこそ、義理・人情のある人々、お酒は味わい深いドブロクが育まれるのだろう。
キット。

最後に山の会の若者から、、、。
来年度、水窪に移住してくる人の話が合った。
小学生の子供を連れて世界的に有名の人が来るそうだ。

俺がキンタロウ?と尋ねると
「違います」
と答えた(笑)

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12月に入り、年末。
日曜に走った袋井のマラソン、そんな日から日本列島にも寒波が到来だ。
マラソンの疲れも癒え二日後、今晩から走ろうか?
夕食前の晩酌時に思った。
ところが夕方から降り出した雨が室内でも聞こえてきた。
今日は走らない。缶ビールで終わりにするはずが日本酒に手が伸び、気持ちよく酔いが回ってきた。

着信あり。
城西のラン友(マボー)からだ。
気持ちよい酔い心地は一変した。
佐久間駅伝の実行委員会の日だ!!!!

何食わぬ顔で会に参加し、資料を頂き、時間が過ぎ会が終わった。
部長が私の基にツカツカト来た。
「先日のトン汁の用意を手伝えれるカ~」
ビックリ。怒鳴られるかと肝を冷やした(汗)

「予定は空いてます。任せてください」
他の人から
 「ボランティア二人頼めるカ~」
「任せてください」

安請け合いしたけど、大丈夫だろいうか?
帰りは歩いて帰った。
冷たい雨が降り、水たまりを踏んで靴がビシャビシャだ。
今週の予定
12日(木)
夕方4時半、峠の綱引きSBS静岡で放送、私たちでるかも。
14日(金)
安全協会朝7時15分

どんなに便利なスマートホンより。
やはり心配してくれる友達がいてくれることに感謝だナ~。。。

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30歳代前半、初マラソンが「磐田大藤マラソン」次が「小笠・掛川マラソン」次がココ「袋井クラウンメロンマラソン」だった。
初マラソンを走った時、マラソン(42,195㎞)とは、こんなに大変なのかと、思った。
そんな大変なマラソン(42,195㎞)今は年一回、毎年年末に行われているココの「袋井クラウンメロンマラソン」が一本だ。
袋井クラウンメロンマラソン2016
袋井クラウンメロンマラソン2017

このマラソンに向けて朝ラン10㎞、続けていた。
それが続けられなくなって、迎えたマラソン。
前日は水窪で「山に生きる会」の忘年会だった。
水窪を朝5時に起き、水窪協働センター前の駐車場に置いた車で袋井を目指した。

いつもの仲間とであい。
走る用意をしてスタート地点に向かった。

スタジアムの陰で4時間半の列は冷える。前列に行くと編み笠のgakuさんを見つけ横に並んだ。
フルマラソンの部スタート9時10分
エコパスタジアム内から多くのランナーがフルマラソン(42,195㎞)先のゴールを目指した。

気負いは無かった。
走り込みも満足に出来なかったから。
しかし、4時間半までにはゴールできるかナ?安易に考えていた。
知り合いのランナーが次々と私を抜き去っていく。
あの人は、まあ、と思い自分のペースを守って走る。
後半にエネルギーを残す。そんな走りだ。と。
「ブログ覗いていますョ~」
そんな声をかけてくれる人がいた。
ワラーチ(サンダル)で走っているような音がしてきた。
浜名湖100㎞で知り合った人だ。
関東から袋井に走りに来た女性ランナーが居た。
袋井の田園風景に感動していた。
袋井クラウンメロンマラソンは。電車の駅からも近く東名高速道路の袋井インターからも近く、遠方から参加のランナーからも高評価だ。
参加料6000円も魅力の一つではないだろうか?

ワラーチの男性と並走していたが、いつの間にか着いていけなくなった。
中間地点を越えたあたりだろうか、人黙りがあった。
AED(自動体外式除細動器)を使って一人のランナーに施していた。
坂道の途中だった。

周りでは苦しそうに走っている人もいる。
自分も苦しい。
次の坂は歩いた。
歩いても走っても同じようなスピードだし。

それでも、周りの流れに沿って走った。
萩田さん下さんサクラさんエイド発見!!
サクラさんに声をかけ腰を下ろしトン汁を頂いた。
三人、多くのランナーにトン汁お汁粉の接待で大変そうだった。
その後、下さんには挨拶できたけど、萩田さんは忙しそうで声かけられなかった。
残り9㎞、少しお腹の調子も悪かったけど下さんの激励で力が沸いた。

歩くようなスピードで走る。
4時間半という目標は当に捨てた。
最後の直線、隣に同じように歩いている人に声をかけた。
自分の息子のような年頃の青年だ。
関東から来たそうナ。
日光の60㎞を走ったことがあるそうだ。
たわいもない会話の中、大きい身体を揺らせ私たちを抜き去って行くランナーが。
「杉浦さ~ん」
声を掛けたら、杉浦さんだった。

その後、その杉浦さんは風のように私たちを後にして走り去った。
私たちは二人、最後のエイドまで歩き、そこを過ぎてから走り出した。
無理はよくない。しかし折角ここまで来たのだ、最後の坂は苦しもう。
ホ・ホ・ホ、苦しい~。。。

僕は僕であって僕でない。
僕の無口な心臓は一定の速度で膨張と縮小を繰り返している。僕の肺は働きもものふいごのように律儀に、新しい酸素を体内に送り込んでいく。
先日読んだ村上春樹の本からの引用だ。

神様から借用している。
大切な身体、有難いことにゴールまでの時間を共にした身体。
その時間は5時間03分23秒

 

2018年も多くのことがあったが無事にゴールで来た。
袋井マラソン、2018年は年末を迎える。

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11月の終わりに百田尚樹の『日本国紀』を読み終わった。
神話とともに誕生した日本。私たちは何者なのか――。 天皇を中心に、独自の発展を遂げてきた、私たちの国・日本。
百田尚樹ならではの切り口で教科書では教えてくれない日本史が書いてあった。
『日本国紀』を読み終わって、その余韻もまだ残る中に、わたしの手元に届いた
 
『佐久間の民俗』という本

この本は遠州常民文化談話会の人たちが佐久間町のことを調べ一冊の本にしたのだ。
ソレゾレの担当の人がソレゾレ調べ書いている。
第一章
環境と生業
第二章
産業
第三章
社会組織
第四章
交通・交易・運搬
第五章
衣・食・生活全般
第六章
年中行事
第七章
人生儀礼
第八章
信仰
第九章
祭礼と芸能
第十章
民話・昔話
第十一章
佐久間のくらし(衣・食・生活全般)
資料編 参考文献
おせわになった方々
で構成されている。
はじめにP9~編集後記P463
佐久間の民俗の歴史が、この分厚い本にまとめられている。

『日本国紀』はAmazonで注文し私の手元に届いた。
『佐久間の民俗』は12月の初め遠州常民分化談話会代表の名倉さんから頂いた。
それは、もっと前の話になるが、昔水窪で学校の先生をやっていた方から携帯に着信があり「城西地区にある横吹の話を聞きたい」その問いを承諾し、話をしたことが切っ掛けである。
協力者には無料で配布してくれるそうだ。
『日本国紀』と『佐久間の民俗』たまたま出会った二冊の本、自分の生れた国の話、自分の生れた佐久間の話し。
深い深い縁を感じる。
 
ブログ
第30回 常民大学合同研究会 だそうだ。。。 
田舎が注目されている。大学の研究材料だそうダ、、、。
 

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今年の9月、森町三倉(ムーハウス)での勉強会&読書会で自分の生き方の話し合いの中
男性K
「10年20年先のことより100年もの先を考え生きるべきだ!」
そんな話が合った。

先日送られてきた「到知」一月号の特集は国家百年の計、
こんなことが書かれていた。
会社が発展するには、経営理念・ビジョンをもたなければ発展することはない。国とて同じ。
日本に国家百年の計があるのだろうか?
松下政経塾の塾頭を務めていた上甲晃さんの話が合った。
松下政経塾とは、松下電器の創業者松下幸之助氏が1979年(昭和54年)84歳にして、未来のリーダーを育成するために設立した。
私が19歳のとき、政治の世界ではロッキード事件、政治と金の問題があった時代だ。
そんなときに私財70億円を投じ松下政経塾を創った松下幸之助氏は八十四歳であった。


また今回の「到知」に、その松下政経塾の第一期生
松下政経塾元塾頭
上甲晃氏
参議院議員
山田宏氏
衆議院議員
逢沢一郎氏
衆議院議員
野田佳彦氏
の対談がある。
まさに松下幸之助氏の想いを繋いでいる人たちだ。

今回、9月の森町三倉にて男性Kの話を思い出し。
先日、家に届い到知を見て四人の対談を読んで。
また、最近読んだ本 百田尚樹の「日本国紀」
佐久間町いや北遠の100年後はどうなっているのだ?
そう考えた。
 
松下政経塾 卒業生一覧
https://www.mskj.or.jp/almuni/list/

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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