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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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百田尚樹、2009年発売の作品である。
題名だけで買ってみた。どんなのだろう?と思いページをめくった。
第一部
帝国の娘
その横に、オオスズメバチの事が説明してあった。
スズメバチの物語か~。
主人公である働き蜂マリア、巣から飛び立ち獲物を探す。
そんなところから物語は始まっていく、読み進んでいくうちに多くの蜂その他の昆虫が出てくる。
それぞれの虫の一生がある。
オオスズメバチのワーカーは30日という短い命だ、その命を懸命に生きる働き蜂の物語、
オオスズメバチの帝国に生まれたワーカー(働き蜂) マリアは、幼い妹たちと‘偉大なる母’のため、恋もせず子も産まず、ある日突然おとずれる最後の日まで命を燃やして戦い続ける物語だった。
主人公である働き蜂マリアの目線で描かれた感動の作である。

マリア、オオスズメバチのワーカー(働き蜂)何のために生れてきたのか。
宿命
自分は恋いもしない、子供も産まない。
ただ帝国のために戦って餌を捕獲してくる、こと。
そのように生まれてきた。
が、最後、、、、。

多くの資料から昆虫の生態を調べ書き終えた作品である。
物語の進み方、それ以上に昆虫たちの其々の生態を学べる本だった。
最後に「解説」として
東京大学名誉教授 養老孟司先生の言葉が書いてあった。
養老孟司先生は、だいの虫好きとして有名である。
その養老孟司さんの言葉の中に
主人公はオオスズメバチの働き蜂マリア、優秀な狩人、自分の巣つまり「帝国」のために一生を捧げる。ここでまた、つまづく人がいるかもしれない、大日本「帝国」のために命を捧げたのに、いってみれば、ほとんどなにもならなかった人たちがいた。私より年上の人だったら、心の奥底にそんな記憶を隠し持っているかもしれない、まあ、もはやその人数は少ないと思うけど。
 いまはスズメバチは完全に悪役になった。秋の遠足でスズメバチの巣が見つかると、たぶん役所の人か、専門の業者が呼ばれて、たちまち退治される。ハチの行動をよく観察して、攻撃されないようにする、そんなことはふつうの人は考えない。
原文まま
昆虫嫌いな人もいる。ハチ、ハエとか蚊、そんなものは「いない方がイイ」そう感じている人もいる。
そんなふうに感じている人たちこそに、この
は読んでほしい、と書いてあります。
オオスズメバチという生き物が、日本に、人類がやってくるよりもはるか前から住んでいた。

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藤原さんの本は
「坂の上の坂」を読み今回「改革はいつも、たった一人から始まる」は二冊目だ。
この本は
序章
「常識」や「前例」を疑う
思考法の鍛え方
第一章
「ないのなら、つくればいい」
藤原和博は、時計も編集する
第二章
一台350万円超の、奈良で生まれた「型破り」なかき氷マシン
第三章
「子供たち」の未来をつくろう。
大金持ちでなくてもできる世界貢献
第四章
スマホから発注できる学生服
「ichijo」
第五章
史上初、隈 研吾が設計した
「公立校の新講堂」
第六章
「背負える」キャリーバックでつくる
新しい常識
中でも私の心に残った
第三章
「子供たち」の未来をつくろう。
大金持ちでなくてもできる世界貢献
キングコングの西野さんと、ラオスに学校をつくろうと奮闘している、そんなことが書いてあった。
国ではなく、個人的に
今後も、この活動を活発にしてアジア全域に三万校、日本と同じだけの学校建設を支援できたら
「国際親善」「民間外交」「安全保障」
三位一体で実現できる。
そんな夢を見ていると書いてあった。
夢の八訓
夢のある人は希望がある
希望のある人は目標がある
目標のある人は計画がある
計画のある人は行動がある
行動のある人は実績がある
実績のある人は反省がある
反省のある人は進歩がある
進歩のある人は夢がある
まさしく夢ある行動派の藤原さんの本だった。

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今、DIY家でコツコツやっている。
何か必要なものが無い。たりない。売っているところが無いため、遠くまで買い物に行く時がある。
不便を感じる。時がある。

人は、自分にとって、自分が考えることが、優先される。
不便だな~っと思えば不便だ。

しかし、そんな不便な大変な思いをして造った、自分のお城。
自分なりに、満足。。。

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何回も言うようだが、戸口山は地元では、別名三盛山(みつもりやま)と呼ばれている。
見よ赤石を かたどれし
わが校章の 三つの山
と佐久間の高校で校歌として歌われている。
そして
希望・健康・叡智をば
示すを常に うち仰ぎ
と、その校歌は続いている。

写真は佐久間町の豆こぼしトンネル(国号473号線)の佐久間から出口付近で撮ったものだ。
左から
「希望」「健康」「叡智」
とした。
今回、道に迷った。
「叡智」のところで、写真のように、尾根沿いに降りてこなかった。
道が整備されている方うに歩いて行ったのだ。
リボンもあり、どんどん降りていくと、山の作業道が至る所に出来ていて、その道も消えていた、それでも目を凝らして降りていくと、廃車のマイクロバスがあった。
そこからは、山道は分からなく作業道沿いを歩いていく、すると沢の流れる音が聞こえた。
完全に間違えたな。
そう思って、もと来た道を(作業道沿い)を歩いていると、前から人が三人歩いていた、声をかけると、佐久間森林組合の人だそうだ。
その人たちはGPSを頼りに来たそうだ。現在地を確認し、ヤッパリ違っていることを再確認した。
「もと来た道を帰る」
と言って、私は同じ道を登った。
「希望」に帰ってきて、佐久間方面の道を確認したが、道はない。
「健康」「叡智」と通って帰る。
「叡智」からの景色が、朝は霧がかかっていた浦川方面が、その霧が無くなり綺麗に見えた。

この写真が、「叡智」の地図だ、等高線の緩くなっている方面に進んだのだ。
6月13日に戸口から登った。
その時も、戸口方面の登山道は確認できなかった。
道なき道を進んだ。
だから、同じ道を帰ることにした。

水窪は「山に生きる会」そんなNPOがあり、地元の登山道の整備を目的とした集まりがある。
佐久間も、こんな良い山があるのにナ~。と思った。

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半場山&戸口山に登山。
登山計画は家族に出した。
登山口に車を置いて、半場山を通って戸口山に向かう予定だと、言った。
6月13日(日)
ウッチャン友さんと三人で登った戸口山(三盛山)
「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったけど、「希望」が見つからず残念だった。
今回、その「希望」のピークにだどりつくのが最大の目的だ。
今回は、前回の反対側からトライする。

戸口山(三盛山)とは
佐久間にある高校、そこの校歌で、その戸口山(三盛山)歌詞で使われている。
見よ赤石を かたどりし
わか校章の 三つの峯
(この三つの峯、この峯は三盛山の戸口山のことなのだ)
佐久間町にある上野集落から、真正面に見える。
左から「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったのに、戸口山に先に登って「叡智」のピークにたって半場山経由で帰ってきた。
今回は、その6月13日に行けなかった「希望」探しに行くのが最大の目的だった。

6時30分自宅を車で出発、6時45分登山口、6時46分登山開始
6時53分最初の鉄塔へ、7時13分その次の鉄塔へ、そこから整備された登山道を行くが6月13日の時の記憶にない道だと思う。作業道につき半場山に行く道と違うときずく。半場山(カミナリに焼けた杉)を見に行く(600mくらいか)
帰ってきて、作業道から鉄のはしごを登り、次の鉄塔を目指す。
「叡智」のピークが見える。それを目指して登る。
「叡智」のピークに辿り着いたのが8時
少し下って反射板
そこから上って戸口山「健康」に着いた。
8時17分
高い木に囲まれて景色はのぞめない。
そこから下って、作業道がある。登り口はテープを巻いた木が遠くに見えたので、それを頼りに登った。あったあった。「希望」のピーク。
8時26分
そこから尾根沿いに下る。途中テープもなく不安になる。
8時43分
眺望もないし、不安だし、もと来た道を戻って帰ることにした。
「希望」「健康」を通って
「叡智」で持ってきたカップ麺を食べた。
持ってきた。本
藤原和博さんの
「改革はいつも、たった一人から始まる」
を読んだ。
序章
どんなチャレンジでも「産道を通るときの恐怖」以上に怖いことはない。
眼下に佐久間の町を眺めながらの読書&カップ麺、
贅沢なひとときだ。

半場山の、50年前カミナリガ落ちて焼けた杉の木を見て
帰ってきた。
登山口、車が置いてあるとことに帰って来たのが。
11時20分
家に帰って草刈りやって、ニンニクを植え、一日が終わった。

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1969(昭和44)年
三重県多気郡大台町大杉に生まれる。
中村さんの話だと、そこは山深い所で、小さい頃、山や川で遊んだ思い出を話していた。
最初、この人の講演や本を読んでいて、そんな話を聞いて、いた。
その人は皇學館高校に入学、その時、悪さをして退学を何回もした人です。
オートバイに乗り万引きをして、そんな経験も笑いと涙で語っています。
(笑い、それは本を読むとわかります)
その高校を無事に(無事かどうかわかりませんが)とりあえず卒業し
お兄さんがいる東京へ
そこで家から送られてきた自転車に乗ってハプニング
警察に捕まり、その警察官と友達になる。
警察官の友達に働き口を紹介され働くようになり。
人生の師匠と言われる田畑さんに出会う。

その人は田畑さんは野菜を売る行商をやっている。
中村さんは、一緒に行商をして、田畑さんに色々なことを叩き込まれた。
(そこは本でも講演で読んで聴いて見てほしい)
その人は地元に帰って、伊勢市で飲食店「クロフネ」オープンした。
そこは障碍者の人たちが働いている、という・
また、野菜は中村さんの地元、大台町の農家でつくっている野菜を使っているという。
また
離農が進んだ北海道の農地をお借りして、都会でひきこもり・ニートと呼ばれる若者達と一緒に農業を行っている。

中村さんは年に講演を300回以上やっているという。
一年365日どんな生活をしているのか?
凄すぎる( ゚Д゚)

三年前
愛知県の富山から静岡県の佐久間ダムまで走っている途中
一緒に走っていた人に、
秘境、大杉谷の登山の話を聞いた。
大杉谷登山センター

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明治という時代を生きた三人の生涯を描いた歴史小説、
そんな時代、そんな時があった。
そんな時代から、時が過ぎ、日本は様々なことがあり、平成23年に出た本だ。
藤原和博「坂の上の坂」
55歳までにやっておきたい55のこと

第一
無謀なことをやろうとするほど、人は応援してくれる
私の人生を振り返って、感じる。その通りだと。

この時は、2017年「夢街道」
多くの人に支えられ応援されての大会だったと感じる。
私57歳の時だった。

藤原和博「坂の上の坂」
55歳までにやっておきたい55のこと
藤原和博さん、知っている人は知っているかもしれないけど、知らない人は知らないかもしれない。
私は、この動画で初めて知った。

これからのネットワーク社会、近い将来
50億人がネットで繋がる。
そんな人の本
「坂の上の坂」
読んでよかった。坂の上の坂
それは
自分の人生の後半に、自分のためだけでなく、自分の子ども、孫世代のために今の自分を生きる
こと。

感動した物語、今は時代が違う。
今は

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秋の夜長、読書。
第五章 消費の作法
32
タダでやっておいたほうがいい仕事がある
大阪府教育委員会特別顧問の事
2008年橋本大阪府知事からの依頼
藤原氏はタダで引き受けたと、ありました。
それは
教育についての、強い思い入れがあったから。
東京都の和田中でのこと、大阪府でも成功すれば
との希望があったから、だと思う。
そして実際、それは点から面になった。と書いてありました。

タダと言えば
2012 勝手にチェレンジマラニックin遠山郷
これもタダだ。
何かを企画する。
それには、なにかと手間がかかる。
し、お金もかかる。
しかし、お金はとらない。
それをやることによって、遠山郷に集まった人たちの繋がりで
点が線になり、やがて面になり、遠山郷の応援団ができてくる。

お金の発生しないことをするなんて、そんな余裕はない、忙しい、と感じている人もいるかもしれません。しかし、忙しいと思ってやらない人は、一生、忙しいままです。
自分にとって、何ら新たなチャレンジをすることもなく終わってしまう可能性もあります。それでは、あまりにも残念な人生ではないでしょうか。
原文まま


私は、人生を歩いてきて、多くの素晴らしい人に出会うことができた。
人生の道、60歳までの道程を、この勉強会に参加出来て良かったと思っている。
そんなマラニックが最初に始まったのは12年前、木沢小学校から走り始めた。
村人のお・も・て・な・しの心がランナーに伝わり、リピーターが増えてきた。
そんな村人の心が、人の心を動かし、今回28名のランナーが集まったのだろう。

今回、ネットで買った本に中村文昭さんの本もある。
中村さんと言えば
お金ではなく、人のご縁でデッカク生きろ

の人だ。

藤原和博「坂の上の坂」読んでる途中。。。
藤原和博さんは東京都初の中学校の民間人校長として杉並区立和田中学校の校長を務めた人だ。
お金は大切だ、だけど、みな
お金ではなく、人のご縁でデッカク生き来ている人だ、と感じる。

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私が暮らしている「半場」その地域に山があり。
その山に、昔、カミナリが落ち、火事になったという話がある。
私がまだ幼かった頃。私がまだ「横吹」に暮らしていた頃の話だ。
地域の消防団が出動していたそうだ。
「家のトーチャーも出動した」
(トーチャー父親のこと)
「上野」に住む同級生が話していた。
目の前にある戸口山の横の山だと指差した。

友さんとウッチャンと三人で戸口山に登った。
「希望」「健康」「叡智」と登るはずだったけど「希望」のピークが見つからなかった。
「健康」戸口山山頂1026mは高い木があり眺望は無かった。
そこから下って次の「叡智」そこは鉄塔が経っていて佐久間方面が綺麗に見えた。
そこから下って、少し上がったところに「半場山」があった。
大きな木が、大きかった木が、焼け落ちた姿だろうか?
中身のない空洞の木だった。
その横に、祠があった。その祠にはハート形が逆さになっていた。

次の日曜日
本当は、遠山郷に行こうと思っていたが、自分の暮らしている自分の地域の山へ
登ろうと思っている。

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雑談しませんか?
そんなズームでの問いかけに様々な意見があった。
「話がまとまらないからテーマを絞った方がイイ」
などという意見が多かった。
私は、と言うと
「特にテーマを定めない雑談、そんな所に得る何かがあるように思う」
「雑談、良いのではないか」
そう思った。そう思って、今回百田尚樹の「雑談力」を買ってみた。そして読んでみて、今朝読み終わった。

百田尚樹はハゲ
その人が若かったころ若ハゲが気になり育毛剤を買った話には(笑)った。
ウンコを漏らした話、も爆笑・・・。
知り合いの本好きな人に(女性)に聞いたら。
「私も漏らしてパンツ捨てたことがあります(笑)」
衝撃な告白(笑)(笑)(笑)

私は横吹(よこぶき)という斜面集落で育った。
国鉄(今はJR)飯田線の相月駅から見上げる斜面集落「横吹」に通っていたのだ。
子供の足で歩いて1時間ぐらいかかっただろうか。
小学生の頃、その帰り道、便意を感じ無性にひりたくなった。冷や汗が出た。
その頃、子供の間で、
「そんな時には平らな石を三つズボンの後ろのポケットに入れればイイ」
そんな伝説があった。
中間地点にさしかかた頃だろうか。石を探してポケットに入れた。少し楽になった、ような気がした。
が、ヤッパリでそうだ。家がみえ、庭につき、力も尽きて、ウンコが出た。
そんな失敗がある。
母親が、そんな私の話を聞いて
「バカだナ~。道端でやればいいのに」
「ふくもんが無い」
母親
「葉っぱでふけばイイ。ツルツルしたのはダメだよ。オバコの葉っぱがイイ。」
と教えてくれた。

話しは脱線した。話は本の話し。
百田直樹の知識は凄い。面白い話から話題は歴史上の人物の様々な話、ノーベル賞をもらえるはずだった人が他の人に乗っ取られたことや、日本の常識が他の国では、そんなことは知らなかったり。
とにかく日本人はテレビ新聞に影響されやすい。今はネットでテレビでは言えないことが記載されている。
それを見て自分で判断する時代だと。思った。

百田尚樹と言えば、右翼っぽい。とか。
最後は南京大虐殺・慰安婦問題・靖国神社参拝の話があった。
日本人として、日本の国の問題を、正確に考えない、今が良ければイイのでは、そんな人が多い。
と、私は思った。

この本を読み終わって、表紙を見て。
百田尚樹の顔を見て。
ツルツルの頭を見て。
「人生生涯小僧のこころ」を書いた
塩沼亮潤大阿闍梨の顔を思い出した。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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