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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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相良町 (さがらちょう)は、かつて 静岡県 榛原郡 にあった 町。 2005年 (平成 17年) 10月11日 、隣接する 榛原町 と 合併 し 牧之原市 の一部となった。
秋葉街道・塩の道、友さんとウッチャンが、ココから塩尻を目指して歩き始めた。
そう。
第一ステージは、相良から森町まで。
今回、森町から春野町(秋葉神社下社)まで23キロを歩かないかとお誘いが来たので、参加してみた。
最近、坐骨神経痛が気になり、朝ランは控えている、心配はしていたが、せっかくのお誘い、ありがたく参加した。(神さんには無理するなと言われたが)
9月7日(日)着替え・ウエストポーチ・忘年ランの封筒、などを用意して友さんの命令の二人以上乗れる車で我が家を出た。
ところが、龍山の直線を走っている時、忘れ物に気が付いた。
リックがない(*^-^*)
しょうがない、買い物袋で代用しようと考えた。
車のナビは、春野町秋葉神社下社とした。秋葉ダムの堰堤を進めたが、山東経由のほうが道がいいので、ナビを無視しトンネルを真っすぐに行く。
8時半待ち合わせ、しかし早く到着、友さんウッチャンは既についていた。
3人で森町の天竜浜名湖鉄道の駅に8時半、そこを出発した。


前置きが長くなったが、これからが「秋葉街道・塩の道」第2ステージ。
森町駅前には観光協会があり、職員が一人いた。
友さんが作成したコースマップを頼りに、常夜灯を見つけ、秋葉街道・塩の道の道標を見つけ、歩みを進めた。9月といえども真夏のような炎天下の朝だった。
第一町人発見!!
「どこまで行きますか」の問いに「塩の道を歩きます。秋葉神社下社を目指します」の言葉に驚いた(*^-^*)様子
森町の付近は、森町ロードレースでなじみに道だ、三倉までは勉強会で毎月通った道だ。
小京都・森町は、昔の名残ある風情のある街並みを体験できた。まだまだ山が低いと感じた。
私たちは、太田川に沿って、三倉川に沿って北上していく。
勉強会で見覚えのある三倉の郵便局を過ぎ、勉強会とは逆の旧道を進む、新しい橋をくぐると激坂が待っていた。車でも大変ではないかと思えるほどの激坂だった。
そこを上り終えると寺があった。

森町で一番古くからあるお寺だといわれたいる「栄泉寺」があった。
その寺の手前の階段を上ると、お墓が出てきて行き止まり。階段の所まで戻ると、秋葉街道・塩の道の道標の矢印が左を差している。が道はない。雑草が茂っている。
友さんの判断で、その雑草の中を進んだ。すると尾根沿を歩く境杭に挟まれた道が現れた。その坂を上ると朽ち果てた手すりが出てきて左上に林道が現れた。遊歩道終わり林道に出たところにも秋葉街道・塩の道の道標があった。ここからは林道歩き、まだまだ森町三倉とあった。
森町は広い!!
高塚山の中腹だろうか「半明」「大久保」と比較的わかりやすい道を歩く。山の中に奇麗な茶畑が出た来た。八満神社で小休憩。

ここら延には「戦国夢街道」ののぼりや案内板が多くある。森町の観光協会主催だそうだ。
山マップで、そのコースを走っている人を見た
ら9,5キロを2時間27分で走っている。
大久保を抜けると、何もないスギ林の中の古道を春野方面に向かう。
最後の難所、大日如来像を右に見て、山道を下る。杉の隙間か春野町の町が見える。

下り切り、道路に出て、犬居橋を渡り春野ふれあい公園で休憩、ゴールはすぐそこだ。
小さな名もない橋を渡り、石仏を右に見て、坂を上り、友さんが「ちょっと道が違う」と。
近くの家の人に聞くと「塩の道は上のほうだと」近道を教えてくれたが友さんの指示のもと、間違えた場所に戻り、三叉路から上を目刺した。
上に登り、観光の道案内では左と書いたあったが、コースマップでは右、右に行くと「犬居城跡」右の看板が、私たちは真っすぐに、道は荒れていて地蔵様も確認することはできなかった。
道路に出て、その道を数分歩くと、見覚えのある場所に出た、そこを左に折れると九里橋があった。

今回の秋葉街道・塩の道第ステージ、大変だったけど歩き通すことができた。
友さん・ウッチャンありがとう。
 
その後、秋葉山下社により、今回無事に歩くことができたのを感謝してきた。
神や仏は、何かを望むところではなく、感謝を伝えるところと、故小林正観さんの教えなので感謝してきた(*^-^*)
また、休憩所で男女のカップルが、黄金の鳥居がないと言っていたので、それは上社、もっと上のほうにあると教えてやった。
彼は東京から浜松に赴任して間もないという。東京から彼女が来て二人で黄金の鳥居を見に来たのだと。
「私たち三人は、森町から秋葉街道・塩の道を32キロ歩きて来たよ」
と言ったら驚いていた。
長い距離を歩き家に帰ってのビールが最高だと話したら、二人とも納得していた(*^-^*)
秋葉神社は東京の秋葉原の名前にも由来している。江戸時代、火事が多く、この秋葉街道を利用して秋葉山信仰で歩いていたのです。
「何位もいないところだけど佐久間にもきてネ」
と言って、その二人と別れた。

門前のお店で「アロマティカス」を買った。
この香りでゴキブリも来なくなると。
 
その後、駐車場に戻り、森町まで帰り、自宅に帰ってきた。
風呂につかって、疲れを癒し、やっぱり食事前のビールが最高だ(*^-^*)

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半場の祭り。神楽


、、

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半場の祭り。神楽

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毎年2月11日「建国記念日」におさかなさんと楽しい仲間たちが企画してくれる
名古屋どえりゃ~ええとこマラニック
に、行ってきました。
飯田線、中部天竜駅を朝4時25分始発の電車に揺られての参加だった。
今回9回目となる、この大会は、私は全て参加している。ということは9年前、55歳の私も、その時中部天竜駅を始発の電車でゆられて名古屋に向かったのですね。
本当は、始発でなくても次の6時5分発の電車でも間に合う。でもやっぱり始発が、一番最初に出発する電車にこだわりたかった。過去にNHK学園の社会福祉学科の講義に名古屋に通うときに始発(5時25分)で中部天竜で向かうと名古屋に8時18分に着くことを知った。
そこからバスに乗り、大きな鳥居を見て介護福祉士実技の試験に臨んだことを覚えている。今回、そんな大鳥居の下をマラニックで走った。

 
豊橋駅で、うっちゃん・友さん・ヒロボー・三河のQちゃんたちと合流、名古屋に9時1分に到着、待ち合わせ場所の金の時計には多くのランナーが集まっていた。噂では過去最高の41人だとか。
集合写真を撮り、金の時計からコンコースを通る。多くの女性がバレンタインのチョコレート購入なのか並んでいる。奇妙な格好のランナーを眺めている。

太閤秀吉功路を走る。人生大出世の夢街道だ。。。日吉丸から始まっている。
中村観音・中村公園・ザ・ビックを右折して大円寺・美濃路の碑、荘内川を渡るはずだったけどショートカット、昼食休憩のイオンを目指す。サイゼリアのワインを飲みたい(笑)
誰かが「ワインに炭酸で割ると美味しい」と。誰かが「サイゼリアでは炭酸はタダ」と。
頭の中はワインでイッパイ。サイゼリア。サイゼリアと歩みは進む。サイゼリア・サイゼリア・・・・・。
イオンに到着し、サイゼリアを探したが、逆方向だった(*^。^*)残念。。。
やっと見つけたサイゼリア。と思ったら、多くの仲間の人が帰って来た。「サイゼリア満員」
_| ̄|○ガックシ
フードコートでスガキヤのラーメンにした(*^。^*)


名古屋城に行き、金シャチ横丁で散策、外国のお客様がイッパイいました。お団子を写真に収めている人、ナゴヤでの記念写真の人、人人人・・・。
名古屋のテレビ塔、オアシス21・白川公園・大須観音。

 
よいよ、喜多の湯、温泉に入ってビールだ!!!
あと500mほどらしい。。。
ひまわりの人を追いかけていると、なんだか遠い???
目の前にはモード学園のビルが見えて来た。間違えたそう(*^。^*)
帰りのコースで、電車で早く帰る人に出会う????「ドウシタノ」「チョット」
喜多の湯に着いたのが16時03分
お風呂に入って、疲れを癒し、ビール生大。
しこたま飲んで、次はカラオケ。名古屋駅前のJOYJOY

次の日の朝、中部天竜駅に7時42分とうちゃこ。
駅からの帰り道、朝の散歩で良く出会う○山さんに出会う。
 
○山さん「最近朝出会わないけど」
  私 「寒かったので走れなかった」
○山さん「今日はナンダイね~」
  私 「名古屋に走りに行ってきた」
  私 「名古屋は夜もキラキラしていて楽しかった」
都会は便利で多くの人が暮らしている。リニア高速鉄道が開通して「名古屋」は大都市と言われるところは益々便利になるだろう。しかし、それで本当によいのだろうか?
名古屋城の金シャチ横丁で名古屋の水道の水のコーナーがあった。名古屋は都会でも水道水が美味しいと言われている。それは水道水の浄化設備が優秀だから、それもあると思うけど日本は山があり豊かな自然があり良質の水に恵まれているからだ。

おさかなさんと楽しい仲間たち、本当に本当に、ありがとうございました。
田舎の人間として、せっかく都会に出た来たのだからと、とくに思い出に残ったのが、間違えて名古屋駅近くまで走って、夕方の近くになりモード学園のビルが輝き始めた姿でした。
また、今回は金の時計からコンコースを通ったことでナナちゃん人形には会えないと思っていたけど、カラオケの帰りに出合うことができたこと。


連絡です。
夢街道CR2025は6月27日(金)スタートです。
それぞれ走力の事を考えてスタート時間を変えることができます。また、去年は大雨で大変でした。警報が出ていたら次の金曜日にスタートを考えることもしたいと思います。
浜松市は平成の大合併で12市町村が合併して日本で二番目に広い市になりました。またその市は政令指定都市となり様々な難を抱えています。そんな浜松市はお隣の長野県飯田市の県境を挟んで隣になりました。夢街道CRは飯田市の遠山郷を目指すマラニックでもあるのです。
浜松市の最北端の地「水窪」では多くの村人がランナーが若鮎のごとく大きくなった浜松市を遡上してくる事を願っています。しんしん

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宮城県の港町、そこで暮らす親子の話
その親は耳が聞こえない。そんな環境で育った五十嵐大
幼少の頃は当たり前だと思っていたことが、年を重ねることで、そうではないことを知る。
そして、その耳の聞こえない親(この本では特に母親)に反抗するようになる。

 
いくら反抗されても、子供にひどいことを言われても
「ごめんね」と謝る母親、その優しい仕草に、ますます反抗的になる。何故
地方の田舎町に暮らしていると、親子関係を近所の人が知っている。それがうっとおしくて、親が難聴者だと知っている人たちは「かわいそうな家庭の子」「親の世話する子」と自分のことを形容詞をつけて話しかけてくる。そんな環境が嫌だった。
そして、大は東京へ行く。
本当は母親の事大好きだけど、耳が聞こえない母親を助けないといけないと小さなころから思っていたのだけど、、五十嵐大は普通の生活にあこがれていた。

 
東京で出会った難聴の人、手話で応対した人、手話で話したことを感謝されたこと、そんな人から、聞こえない親に育たられた子供のことをコーダということを知った。
コーダは、その環境によって様々な悩みがあることを知った。それは宮城県の港町で育ったころは、聞こえない親がいるのは自分一人だと思っていた。ところが、広い世界には多くのコーダが居ることを知った。

 
そして五十嵐大はものを書く仕事に就いた。自分の環境を赤裸々に描いた本が、この本だ。
世の中には様々な人がいる。私の知らない世界がある。本を沢山読んで、様々な環境の人のことを知りたい。
この本は映画になり、今年の九月に上映された。ツタヤでレンタルが始まったら私も映画を見てみたい。

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3,11
東日本大震災は2011(平成23)年3月11日14時46分に東北地方太平洋沖でを震源地に発生した。
私が暮らす佐久間町でも揺れを感じた。ゆさゆさと不気味な揺れだったと今でも思い出す。
テレビでは、大津波の様子が映し出されていた。
この物語は、この震災での津波で飼い主を失った「犬」の物語である。
犬の名前は「多聞」タモン
 この本は、私の12歳年上の姉から借りた本だ。
東北旅行のお土産を、持って芋掘りの家に行った時の事だった。
読み始めると、東日本大震災のことは何も書いていない。読み進めると、東日本大震災での大津波での変わり果てた景観が所々に書いてあった。
犬「多聞」と坂垣和正との出会いから始まっていた。男と犬、男とは坂垣和正
多聞は南の方に行きたがっていた。いつも南を気にしていた。
稲垣和正は多聞と闇バイトに、そして多聞はプロの窃盗犯ミゲルと逃亡、東北自動車道を南下した、そして磐越自動車道と。そして磐越自動車道を会津若松で降りた。
ちょうど私たちの東北旅行の帰りも、同じコースを走った。
 
この本の目次は
男と犬・泥棒と犬・夫婦と犬・娼婦と犬・老人と犬・少年と犬
となっている。
 
最後、なぜ多聞は南の方角を目指していたのか。わかる。
そして
男・泥棒・夫婦(夫)・娼婦・老人
の死を見てきた多聞
 
最後「多聞」は少年の胸で生き続ける。

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大雨の中
なんとか何もなく無事に終わった。けど見えてきた課題がたくさんある今回マラニックだった。
過去を振り返ってみよう(^^♪
佐久間・水窪スーパーマラニック2008

夢街道の八丁坂を上り切り、天竜川から水窪川に、目の前には斜面集落と竜頭山が見える。
その竜頭山を一周する過酷なマラニック、そんな「佐久間・水窪スーパーマラニック」が私のマラニックの始まりだった(^^)/



走った後はココ
















夢街道(秋)


勝手に夢街道








番外編 
城西戦没者慰霊祭解散



園山さん
私が広島に行ったのは2018年でした(^^)/

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百田尚樹
クリスマスからくる 感動の短編小説
目次は
第一話
魔法の万年筆
第二話
第三話
ケーキ
第四話
タクシー
第五話
サンタクロース

魔法の万年筆
人びとはクリスマスイブを楽しんでいる様子の街角。34歳独身、真面目な事務員だった恵子は職を失った。途方に暮れていた。
そんな恵子が、幸せになるまで、幸せを掴むまでの物語だった。
クリスマスイブ、派遣社員の雅子はオヒィスで社長と二人、残業だった。
派遣社員故に、様々な会社の待遇の違いを表していた。
アパートで買っていた猫、拾ってきた猫だ。その猫が、物語で、物語の最後「ニャ~」と鳴いた。
ケーキ
癌で余命宣告された杉野さん二十歳のお話し。
感涙間違いなし。パラレルワールド、
以下
第四話
第五話
「タクシー」
「サンタクロース」
クリスマス・イブの夜、五人の女性に起きた五つの奇跡を、百田尚樹さんの巧みなペンで感動的に描いている。
夏だけど、自分の思い出にも楽しいクリスマスの思い出がある(^_-)-☆

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心の教育実践録「教えは生きる」柿島由和著
その人は、私が40歳のとき、私が静岡県立佐久間高等学校に技能員として勤め始めた時の入学式で、その学校の昇降口で水を撒いていた。掃除をしていた。
私は、私の仕事の先輩である女性職員に自分がやれと命じられ、その先生のところに学校の昇降口に向かった。
それが柿島先生との初めての出逢いであった。
「きずかなくてスイマセン」とホウキのチリトリを持って昇降口に向かい、その先生と出逢い話をした。
後から来た、その先輩女性職員が、柿島先生のホースを奪い取り
「私達の仕事だから、先生はイイでね~」
とニッコリと微笑んだ。
そんな感じで出会った柿島先生から「退職記念誌」が届いた。
あのとき、掃除をしていた人が、今も掃除を続けている。
そして掃除(下座行)の教えを通して、生徒に接し、生徒との心の繋がりの物語の一冊であった。
最後のページに
ありがとうございました
一生勉強 一生青春
ひとつ拾えば
ひとつだけ綺麗になる。
柿島先生の後ろ姿があった。

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ネットでユーチューブをいろいろ見ていた時、ある動画に辿り着いた。
タクシーのドライバーが最近385のナンバーの車が多いと。
そのタクシーに乗り込み、たしかに多いと。
その358の車を見つけ、その運転士に聞いたら。
小林正観という人の講演で「358はラッキーナンバー、この数字をナンバープレートにすると燃費があがる」と。
そんんなバカな( ゚Д゚)


そこで、ネットで検索し、アマゾンで購入「神様を味方にする方法」
その人は1948年生まれ。その人は62歳で持病の糖尿病で62歳で亡くなった。
その本は、もう糖尿病が悪化して、目も薄っすらしか見えない状態の時、書いた本だった。
人生の目的は長生きでなはい。自分の生き様を、私たちに語りかけるような本だった。
358は魔法の数字、私もいつか軽トラ以外の車を買ったら358の番号にしたいな。そう思った本だった。
最後、正観さんと私達の物語、に作家「ひすいこうたろう」さんの話があった。
「そ・わ・か」掃除、笑い、感謝
ヒスイコウタロウさんと言えば「あした死ぬかもよ?」と言う本を出した人だ。
人生最後の日に笑って死ねる27の質問
みんな繋がっている。憎んだり恨んだりしても、何もならない。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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