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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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私のジョギングコース上に「良心市」がある。
家の軒先に小さな机を置いただけの簡素なものである。
自分は気にしていたが、あまりの小ささに他の人は知らないであろうと思っていた。
ある日の朝、何時もの様にジョギングしていると、一人の女の人が、その机の上に採りたての野菜を並べていた。
話をすると、週に二回、その机の上に持ってくるという。
話をすると、生まれは、自分の故郷「横吹」の隣村の「島」から佐久間地区にお嫁に来たという。
「なんだっちゃいネ、島かね、俺は横吹だワイね」

今日の朝ラン
その「良心市」の前には軽トラが止まっていた。
小さな机の上にイッパイの朝採りたての新鮮野菜が乗っていた。
自分のウエストポーチをまさぐると、百円玉一枚と五十円玉と十円玉が数枚。
自分:「これはネギ?」
女性:「ワケギ、味噌付けて食うとうまいョ」
そんな話をして、ワケギとキュウイを袋に入れてもらった。
自分:「はい2百円手から手へ」
女性:「ハイ、ありがとう」

そんな袋を持って走っていると、犬の散歩の住○さんに
○:「何入れてるダイヤ」
自分:「ワケギ、買った」

と答えてすれちがった。
朝から心がホッコリした。


 クールジャパン「良心市」
他国にでは考えられないだろう。
一袋百円と書いてあるので、買った分だけ銭を入れて物を持っていく。
買った人の良心に支払いは任せる。
 
仕事から帰って来て、晩酌は清酒二合。
ツマミには朝買ったワケギを味噌付けて食べた。
とってもうまいと感じた。

「良心市」でも、やはり買い物は無人販売より人の手から買うのがイイのではないかと思った。

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走るのが趣味。
佐久間町に暮らし、中山間地で走っている。
20代後半、佐久間町に帰ってきて、佐久間駅伝北遠駅伝に誘われて、走るのが趣味になってきた。
中山間地は、自分の暮らす佐久間町は北遠は平成の大合併で浜松市になり変わった。
時代の流れとともに、多くのことが変わっていく。

その一つに、公共施設がなくなっていくこと、観光トイレが壊され、郷土資料館が使われなくなり、そして学校が次々閉校に追い込まれていく
 

そんな中山間地に暮らす、走るこが趣味の私、今日のコースは


いつものジョギングと違い、今回のランには目的がある。
コース25㎞地点
竜川にできたカフェ「クラーク」でダムカレーを食べる事
この道のむこうにクラーク。

手作り感イッパイの看板。。。

今回大盛 ダムカレー

でぇ~ん!! 登場!!

朝9時に出発。
クラークに着いたのは13時。
ダムカレーを食べ、13時30分にクラークを出る。
国道152号線を南下し、道の駅「花桃の里」でハーモニカコンサートを少し聞く。
夢の掛け橋を渡り、もうこのころにはウォーキング状態。
伊砂橋を渡り、再び国道152号へ。

伊砂橋を渡ると、オシドリの撮影だろうか、多くのカメラマンが高級そうなカメラで鳥の行方を追っていた。

まだ会場に行くには早いので遠回りしようと、船明ダム堰堤を行く。

塩見渡橋を渡り、二俣市街に、、、、。

そして、もうひとつの目的
3か月前から計画していた、送別会。
佐久間町が浜松市に合併する前、まだ佐久間町の住所が
磐田郡佐久間町の時に一緒に仕事をした、そんな仲間が集まったのだ。

本当は、佐久間で、この集まりをやりたかった。
佐久間が縁で集まったのだから。
次は是非、佐久間でやりましょう(^O^)/

追記
メールで送られてきたりラインで駆け回っている
大切な写真は私のFacebookに鍵をかけ、しまっておこうと思います。
また逢う日まで、、、。
byしんしん

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「おもしろき こともなき世を おもしろく」

昨日は、長野県平谷村の蕎麦屋「侍」に行ってきました。

今年の9月
チャレンジマラニックin遠山郷
を走った後、走り終わって後夜祭でお酒を飲んで、そこの観光協会「アンバマイカ」横の足湯で知り合った蕎麦屋
ソバ処「日向」
の大将。

そのとき聞いた。
「大将オススメの蕎麦屋は何処?」
その大将が、言うには。
「開田高原の『時香忘』、平谷村の『侍』」

だ、そうだ。

そこで、昨日は、その平谷村の 蕎麦屋「侍」に行ってきたのだ。

標高1000mの自然に包まれた古民家(明治21年築)で、石臼挽十割蕎麦『侍(さむらい)』手臼粗挽蕎麦『野武士(のぶし)』二種類の個性あふれる手打蕎麦

「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは心なりけり」

幕末の風雲児、高杉晋作が読んだ句、
今風に言えば

『面白いと思えることのない世の中を面白く。それを決めるのは自分の心もち次第だ』

現代の『侍』が打った蕎麦、たいへん美味しく頂きました。

 

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11月19日(土)
朝から雨降り。
日曜日は
第一回 南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)
大丈夫だろうか?

トレラン(トレールランニング)山を走ること。
今までは、
湖西連峰トレイルラン
小笠山トレイルラン
などに参加したこはあるが、こんな本格的なのに参加するのは初めてだ。

多くのランナーが
第一回 南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)
を楽しみに集まった。

また、多くのスタッフが
川根本町で行う
第一回 南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)
を盛り上げようと頑張っていた。

第一回 南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)
当日は
天気予報で予想していたとうり晴天になった。

1000人募集して930人のランナーが集まった。
このランナーが、山を越え、千頭の街に向かった。

林道はともかく、登山道は
前日の雨でドロドロヌルヌル、、、、。
状態。

これを環境破壊という人がいる。

今年の
UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)
雨でコース変更を余儀なくされたと言いう

しかし
この壮大な、山で、若い人たちが過酷なレースに挑む。
また、そんなレースを企画している。
 

浜松市に合併した
中山間地、佐久間町に暮らす一人として、多くの人が山に訪れてくれるのを
期待している。

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トレランと言えば、UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)があまりにも有名。
富士山の周りを167㎞走るというもの。累積標高差は8,037m

今回の南アルプスマウンテンマラソン(MAMM)は、川根本町で行う。
距離
ハーフ 22.5㎞ フル 45㎞

私はフルの部に申し込んだ。
フルの場合、累積標高差は3,130m
制限時間9時間

ほんの軽い気持ちで申し込んだのだが、、、、これがヤバすぎた。。。。

佐久間町の山、竜頭山(1351m)を二回登って、その足でホウジ峠にも行く、そんな感じなのだ。

ホント、軽い気持ちで申し込んだが。
大会会場で、マジ不安だった。

そんな会場で、走る仲間が、一人、また一人と出会い、自分の気持ちを落ち着いてきた。




7時
スタートだったが、初めての大会、色々な問題があり、スタート時刻を15分遅らせるとのアナウンスがあった。
多くのスタートを待つ人ごみで下を見ると、

なんと、ビーチサンダル

なんと、なんと、凄すぎる。
色々な人がいるもんだ(≧▽≦)

2016年11月20日、AM7:15
950人ものランナーが川根本町の山を目指してスタートした。

スタート位置が前方だったので、速い流れの中、走って行くがついていく事が出来ず、マイペースを守っていこうと抜かれるのも気にせずに走るようにする。
ところが、林道が終わると、登山道では渋滞が始まる。
昨日の雨で、登山道はグチャグチャヌルヌル。
ビーチサンダルの人は大丈夫だろうか(^O^)
そんなことが気になった。

山頂では寺○さんがサポートでいてくれた。

山を駆け下り、千頭の街に

多くの街の人が応援してくれた。
 折り返し地点、千頭エイド
 多くの食べ物があった。
 

折り返し地点で記念撮影

残り半分
これからどうなるのか。
登山道に入った直後。
太ももに違和感。
痙攣だ。

こんな調子で、山に入れるのか。
心配だった。

だましだまし、歩いて、林道でストレッチしていたら。
右足が攣った。

フクロハギの筋肉が硬直している。
5分くらい林道に座り込み、マッサージしたり筋肉を伸ばしたりした。
汗をなめても、ゼンゼン塩辛くない。
塩分不足だろうか。こんな身体で山に入れるだろうか。明るいうちに帰ることができるだろうか・・・・・。
心配だ(泣)

次のエイドで塩があったので、一握りいただいた。
塩をナメナメ歩いていたら。痙攣がジョジョに治まった。

青ちゃんの仮装に癒されゴールを目指す。
 
往路

 
復路

この大会の実行委員会の人と、昨日の前夜祭で話した。
若い彼は、5年前に地元に帰ってきたという。

前夜祭では寡黙にパーティー用の食材を調理していた。

新聞によると
 大会実行委員長の○木○さん(39)は「住民が当たり前と感じている山を生かして大井川流域を盛り上げたい。恒例の大会にする」と意気込んだ。
と、書いてあった。

走る人がおり。
走れせてくれる人がいる。
トレイルは、山を走るということは。
疲労もハンパない。
前日の雨で、登山道はグチョグチョヌルヌルだ。
誰かさんが言うように、環境破壊かもしれない。

それでも、ココで生きている人は、ココで生活できるように糧を探している。

遠くの山並みが見える。
あの山のむこうが北遠だろうか
一気にこの山を下り、ゴールがある不動の滝自然広場オートキャンプ場にゴールした。

明るいうちに帰ってこれて本当によかった。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161121-00000015-at_s-l22


第一回 南アルプスマウンテンマラソン
走りながらデジカメで多くの写真を撮った。
ムービーメーカーで加工した(^O^)/

川根本町
多くのランナーが訪れる町として、これからも頑張ってほしい。

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川根で
南アルプスマウンテンマラソン
が、あるのだ。

目的は、走るだけではない。
佐久間町に暮らす者として、川根を尋ねてみたい。
そんな気持ちがある。

地図でみれば、お隣さんの地域も、大きな山に隔てられ、そこの地域に行くには
大回りをしていかなければならない。

だけど、もっと昔は、東名高速道路しかなかったときは、もっともっと遠い地域だった。
が、今は新東名ができ、遠いお隣さんの地域「川根」もだいぶ近くに感じるようになった。

遠い  近い

新東名ができ、川根が近く感じるようになった。

便利  不便

こんだ引っ越すなら浜北だぞ~。

横吹は不便だった。
半場にきて、自分は便利を感じた。


遠い  近い
便利 ⇔ 不便
それらは全て、なにかと比べて自分で感じることだ。

明日は
南アルプスマウンテンマラソン
45㎞

スタート  (7:00)
22.5km関門  (11:30)
34.5km関門  (15:00)
ゴール    (16:00)

前回
2014年の冬
寸又峡カモシカトレイルアドベンチャーラン
これも走ったことがある。
 

今回はどんな大会になるのだろう。

今からワクワクしている。

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コースは
中部→半場一周→旧佐久間中学校一周→下平→羽ヶ庄→法条峠→野田→城西→水窪→水窪駅の22㎞

本社フジユニバンスからフジユニバンス水窪事業所に転勤願を出し
地元(横吹)に帰って来たのが29歳の頃
昭和64年(1989年)の冬、昭和天皇が崩御され平成の年号になった春
3月、半場に越して半場の村付き合いが始まった。
水窪のフジユニバンスの仲間に誘われた、佐久間駅伝の練習のため走り始めたのがその年の6月
一周約1㎞の佐久間部品を3周するのがやっとだった。

あの時から27年、多くのことがあったけど、まだ走っている。
今日は22㎞
日曜日のハーフ(21.0975㎞)は1時間42分33秒だったから、その日の疲れもあるし、今回の起伏のあるコースを考えると
2時間ぐらいあれば走れるだろうと思いスタートした。

私の使命は
ただ走るのではない。
主に、走る人の道案内や、ランナーのサポート
道先案内人。を、してほしいと言われている。

佐久間から下平に向け登っていく頃、数人の人と一緒だったが、羽ヶ庄のパノラマポイントに着くころには前後には誰も居なくなった。
羽ヶ庄から見える矢岳山の紅葉が綺麗だった。
法条峠で水を一杯もらい、下り坂が続く、腹がゆすられ右腹が痛くなる。

城西にて国道152号線に合流。
前に一人走っている。

水窪商店街を抜け、水窪駅にゴール。
時間は2時間1分、かな?

汗を拭き、着替えを済まし。
水窪駅駐輪場から水窪の街を撮った
 
家は多いが、空き家も多くあると聞く。
若い人は職を求めて町を出ていく。

北遠の風を感じながらの22㎞

秋晴れに恵まれ、遅れていた紅葉は今、真っ盛り。
街の風景は変わっていくが
自然の景色は何も変わらない。。。

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2014年4月14日ブログ
百田尚樹の「海賊とよばれた男」を読んだ。

あ~。ついに映画になったカ~。
この映画は観なければ。年を越せない。

また
2014/01/01
百田尚樹の「永遠の0」を読んだ。
2014/01/03
百田尚樹の「永遠の0」を読んだ(その2)
2014/02/07
百田尚樹の「永遠の0」を読んだ(その後)

そして
2014年1月11日ブログ
"しんしん"浜北サンストに行く。

この映画
海賊と呼ばれた男
も、佐久間町からサンストまで走って観に行こうかナ~(^O^)/

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昔、武家政治の時代。
封建制度の下、君主が庶民に領地を分けた。
その、一か所の領地を命を懸けて守ること。
一所懸命
 
百田尚樹の「影法師」を読んだ。

死を覚悟して生きていた武士の時代。
そんな歴史を繰り返し来た今の日本は平和な国だ。

タイムは悪かろうと良かろうと。
仮装だろうと、何だろうと。
同じハーフマラソン(21.0975キロメートル)先にあるゴールを目指して走る。
一生懸命に走る。
 
一生懸命
「物事を命がけでやる」という意味。

命がけで走ってるつもりはないが、突然の疾患で命を落とす場合がある。
レースに出る場合は、しっかり練習を積み普段のメディカルチェックを怠らない様に。。。

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今年も走ります。
ジュビロ。
ココは、仮装の部があるマラソン大会。
スタート前に、知り合いの仮装ランナーを探し、自分のデジカメで写真を撮りに行った。
ピエロ・侍・非常口
(^O^)/



走歴は
佐久間町にIタウンしてからだから、もう27年、ジュビロ磐田メモリアルマラソンも、もう何回も走っている。
向こうの方から声をかけてくれる人もいる。

佐久間中学校時代の同級生は、今回写真を撮らなかった。
 
昔の写真

そうこうしているうちに、スタート時間が近くなった。
今回、なにを間違えたか、私のゼッケン
A430
スタート地点の並び方は、ABCDの順番なっている。
そう、私は一番前のスタート地点に行かなけれなならない。
写真も早々に、先頭集団の近くをウロウロしていると。
知り合いから声をかけられた、山○さんだ(^O^)
山○さんの隣で並び、スタートの号砲をまって待機。
ハーフの部、スタート9時20分
多くのランナーが磐田ヤマハスタジアムから磐田の市街地に向け走り出した。
以下 私の動画でお楽しみください(^O^)/
↓動画↓

今回
私のハーフマラソンの記録は
1時間42分33秒だった。
家に帰って今ある記録証を見ると。
2000年
1時間33分11秒
2001年
1時間30分17秒
2002年
1時間42分
2006年
1時間33分44秒
2007年
1時間39分42秒
2008年
1時間31分35秒
2009年
1時間32分01秒
2014年
1時間42分08秒
そして今年
2016年
1時間42分33秒
 

私が初めて挑戦したフルマラソンは「磐田・大藤フルマラソン」だ。
磐田が原台地の茶畑の中、10㎞の周回コースを4周回するコースだった。
あの時、あのフルマラソンを挑戦した自分があり、今の自分がある。

他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる。
よりよい未来のために、今を一生懸命に。
byしんしん

拍手[4回]

プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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