忍者ブログ
平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
[44]  [45]  [46]  [47]  [48]  [49]  [50]  [51]  [52]  [53]  [54

沖縄出身の伊是名夏子さんの本「ママは身長100㎝」を読んだ。
春生まれなのに夏子。沖縄の夏の太陽のように元気にと両親が名付けたそうだ。
元気が伝わる、この本を読み終わって、自分の不甲斐なさ言い訳ばかりの生き方に克が入りました。
そして、もっともっと工夫してたった一度しかない人生を楽しく生きて行きたいと思った一冊だった。
 
支えあい、認め合うこと。
お互いが大切な存在だと思うこと。
夏子さんが学生に頃に経験し感じたこと、階段が多い高校だと先生方が難色を示したこと、友達はそれを応援したこと。
大人は経験でものを考える。
バリアフリーの学校を進められた。
自分の意思を通して階段の多い高校への進学、そこでの経験が今にいきているように感じた、そう思った。
 
まだ何もできなかった子供の頃、親はその子供のために尽くした。
その子供は大きくなり色々なことができるようになってくる。
ハイハイができ、歩くことができ、走り回るようになる。
子供は挑戦することが好きだ。
しかし、大人になると挑戦しなくなる。

「ママは身長100㎝」を読んだ。
夏子さんはキャンプ好きだそうだ。
できる人ができる事をやって、協力し合うのがキャンプ。
人は得意なこと不得意なことがある、協力し合って支えあって楽しむのがいい。
最後の最後にやりたいリストが書いてあった。
様々な事に挑戦していく姿は眩しい。
 
多くの良書に出会い自分の考え方も変わっていく
「こんな夜更けにバナナかよ」を読んだ。
「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」を観た。

拍手[2回]

PR

鳳来、湯谷温泉にある浴場エリアと温泉プールなどのスポーツ施設で構成されたクア施設。
その中のブールで泳ぐために、その施設に行った。
竜頭山スーパMのときから一歩も走っていない。散歩ぐらいしかやっていない。
仕事が終わて三遠南信道を利用して行くと40分ぐらいで到着、一時間ユックリ1キロ泳いで帰ってきた。
使用料(スポーツ施設)510円

昔、むかし、
わたしが走り始めた頃。しんしん30歳だった。
初めて走ったマラソンは秋葉ダムさくらマラソン10㎞、その時に佐久間中学校時代の同級生ユキに出会い、
「俺たちも30歳、健康のこと考えないと」
と、そのユキが言っていた。
そのユキの背中を追うようにおおくのマラソン大会を出た。
そのユキが「トライアスロンをやっているので、おまえもやらないか」
と言われ。
「泳げないから無理!」
と答えた。
そんなとき、この温泉を利用した湯谷温泉のゆ―湯アリーナができたのだった。
そこで一日スイミングスクールの講習に参加し、息継ぎを覚え、そこに通って2キロ泳げるようになって、1995年のトライアスロン大会に参加した。
95トライアスロン伊良湖大会
Aタイプ(77㎞)スイム2㎞バイク55㎞ラン20㎞
記録
スイム 0:47:52
バイク1:38:22
ラン 1:48:45
総合 4:14:59
今となっては懐かしい思い出。。。

泳ぎ終わって、二階のトレーニングジムを覗いたら昔と違って新しいマシンがたくさんあった。
トレーニングをしている人も多くいた。
今日はシューズはもっていないし、家にはナイショで来たし、次はシューズを持ってきてマシンでトレーニングをしたいと思った。
丁度その日はスイミングスクールの日で家族連れでいっぱいだった。
山の中の湯谷温泉にある浴場エリアと温泉プールなどのスポーツ施設、様々な試みで多くのお客さんがきていた。

三遠南信道がつながると、もっと身近に感じるだろう。
山の中の湯谷温泉にある浴場エリアと温泉プールなどのスポーツ施設、ゆ―湯アリーナ。

拍手[7回]

おじさんパッカーのサンティアゴ巡礼の旅」を読んだ。
5月18日
 富士山一周2019を走って、その翌日、MFさんと話した。

「今年は夢街道、如何?」

MF「今年は6月にスペインに行くので、走れない。来年は絶対行くからネ」

「わたしも還暦の年齢に近づきました。自分の今までをまとめようとしている。本にしたい」

MF「わたしも本を出している。Amazonにあるので買って」

そんな話でMFさんは巡礼の旅にいっている人だと知った。

スペインか~。。。

ヒロボーさんが行ってきたと言っていたな~。
カミノ・デ・サンティアゴ

家に帰りAmazonで、その本を注文した。そして昨日の夜、その本を読み終わった。
ひたすら歩いて910キロ!
フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ボーから、スペインのサンティアゴ、さらに最西端のフィステーラ岬までの「てくてく歩き」の記録を綴ったエッセイ
表紙を開くとスペインの地図、フランスとの国境から最西端のサンティアゴまで太い線で書いてある。てくてく歩きの行程だ。
フランスの道。

巡礼者は、カタツムリの生活に似ている。家財道具をザック一つに詰めて、自分の力で運ばなければならない。
人それぞれ、巡礼のスタイルは違うが、皆身の丈の歩き方をしている。そんな巡礼者の姿が眩しかった。
原文まま

その道は、世界各国の巡礼者が、それぞれの巡礼のスタイルでゴールであるサンティアゴを目指している。
その道程にスペインの歴史を感じ、その仲間との触れ合いで、これからの平和な時代を祈り、ゴールであるサンティアゴを目指したMFさんのエッセイを交えた旅日記、素晴らしい。
スペインは、この巡礼の道は、信仰心の篤い人は勿論のこと、自己への挑戦、自分探しの旅、アドベンチャーの旅など、様々な人たちが、様々な目的をもって、巡礼の旅に出かけている。

普段、何気なく会話している人が、こんな本を書いている人だとは知らなかった。
イタリア。
大空に続く道、広い大地、大西洋、海を見ると心が昂揚する。

拍手[3回]

厚労省が公開した「平成29年簡易生命表」によれば、日本人の「平均寿命」が過去最高を更新して、男性は「81.09歳」、女性は「87.26歳」となったそうだ。
定年を60歳で迎えて、まだ21.09年生きることができるのか?

昔、平成の時代、ボーっと生きていた自分は、NHKの番組で、団塊の世代の人と団塊ジュニアの人との対談番組を見ていた。
その時、定年を迎える人たちが豪華客船で豪華な船旅を謳歌する様子がテレビで映し出されて、そこで団塊の世代の人と団塊ジュニアとの議論があった。
その時、定年を迎えたであろう女性教師の一言が忘れられない。
「私たちは戦後苦労して、ココまで着た、贅沢して何が悪い」
だった。

わたしの姉と兄は、その団塊の世代の人だ。
母親によく言われた。
「おまえはワガママだ」
「おまえは苦労を知らない」
「兄や姉は大変だった、苦労をした」
と。

事実、団塊の世代を生きた人たちは( 第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に生まれの人たち)はライフラインも整っていなく学校から帰ってきたら家の手伝いから始まった。
水汲みランプの掃除だったと聞く。
多くの同級生が居て、モタモタしていたら生きて行けない、競争競争の毎日だったと聞く。

僕たちはどう生きるか?どう生きるべきか?
とりあえず、今年は城西小学校還暦同窓会がある。

拍手[6回]

この日は勉強会&読書会だったけど、母親の初盆の飾りつけの展示会の用事で午前中だけの話し合いだけになった。
数日前朝早く、オジサンから電話がきて
「その日、休みを取る」と。
「その日は用事がある」と言ったら。
「たった一人の母親だゾ~」云々。。。
「わかりました、時間は追って連絡します」
そんな会話があり。
勉強会を午前中で終わり、水窪の展示場にかけつけた。

たった一人の母親。
バカな息子だけど、初盆、ちゃんとやらなければ。
カーチャーの思い出。

第36回「人生を学ぶ」勉強会
第二部修身教授録
第9講「情熱」
第10講「三十年」
今回は自分で読むことにしよう。

拍手[2回]

毎年、5月の最終日曜日は竜頭山スーパーM(Mとはマラニックのこと)
今回の仲間は
シゲみつさん
クニさん
ウッチャン
トモゾウさん
山草人さん
ヒロボーさん
カワイさん
しんしん
サポートに
ツバモトさん
計9名で竜頭山を佐久間や水窪の大自然を走り旅で大いに楽しんできた。
コースは ↓
 
朝7時に集合、7時15分に平和登山口から竜頭山に入山、登山ポストに入山届けを記入した。
7時15分、私他7名
竜頭山山頂→山住神社→向市場→城西→切開→横吹→西渡、予定
今、水窪では遭難者がいるという、山ブーム、健康志向で走ったり歩いたり山間部に遊びにきてくれるのも有り難いのだが、事故があると地元のボランティアもそれに携わらなければいけない。
山に生きる会のメンバーも、その捜索に参加しているという。
山間部に暮らす者の一人として(悩)

竜頭山の登山道途中の分岐からは、杣小屋コースに進む、山頂手前、展望台横のツツジは蕾だった。
遠くの山並みを、目を凝らしてみていると、うっすら富士山らしきシルエットが見えた。
誰もかれも、その富士山が見えるという。
あれは、本物なのか?
それとも・・・。

竜頭山山頂を通過し、ほうずき平からほうずき平第二駐車場へ、私は迷わず、ツバモトさんの車に乗せてもらった。
山住神社の横の茶屋でヤマメ?の丸焼きを食べた。美味しかった。
そこからも車で移動、佳江さん栃の木を探しに行く。
佳江さんを写真に撮った栃の木は、栃の木ではなく、ホウの木だった。

「この木は違うよ」
そんな話もあったが、この木だと今、写真を見て思う。
去年の今頃は、楽しく走っていた。
アタリマエに来ると思っていた、未来は、アタリマエでなない。
この、竜頭山スーパーMも、今年で13回目、佐久間町が合併して走り始めた自分が居た。
数々の思い出がある。
自分は今、調子が悪い、しかし、そこからは走り始めた。
布滝、そこからまた車に乗った(笑)
 
切開で、夢街道の看板
そこからカワイさんと歩く、途中から車に乗る。

最後のエイドから、歩く、瀬戸から朝登った竜頭山がその全容を現す。
わたしの故郷の山、竜頭山(1351m)
ゴールである西渡に到着16時30分
ありがとうございました。
有り難い。事だ。

山住神社でいただいた令和元年の御朱印

来年再来年と続けて押してもらおうと思っている。
継続は力なり

最後に平和登山口にいってきて、登山ノートに無事に帰ってきましたと書いてきた。
ありがとうございました。
竜頭山。。。
写真は昔の写真。
この写真のヨッピーさんの横目で笑う姿が好きだ(*^^)v

拍手[4回]

はじめは浦川キャンプ場だった、この飲み会、いつしか上島キャンプ場になった。

2015年(浦川キャンプ場)
2016年(浦川キャンプ場)
2017年(上島キャンプ場)
2018年(上島キャンプ場)
2019年(上島キャンプ場)
同級生と始まった、この飲み会も、人数集めのため、それにはこだわらなくなった。
呑みたい。酒好き。話したい。いろいろな考えがあると思うが、とにかくやろう!その想いで55歳の自分が始めたことだ。

人生とは、自分の限られた時間を使って生きること。
その限られた時間の一部を上島キャンプ場へ来て酒を飲むこと話し合うことに使う。

いいじゃないか。
人生は楽しむためにある。

拍手[3回]

朝日新聞「教育」
東京海洋大客員助教授・さかなクン
の言葉がある。
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html
小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
と。

今、走る仲間が書いた本「空につづくカミーノ おじさんパッカーのサンティアゴ巡礼の旅」をアマゾンで注文している。
広い広い、広大な平野が広がるスペインのキリスト教の聖地の旅、今年の6月にまた行くのだと言っていた。

わたしのラン友でのマラニックは走る仲間が家族のように、助け合い認め合い走る旅ラン。
そうしたいと思っている

拍手[3回]

一般に登録を行った会員間で特定の自動車を共同使用するサービスないしはシステムのこと。自動車を借りるという面ではレンタカーと近い存在であるが、一般にレンタカーよりもごく短時間の利用を想定しており、利用者にとってはレンタカーよりも便利で安価になるように設定されていることが多い。
ウィキペディアより。

野辺山100㎞を走った人の投稿で知った。

先日、余呉湖の帰りに車のラジオで、リチウムイオン二次電池の発明者の一人 吉野彰さんの話があった。
昔日本は、車は一家に一台の時代があった。そして一人に一台の時代になった。
コンピューターが普及し、スマホが普及し、これからは電気自動車が普及するのか?
大きな蓄電池ができ、発電所は少なくなるのではないか、との話も合った。

それと、これからの時代「シェア」がキーワードになると。も。
ひとつの物を、仲間で友達でシェアする。
そう仲間。友達

仲間→ 同じ種類のもの。同類。「オオカミは犬の仲間だ」
友達→ 一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人
ネット友達、 リアル友達
ネットの仲間、リアルの仲間
「シェア」
この前の飲み会のとき、ある人がわたしのスマホのバッテリーが無くなったのを知り
自分の充電器のバッテリーと繋いでくれた。
これもシェアか。
小さなことだけど、ホッコリした。

拍手[1回]

NHKスペシャル シリーズ人体Ⅱ「遺伝子」第2集 "DNAスイッチ"が運命を変えるを見た。
DNAは未来の設計図、しかし、それにはスイッチがあり癌になりにくいDNAがあったとしても、そのスイッチが入っていなければそのDNAは働かない、そこでそのスイッチを入れるための酵素を開発している。
そんな内容だったと。
詳しくは↓
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_972.html

双子の宇宙飛行士、一年宇宙ステーションに滞在したスコットさん。地球に残ったマークさん。
DNAに変化が現れた。
宇宙という地球とは違う環境下で、9000以上のDNAが変化する。
長い年月をかけて様々な環境に適応するために進化してきた人類、それはDNAスイッチが切り替わることによって繋いできた生命のリレーだ。

「DNAスイッチが切り替わり宇宙にも暮らせる日が来るかも?」
そんな話もあるが、化学が発達し宇宙に人が行く日が来ようとも。
いまある地球の環境を大切にすること。
富士山一周を走って、夜昼と富士山を中心軸として走り歩きをして楽しくもあり苦しくもあるマラニックを走って。
感じた。
 

最後に
教育者・東井義雄先生の詩
心のスイッチ

人間の目は ふしぎな目
見ようという心がなかったら
見ていても見えない

人間の耳はふしぎな耳
聞こうという心がなかったら
聞いていても 聞こえない

頭も そうだ
はじめからよい頭 わるい頭の区別が
あるのではないようだ
よしやるぞ!」と
心のスイッチが入ると
頭も
すばらしい はたらきを しはじめる

心のスイッチが 人間を
つまらなくもし
すばらしくもしていく

電灯のスイッチが
家の中を明るくもするし
暗くもするように
 

何歳になろうとも、どのような環境下でも、自分のスイッチをONにして前に向かって走って行こう(^O^)/エイエイォ~。

 

拍手[3回]

プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
カウンター
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カウンター
忍者ブログ [PR]