幼少のとき、母親の後を着いて斜面集落「横吹」の家に相月駅から登ったことがある。
「ドウシテ、こんな山の上に家があるのか」
子供心に母親に質問した。
母「先祖から暮らしていた所だからションナイョ」
飯田線にゆられ早瀬・下川合・中部天竜・佐久間・相月駅、そんな駅近くにある家の人が羨ましく感じた。
人は人と比べたくなる生き物らしい、
ナニナニちゃんは綺麗な洋服きているのに、私は御下がりばかり。
隣りの家は立派だけど、自分の家はボロボロだとか。
他者との比較の中に生きている者らしい。
その、比較によて「羨ましい」感覚が生まれる。
しかし、「羨ましい」こととは、自分が思う事だけではないようだ。
他の誰かが自分を「羨ましい」と思うこともあるようだ。
そこが、自分では分らない「羨ましい」と思われることがあることが。
謙虚に生きなければならない。
運が良いとか悪いとか、人は時々、口にするけど♪
人を「羨ましい」と思うより。
自分の道を生きることだ。
ハムレットは言った『人生は選択の連続である』と。
シェイクスピアの作品、『リア王』『マクベス』『オセロー』『ハムレット』などの4作品は「4大悲劇」と呼ばれています。このセリフは小説ハムレットの中の名言です。
私たちの毎日は、ものすごく小さなことから、 大きなことまで毎日1000個以上の決断をし日々を暮らしている。 そんな毎日を繰り返し人間は人生を生きている。
森伸三先生は言った『現在は過去の結果である』と。それもまた同じような意味だ。様々な選択をし今の自分が作られている。現在の自分が、ここにいるのである。
今日は、相月の東林寺に行ってきた。
毎年、ここ東林寺では8月15日に施餓鬼(せがき)がある。
施餓鬼(せがき)とは、仏教行事のひとつ、餓鬼(がき)とは、生前の悪行によって亡者の世界に落とされた霊や魂の事を言い、常に飢えと乾きに苦しんでいるものだそうです。
施餓鬼とは、そのような餓鬼たちに施す、そんな行事なのです。餓鬼の供養を行う法要行事なのです。
北遠(ほくえん)の和尚様が集まって、その施餓鬼は行われた。
私の家は、今回初盆だったので、お寺の中に入って、その一部始終を見た。聴いた。
有難いお経を聞いていると、前に座っていた女の人の後ろの畳の上に、異様な生物が、薄黒くて細い触手をフニャフニャ・・・・・。何かナ~。見たことあるような?
山ヒルだ。誰かの血を吸ったのだろうか、少し大きくなっていた。
隣の人がテッシュで取ってくれて、一件落着だった。
私の家は初盆ということで、内施餓鬼という法要を施餓鬼の前に行う。
その時、多くのお布施がかかる。下世話な話だが金がかかる。
平成17年に亡くなった母親の法要は
没年 1周忌 3回忌 7回忌 13回忌 17回忌 23回忌 27回忌 33回忌 37回忌 50回忌
平成17年 18年 19年 23年 29年 33年 39年 43年 49年 53年 66年
ココに父親の法要も重なるのである。
年を取り、収入は減っていくが、出ていく現金が多くなっていく。悲しい問題だ。
この様に思うことは、情けない考えなのか。
田舎に暮し、仕事に恵まれているときは好いが、仕事が無くなってしまった時、どうなるのか。
また、一人住まいの高齢の人も多くいる。その人たちは年金を切り詰めて支払っているのだろうか?
和尚様に請求されたお布施を、ありがたいことだと、支払っているのか?
また、私の先祖曽祖父倉蔵の時に位を上げている、横吹という斜面集落に住み経済状態も豊かではなかったと思うのに、何故。
また、祖父には子供が11人いた。その大半が戦前戦中の食料不足で栄養が行き届かない時代で栄養失調で亡くなった子が多くいたと聞く。
その子たちの供養は、亡き父親がしていたのだ。私はその苦労は知らない。
私は両親の供養のお布施で小言だ。自分で自分が情けない。
仏教には過去帳がある。
その時代に和尚様が書いた自記筆で、その記録が書き収められている。
森伸三先生の言った『現在は過去の結果である』また『未来とは今の積み重ねである』今日という日を、ありがたいと想い一日を暮らすことである。
その向こうに有難い未来があると想うことである。
「想う」の意味は「心の中でイメージすること」です。
例文
「同窓会で懐かしい友人と再会し、昔を懐かしく想う」
「久々に帰省し、変わらぬ風景に幼少期を懐かしく想った」
来年の5月は佐久間中学校75の同窓会だ。楽しい会になるように頑張るゾ~。。。
元号が令和に代わり、最初の夏が訪れた。
NHK総合8月8日夜10時から、そのドラマは始まった。
戦後の昭和・平成を生き抜いたヒロイン・凛子を、岸 惠子さんと清原果耶さんがリレーで演じます。
ヒロイン・凛子と、フィリピンで出会た親友・日下部綾の物語。
私は昭和35年生れ戦後15年が経ちライフラインは整いはじめ、小学校の頃には電化製品もそろい始めた時代に生きてきた。父親が昭和10年母親は大正15年。戦争のことは親から聞いたり本で知ったり。今回のようにテレビドラマで思い巡らす事しかできない。
この作品は、太平洋戦争の最中フィリピンのルソン島に暮らしていた生存者の手記を基に作られた作品です。
激戦の太平洋戦争の最中フィリピンで何が起きたのか?
食うものが無く餓死状態で人は普通ではなくなる。
敗戦になり、二人は東京で暮らす。
最後、綾が凛子の横で亡くなる。
凛子が綾の一生を日本で暮らしたことを、ほんとうに良かったのか回想する。
「人が生きる場所は、国でもない土地でもない、人なんだョ」
田宮役の(伊東四朗)のセリフが心に残った。
凛子役の岸 惠子さん70歳。
老人ホームに行く決心をした。
私、59歳。いつまでもココで暮らしたい。
そのためには、今何をやるべきか。
先日読んだ、『国家の品格』
藤原氏は西洋の「論理万能主義」を批判していた。
世界で唯一の「情緒と形の文明」を持つ日本の“国家の品格”を取り戻すことを書いていた。
しかし、あの戦争は国を愛するがために自国国民が命を懸けて戦った。
また『国家の品格』の中で、情緒とは四つの愛が大切だと書いてある。
「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」そして「人類愛」だと。
世界で唯一の「情緒と形の文明」を持つ日本。あの太平洋戦争で、国のために戦った人たち。
マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束~
BSプレミアム8月21日(水)夜10時~
BS4K 8月24日(土)夜 7時~
日本の歴史の中で、様々な事があり、今がある。
去年亡くなった母親の初盆のため、八月前半は一日家の中にいる。
森信三先生の本を買って読み始めた。
森信三
人生
二度なし
[悔いなく生きるために]
p17
素質と天分の問題
「人は何のために生きるのか」この人生の根本の問題について考えてみるに、それをもし一言でいうとしたら、結局各自が生まれながらにもって生まれた素質、天分を発揮し、それを実現することを通して、世のため人のために尽くすことにあるというほかないと思います。
素質→将来すぐれた能力が発揮されるもととなる性質や能力。「音楽家としての素質に恵まれる」
天分→天から与えられた身分・職分。「天分をわきまえる」
昨日、SBS静岡放送で夜6時30分の番組消えた天才を観た。
短距離界のエース、サニブラウン。中学生の頃、そのサニブラウンを超える天来ランナーが居た。彼は今、何処に行ったのか。
甲子園で歴代天才といわれた内野手が居た、その人は今、何をやっているのか?
小学校6年生、リトルリーグで大活躍の完全試合の天才投手の話だった。
その少年投手はその後、中学生になり、病・スランプ様々な格闘があり、野球から離れた。
やる気のない毎日をおくっていた。
そんな、やる気のない毎日をおくっていた少年の目を覚ませさせたのは、母親だった。
ベットでスマホをいじっている少年に水をかけたのだ。
人は何のために生きるのか?
その後、その少年は高校に入って野球を始めた。
そして現代、高校を卒業して警備会社で働いているという。
素質→将来すぐれた能力が発揮されるもととなる性質や能力。「音楽家としての素質に恵まれる」
天分→天から与えられた身分・職分。「天分をわきまえる」
自分の、素質・天分
それは、他の何かと比べて決めるものではない。
自分なりに自分の与えられた道を進めばいい、と思う。
昨日の昼。NHK BS1にて
巨大戦艦 大和 ~乗員たちが見つめた生と死~
を観た。
去年書いたブログがある。
2018/08/18
中高年よ、私たちが生きている時代は戦友たちが生きたかった「未来」だ。
今、わたし達は平和な世界に生きている。
今日は
嵐の富士山麓165km ウルトラトレイル・マウントフジ2019
を観た。
165㎞長い長いレースだ。
ゴール後のトップ選手の言葉
「辛いことは考えずに前に進んだ。」
印象的だった。
人間学を学ぶ月刊誌chichi到知
記載している内容は素晴らしい、自分の心にズドンと響く内容が多い。分かっているけど本読む時間が無いし、とか悩んでいるとき、昔の到知を開いてみた。2016年3月号、そこの《巻頭の言葉》ウシオ電機会長牛尾治郎『清規と陋規』を読み返していた。
清規(せいき)とは表向きの道徳。陋規(ろうき)とは裏の道徳だそうだ。
陋規、裏の道徳、????今の人には分らないかもしれない。
それは大泥棒ネズミ小僧治郎吉がお金持ちの屋敷から盗みを働き庶民に、その金をばらまいた。
またヤクザの世界にも義理と人情の世界があった。
悪の世界にも、それなりの道徳があったという話しだった。
そんな昔の2016年3月号の到知p34に「日米資本主義の父が願ったもの」渋沢栄一とフランクリンとの記事が目に留まり目を通した。
日本の渋沢栄一と米国のベンジャミン・フランクリンは資本主義の父といわれ共通点が多いと斎藤孝明治大学教授が、その二人を語った内容だ。
生まれた国も生きた時代も異なる二人の精神的基盤となったもの、行動原理は何だったのか。また、二人の願った社会とはどんなものだったのか。
アメリカの独立宣言は1776年、ベンジャミン・フランクリン70歳のとき。イギリスと戦って独立し、アメリカ合衆国という国が生まれ、その中でフランクリン、は経済はもちろん社会貢献という面でも中心的な役割をした。
渋沢栄一は明治維新という日本の独立の渦中の中で、天下国家を論じるだけではなく経済をもって国の柱としなければいけないと考えた人です。
二人の心を支えた『論語』と『聖書』
士農工商、商業は卑しいものと言われていた時代から生きた渋沢栄一は経済発展で卑しい人にならぬよう『論語』道徳の心を持っていた。
日本に、素晴らしい人がいるのだナ~。そんなことを思ってネットで検索してみた。
「渋沢栄一」
するとなんと!
2024年度前半に日本の紙幣の図柄が変わり一万円札の肖像画が、渋沢栄一になると4月9日に発表したとあった(ビックリ)
日本!!素晴らしい。。。
自分!!アンテナ低い(涙)
「おもてなし」フリーアナウンサー、滝川クリステルさんが国際オリンピック委員会にてフランス語で日本をプレゼンしたスピーチした内容が話題になりました。
そのプレゼンの詳細を記します。
皆様を私どもでしかできないお迎え方をいたします。
それは日本語ではたった一言で表現できます。
「おもてなし」。
それは訪れる人を心から慈しみお迎えするという深い意味があります。
先祖代々受け継がれてまいりました。
以来、現代日本の先端文化にもしっかりと根付いているのです。
そのおもてなしの心があるからこそ、日本人がこれほどまでに互いを思いやり、客人に心配りをするのです。
一例を挙げてみましょう。
皆様が何か落し物をしても、きっとそれは戻ってきます。
お金の入ったお財布でも、昨年1年間だけでも3000万ドル以上も現金が落し物として警察に届けられました。
世界各国の旅行者7万5000人への最新のアンケートでも東京は世界一安全な街とされました。
公共交通機関も世界一しっかりしていて、街中が清潔で、タクシーの運転手さんも世界一親切。
世界最高峰のレストラン、ミシュランガイドでは世界一星の数が多い東京。
それらすべてが未来を感じられる街を彩っています。
(中略)
大都市の中心での初めてのオリンピック、文化とスポーツが一体となってかつてない形で
響きあうようにとオリンピックの会場から会場へは、ファンが歩く為の散歩道が整備され、
そこではライブや誰でも無料のイベント催されていて夢のような素敵な雰囲気で盛り上がります。
そして訪れた方、全てに生涯忘れえない素敵な思い出を残すことでしょう
そんなフリーナウンサー、滝川クリステルさんが政治家小泉進次郎さんとの結婚が報道された。
滝川さんは話すことのプロ。小泉進次郎さんも父親譲りの上手な演説で人気を得ている。
政治化の話す言葉での影響力は絶大だ。些細な一言が世の中を変えると言っても過言ではない。小泉進次郎さんのこんな演説がある。
「政治家イコール政策で世の中が動くわけではない。政治というのは面白いですよ。Aという政治家、Bという政治家、Cという政治家。3人の政治家がいて同じことを言ったとしてもAさんの言うことなら聞こうとなる。最後、政治は人がやるんです。政策は1人ではできません。多数が必要です」
国民から聞いてもらえる「Aという政治家」になるため。小泉進次郎さんという政治家は「おもてなし」の伴侶と共に「言葉の力」の真髄を基に日本という巨大な船を真っ直ぐに導いてくれるところ期待している。
父親 小泉純一郎元総理
1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の政治家。
衆議院議員(12期)、厚生大臣(第69・70・81代)、郵政大臣(第55代)、内閣総理大臣(第87・88・89代)、自由民主党総裁(第20代)、農林水産大臣(第38代)などを歴任した。血液型A型。
ウィキペディアから。
もっと詳しくは↓
小泉純一郎ウィキペディア
クリック
この人、総理大臣時代は原発推進の立場だったが、今は脱原発を声高に叫んでいる。
この時代に政治化から「自己責任」そんな言葉が出たように記憶する。
私は小泉総理だと思っていたが。
イラク日本人人質事件 - Wikipedia
当時、環境相時代の小池百合子氏が言ったことだと、今ネットで見て知った。
私は水窪での「山に生きる会」のNPOに入っている。
水窪の人々の中には、この会で水窪の山を宣伝して多くの人が来るから、遭難があった時に水窪の消防団(ボランティア)が大変な思いをする。
との話を聞いたことがある。
たまに山に登る自分にとっても考えさせられる言葉だ「自己責任」
人に意識されない地域は、やがて消えてなくなる。
九州大学の先生が言った言葉がある。
「その地域の景色が悪くなる、その地域は、やがてどうでもよくなる」と
明日は知り合いが走って私の地域にやってくる。
お・も・て・な・し
の心を持って迎えたい。
しんしん
「知る」と「死ぬ」
養老先生は、学生たちに、勉強するという行為の意味を、こう伝えている。
「知るということは根本的にはガンの告知だ」と。
「君たちだってガンになるときがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話している。
そんな言葉で昔のブログを思いかえした。
最高の人生
2016/03/19 (Sat)
最高の人生・・・か~。
2016/04/12 (Tue)
環台湾超級馬拉松之旅
2017/01/31 (Tue)
母は今年6月で90歳~♪
2016/10/17 (Mon)
実践「快老生活」を読んだ。
2017/09/30 (Sat)
老少不定
2018/03/05 (Mon)
ヒデキ逝く
2018/05/18 (Fri)
来年は東京オリンピックがある。
それぞれの選手が最高のパフォーマンスを出すために努力する。
アトランタオリンピックで銅メダルの有森裕子さんの言葉が心に残っている。
「初めて,自分で自分をほめたいと思います」
高校時代に補欠選手として都道府県対抗女子駅伝に臨んだ。その開会式で歌手・高石ともやが読んだ詩の一節に「人にほめてもらうんじゃなくて、自分でほめなさい」があった。
前回バルセロナでは「銀」、アトランタでは「銅」メダル、それでもあえて
「”初めて”自分を褒めたい」と言ったのは、高石さんの詩の前半部分を見るとよくわかる。
「ここまで来るのに一生懸命、頑張ってきた自分も、苦しんだ自分も、
喜んだ自分も、全部知っているのは、あなた自身だから」
一生懸命頑張っていると、
いろんな人がいろんなチャンスをくれます。
でも、一生懸命頑張らない人には、
何もチャンスは来ません。
今年も暑い夏が始まった。
富士山頂往復マラニックの時が来た。
しかし、今年はDNSだ(涙)
最高の人生の見つけ方
エド・ソロモン監督による、2003年のドラマ映画。
今年、日本でも同じような映画があるらしい。
最高の人生の見つけ方
人生とは人それぞれ。
自分なりの人生を歩めばいい。
2005年(平成17年)11月に出版された本『国家の品格』書名の「品格」は、2006年(平成18年)の新語・流行語大賞を受賞した。
その後「品格ブーム」で坂東眞理子著『女性の品格』(PHP新書)は300万部以上を売り上げ、ドラマ『ハケンの品格』は平均視聴率20.1%を記録した。他に『会社の-』『日本人の-』『自分の-』『親の-』『男の-』『遊びの-』など次々と発売された。
この本は、藤原が講演で述べた内容を基礎にした本である。そのため、文体は口語調で、「妻を筆頭に殴りたい女性はたくさんいます」、「(什の掟は)最後の七つ目以外は納得できます」といったユーモアが効いたものになっている。西洋、特にアメリカの「論理万能主義」を批判し「だめなものはだめ」と主張。グローバリズムなどを真っ向から否定し、自国の伝統や美意識などを重んじることを説いた。
世界で唯一の「情緒と形の文明」を持つ日本の“国家の品格”を取り戻すことを書いた。本文中には前著のタイトルでもある「祖国とは国語」と言う言葉が複数箇所で用いられている。
什の掟
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
ウィキペディアから。
2005年(平成17年)11月に出版された本『国家の品格』
2005年(平成17年)7月佐久間町は浜松市に合併した。
合併する前、佐久間町の役場の職員は住民に浜松市への合併の経緯を説明に来た。
静岡市に合併した井川地区の公共施設を整備してくれなくなった状態の写真を住民に見せ説明した。
そして
「佐久間町も何れこうなるでしょう」
といって合併の説明は終わった。
その静岡市で、リニアのトンネルが静岡県の北の隅っこを通り、大井川の水量が減ると大問題だと大騒ぎをしている。
井川地区は静岡市に合併し、どうなったのだろう?
浜松市は、浜松市に合併した佐久間町は、年々人口が減り学校の生徒が減り、小中学校の統廃合が問題になっている。
四つの愛
情緒には四つの愛が基本だと。
「家族愛」
「郷土愛」
「祖国愛」
この三つの愛が、しっかり固まった後で、最後に
「人類愛」
だと言っている。
家族とは
「まちむらリレーション市民交流会議」
2018年二月に行った
・熊本大学名誉教授 徳野貞雄
・静岡文化芸術大学 船戸修一
・浜松市市民協働・地域政策課 北嶋秀明
この時の徳野教授の家族の話し。
家族とは、行政が言う家族は一緒に暮して居るだけど、本当の家族はとの話だった、と今振り返っている。
単身赴任で一緒には暮して居ない夫は、それは家族ではないのですか?
嫁に行った娘は家族ではないのですか?
等々。
もっと言うと、可愛いペット、死んでいった親も、家族だと言っていた。
そんな家族を愛すること「家族愛」それを第一に持つこと。
来年は2020年は、東京オリンピックの年だ。
四つの愛
「家族愛」
「郷土愛」
「祖国愛」
「人類愛」
愛あふれる東京オリンピックを望んでいる。
第四章
万物流転、情報不変
万物流転→ この世にあるあらゆるものは、絶え間なく変化してやまないということ。
不変 → 変わらないこと。また、そのさま。
情報不変 養老先生は人は常に変わっている。情報は変わらない、情報不変なのだと。
それが、現代の人々はあべこべに感じているのだと。
説いている。
森信三先生が戦前の師範学校での生徒を前にして講義した記録「修身教授録」
先生のその記録は、半世紀以上たった今も人々の心に光を点している。
一冊の本、そこに込められている情報は不変。生涯、変わらない。
「知る」と「死ぬ」
養老先生は、学生たちに、勉強するという行為の意味を、こう伝えている。
「知るということは根本的にはガンの告知だ」と。
「君たちだってガンになるときがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話しているという。
様々な本を読み、知らない世界の誰かの心を知った、知らないでも良かったのかもしれないと思った事も少なくもあった。
が、違うのだ。
知るということは、養老先生が「バカの壁」の最後で書いてある
人生は崖登りだと思っているといっている。
必死に崖を登り、少しでも高い所に行けば低い所よりも違う世界が見えるだろうと。
「わかる」という言葉の語源は、「分ける」ことです。
昔、頭の病気は分らなかった。頭が痛いと死んでいった人は、脳卒中だった。
今は脳卒中は大きく脳出血・脳梗塞・くも膜下出血に分類されている。
まだまだ分ってきて分けられるだろう。
養老先生は医学博士、解剖学者。
人間の脳の働きで、欲望のことも書いてあった。
人々は何故争うのか?
「バカの壁」があり、他を思いやる気持ちの前に立ちふさがるからだと。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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