相月のお寺(東林寺)に墓参りに行ってきた。
線香・香の花・水・洗い道具・選定ハサミを持って。
軽トラで。
東林寺には、新間家の先祖、水子地蔵、私の兄、三つの墓がある。
隣りのナッチャンが生前言っていた。
「生きてる人の仕事」
今は亡き人のおは墓の掃除は、今生きている人の仕事だと、今感じている。
東林寺の墓地に着き、他の墓を見る。
中日の過ぎた今日、みな綺麗にされている墓が多かった。
しかし、香の花が枯れてみすぼらしくなっているところもある。
我が家の墓が、その一つだった。
墓掃除が終わり、線香を祀る、横吹の知り合いの家にも。
折角相月まで来たのだ。住職に会って行こう。
そう思い電話するが出ない。
畑仕事をしている人と、相月の話をしていると住職夫婦が寺に帰ってきた。
寺に入り、住職と今読んでいる「深夜特急3」でのインドの話を少しする。
境内の位牌に手を合わせに行く、檀家の人の写経が数枚あった。綺麗な字だ。
私も進められたが断った。
本当はやりたいけど、時間が無いと自分なりに言い訳が次々うかんだ。
帰るころ、就職が
「良寛の般若心経があるが持っていくかネ」と、言った。
森町三倉の勉強会、次の土曜日は「良寛 戒語」だ。
ご縁を感じる。
良寛、江戸後期の曹洞宗の僧。
「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛さんの詩が有名だ。
『戒語』
・言葉の多き
(口数が多すぎる)
・口の早き
(早口である)
・話の長き
(話が長い)
・もの言いのくどき
(物言いがくどい)
・表裏口
(言うことに表裏がある)
・口に耳をつけて囁く
(ひそひそ話)
・こころにもなきことを言う
・負け惜しみ
・人のことばを笑う
・人惑わしのこと
(人を惑わすこと)
・客の前に人を叱る
・憎き心もちて人を叱る
・人の嫌がるおどけ
・人の傷つくことを言う
・人の嫌がることを言う
・人の障りになることを言う
・人の困ることを言う
・人の恥かくことを言う
・人を驚かすおどけ言う
・人を嫉む(ねたむ)ことを言う
・人に腹立たすことを言う
・人を見限ることを言う
・行き過ぎたことを言う
(大袈裟に言う)
・まぎらかしことを言う
(紛らわしいことを言う)
・よそごとを言う
(他人事を言う)
・逃げごとを言う
・鼻であしらう
・説法(法談)の上手下手(の評価)
(人の説法の評価をする)
・人の器量のあるなし
(人の器量についてああだこうだ言う)
・差し出口
(でしゃばって、お節介を言う)
・講釈の長き
・手柄話
・自慢話
・物言いの果てしなき
(果てしなく話をする)
・減らず口
・己が悪しきことを人に塗りつくる
(自分の罪を人に被せる)
・人のもの言いきらぬうちにもの言う
(人が話しているのに、遮ってものを言う)
・話の腰をおる
・子供に知恵をつける
・子供をたらす
(子供をだます)
・たやすく約束する
・よく心得ぬことを人に教える
(自分の理解していないことを人に教える)
・人の話の邪魔をする
・あなどること
(相手を見下げて軽んずる)
・しめやかなる座にて心なくもの言う
((葬儀など)しめやかな場面で心無いことを言う)
・人の隠することをあからさまに言う
・親切らしくもの言う
・推し量りのことを真実になして言う
(推測の域のことを、あたかも真実であるかのように言う)
・悪しきと知りながら言い通す
・物知り顔に言う
・人を敬いすぎる
・神仏のことを軽々しく沙汰する
・軽はずみにもの言う
・さしたることもなきことを細々と言う
(なんでもないような事を、いちいち細かく言う)
・いささかなことを言い立てる
(重大でないことを、強く主張する)
・人の気色を見ずしてもの言う
(人の顔色や様子を見ないでものを言う)
・人を侮ること
・己の意地を言い通す
・よく物の講釈をしたがる
(講釈くさい)
・老人のくどき
(老人のくどい話)
・若いものの無駄話
・口をとがらしてもの言う
・過ちを飾る
・押しの強き
・珍しき話の重なる
・口まね
・田舎ものの江戸ことば
・都ことばを覚えしたり顔に言う
・よく知らぬことを憚り(はばかり)なく言う
・人の寝てからの大話
・寝入りたる人をあわただしく起こす
・寝付かれぬ人のかたわらに話する
・憂いある人のかたわらに歌うたう
・間の切れぬようにもの言う
・わざと無造作に言う
・悟り臭き話
・学者臭き話
・茶人臭き話
・風雅臭き話
・さしてもなきことを論ずる
(大したことないことを論じる)
・言うこと言わぬ
・あまりしらじらしくもの言う
・あくびとともに念仏
前夜祭が始まり。遠山のジンギスでお腹を満たし。久しぶりに会う遠山の人、走る仲間の再開で酒が進む。
駐車場に帰り、二次会が始まり、私は酒豪についていくことができず。寝床に入り込み就寝。
朝、5時には起き、持ってきたカップ麺をにぎってお湯を沸かしている人を探した。
朝食を終え、車にて着替え、仲間とスタート会場へ。
今年は何時もと違い、和田のメインストリートからのスタートとなった。
トイレを借りた建物は立派だった、何の建物かと思ったら商工会の建物だった。
2019年9月22日朝7時、花火とともに150名あまりのランナーがスタートした。
遠山の人たちが沿道で旗を振ってくれている。
声をかけてくれる人もいる。
コースは山間のコースになり上り坂が続く。
歩く人も出てくる。歩くことなく第一エイドに到着したが、歩く人と同じスピードだった。
下りでは気持ちよく走ることができた。
途中、クミちゃんが居たので話したら、違う人だった(そっくりさん)だった。
木沢エイド。懐かしの小学校、第一回目はココからのスタートだった。
トンネルをくぐり、二つ目の上り坂。途中緩くなったが、下栗での坂は躊躇なく歩いた。
ソバの白い花が綺麗だった。もう満開を終えたヒマワリの花がアンパンマンの仮装をしていた。
よく見ると、そのヒマワリは舗装した道路のチョットした隙間から幹を伸ばしていた。
走力は落ち、アッチコッチ故障だらけの身体に鞭打って下栗の坂を上ってきた自分と重なった。
第4エイド「半場亭」ココでビューポイントから戻ってきた人から下栗が見えたとスマホの写真を見せてもらった。
給食給水もそこそこに、ビューポイントに急いだ。
トレイルコース、先を行くランナーが霧にかすみ幻想的だった。
ビューポイントでは真っ白で何も見えなかった。
みんなで息を吹いたら、霧は少しだけ晴れて少しだけ下栗の里が見えた。さっき上ってきたコースが少しだけ見えた。
もと来たコースを戻り、半場亭から林間コースだ。足元が濡れていて滑るのが心配だ。
治郎さんエイドで、飲み物食べ物(泡)
いつのまにか、仲間は先に行ってしまった。
ココからの下り坂は一人旅。
第6エイド、梨本ていしゃ場でのアマゴを目標に走った。
ところが、アマゴは無かった。アマゴは島畑だそうだ。
また一人旅での走りになるが、東海マラニック倶楽部のTシャツの人と出会い世間話をして歩いた。
途中、クルミを拾いビニール袋に入れた。東海マラニック倶楽部のTシャツの人とは先に行った。
龍淵寺の激坂の手前にクルミの袋を置いて、ゴール後持ちに来よう、そう思ったが、地元の叔母さんに次の坂道まで持ってきてもらった。
和田城の下り坂で、その袋を頂いた。
また、袋を持ってのランになる。
前日、植樹で植えた桜の木の根元に、その袋を置いて第8エイドの「島畑」を目指す。
遠くに、地元中学校の先生が居た。声をかける。
遠山が大好きになった様子。
城西もどうにかしなければ、と話す。
「お先に」と言って、先に「島畑」エイドに急ぐ。
第8エイド「島畑」では、アマゴがこんがり焼けていた。
チビッ子の太鼓の音がランナーを迎えてくれた。
そこに、地元中学校の先生が着くと大声援が、、、。
遠山が大好きになった気持ちが、少し分った。
「島畑」そこから、ヒロボーさん、山口組の女性二人の四人で第9エイド「この田」へ。
第9エイド「この田」蜂蜜のサイダー割りが美味だった。
この田の坂を下り、バイパスをゴール目指して走った。
遠山郷観光協会「アンバマイカ」ゴール。
時間は14時30分だった。
7時間30分、飲んだり食ったり遠山郷の叔母さんと話したり。
一日楽しく遊ぶことができた。
ありがとう。有難し。
有ることが難しい。普通では無い一日を過ごすことができました。
今日から、また普通の日々が続きます。
アタリマエにある今、今回の遠山での出会いに感謝し、今の普通の暮らしを感謝する。
アリガトウの反対の言葉はアタリマエ
アタリマエにある今、それが尊い事だと遠山を走って感じた。
佐久間から遠山郷まで、今年は途中富山の御世話になった方の家に寄ろうと考えていた。天竜川リバーサイドの富山エイドも事も考えていた。県道1号線を佐久間ダムからダム湖岸を走り富山、平岡駅・遠山郷にと考えていた。
朝7時、富山の知り合いの家に持っていく手土産を、何かないか?
佐久間には、そんな物は無い。ガックシ。
東栄の本郷にコンビニがあり、そっち経由で車を走らせた。
コンビニで饅頭を買い、豊根村経由で行こうと考えていて、コンビニで、その道が通れるか聞いた見た。隣で会計を待っていたトラックの運転手が「大丈夫」と言ってくれた。
国道151号線を北上、太和金バイパスは綺麗に整備されていた。パル豊根、豊根村の村役場の方に右折、途中ナビを富山にセットした。
豊根村役場を通り過ぎ、みどり湖の湖岸を進むことに不安になり途中で、畑仕事をしている人に道を尋ねる。「役場のところから阿南の方に行った方がヨカンべ」ということで、Uターンして役場のところから阿南方面を目指した。
コッチの道の方がよさそう、そう思っていたが、すぐに細い道路になっていく、ナビでは工事中のタメ通過できませんという。不安だ。
ところが工事中だったけど通ることは出来た。ホ。
少し行くと、民家が。また少し行くとキャンプ場が、山深い所に人の気配はないが家が点在していた。
しばらく行くと、天竜川リバーサイドで走った、見覚えがある道路が出た。九十九折の山の道路を進んで行く、狭いトンネルを抜けて、山道を下っていく。秋に来れば紅葉が綺麗だろうナ~。
天竜川が見え、富山に、御世話になった人の家に行く。
様々な事を話す。
ヒロボーさんから着信、もう遠山郷に入るそうだ、泡も入っていろうな口調だった。
11時57分着の伊那路で知り合いが二人来るので、一緒に行くので、そのときまで待ってて。
ウッチャン・友さんからも着信、昼飯を蕎麦屋に行こう。そんな話だった。
富山での懐かしい話に花が咲き、話が進んだ。しかし、伊那路の到着時間が迫っている。
別れは寂しいけど、富山の集落を下った。綺麗に手入れされている畑はネットで囲まれていた。
天竜川のクニャクニャ道を平岡へ、平岡駅には11時30分には到着、見たことあるような人が一人休憩室にいた。
塩尻から来た彼は、伊那路の上りを利用してきたそうだ。ランナーとは見えないような体形になっていた彼は、性格は昔のままだった。頭の毛もかろうじて残っていた。
11時57分、伊那路が平岡駅に着き、二人の知り合いと、一人のたまたま出会った知り合いの荷物を車に積んで、遠山郷を目指した。
遠山郷に着き、受付をすまし。
遠山郷観光協会の主催する、青崩れトンネルの遠山郷側のバイパスに桜の木を植える植樹イベントに参加した。
遠山郷は、7年後に完成する青崩れトンネルが開通する頃、遠山郷が花いっぱいの里になるように、花街道(仮称)の里をと感えているそうだ。
私は10月桜を植樹した。
植樹イベントが終わり、仲間が去年亡くなった、よしえさんの桜の木の前に集まり、花を添える人、花の球根を植える人がいた。
遠山郷のマラニックは、今年で13回、第一回目のマラニックの様子は今でも鮮明に記憶している。
走り終わってからの宴会はセンセーショナルだった。
関東のランナーが多くいて田舎が楽しく感じた、そんな時だった。
いま、LINE、フェースブックで遠くにいても繋がりを感じる世界に私たちは暮して居る。
しかし、死ぬということは、写真は残っていても言った言葉は忘れなくても。もう逢うことは出来ない。
たまたま来た、同じ大会に参加する赤いアウディが来たので、観光協会までの帰りは、その車に乗せてもらった。
前夜祭の開催は17時。マイクロが来るのは16時30分。まだ時間はタップリある。
近くのスーパーで昼食のお弁当を買い、泡も。
遠山郷が縁で知り合った仲間と再会を懐かしみ、昼間から宴会が始まった。
「深夜特急2」マレーシア・シンガポール
第四章
メナムから
オートバイはマフラーを付けていない。タクシーは爆音とと共に走りだす。バスは絶え間なく警笛を鳴らす。バンコックは東京よりも香港よりも騒音が多い街だそうだ。
第五章
娼婦たちと野郎ども
マレー半島を南下、途中香港の馬春田たちが絶賛していたペナンの娼婦の館に、、、、。
第六章
海の向こうに
シンガポールに着いて、”香港の幻想”を求めて旅していたことに気がついた。
香港からインド航空の便でタイ・バンコックへ。飛行機から下りタイのお金に両替するのを忘れ、バス代もない困った著者は、学生風のタイ人に身振り手振りで1バーツと100円硬貨を交換してもらった。(一バーツは約十五円)
バスに乗ると、その学生が自分のバス代も払ってくれた。その学生にご飯をおごってもらった。貧乏な旅行者は親切にされた。
その後タクシーに乗り、今夜の宿「ゴールデン・プラザ」に。
フロントで宿代の交渉、最後に「ところで、女いらないか」と聞かれる。それは部屋に入っても「イイ女いるよ」「50ドルぽっきりよ」 「金は無い疲れたから寝る」そう言って追い返した。
しばらくして、また。
ボーイ:「40ドルのもいるよ。日本語話せる」
著 者:「日本語聞きにバンコックまで来たんじゃない!」
ボーイ:「30ドルね。英語なら話せる」
ボーイ:「20ドル。タイ語だけ」
ボーイ:「じゃあ,10ドルのはどうネ」
私はそのボーイのしつこさに辟易し、次に腹が立ち、やがてみじめな気分になってきた。彼のおしつけがましさの底には、私が日本人であり、日本人がひとりで来たときには女を欲するものであり、それを世話するのは当然という、単純かつ強固な三段論法が存在しているに違いなかったからだ。私が日本人でなかったなら、かくも執拗にしなかったはずだ。 (最後の方原文まま)
その話は、そこからの続きがある。そのボーイとの口喧嘩が続くのだ。また、その人もホテルのボーイだけの収入では食って行けず、日本人の客を見ると女を紹介して収入を得るのだと、また紹介された娼婦もその仕事で生きているのだと、やるせない気持ちになった。
生暖かいコーラを飲みながら、さきほどのボーイとのやりとりを反芻していた。
またペナンの娼婦や、そのヒモたちのとの共同生活の話も面白おかしく読んだ。
また、香港を出て、タイ・マレーシアを旅して、香港でうけた衝撃的な気持ちになれない自分の気持ちを、旅と人の人生を例えて話す下りには感動した。
「深夜特急3」も早く読みたい。
旅は人生そのもの。
旅を愛する多くの人々にバイブルとして今も読み継がれている沢木耕太郎「深夜特急1」香港・マカオ、を読んだ。
この本は、1970年代のユーラシア大陸横断の旅の本だ。
インドからユーラシア大陸をバスでイギリスを目指す旅、その旅は
「深夜特急1」「深夜特急2」「深夜特急3」「深夜特急4」「深夜特急5」「深夜特急6」続く。
インドを目指そうとする著者は、その旅の前に香港とマカオに出かける、その香港で見て感じたことは。
香港は今、学生デモがある。半世紀前の香港の事が著者の感じたことが開いてある。本だった。
著者が香港のレストランで知り合った学生(張君)、張君のアパートに行くと、その家に働くメイドの人が張君と何やら中国語で話したら著者への態度が明らかに不機嫌になったと言いう。後で張君に「メイドの人と何を話したの」と尋ねたら。「日本人だと・・・」と、張君は申し訳なさそうに話した。と書いてあった。
年老いたメイドの人は日本人に良い印象が無いのだろう。
張君のアパートを見渡すと香港の一般の人の家族が想像される。そうだ。
その家族は1947年、上海から香港に移り住み、父、母と姉、兄、妹、そして張君の6人家族。今姉はアメリカに住み、兄はロンドンに留学中で現在は4人で暮らしているという。張君はアメリカでの留学経験があり。妹もカナダに留学すると言う。
香港の人たちが、来るべき香港のこれからを見据えて財産と子供たちの教育を考えていうのだということを垣間見たそうだ。
また、香港から中国を眺めることのできる国境展望台への坂道を歩いている時に出会った男女5人組との話も印書的だ。
男性二人が日本人で、女性三人が香港人、男性は香港の電気会社に派遣された人で、女性はその会社で働いている女工さんだそうだ。
その日本人の一人が中国語は上手で、どうやって覚えたのですか?と尋ねたら、必死に話を聞いたと答えた。
香港の人、中国の人、日本の人で日・中・英の言葉を交えての会話がはずんだそうだ。
頑君、男女5人組、著者で国境展望台に行き、仲良くなって日本料理屋に行く。中国の若い女の人は最初「日本の料理が食べたい」と言ったのだけど、生の者を食べる文化のない、その若い女の人は気持ち悪がり食べることができなかったそうだ。
その後、7人でディスコに行って、踊った。
そこの、ディスコでアップテンポの曲から、スロウテンポの曲になり、男女がくっ付くように踊っている。
女の子の一人が、著者に向かって、あのダンスは好きかと聞いてきた。
「嫌いだ、暑苦しいから」と答えると。
その女の人が、言った質問が面白い。
日本人が好きなダンスだと、香港で噂されている。
「だって、あれのことジャパニーズ・スタイル呼んでいるんだもん、私たち」
とう言って可愛い声でいつまでも笑い続けた。と。
それから、マカオに向かってギャンブルにハマって、何とかトントンまでにして、宿に帰って、鉄火の女に「ハンサム」と言われ、ホテルを出るとき宿のひとに「ハンサム」意味を尋ねたら「助平」だと聞かされ。
タイに向かった。そのタイの宿で疲れ果てベッドに早く横になりたいと思っていたとき。
娼婦を紹介する人が、何回も何回もやってくる。日本人は金持っていて助平なイメージが着いているようだ。
1970年代から日本人は東南アジアに行って助平なイメージをまいてきた。
助平は日本人だけではないけど、男だったらみんな助平だけど。
東南アジアから見た日本人の印象を、感じた深夜特急1だった。
旅は人生そのもの。
インテリア西川
そんな浜松の事務所で酒を飲み、水窪祭りでの仮装の話になり誘われて今年は、その人たちの仲間に混ぜてもらうことにした、水窪祭りの仮装大会だった。
仮装の内容は、水窪に暮らす年寄りたちが水窪弁で水窪の昔を懐かしむ様子を語り、最後に水窪音頭を踊りだす。そんな感じだった。
いかいで こがいで よかっつら~♪
はんるかぶりだよ いっかもないか~♪
思い想いにジ~さん・バ~さんに仮装して、先ずは地元の春日神社に行く、一日の水窪祭りでの仮装の無事を祈願して二礼二拍手一礼。お神酒をいただいて、いざ仮装。。。
向市場の仮装会場に出発した。
音響の調子は、イマイチ。が本番になったら、なんか調子がいい。春日神社の祈願の賜物、かな(笑)
昔、懐かしい「く~姉」がいた。
リックを背負って「本町に行ってアツ姉のところに遊びに行く」と言っていた。しわだらけの顔をしわだらけの顔にして笑っている顔が昔のままで懐かしかった。
本町の仮装審査では、向市場の間違えを二度と繰り返すこと無く、やったつもりだ。
が、下品な無いように、10点マイナス、だそうだ(笑)
大里の審査会場、小畑の審査会場と、何とか終わり、第一日目の水窪の仮装大会は終わった。
仮装が終わり、小畑から向市場に帰る途中、本町の山に生きる会交流所により、いろいろ話しているときに「さっき米屋の八幡カオルがよってったゾ~」との話を聞いて、わたしと友さんたちは米屋に向かった。
米屋金物店の扉を開けて、呼んだら。。。出てきた~、、、。本物の八幡カオル、、、。
「いま何時~」・・「都チジ~」との掛け声で写真を撮った(笑)
水窪は凄い、素晴らしい。。。
芸能人や、様々な議員さんがイッパイ来ていた。
先ず、今回の会所である向市場に行ったとき、朝の七時の電車で向市場の駅に降り、会所に入ったら、一人ワイシャツにスラックスの人がいた。
そうか、早くから仮装の格好をしているのだ、と思っていた。水窪の人は仮装にかける意気込みが違う、そう思ったいた。
わたしの左側に座っていた。朝から会所では酒を飲んでいる。様々な話の中で、そのワイシャツに人に誰かが
「昨日は何処に行っていた」そんな話をしていた。
そのワイシャツの人は
「青森県の自衛隊を廻ってきた」そんな風に答えた。
俺は
「三沢基地とか?」
と、そのワイシャツの人に尋ねた。
「三沢基地、行ってきました」
そのワイシャツの人が答えた。
それまで、わたしは、その人は水窪の人でワイシャツとスラックスで今日の仮装に備えたいるのだ。と思い込んでいた。
反対側の人に、小さな声で聞いてみた。
「このひと自衛隊関係の人?」
な、なな、なんと、その人は静岡県の県会議員の人だった。。。(泣)
その他、各仮装の審査委員会場には浜松市の市議会議員の人たちが要所要所にいる。
また
一日目の夜、大里から本町まで行く途中に、なんと、城内みのる先生がいるのではないか。
酔った勢いで写真を撮ってもらったが、暗くてわかりずらい。
この話には、つづきがある。
わたしは城内実さんの議員報告のメールを貰っている。
何時もは、そのメールあまり読まないのだが、つい先日の「安定と挑戦の内閣発足」のメールだけは読んでみた。
新聞で小泉新次郎議員が環境大臣に初入閣と言う記事が出た。そんな時の話だ。
伝えたいことがありメールをした。
安定と挑戦の内閣発足
を見て、ぜひ応援したくてメールしました。
小泉内閣で郵政民営化があり、田舎はますます衰退していきました。
しかし、その郵政民営化に反対する人もいました。
大きな流れに乗っていけない人が、ダメになっていく。
そんなふうな風が吹き荒れた時代だったと思います。
田舎も、今、そんな感じです。
子を持つ家族が、天竜へ浜北へ流れていきます。
14年前、無所属として戦った同志の活躍、城内さんの環境副大臣の活躍、期待しています。
日本は、今のところは原子力発電で安定的な電気の供給を考えるべきです。
渡辺昇一さんの本を読み自分なりに納得しました。
それが、元総理経験者の人が原子力反対を叫んでいます。
小泉進次郎新環境大臣に期待しています。
どう父親を説得するのか?
原子力(悪)
自然エネルギー(良)
この考えは良くないと思います。
原子力(悪)この考えが蔓延して原子力関係で働いている人に冷たく当たる人が増えています。
様々な人がおり、様々な考えがある。
多数派が良いのではない。少数派でも素晴らしい考えがある。
そんな世の中を期待しています。
田舎は今、ココでは暮らせなくなるのではないかと心配な声があります。
そんな心配から、子を持つ世帯が出て行くのだと思います。
上手く言えませんがメールしました。
浜松市の北(ほくえん)も応援してください。
佐久間町半場
新間 勉
ブログ「ほくえんの風」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/
城内さんと写真を撮り、周りの人が城内さんと様々な会話をしている中で、その城内さんから自分が出した、このメールの話が出た。
この人を探していると、そのメールのコピーを手にして話していた。
「そのメールはわたしの出したメールです。宜しくお願いします。北遠のこと佐久間・水窪のこと」と話した。
感動した。
見捨てられた地方、そう感じていたけど、見捨てていない人がいる。
城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト
いいだ21ネット
世界へはばたく子どもを育てたい!
・「政治は未来のためにあり、未来は教育がつくる!」
・「正直者がばかをみることのない世の中にする!」
を信条とします。
途中、昔懐かしい人に出会った。
フジユニバンス水窪事業所で一緒に動いていた仲間だ。
(水窪では一緒には働いていたを、一緒にウゴイテいたと言う)
本町で、アツ姉が。二日目の向市場では三人知っている人がいた。一日目ニコニコしていたが、その日は誰だか分らなかった。それが二日目近くに寄ってみたら「なんだチャイね~」と声をかけた。昔の思い出が蘇った。
令和元年「水窪祭り」
二日目の仮装は、裸の大将、だそうだ。
わたしは先生の、役らしい。
先生と書いた麦わら帽子を渡された。
二日目の仮装が終わり。
二日間よく歩いた脚は豆だらけだ、一緒に帰った三人で軽く片付けをして16時14分の飯田線に乗るために向市場の駅に向かった。
ドクターヘリが向市場の集落の上を旋回している。救急車のサイレンが鳴り響く。何かあっただろうか?
ドクターヘリの写真をパチリ。
向市場の駅で電車待ちの女の人に、その写真を見せた。
「また祭りでバカみたいに飲んでヘリで運ばれたダラ」
キツイお言葉、、、。
二日間、水窪祭りは楽しかった。様々な出会い、語らい、酒も美味しかった。
2015年
水窪祭り
2016年
水窪祭り
2017年
水窪祭り
2018年
水窪祭り
水窪のお祭りは賑やかい。いつも賑やかでなくてもいいが、せめて学校が存続できる人口を維持するためには如何すればいいのか。
田舎でも医療や買い物の心配がない、そんな地域になることだと思う。
ドクターヘリ、大変ありがたいことだ。消防署、これも有難いことだ。
第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】
【五箇条の御誓文】「復古」と「維新」の二つの実現を目指した明治維新
【岩倉使節団】富国強兵と殖産興業―欧米視察で見えてきた近代日本の進む道
【征韓論】維新の功労者・大西郷の説得力と悲劇的な最期
と、第五章は進んで行く。
そして
【日露戦争】五百年に一度の大事件だった日露戦争での日本の勝利
【日英同盟】「栄光にある孤独」を貫いていたイギリスが日本と同盟を結んだ理由
【大正デモクラシー】自由な時代の空気を一変させた関東大震災と社会主義
【第一次世界大戦】世界五大国にのし上がった日本に対するアメリカの警戒心
【ベルサイユ条約】日本の人種差別撤廃の提案を一脚したアメリカの本心
【軍艦時代】
【世界大恐慌】
【社会主義】
【5・15事件】
【2・26事件】
【軍部大臣現役武官制】
【満州事変】
【支那事変】
【近衛内閣】
【南京事件】
【ハル・ノート】
【歴史のイフ】
日本史は続いていく。
そして
第六章 日本の底力を見せた損後の復興【現代】
最後のあとがきで。
渡辺先生は
この本を読んでいただければ、わたしという人間が日本史をどのように捉えているかがよくわかっていただけると思います。
どこの国でもそれぞれに、国民は自分の国を誇りに思っていることでしょう。同時に、どこの国でもあらを探そうと思えばいっぱい出てくるものだと思います。しかし、そういうあら探しは専門家や特別興味がある人がやれないいことです。一般の人にとっては、自分の目に虹として映るような国を持てるということが何よりも幸いなことなのです。 「こういう国にうまれたんだなぁ」と喜べることが一番大事です。
原文まま
渡辺昇一先生の「少年日本史」は先生が今まで一貫して抱いている感想だと綴っている。
「昨日」より「今日」「今日」より「明日」
未来を生きる少年に伝えたいことを書いてある日本史だった。
第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】
【教育勅語】
明治天皇の指示によって定められた「教育勅語」の普遍性
日本人の伝統的価値観を簡潔にまとめた「教育勅語」それは「親を大切にせよ」「友人や配偶者と仲良くせよ」「身を慎んで学業に励め」「人格を修養せよ」そして「国の繁栄に貢献せよ」といった、誰もが感覚的に納得できる徳目が並びました。
教育に関する勅語の全文通釈
朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合い、朋友互に信義を以って交り、へりくだって気随気儘(きずいきまま)の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまに々々天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゝに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
佐久間の民俗、そんな本が発刊された、そんな本の最初の文章の中に「国の指導者の中から教育勅語の復活を求める声が上が平然と唱えられるとに、現代の危うさを感じざるを得ません」との言葉がある。
その全文を書いた人は遠州常民文化談話会代表 名倉慎一郎さんだ。その人は掛川西校の基校長先生だったという。
その先生は、わたしの職場まで着て、その佐久間の民俗を持って来てくださった。有難いことです。
教育勅語、この事に関しては様々な考え方がある。
第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】
[日本の根本精神]
神武天皇が即位式で唱えた世界初の人類平等思想「八紘一宇」
『古事記』も『日本書記』も日本の歴史時代の始まりに神武天皇を置いてあります。神武天皇は大和に都を建てて橿原宮で即位されたことになっています。
神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」(六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす)との記述があり、世界の隅々までを一つの家とするのはまたよいことではないか。と言って国家の基本方針を表明した。この「八紘を掩ひて宇と為む」という言葉が後に「八紘一宇」という言葉でまとめられた。
神武天皇が日本にやってきた頃には、いろいろな原住民が住んでいたに違いがありません。日本は世界の東の隅にある島ですから、大陸から逃げてきた部族もいたでしょう。神武天皇はそうした異なる民族や部族を討伐して滅ぼすようなことはしないで、みんなが一つの屋根の下に集まって一緒に政治をすればいいだろうとおっしゃっていたのです。そのために、皇室の神をみんなで尊敬し、・・・・・・。
(後は買って読んでください)
そんな考えが、日本には、日本人の根本の精神には宿っているのだと書いてあります。
八紘一宇の精神に基づいてユダヤ人を救った戦時中の日本人
昭和十年に日本がドイツと手を結んでいた時代、ナチス政権のドイツはユダヤ人の迫害があった。
そんな時代、ドイツは日本に協力を要請したけど、その日本では総理大臣・外務大臣・大蔵大臣・陸軍大臣・海軍大臣が集まって五相会議を開いて検討した結果、その会議の席で板垣征四郎陸軍大臣が「特定の民俗を迫害するということは明治天皇の『八紘一宇』の誠心に反する」と言って反対し、これが他の出席者の賛同を得て、日本はユダヤ人の迫害に加担しないことを決めたのです。
この決定は当時の文明国では例外的なものでした。
人種の差別がアタリマエの時代の話しだったのです。
そんな時代に日本は国の政策として人種差別をしないとはっきり宣言した。と書いてあった。
ユダヤ人たちにビザを支給して助けた外交官の杉原千畝や、満州国へのユダヤ人難民の受け入れに力を尽くした軍人の樋口季一郎のような人たちもいる。
これは、神話の時代にあった2600年前の出来事が昭和の時代に生きていたという例です。日本が神話の時代から地続きであることの一つの証拠になると言っていいでしょう。
渡辺昇一の「少年日本史」
第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】
第一章から二章を読んで心に響いた内容だった。まだまだ、これから話は続く。
神武天皇が即位式で唱えた世界初の人類平等思想「八紘一宇」この考え方が「悪」にも「善」にもなった。考え方の違いで。
人はソレゾレ考え方が違う。話せばわかる。そんなことも無いのかもしれない。その人の考え方を変えることは出来ない。
自分はこうだ、そう思えるように様々な考え方を様々な本でわかるようにする、こと。
渡辺昇一の「少年日本史」を読んだ。
渡辺昇一先生の考え方が少し分った。
渡辺昇一
1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。
2017年4月17日、心不全により死去、享年86
ウィキペディアから
「日本人にしか見えない虹を見る」
虹は、雨上がりや雨のときに見ることができる。
なぜなら、虹は雨のつぶと関係があるかだ、虹が見えるとき、空にはたくさんの雨つぶがただよっていて、まるで映画のスクリーンのようになっているだ。そして、太陽の光が雨つぶの中ではね返ると、虹ができるのだ。
雨上がりや雨のときに見える、あの綺麗な七色の虹
渡辺昇一先生は歴史を「虹」と例えて若い人たちに日本の歴史を語っている本だった。
序章 日本人にしか見えない虹を見る【歴史の見方】
第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】
第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】
第三章 武士政権の誕生と荒ぶる天皇の逆襲【中世】
第四章 信長・秀吉・家康の時代から江戸幕府の興亡へ【近世】
第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】
第六章 日本の底力を見せた戦後の復興【現代】
この本は上智大名誉教授、渡辺昇一先生が八六歳の時に書いた本です。
渡辺氏が日本史で本人が重要だと考えている出来事を参考文献に頼ることなく、しかも、若い人にわかりやすい様に書いたとされています。
そして渡辺氏本人自身が日本の歴史に虹をみたと感じたことを書いたと語っています。
様々な考え方が、あるかと思いますが。
わたしも、この本を読んで、自分なりに自分が生まれ育った国、日本の虹を少しでも感じることができました。
日本人で生まれて、ほんとうに良かったと感じた本でした。
藤原正彦「国家の品格」を読んだ!!
養老猛司「バカの壁」を読んだ。
百田尚樹「日本国紀」を読んだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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