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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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「深夜特急2」マレーシア・シンガポール
第四章
メナムから
オートバイはマフラーを付けていない。タクシーは爆音とと共に走りだす。バスは絶え間なく警笛を鳴らす。バンコックは東京よりも香港よりも騒音が多い街だそうだ。
第五章
娼婦たちと野郎ども
マレー半島を南下、途中香港の馬春田たちが絶賛していたペナンの娼婦の館に、、、、。
第六章
海の向こうに
シンガポールに着いて、”香港の幻想”を求めて旅していたことに気がついた。

香港からインド航空の便でタイ・バンコックへ。飛行機から下りタイのお金に両替するのを忘れ、バス代もない困った著者は、学生風のタイ人に身振り手振りで1バーツと100円硬貨を交換してもらった。(一バーツは約十五円)
バスに乗ると、その学生が自分のバス代も払ってくれた。その学生にご飯をおごってもらった。貧乏な旅行者は親切にされた。
その後タクシーに乗り、今夜の宿「ゴールデン・プラザ」に。
フロントで宿代の交渉、最後に「ところで、女いらないか」と聞かれる。それは部屋に入っても「イイ女いるよ」「50ドルぽっきりよ」 「金は無い疲れたから寝る」そう言って追い返した。

しばらくして、また。

ボーイ:「40ドルのもいるよ。日本語話せる」

著 者:「日本語聞きにバンコックまで来たんじゃない!」

ボーイ:「30ドルね。英語なら話せる」

ボーイ:「20ドル。タイ語だけ」

ボーイ:「じゃあ,10ドルのはどうネ」

私はそのボーイのしつこさに辟易し、次に腹が立ち、やがてみじめな気分になってきた。彼のおしつけがましさの底には、私が日本人であり、日本人がひとりで来たときには女を欲するものであり、それを世話するのは当然という、単純かつ強固な三段論法が存在しているに違いなかったからだ。私が日本人でなかったなら、かくも執拗にしなかったはずだ。 (最後の方原文まま)

その話は、そこからの続きがある。そのボーイとの口喧嘩が続くのだ。また、その人もホテルのボーイだけの収入では食って行けず、日本人の客を見ると女を紹介して収入を得るのだと、また紹介された娼婦もその仕事で生きているのだと、やるせない気持ちになった。
生暖かいコーラを飲みながら、さきほどのボーイとのやりとりを反芻していた。

またペナンの娼婦や、そのヒモたちのとの共同生活の話も面白おかしく読んだ。

また、香港を出て、タイ・マレーシアを旅して、香港でうけた衝撃的な気持ちになれない自分の気持ちを、旅と人の人生を例えて話す下りには感動した。

「深夜特急3」も早く読みたい。


旅は人生そのもの。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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