忍者ブログ
平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
[2167]  [2166]  [2165]  [2164]  [2163]  [2162]  [2161]  [2160]  [2159]  [2158]  [2157

第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】
[日本の根本精神]
神武天皇が即位式で唱えた世界初の人類平等思想「八紘一宇
『古事記』も『日本書記』も日本の歴史時代の始まりに神武天皇を置いてあります。神武天皇は大和に都を建てて橿原宮で即位されたことになっています。
神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」(六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす)との記述があり、世界の隅々までを一つの家とするのはまたよいことではないか。と言って国家の基本方針を表明した。この「八紘を掩ひて宇と為む」という言葉が後に「八紘一宇」という言葉でまとめられた。
神武天皇が日本にやってきた頃には、いろいろな原住民が住んでいたに違いがありません。日本は世界の東の隅にある島ですから、大陸から逃げてきた部族もいたでしょう。神武天皇はそうした異なる民族や部族を討伐して滅ぼすようなことはしないで、みんなが一つの屋根の下に集まって一緒に政治をすればいいだろうとおっしゃっていたのです。そのために、皇室の神をみんなで尊敬し、・・・・・・。
(後は買って読んでください)
そんな考えが、日本には、日本人の根本の精神には宿っているのだと書いてあります。
八紘一宇の精神に基づいてユダヤ人を救った戦時中の日本人
昭和十年に日本がドイツと手を結んでいた時代、ナチス政権のドイツはユダヤ人の迫害があった。
そんな時代、ドイツは日本に協力を要請したけど、その日本では総理大臣・外務大臣・大蔵大臣・陸軍大臣・海軍大臣が集まって五相会議を開いて検討した結果、その会議の席で板垣征四郎陸軍大臣が「特定の民俗を迫害するということは明治天皇の『八紘一宇』の誠心に反する」と言って反対し、これが他の出席者の賛同を得て、日本はユダヤ人の迫害に加担しないことを決めたのです。
この決定は当時の文明国では例外的なものでした。
人種の差別がアタリマエの時代の話しだったのです。
そんな時代に日本は国の政策として人種差別をしないとはっきり宣言した。と書いてあった。

ユダヤ人たちにビザを支給して助けた外交官の杉原千畝や、満州国へのユダヤ人難民の受け入れに力を尽くした軍人の樋口季一郎のような人たちもいる。
これは、神話の時代にあった2600年前の出来事が昭和の時代に生きていたという例です。日本が神話の時代から地続きであることの一つの証拠になると言っていいでしょう。

渡辺昇一の「少年日本史」

第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】
第一章から二章を読んで心に響いた内容だった。まだまだ、これから話は続く。

神武天皇が即位式で唱えた世界初の人類平等思想「八紘一宇」この考え方が「悪」にも「善」にもなった。考え方の違いで。
人はソレゾレ考え方が違う。話せばわかる。そんなことも無いのかもしれない。その人の考え方を変えることは出来ない。
自分はこうだ、そう思えるように様々な考え方を様々な本でわかるようにする、こと。

渡辺昇一の「少年日本史」を読んだ。
渡辺昇一先生の考え方が少し分った。

渡辺昇一
1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。
2017年4月17日、心不全により死去、享年86
ウィキペディアから

拍手[3回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
カウンター
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
4 5 7 8 9
10 13 14 15 16
17 18 19 21 22 23
25 26 27 28 29 30
31
カウンター
忍者ブログ [PR]