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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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チュウリップの「サボテンの花」の曲を思い出しながら・・・見て(^◇^)
40.JPG


私の前に、一冊の本がある。
「前略 がん患者さま」
ベテラン患者より。元気の出る噺を一席。
                        笑福亭小松


4年前 NHKのドキュメンタリー番組で知り。
本を買って読んだ。

笑福亭小松こと夏東雁とは。
昔、売れっ子の噺家で、放蕩三昧の生活を続けてきた挙句。
ガンになり、死の恐怖を味わい、このままではダメだと。
日本全国を、ガン患者を励ましながら旅をし、映画「勇気の3000キロ」のモデルにもなった。
感動の噺家だ。
 
その本を、自分も泣き笑いながら読んだ。
詳しくは↓
http://www.gsic.jp/survivor/sv_02/11/index.html

ところが。
8月20日に静岡新聞を朝読んでいたら。、
元落語家の夏東雁容疑者(52)=滋賀県草津市=が、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで・・・・・。
と記載されているではないか。

どうして・・・・・。

わからない。

酒井典子にしても。

人に夢を売る商売の人は、夢を奪ってはいけない。

13年前、癌で亡くなた、年の離れた兄の年齢に、今、私はなろうとしている。
                                                                                                                      
つづく

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毎年 8月最後の土日は空手の合宿のために空けてある。
今年も、合宿の話があり、参加した。
場所は「龍山ふるさと村」
佐久間から、軽トラで ふるさと村に向かう。
一年ぶりの、「龍山ふるさと村」だ。

60.JPGここ、「龍山ふるさと村」は、携帯の電波も届かず。
テレビも、BSしか映らない。

ほんと~っに山奥なのだ。

そこの、沢で、子供達と川遊び。
冷たい沢を、お弁当をたるに入れ、それを流しながらの沢下り。

水遊びだから、携帯はもちろん、デジカメも持っていかなかった。
写真がないのが残念だ。

川遊びを終え、先生が仕事の勉強中。
Tさんの車で、”不動滝”に行ってきた。
向いの、山々に点在する、村が綺麗に見える。
20.JPG龍山村の数少ない観光地を、紹介した。







帰ってきて、夕食。
30.JPG子供たちがいるので、ビールは飲めない。
夕食のおかずは、ヤマメの塩焼き、鶏肉、馬刺し・・・。
ご飯を食う前に、いっぱい飲みたいところだか、そこはガマンガマン・・・・。


手を合わせて「御馳走様でした」・・・。

よいよ、別の部屋に行き、レコードを聴きながら。
10.JPGTさんと二人で、少しビールを飲んだ。

ここ「龍山ふるさと村」は、昔のコンポがあるのだ、昔のレコードもたくさんある。
今回、私はここで、聞きたい曲があった。
チューリップの「サボテンの花」
ドラマ「ひとつ屋根の下」の、主題歌だ。

江口洋介が河口湖マラソンを走り。
最初 順調に走っていたのが、だんだん遅くなり、這ってゴールする、あのシーン。
今 話題の ノリぴーが「アンチャン!」と言っていた。


                                  つづく
 

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裸同然の身体で、消防署員のタンカーに乗って下りてくる母、生きていた。
訳のわからないことを言っている。

病院で診察してもらい、警察に事情聴取、家に帰った。

その年の秋、近くの特養から電話、特養への入所の順番が来た。

自分では判断できず、父に相談した。

もう、我慢の限界、特養のお世話になることを家族で決断した。

2007年11月27日 母は特別養護老人ホーム 「佐久間の里」へ住所を移した。

母の部屋が決まり、そこからの景色を、写真に写した。
http://run2.ina-ka.com/www3/Untitled4.html

7年前、私が NHK学園に入学した頃から、何時の日かこんな日が来るのではないっと思っていた。
NHK学園を卒業し、専攻科(社会福祉学科)に入学し、介護福祉士を目指す時には、あと二年、頑張ってほしいと思っていた。

もう特養にきて、2年なろうとしている。

最近の診断で、脳の委縮が進んでいると説明があった。

ひとりごとが多くなる。
 

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遅かった夏休みも、今日が最後になった。

今日の午後には、母が入所している、特養に母の顔も見に行った。

思えば、3年前の春。

職場で休憩中に、父親から電話が「おば~っが、またどっかにいったで・・・・・」そんな電話で、急いで家に帰ったら、娘が一人留守番をして居た。
もう、お昼から、見当たらなかったそうだ。

父は、車で探しに行っている。

夜は更けてくる、区の人に相談して、同報無線で呼びかけてもらった。

夜は、区の人達や、警察も警察犬も出動になった。

それでも、見つからない。

外は、冷たい雨が降り始めた。

夜、姉が家を掃除して「もしかしたら・・・・」と言った。

こんな寒い日に・・・・・。

80歳 母の人生。水窪から横吹にお嫁に来て、今の住む場所へとの引っ越し。
年老いて、痴呆が始まり「横吹に帰りたい、水窪に帰りたい」と言いていた・・・・。

翌朝も雨の中、捜査が始まり、お昼ごろ。警察犬が、吠えた山の上で、母が発見されと、無線に連絡が入った。
夢中で、山に向かって走って行った。

 

 

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今日のお昼まで、ホルダー心電図を着けたまま(-。-)y-゜゜゜
朝のジョギングはさすがに今日はヤメにする。
走るのは出来ないので、散歩にした。

なんか気恥かしい、近くに学校があるので、そこで鉄棒をやって思いっきり心拍を上げてやった・・・。
こんな状態で、パソコンに向かって、例のDVDを作ったりしていたら・・・お昼になった。

よいよこの、ホルダー心電図ともお別れだ。

次は、次の検査は「心臓のエコー」、ヌルヌルのやつを塗るやるだ(#^.^#)

検査がすべて終わり、結果は・・・・・・パンパカパパーン(^◇^)

ホルダー心電図で、一日の心拍の様子を見て、夜寝ている間、心臓の動きが遅くなっているとのこと。
一番遅い時で35泊、だっそう、その他は、まあ普通ですっと言っていた。
心臓のエコーでは、心臓の壁が厚くなっている、そう。
病的なものではなく、走ることでの、スポーツ心臓になっていることではないだろうか。

ひとまず人安心というとこか(-。-)y-゜゜゜

私的には、「スポーツ心臓、俺もスポーツマンの身体になったゼ~!」なんて思っていたが。
あまり、無理するのは体に良くないのですね~。
何時も走っているから、体の防御本能が働いて、心臓が大きくなったのだから。
心拍数が下がるのも、そのわけだ。
心臓が大きくなっても、弁は大きくならないから、逆流と言う現象も出てくる。
何事も、やりすぎは良くないのだ(^◇^)

私も、もう年だから。これからは、大先輩のHさんの言うように、ゆっくり走って、マラニックを楽しいむのもいいと思う。
しかし、もう一人の大先輩。豊橋のNさんの様に、60歳過ぎても「私はサブスリー狙っている」ないんて生き方もカッコイイと思う。

私はとりあえず、大井川で3時間30分切りを成功させたいな~。
 

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8月19日に人間ドックに行き、先生に「う~ん、徐脈が進んでいますね~。T波も高い・・・、ホルダー心電図で検査した方がいいですね~」なんて言われた。
私は、走っているから、徐脈は当たり前っとしか思わず。そんなに真剣には聞いていなかった。
再検査も「いいです!」とさらりと言った。

だが、血液型A型の私は、口では行っても内心は奥病なんです(+o+)

待合室で、知っている人に相談してみた。
その人も走る人で「見てもらった方が良いよ~。検査してもらってハッキリさせた方が気持ち良く走れるジャン~」その人の助言で、今回のホルダー心電図の検査になったわけだ。

ホルダー心電図とは
携帯型心電計を用いて日常生活中の心電図を、長時間に渡って連続記録して、診断や治療に役立たせようとするもので。
通常1日単位で施行されることが多く、このため24時間心電図と呼ばれる場合もあるそうです。
指定された時間、記録を続け、当然入浴はできませんが、日常生活は普段通りにできるのです。

今日の13時佐久間病院に行って、検査室に入り、ホルダー心電図を付けてもらった。
佐久間は人が少なく、病院内の人もダイタイどこの誰だか、分かる。
今回、心電図を付けてくれた人も、たまに走ったりしている人で気が置けない人だ。
「どうしたダイね」「人間ドックで再検査だって。徐脈・T波も出てるんだって」「ふ~ん、T波・・・・・」
なんて会話しながらの検査だった。
「今日は風呂だけは我慢して下さい。他は普通道理の生活でいいですよ~」私は聞いてみた「走っても良いですか?」
「走ってもいいですが、あまり汗をかくと、良くないかな・・・」
そんな話があって、↓の写真のようになった。


こんな、物ぶる下げて、走れるか~(^O^) 
まあ、一日付けて、調べてもらうのも良いか(^◇^)
しかし、このクソ暑いのに、うっとうしい~。
こんなの付けてビール飲んでも、なんかシックリ来ない、でもガマンガマン(^O^)

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今朝の静岡新聞で、大雪山系遭難「ガイド、ラジオ持たず」との見出しで7月に起きた「大雪山系で大量遭難」のその後の記事が記載されていた。
旅行会社ガイドは、ラジオを持参せず、遭難当日の天候は2日前に携帯サイトで確認した予報を基に判断していたことが分かった。
携帯サイトで14日に確認した予報から「午前中までは雨で崩れるが午後からは大丈夫」と予想した。
と書いてあった。

2008年の「佐久間・水窪スーパーマラニック」前日の夜から当日の朝方まで大雨で、地元の走る仲間が、「今日は無理だぞ! コース変更しかないな~」と電話をくれた。
私もそお思い、佐久間町内を走るようにコース変更をしようと、急遽 コースマップを作成して、スタート地点になる駐車場に向かった。
小雨になり、天気予報でも一日小雨と言っていた。が、竜頭山の登山、登山道がどうなっているのか、雨で緩んだ山が心配だった。
それに、前日の大雨、今回は走りに来てくれる人が、キャンセルしてくるんじゃないかな~っと思っていた。

所が、来るは来るは、皆 走る気がマンマン(^O^)

しかし、何かあっては・・・私は、Hさんに相談した。

Hさん曰く「みんな竜頭山の登山を楽しみに来ているんだよ。このくらいの天気なら大丈夫だよ」そのHさんの話で、よ~っし 竜頭山にいくぞ!っと自分なりに覚悟をきめてのスタートだったのだ。

結局、最後まで小雨で、竜頭山は霧の中、まっ白いスーパー林道のジョギングとなった。



走った人の話で。
「こんな竜頭山は登山では経験できない! いい経験になった」「雨で暑くもなく、気持ちいいジョギング」などなど、嬉しい言葉も聞こえた。

が、ががが・・・。
何かあっては、大変なことなのだ。

そこで、私は考えた。来年からは、本当に気心の知れた人たちだけで、走ってはどうかと。
今まで来てくれた人は、私の思いが分かってくれると思うから、その人だけに申し込み用紙を送り。
紹介してくれる方が居る場合は、紹介者がその思いをその人に伝える。

ほくえんRUN(浜松市北の北遠でのマラニック)は「佐久間・水窪スーパーマラニック」と「浜松縦断マラニック」があり。
どちらも、佐久間に住む、新間さんが趣味として行っているマラニックなんですよ。
佐久間町が浜松市に合併して、これから過疎がますます進む・・・と、思った時に「将来を心配するより、今ここにある幸せを見つめ楽しむこと」という言葉に出会い。
マラニックを企画しているHさんに出会い、始めたマラニックなんですよ。
ポリシー(方針)は。
1、自分が楽しむ。
2、なるべく安くやりたい。
3、これからも過疎になって行くであろう北遠に少しでも来て欲しい
  ですョ~。
参加する人は、自己責任でお願いします。

人生何が起きるか分からない、突然の心停止。あの松村邦弘さんも、「タバコなんかは捨ていないのに、どうして私はこうなったのかな~」と講演では話していました。

「浜松縦断マラニック」の時に、ある人が、参加申申込書の誓約書の欄に実名を書いて印鑑を押す用紙のことを「あんな物 何かあったらクソの役にも立たない!」っと言っていました。
もし、私がこんなことをやって、誰かが、突然の心臓麻痺になり突然死したら・・・。
当の本人は生きてなく、知っている人に弁護士がいて、裁判になったら・・・。

そんな事を考えていると、こんなことは出来ません。

そこで、先ほどの「将来を心配するより、今ここにある幸せを見つめ楽しむこと」 の言葉なのです。

しかし、家族には、ぜ~ったいに迷惑をかけたくはないのです。
本当に気心の知れた、私の気持ちを分かってくれる人たちだけで行った方が良いと思うのです。

私の趣味「マラソン」「空手」「詩吟」に「マラニック企画」が加わりました(*^^)v

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「浜松縦断マラニック」(復路)が終わり、浜松駅南口で缶ビールを飲んで、いい~気持ちで帰る途中。
豊橋駅で飯田線を待っていると。隣のベンチの怪しい外人が私に話しかけてきた(^◇^)
「この電車は東栄まで行きますか?●×▼」
「いくいく私は中部天竜まで行きます○×▼」
そんな、出会いが ジョウダンとの出会いだった(#^.^#)

ジョウダンは、豊根村のALT(外国語指導助手)で、飯田線で東栄まで行き、そこから車で豊根村まで行く途中だったのです。
メールアドレスを教えてもらい、「8月23日(日曜日)一緒に走ろう!」っという話になり、その間、メールでのやり取りをしていたのだが。
なんか、返事が遅い? もしかしたら、なんかあったのかな?
あの時の話はジョウダン(+o+)

前日になり、よ~やく返事。
「はい!^O^八時いいと思います。ありがとうございます。!また明日」

今朝、佐久間を6時に車で出かける時、ジョウダンにメールしてから、車で出かけた。
が、返事は来ない、豊根村に行って、前ジョウダンに聞いた場所あたりに行けば解るだろうと車を走らせた。
近くに行き、携帯電話をすればと考えていた(-。-)y-゜゜゜

太和金トンネルを抜け、津川の交差点を左に曲がり、大入川沿いに走って行くと、あったあった。
それらしいアパートが。豊根村だから、そんなに探すのは難しくないと思っていた。
が・ががが・・・。

それでは、携帯で・・・っと思って携帯を見たら。圏外です・・・・・(+o+)ガ~ン!

これではメールも来ないわけだ(^◇^)

カナダの100万首都オタワから来たというジョウダン。
今、豊根村で生活している。
豊根村は、平成の大合併で、日本一ミニ村と言われていた富山村と合併した。
ジョウダンは、豊根村から、その富山小学校にALTとして、愛車ミラで週に2回通っているという。
9月からのジョウダンのブログに注目です(^◇^)

そうそう、タイトルは「しんしん茶臼山に行く」っだっけ。
それから、アパートの郵便受けでジョウダンの名前を捜し、部屋に行き、茶臼山へ行き。
昔の「茶臼山クロスカントリー」のコースをジョウダンと一緒にゆっくりジョギング。

その後、愛知県で一番高い山「茶臼山」に登り。

スキーのゲレンデを登り、見晴台だある「自由に広場」に登った。
天気のいい日には、浜松のアクトタワーが見えるはずが、今日は生憎見えなかった。

残念!

私は、人との出会いを大切にしようと思っている。
それは、マラニックを企画するHさんから頂いた名刺の裏に書いたあった言葉に刺激されたと言っていい。
これからの人生、いい人に出会い楽しいマラニックを走りたいものですネ~(^O^)




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10時半「上島キャンプ場」に行ったら、もう準備は出来ていた。
後は、自然まるごと体験の参加者を待つばかり。

今回の参加者は、10家族37名の参加者だ、浜松市の市内からの参加者が主だ。

11時過ぎに参加者が、キャンプ場に到着し、オリエンテーリング。

みんな揃ってのバーベキュー。
焼肉、アユの塩焼き、五平もち、etc。
ハチミツ精製体験
朝、私がひっしこいて運んだ、あの「ハチミツ」の精製(しぼり)の見学及び天然はちみつの市食体験。

14時からは、よいよ。川遊び。
①親子コミュニケーション 水鏡を使っての魚とり。
②鮎の友釣り体験 
などなど。
鮎の友釣り体験
川遊び体験
16時からは、スイカ割り。
スイカ割り
無事に終わって、参加した人、町のボランティアの人、みんなで遊んだ所のゴミ拾いをして、すべてを終了した。
お土産は。
お土産(他にハチミツも)
(先ほどのハチ蜜も付きます)
最後に団体写真「はい!!チーズ」
また佐久間に遊びに来いネ~。
今回、NPOがんばらまいか佐久間の活動に参加して思う。
大切な時間を、この「さくま田舎 暮らし体験交流事業」に使ってきた気がするが。
しかし、それ以上に得るものは大きかったようだ。
この体験を生かして、その他の私のやっていることに生かせたらいいと思っている。地域づくりは自分たちの手で、頭で考え行動する時代になってきたのだ(^◇^)

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朝7時にITOさんの家に行ったら、豊橋ナンバーの車に乗った人や、近くのおじさんたちが来ていた。
話を聞いたら、その人達もミツバチを飼っていて。ITOさんの、ミツバチの作業を見に来たそうだ。
ITOさんはその道では、けっこう名の売れた名人と言われる人らしい。
なんか、ワクワクしてきた(^◇^)

車に便乗して、ITOさんのミツバチの巣のある山に向かう。
山の麓に車を置いて、ここからは山歩き、険しい山の斜面を歩き、巣箱の置いてあるところへやっと到着する。

四角い箱の中には、美味しいハチ蜜が詰まっているのだ。
中を明けると、御覧の通り、ミツバチの巣がぎっしりと詰まっている。


その、ミツバチを移動させるのが難しいらしく。ITOさんは朝来た人たちに説明しながら作業に励んでいた。

今日の私は、この収穫したハチ蜜を、車を置いてあるところまで持っていくのが仕事、ギョエ~(>_<)
最初は、なんなく運んでいたが、さすが、5往復ともなると、つかれた~。

内緒の話ですが、少し その密をナメテみました、ほんと 甘かった。

作業が終了して、よいよ、「さくま田舎 暮らし体験交流事業」が始まる。
私は、会場となる「上島キャンプ場」に向かうのだす。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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