平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
私は佐久間中学校の頃、3年B組だった。
3年B組金八先生~。ならぬ深田先生だった。
今思い返すと、叩かれた思い出がある。それも連帯責任という感じでクラス全員を、そんな記憶がある。
それも、私のおぼろげな記憶で、さだかではない無い。
今、その時の先生より多くの歳を重ねた自分が思うことは、その先生も真剣だったのだナ~。と思う。
当時、そのクラスにイジメはあったのか?
答えは、あった。
ボス的存在の輩がいて、当時はやっていたプロレスの技をかけ涙が出るまで締め付けたり。
悪い言葉で罵倒したり。
でもそんな陰湿なイジメとは感じなかた。
イジメたりイジメられたりしながら、時は流れ、忘れてきたのだと思う。
人はイジメたりイジメられながら生きていく。
今、コロナ禍
金八先生は、どの様な授業をするのだろうか???
私は
森町三倉「勉強会」で修身教授録の読書会に参加した。
そこで「尚友」という言葉に出会った。
意味は、本を読み、昔の賢人を友とすること。
だ
そうだ。
「ヤッつあん先生の人間学」
八ツ塚実先生は広島県福山市での中学の理科の教師だった。
本当にこの世にいた、金八先生だった。
他に「大人になるということ」「思春期の節目」と自分の本棚にある。
わたしは大人になっていないだろうか???
もう一度、読み直そう。
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昔、佐久間の民話の里会館に女性のギターリストが来た時がある。
その彼女は、北海道の出身の人で、ある出逢いが縁で今このステージに立っていると。
夢を追いかけている女性だった。
例え話で、こんなことを話した。
「電車がホームに来る、次の街に、その電車に乗って行こうか行くのを辞めようか。グズグズしていたら前には行けない。思い切り、その電車に乗って今がある」
のだと。
12市町村が合併して、山間部は益々過疎になっていく。
ねこバスが、4月になるとやってきて、多くの人を乗せ都市部に護送していく。
バカで頑固な自分は、そのねこバスには乗らない。いや乗ることができない。乗車券を買うお金が無いから。
私は思う。
ねこバスに乗る人も、乗らない人も、良しと思う世界。
今、過疎地域で困っていること。買い物、病院通い、車を運転できないと暮らしていけない。
多くの金を使って、有料老人ホームに行った人もいる。
電車に乗った人、その人はTOMOKO
今、視聴覚障碍者のギターを提案している。そう。
電車に乗る人も、乗らない人も。
愚者も賢者も。
田舎も都市部も。
健常者も障碍者も。

電車に乗る人も、乗らない人も。
愚者も賢者も。
田舎も都市部も。
健常者も障碍者も。
みんな同じ地球に暮らしている。
コロナ禍、そんな時の竜頭山スーパーマラニック2021、そこに懐かしい人が着た。
平成17年に佐久間町が浜松市に合併した年に私が45歳の時に、このコースを一緒に走った人が着たのだった。
その時は三名だった。
NさんTさん私、サポートに同級生のKをたのんだ。

私の家の前を三人で出発
西渡まで走り、平和口から竜頭山山頂を目指した。
山頂からスーパー林道を走る。

当時、新聞で竜頭山スーパー林道に風力発電の風車を建設するための報道があった。
私は、スーパー林道の景色も変わっていくだろう。だから、今の景色を自分の目に焼き付けた置きたいとの気持ちもあった。
山住神社を越え、野鳥の森へ、そこからの景色が綺麗だった。
目の前に聳える麻布山を目指して走る。

麻布山の登山口からは、水窪ダムまですり鉢状の曲がりくねった道を下る。
水窪ダムはロックフィルダムという造りだ。さくら道の御母衣ダムと同じ構造だ。
水窪ダムから水窪の町を目指しているときに。佐久間町の体躯協会会長だった関島さんが丸太を積んだトラックで私たちに話しかけてきた。
「なんだっチャイネ。こんなとこで何してるダイネ」
とか?

水窪の国盗りで遅い昼食。
ココで、サポートのKが帰ることになった。Tさんもココで終わってKの車に乗った。
Nさんと私、水窪から城西・切開(きいなま)と走る。

切開には私のオジイの店が、まだ「新間商店」の名前を遺して建っていた。
それから、私の故郷「横吹」の下を走る。
横吹→立原→間庄→瀬戸。
西渡へ下る。

そこから国道473号をスタート地点だった、私の家の前の公園を目指した。
着いた時には夕方5時を少し過ぎていた。

あれから16年、様々事が変わって行った。
変わらないのは、バカな頑固な自分の心なのかもしれない。
TSUTAYAに行って借りてきた。
映画二十四の瞳は、1954年(昭和29年)に公開された高峰秀子主演によるのと、1987年(昭和62年)田中裕子主演のがあるけど、そこのTSUTAYAには最初の奴しかなかったので、その高峰秀子主演の方を観たのだった。
映画二十四の瞳は、1954年(昭和29年)に公開された高峰秀子主演によるのと、1987年(昭和62年)田中裕子主演のがあるけど、そこのTSUTAYAには最初の奴しかなかったので、その高峰秀子主演の方を観たのだった。
女先生は最初に勤めた学校が島の小さな分校、その分校に颯爽と自電車で通う。そこで12人の小学校の生徒(二十四の瞳)を担任する。
そのあいだ様々な事があり、学校を辞め、また縁があり、その分校に勤め、最初に担任をした生徒と同窓会をやり、教え子たちに自転車をプレゼントしてもらった。
そのあいだ様々な事があり、学校を辞め、また縁があり、その分校に勤め、最初に担任をした生徒と同窓会をやり、教え子たちに自転車をプレゼントしてもらった。
女先生の泣き笑いの物語だった、と感じた。
泣くこと、笑うこと、表裏一体だと思った。
表があれば裏がある。光の陰には闇がある。
泣くこと、笑うこと、表裏一体だと思った。
表があれば裏がある。光の陰には闇がある。
私が生まれる6年前の作品、知らない俳優ばかりだが、男先生の声は聴きおぼえがあった笠智衆、そう検索したら、ヤッパリそうだった。
仕事を休みをもらい。家の周りの草刈をして、お昼にと縁側でカップ麺を食べようと手を出したら、ぽとり。
なんだ?と思ったが、、、我に返って台所で塩も乗ってきた。
大きくなったヤマヒルに塩を振りかけたら、
のたうち回り、血を吐いて逝った。

のたうち回り、血を吐いて逝った。
浜松市の山間部、多くの血税が使用される。
橋、橋の塗装、急傾斜地の地滑り対策、等々
橋、橋の塗装、急傾斜地の地滑り対策、等々
日本は少子高齢化だ。
山間部は、その日本の少子高齢化の最先端を走っている。
山間部は、その日本の少子高齢化の最先端を走っている。
竜頭山の平和登山口がある、そこを登り始めると、廃村になった平和の村の址がある。

オットー・フォン・ビスマルクの言葉に
「愚者は経験に学び、 賢者は歴史に学ぶ」が、ある。
歴史から見ると、山での生活は木も価値が薄くなり、大きな浜松市に合併したことで行政区ではなくなり、地域というものが行政頼みではなく、そこに暮らす人が提案することを地域の人に示している、ような感じがする。
賢者は歴史に学ぶ。確かに、早くコンナとこ出ていった方が得策かもしれない。
愚者は経験にも歴史にも学べない。
血税、私たちが国に払う税金を「血税」と表現するときがある。
血を搾られるような苦労をして納める税金。負担の重い税金。という意味だ。
血を搾られるような苦労をして納める税金。負担の重い税金。という意味だ。
やがて自分も逝く時が来る。
ヤマヒルに
南無阿弥陀仏
ヤマヒルに
南無阿弥陀仏
おもてなし とは、心のこもった 待遇 のこと。 顧客 に対して心をこめて 歓待 や 接待 や サービス をすることを言う。 「 もてなし 」に「お」をつけて、 丁寧 にした言い方である 。 2013年 ( 平成 25年) 9月7日 に、 国際オリンピック委員会 の 第125次IOC総会 で、 滝川クリステル が「おもてなし」と発言したことから、この言葉が 世界 に広まった。 滝川クリステルは、 東京にオリンピック を招致する アンバサダー として壇上に上り、 フランス語 で「日本のおもてなし」というものを紹介した。 このことにより、「お・も・て・な・し」は 2013年 の 新語・流行語大賞 に選ばれるまでになった 。
ウィキペディアから
地元のおもてなしの心が感じるマラソン大会だ。
21回大会まで参加して、私は感じた。
地元の応援が多い、こと。コースでは、そこの地区ごとに多くの人が応援に参加してくれる。
幼稚園児や高校中学校のブラスバンドの人たち、走る人も応援する人も楽しんでいる様子が伺える。
今年、その
開催を決定した。
コロナ禍、どの様にやるのかは未だ分っていないが、開催するとHPに書いてあった。
は先着:4000人で行うそうだが。
其々の地域、それぞれの「お・も・て・な・し」を考えているのだと思う。
オリンピックもマラソン大会も、他人事ではなく自分事として考えている。
満月が欠けていくように見える天文現象、皆既月食。
5月26日の夜、その皆既月食が見えるそうだ。
見えたそうだ。
早く目が覚め、夜空を見た。
月は地球の周りを回っている。今回、5月26日の夜に皆既月食はおこる。おこった。
月は太陽の反射で輝いている。その月が地球の影に覆われ、地球に暮らす私たちの目には月が欠けていくように見える。
月は太陽の光の反射で輝いている。
地球もだ。太陽の反射で輝いているが、それは実物では見たことはない。
ソビエト連邦の軍人、パイロット、宇宙飛行士、ガガーリンは1961年4月12日、人類初の宇宙飛行に成功し「地球は青かった」と伝えた。
太陽の子どもが地球。地球の子どもが月。そんな例えがある。
そんな地球に寄生する人類が、今、地球の子どもである月を目指している。
宇宙の中の地球、地球の中での私たちの暮らし。
昨日は皆既月食だった。
太陽の輝きが織りなす大宇宙の光と影の天体ショー。
紀元前、哲学者が考えた。何故生きるのか?人間とは・・・・・?
知の爆発だった。
今、21世紀。
人類は夜空を見上げて、何思う。
「酒は百薬の長なり」とは、酒は適量ならば、どんな薬より健康に良い効果がある。という意味だと思う。
が、中国の歴史の中で酒を売り酒税を徴収するために「酒は百薬の長なり」との言葉を民衆に広め、国の税収増を考えての政策だった、との話もある。
「酒は百薬の長なり」
本当に、適量ならば酒は体に健康に良いと思う。
が、その適量が、わからない。
適量、ビールだったら大びん一本、ウイスキーならダブルで一杯、日本酒なら二合、とか。
だけど、これには個人差がある。
コロナ禍、宴会ということが皆無な時代、良かったのではないかとも思う。身体のためには。
大量のアルコールが体に入らなくなった。こと。
今日は缶ビール二本。
知り合いでは、コロナ禍、一人カラオケで頑張っている人もいる。
私は一人飲みで、すぐ寝てしまう。
コロナ禍、大変なこともあるが、良かったこともある。
「酒は百薬の長なり」そうならない人もいる。そうなる人もいる。
其々の人がいて、これで良いのだ(^O^)/
静岡県浜松市天竜区佐久間町に戸口山がある。別名三ツ山とか三盛山と呼ばれている。
それは三つのピークがあるからだ。
昨日、佐久間町の上野集落に行ってきた。その時撮った写真だ。
戸口方面から尾根沿いを歩き、木を伐採した所がある。そこは大輪方面(国道152号線)からもみえる戸口山の横の伐採地点だと教えてもらた。
そこから、戸口山を頂点に低い山・少し高い山・低い大と続いている。
佐久間町には佐久間高校があり、そこの校歌にも戸口山の事が唄われている。
希望・健康・叡智オバ~♪
佐久間ダムで潤って佐久間町の人々も、この校歌のように、
希望があり。
健康を求めて、叡智を出し合った事だろう。
叡智とは「深遠な道理をさとりうる優れた才知」「優れた知恵」という意味 。
当時一万人以上いた佐久間町の人口も、今は2000人、深遠な道理をさとりうる優れた才知を持って行った過去の佐久間町の町制も今は昔のこと。
道理とは、物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。
佐久間町が浜松市に合併を決めた年、静岡新聞で竜頭山スーパー林道に風力発電が数十期建設すると報道してあった。
私は、そんなスーパー林道を佐久間の人と走った。風車が完成すれば今の景色が変わるから、今の景色を脳裏に収めたいから。と。
そんなことも、自然環境の問題で頓挫した。
自然は大切だ。しかし、山に暮らす者も「今」のこの時代を生きていかねければならない。
山を歩くのが好きだ。道を自分の足で歩く事が出来ることに「幸」「有り難し」を感じている。
道理とは、物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。
道理とは、物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。
戸口山の山行を、佐久間高校の歌詞の中で使い希望・健康・叡智オバ~♪と表した先人の方の想い。
そんな想いを感じながら戸口山(別名三盛山・三ツ山)を縦走したいものだ。
プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
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”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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