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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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私が暮らしていた、故郷の村は横吹(よこぶき)
今は限界集落といわれている村だ。

そんな村に育った人が集まり、酒でも飲もうと横吹同窓会を計画した。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E6%A8%AA%E5%90%B9%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A/%E6%A8%AA%E5%90%B9%EF%BC%88%E3%82%88%E3%81%93%E3%81%B6%E3%81%8D%EF%BC%89%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A_656

そんな仲間から、
限界集落株式会社
と、いう本があることを聴き読んだ。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E8%AA%AD%E6%9B%B8-/%E9%99%90%E7%95%8C%E9%9B%86%E8%90%BD%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE

そして、友達のブログで、その限界集落株式会社をNHKの番組で放送することを知った。

今日、昨日放送した限界集落株式会社第4話を観た。

お金は活きていくために大切なものかもしれない。
しかし、それ以上に大切なもの、そんなものが田舎にはある。
そんなように感じた。


今年の「横吹同窓会」は6月20日
浜松だ(^O^)/

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深田久弥「日本百名山」を読んで、深田久弥の故郷の山「白山」2,702mの紹介で初めに書いてある言葉がある。
日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護人のような山を持っている。
そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。
深田久弥「日本百名山」から

私の心の山は 竜頭山1,352m
日本百名山に名を出すほどでもないが、自分の忘れられない故郷の山だ。
秋に東栄町の明神山に登って、地域の人に愛されている山だと思った。
その山は岩山で途中、クサリ場や馬の背などがあり、面白い山だと思った。
それに比べ、竜頭山はスギ林の中をただ黙々と登る、単調なコースには、、、面白くない山、そんな声が聞こえるときがあった。
それでも、この竜頭山1,352mは私の心の奥底に染みついている心の山だ。

佐久間町が浜松市に合併したとき、私は走る仲間と、この竜頭山に登った。
それは、だだ登るだけではなく、竜頭山の尾根沿いにあるスーパー林道をギョジングして山住神社・野鳥の森・水窪ダムと走っていきたいと思ったからだ。新城の中川さん佐久間の竹花さんと私で走ってみた。
次の年、「佐久間・水窪スーパーマラニック」が始まった。

そして、そのマラニックは、スタート・ゴールを西渡バス停に移動し、
「竜頭山スーパーマラニック」に名前を変えて去年から始まった。

富士山は日本一の山、そんな富士山に魅せられたランナーが富士山を一周するマラニックを走る。
「ぐるっと富士山一周マラニック」
2014年動画↓

地図
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=091af8c3a14393866f615d89dbcb8298

富士山は、深田久弥「日本百名山」でも格別な山と言っている。
日本一、いや世界一ともいえる・・・と。
八面玲瓏(はちめんれいろう)という言葉は富士山から生まれた。どこから見ても美しい。
「ぐるっと富士山一周マラニック」
は、その富士山を一周して八面玲瓏の、富士山をぐるっと一周して東西南北どこから見ても美しい富士山を感じるのだ。
2013年2014年と「ぐるっと富士山一周マラニック」のリハーサルマラニックに参加した。
富士山は美しかった。
次の週、私の
「竜頭山スーパーマラニック」

私の故郷の山、佐久間町の山、 竜頭山1,352m
そんな山を走る
「竜頭山スーパーマラニック」
富士山のように、大きな山ではないそんなに美しくはないかもしれない、、、、、。
それでも北遠の地を走るマラニック、多くの人に参加してもらいたいものだ。
それは、遠州・北遠地方に暮らす人たちの故郷の山のマラニックだから。
地図↓
 

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2013年5月1日
私はこんなブログを書いている。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97/20130501


私のブログ「ほくえんの風」は、平成の合併で佐久間町が浜松市になった時から立ち上げている。
あるときは、水窪から青崩峠を越え信州に入り、遠山郷の人と触れ合い。
またある時は、佐久間ダム湖岸を走り富山村・天龍村の人と話をしたり。
とうえい温泉から明神山に向かう途中、東栄の人に甘酒・しし鍋をご馳走してもらったり。
新城の運郷公園から田峯観音まで走り甘酒をいただいたり。
近場にある、限界集落・消滅地域といわれるところを自分の足で訪ねて自分なりに思ったことを、記録している。






佐久間に暮らす人々よ、ココは平成の合併で浜松市になり
人々の目は浜松市側にばかり向いている。

たまに後ろを振り返り、遠山郷の地域おこしを参考にするのもいいのだと思うのだが。

byしんしん

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原田橋が崩壊して一か月が経とうとしている。
様々な問題が浮上している。

原田橋が崩壊して、浦川方面から佐久間方面に仕事で通っている人は
電車(飯田線)での通勤となった。

車社会、電車など何年も使用していなかったが久しぶりに飯田線に乗った!!!
そんな話も聞こえてきた。


(名古屋マラニックの帰り撮影)

今ある、当たり前のことが、なくなって初めて気が付く、、、こと。

佐久間町もそうだが、浦川地区も、、、。
電車(飯田線)の駅があり。
便利だと思うところだが、、、、、、、人々はもっと便利を求めて、ココを出ていく。
また、子供が他所に出ていくのを、当たり前としている。

 
(川合花の舞エビ)

「天竜区協議会から要望へ」
安全を優先すべきです!!!
浜松市は、なぜ中山間地に多くの予算を出すのを渋るのか?
それは、ココに暮らす人が少ないから。


(梅花駅伝の中学生ボランティア)

佐久間町の原田橋崩壊、、、、の出来事
水窪の人は、東栄町の人は、遠山郷の人は、また天龍村の人々は・・・・・どの様に感じているのだろうか?

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昨日の夜ラン8㎞、
夜10時ごろ、走り始めて一時間後 最後のラスト、、、暗闇を一人ライトを片手に走っていると。
後ろから車の気配・・・・。

その車が私の横に、
なんと、、、パトカー。
その中から
若いPoliceManに声かけられた(≧▽≦)

よほど、不審人物に感じたのだろうか、、、、???

その昔、佐久間町は都会から移動できた人を町あげて歓迎していた時代があった。
ところが、今はココも浜松市、、、、。

昨日の若いPoliceMan
今年度の 移動で佐久間に配属されたと聞く、
コンビニもないお酒を飲む店もない、不便極まりない町だけど、
若いPoliceMan、佐久間の治安を守るため、夜昼となくパトカーでの警邏、頑張ってほしい。

PS
私は不審者ではありません。
走るのが好きな、ただのオッサンです(≧▽≦)


 

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今日は私の誕生日、FBから来るわ来るわおめでとうコメント
いつもノンビリしている佐久間に住んでいるのが、
今日はその返信で大忙しだった(^O^)

FBで、色々な人の書き込みを見て、特に女性は書き込み数の多いのに感心していた。
そんな書き込みに丁寧に返信していて、それを見ていて大変だな~、とも思っていた。

今日は、その大変さを味わった。
それでも、嬉しかった。
まえ、私の走る師匠(ヒロボー)が言っていた言葉を思い出す。
しいはくすと書く。
だから忙しいではなく、やることがたくさんある、そう思ったほうが良い。
そのように言っていた事を思い出した。
やることが沢山ある。ありがたいことだと。
 
感謝・感謝感謝 だと(^O^)

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阿部政権、石破茂地方創生担当相が地方の人口を、これ以上減らしてはダメだと
地方創生事業で様々な政策を出している。
地方に会社を持ってくる企業には税金を安くしたり
地方の産業、例えば農業や漁業を応援する制度を考えたり
外国の観光者に地方の山里に来てもらうように応援したり。
 

日本は少子高齢化で人口が減りつつある。
それは今は地方で顕著に表れている。
日本は東京に人口が一極集中しようとしている。
この政策は、地方の今は日本の将来とみて、
地方を元気にしなければ、日本の将来はないと・・・言っている。
今まで都会へと流れていった人々の流れを、地方にも向けるような政策だ。

平成の合併があり、
佐久間町の役場の職員が我が地域に佐久間町が浜松市に合併を決めた経過を説明しに来たとき
静岡市に合併した井川地区の現状を説明し
「やがて佐久間町も、このようになるでしょう」
と話して帰っていった。
それから佐久間町の人口は激減していった。
 


佐久間町が浜松市に合併し、浜松駅南口から自分が住んでいる佐久間町まで勝手に走ろう
そんなことを企画した。
超長距離を走る、友達、ヒロボーさんに相談した。
ヒロボーさんは大井川新緑マラニックを企画していて
それでは接阻峡から大井川沿いに下ってくるので、新間さんのも
佐久間から下ってくる方がいいのでは?
と、言われた。
私はそのとき、
この走りは、町からみんなに走って佐久間に来てほしい
とヒロボーさんに話した。
人の流れを、今は合併して人々は不便な山間部を離れ便利な都会へと流れているが、
少しでも、そんな流れに逆らって、不便でも人々が温かく迎えてくれる山間部に人が来るようにと願っていたのだった。

しかし、私の願いもむなしく、
当時は、仕事がないから都会へと出ていく人から
今は、仕事があっても、いずれなくなるからと
都会に家を建て、佐久間に仕事に通ってくる人が多くなってきている現状がある。


地方の人口を減らさない
今、浜松市でも人口は減っている。
佐久間町の事より、浜松市全体が減っているのだ。
しかし、佐久間町の現状を観ていると
浜松市の人口が減っていることも分かるような気がする。

人の流れ
佐久間町→浜松市街中→東京→

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国は「地方の人口 減らさない」と、色々な政策を考えている。
地方が元気になり、国全体の活力を盛り上げようとしている。
地方の活力なくして国家の繁栄なし と。

 

浜松市を支える市議会議員の人の挨拶から浜松市の例えを
「国土縮図型都市」とよく聞く。
浜松市の政令指定都市の取り組みが、全国で注目されていると熱弁されていた。

 


二年前の年末、新聞で「山里いきいき応援隊」の青年(29歳)が佐久間に来ることを知り
地元の「がんばらまいか佐久間」の会合で話題になったことがある。
そんな会合の帰り、ある人が
「自分の息子も帰ってこないのに、よく来たな~」
そんな話をしたオバサンがいた。


浜松市の地方である私の住む北遠では、合併後に多くの人がより便利な所へと出て行ってしまっている。
役場職員だったり学校の先生だったり、農協職員だったり。
残された私たちは地域の行事にテンテコ舞だ。


浜松市を支える市議会議員先生方、
北遠地方では、多くの方が、故郷を出て行っていくようになっています。
それは、何も出ていきたいのではなく、合併後の浜松市の取り組みを観て、その人なりにその家族なりに将来を考え決めたことです。
地域で支えあって生きていかなければならない時代、地域の人が少なくなれば一人一人の負担は増えます。


国が進めている「地方の人口 減らさない」という考え、
浜松市にも取り入れてもらいたいものだと思っています。
宜しくお願いいたしま~す~m(_ _)m

 

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静岡新聞の日曜版 週刊「YOMOっと静岡」
石破茂地方創生担当相と阿部晋三首相が「まち・ひと・しごと創生本部事務局」の看板を持っている写真が記載されていた。

地方創生の取り組みは
しごと
★地方に引っ越す会社の税金を安くする
★農業や漁業を応援する
★外国人に観光に来てもらう
ひと
★都会に人に地方を紹介するセンターをつくる
★出産や子育て相談のセンターを増やす
★若い人が決まった会社で働けるようにする

都道府県や市町村が5年間の計画をつくる
国は自治体の計画づくりを応援する

国は人口が減らないように計画を作りました。
静岡県や静岡県の市町村はどうするのでしょうか。
国ではすべての自治体に、2016年3月までに「地方版総合戦略」という計画を作るようにお願いしているそうだ。

私が住んでいる浜松市でも「地方版総合戦略」という計画を作るだろう。
浜松市は特に、山間部の人口が激減している。山間部の人はより便利な平野部に出てしまっている。
と言って、中心部の浜松駅前はというと、かつての賑やかさはなくなった。

静岡県が人口減少ワースト2位と寂しい状態だ。
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO73315350V20C14A6L61000/


国は地方の市町村を合併させて行政区を大幅に数を少なくした。
浜松市は政令指定都市になりたくて、山間部の少ない人口をも取り込んで政令指定都市になった経歴を持って今に至っている。
そんな浜松市は、今 山間部の佐久間町で原田橋の新橋建設で崩落事故が遭った。

今、国は地方の人口を減らさないために「まち・ひと・しごと創生本部事務局」を作り地方を応援している。
これからの地方は、国からの公共事業を待っているだけの地域ではダメだ。


地方の人口 減らさない。

国は人口が減らないように計画を出した。
地方が元気にならないと国全体が元気にならない、と。
浜松市の「地方版総合戦略」計画、どのような計画を作るのだろうか
今から楽しみにしている?

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だいぶ前、テレビの番組で観た。
学校の先生が退職後、東南アジアに生活するようになった話だ。
温暖で過ごしやすく、物価も安い。
お手伝いさんも雇えて、その地域の雇用に貢献していると言っていた。
ゴルフ好きのその人は毎日ゴルフ三昧、
日本から年金も通帳に振り込まれる、
笑顔で快適な暮らしをエンジョイしている、
そんな、内容だった。

佐久間町が佐久間町時代、浜松市に合併することを私の地域に説明に来た役場の職員の人は町の収入役の人だったらしい。
その人は、佐久間町の役場を退職したら浜北に出ていったらしい。
後を追うように、若い職員も次々と佐久間を出ていき、この地域には若い人が少なくなり、過疎高齢化が進んでいったというわけだ。

佐久間町は、浜松市との合併を決めたとき、NPO「がんばらまいか佐久間」を立ち上げた。
浜松市と合併することは過疎高齢化がますます進むから、これからはボランティア活動で地域を盛り上げましょう、、、と。
そのNPOで、理事たちと話をしていると
「佐久間町も私たちが生きているときまで、もっていればいい」
そんな考え方の人が多いのに失望した。

百田尚樹の本
 「影法師」
江戸時代の武士、男、の友情の話。
   「永遠ん0」
人生の目標を失いかけていた青年が、自分の祖父がゼロ戦パイロットだと知り
太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べ始める事から物語は始まった。
 「海賊と言われた男」
出光興産をモデルにした日本の復興に向かって闘う男たちの物語。
 「フォルトゥナの瞳」
人の運命がわかる能力を持った主人公の話、
また、自分の行動が様々な人に影響を及ぼしていることを伝えている。
  
多くの悲しい過去の上に、今の日本があるというのに、
今のこの国
自由の国「日本」、
人生の先輩、尊敬すべき人たちの中にも
自分さえ良ければとの考えが多くなったこの国に一抹の寂しさを感じるのである。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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