大空をトンビのように飛んでみたい。
そんな事を、横吹での竹馬の友、あきちゃんが私に言うのだった。
私20才の頃。
しばらくして二人で、愛知県一宮市のハングライダーショップを尋ねることになった。
そのショップのハングライダースクール「ロコ」、事務をしている女の人が丁寧に教えてくれたハングライダーのこと、私も飛んでるよってこと。
そのショップ岐阜県の伊吹山でハングライダースクール行っていた。初めて見るハングライダー。
年をとった人も、女の人も空を飛ぶための練習をスキー場でしていたのだった。
帰りにまたショップによって、あきちゃんは入会金を納めた。私は「考え中」と言って入会はしなかった。
仕事は、四日働いて二日休みの日曜日が関係ない職場。休みの日には何するでもない、パチンコくらいか。
そんな空いた日、ハングライダーをやろうと、伊吹山に行くようになってきた。
休みの日には、伊吹山一合目のスキー場で講習の日々になっていたのだ。
買った機体は「はやぶさ」その機体で伊吹山五合目から初フライト。
ハングライダーに必要な計器類、スピー時計・バリオメーター。他に安全のためパラシュートも備えなければならない。
何しろお金がかかった。
機体も、滑空比の良い新しい機体が出てきて、どうしても新しい機体がほしくなってくる。
次に買った機体「アトラス」(42万円)実に安定した良い機体だった。
三河地方の空を飛ぶ仲間もでき、蒲郡の五井山や、田原の蔵王山などに通った。
友達も、謙さん、ヒロくん、中根さん、中川さん・・・と楽しい仲間が増えていった。
謙さんの車キャラバンで、長野の車山や静岡朝霧高原にも連れて行ってもらった。
そんな仲間が、もっと新しい滑空比が良い機体に変えていくのだった。
私は、どうしようかと悩んだ。新しい機体を買って夢を追い続けようか、結婚して田舎に帰ろうか・・・・。
その年の冬、田原の蔵王山の横の山「衣笠山」から最後のハングライダーでの滑空。
今の妻が車でついて来てくれた。
たった15分足らずの素っ飛びだった、20歳から27歳の冬まで熱く燃えたハングライダーをしばらくお休みすることに決めた日だった。
その後 機体「アトラス」は横吹に運んで行ったのだった。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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