昭和35年 佐久間ダム完成から3年後 私はここ横吹(よこぶき)に生まれた。
横吹(よこぶき)は「塩の道 秋葉海道」の道沿いに車を走らせていると、水窪に行く途中の山の斜面に点在する村々がある、そのひとつなのだ。
天竜川と水窪川の合流地点の西渡(にしど)から塩の道を来ると、瀬戸(せと)・麻庄(ましょう)・立原(たっぱら)・横吹(よこぶき)となる。
生まれた時から、横吹(よこぶき)での生活。幼稚園から横吹(よこぶき)の坂を上り下りして学校に通っていた。
ほとんどの家には子供がいて、村の中央の家(屋号ホツ)に集合して集団登校をしていた。
冬の雪が降る日は、坂道が滑る。父親が長靴をはいた足に藁縄を巻いてくれ滑り止めにして山を下るのだった。
朝起きて家の前が雪でも、山を下っていくと雨になっていたこともある。
中学生になり帰りが遅くなると、明りのない山道は電気がないと歩けない。鞄の中には懐中電灯を忍ばせて行くようになった。
今考えると、毎日が登山の様な生活だったのだ。
学校帰り、飯田線の相月駅から見上げた横吹(よこぶき)、あそこまで登るのか・・・・・・。
駅のすぐ近くの家が羨ましくも思えた。
横吹(よこぶき)の道を登っていくと、途中分かれ道が、右にいくと山道、左に行くと村道。山道はその名の通りスギ林の中。村道は、横吹(よこぶき)の村の中を行く道なのだ。
横吹(よこぶき)の家にはその家の屋号がある。"しんもう"にし"ホツ"おうど"いどばた"はまいば"てらくぼ"おおしも"みなみ"しんや"ぎよんど"わぜ"私の家の屋号は"しんや"横吹では私はしんやのつ~っと呼ばれていた。
横吹のガキ大将が名付けたのだ。他にも おおしものつ~。ぎよんどのつ~。って子もいたっけな~。
向かいの山が、近くまで迫り、平らなところは、段々畑の少しの広場。
そんな、狭い場所での草野球。
家の前からは、遠く竜頭山も顔をのぞかせていた。
そんな横吹を私は、中学校を卒業し、出ていった。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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