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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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毎年、佐久間しし鍋を走り終わった翌日は、家主の伊藤さんの企画でマラニックをやるのだけど、今回は三遠南信道 記念イベントが東栄町で行われる。
そんな情報を得て、そのイベントに参加することになった。

そのまえに。
昨日、坂井さんが新居の牡蠣を持った来てくれた。
参加者が少ないため大量に余った。
その牡蠣を頂いたので、伊藤さんの別荘を出発前に自分の家に牡蠣を持っていく。
家族へのおみやげ。。。


牡蠣を家において、そのまま伊藤さんの別荘へ。
東栄町のイベント会場へバス移動をする会場へ車を走らせた。。。

ネットで調べたら、本郷の食彩広場の横、小学校近くと書いてある。

小学校?
ここに昔、本郷高校が、あったような???

場所に着くと、多くの人、人、人、よくもこんなに集まった。
そんな状態だった。

バス待ちの長い長い列の最後に並んだ。

前に並ぶ夫妻は本郷の人らしい。

聞いてみた。

「本郷高校があったはずだけど?」

「壊して、東栄小学校を建設」

「ココの広い土地は?」

「東栄病院を建てる」

そんなことを言っていた。

東栄町、なにかとガンバっているナ~。

町の景色が変わると人々の意識も変わっていく。

東栄町の街にある店舗がで店を出している。

聞いたことのある店、今回初めて聞く店。

知っている人も多い。

尾籠のお世話になっている人たちも。

佐久間の人もいた。

多くの人が三遠南信道の開通を待ち望んでいた。

イベント会場に行って、トンネルを途中まで歩いて行った。

多くの知り合いに出会い。

「ココまで走ってきた?」

と、声をかけられる。


今回は歩き。


と答える。

女性が一人、トンネル構内を走っていた。美ジョガーだ。

イベント会場には地域のNPOのブースが並んでいた。

知り合いに声をかける。かけられる。

我等が「山に生きる会」水窪弁が炸裂していた。


イベント会場を後にしてバスに乗車した。


北遠の未来は明るい。


そう思う。


バスを降りて、小腹がすいたので何か食べ物を、「東宝苑」でモツ焼うどんがあったので、それを御昼ごはんにした。

「東宝苑」とは?
尾籠の集落に行くようになったとき、そこの集落の中心地に野生のイノシシを狩っていた。
少ない人数だけど地域を大切にする人たちだった。
そこに都会から移住してきた人がいるという。
鉄工場の経営者だったその人は、若い人に会社は任せて悠々自適に田舎暮らし。
その人を求めて尾籠へ来た人で毎週バーべキュウだったそうだ。
そして、その人は家族で焼肉屋「東宝苑」を始めた。
わたしも佐久間から家族で、その焼肉屋に行ったことがある。
その焼肉屋の近くには椎茸を栽培しているところがあった。
もっと驚いたことは。
鉄工を溶接する工場もあったということだ。
仕事をリタイヤ。悠々自適。
日本人はノンビリの言う言葉は無いようだ(*^^)v


このブログはあくまでも私個人の主観ですからネ。
あしからず。

おしまい。。。

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毎年、佐久間で走って、走り終わってから走る仲間の別荘で慰労会をやろう。
佐久間しし鍋マラニック
エイエイお~(^O^)/

今回は、湖西のラン友(トモゾウさん)から連絡があり
「しし鍋の前に佐久間ダムまで走って行ってダムカードを貰いに行こう」
そんな提案があった。

メンバーはトモゾウさんとウッチャン、三人で佐久間ダムまで走って行く予定。
急遽、トモゾウさんが仕事の予定が入り行けなくなる。
今回は中止、かな?
そう思っていたら、ウッチャンは来てくれるとラインで連絡が届いた。

8時に中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集まる。
湖西市の自宅を何時に出たのだろう?
自分の限られた時間、生きている時。を。
その一部を、佐久間に来てくれる、そして走る時間に使ってくれる。こと。

浜松市営駐車場を8時少し経った頃、走り始めてB型鉄橋を二人で渡った。
竜のモニュメントを左にみて佐久間ダムに向かって上り坂を進んだ。
平沢にてダムまでの遊歩道、佐久間・水窪共同斎苑の下に出る。
トンネルに入るためキャップライトを点灯。素掘りに吹き付けのトンネル内は不思議な感覚が漂う。
途中、野生の猿、シカ、イノシシ、カモシカ、一匹も出会うことはなかった。
最後のトンネルを抜けると、早朝ウォーキングの人が前方から一人、歩いてきた。
なんとヨシミさん。
「あら~。こんなとこまで来るの~」
そんなことを言ったが、こちっこそ不思議な組み合わせなのかもしれない(笑)

佐久間ダム堰堤の方には車が一台。
ナンバープレートはなんと、なにわナンバー。

気ままに夫婦で車で旅行、そんなことを話していた。
昨日は車中泊だったそうだ。
「夫婦仲良くて(・∀・)イイネ!!」
関西弁の二人はまるで夫婦漫才の様だった。

よくよく聞くと、昨日は西浦田楽を見に行ったそう。
自分も行ったと、そこで話が盛り上がった。
西浦田楽は有名だ。
国指定の重要無形民俗文化財の第1回の指定を受けた民俗芸能だ。
それは昭和50年の話、民俗芸能といえば西浦田楽、水窪は連綿と芸能を伝えていく地域がら。だ。

午前9時
佐久間ダムの電力館が開く時間だ。
早々、目的であるダムカードを頂いた。
今回は署名を書くようになっていた。
ウッチャン他1名
ダムカード、わたしはいらないので、トモゾウさんに持って行ってと、そのカードをウッチャンに渡した。
トモゾウさんにウッチャンがラインで連絡、
「ダムカード、ゲットだぜ~」

広い館内、私たち二人だけの見学者、電力館には3人の職員が居た。
綺麗に整っている掲示物、展示物、佐久間ダムの歴史が詰まっている。
さくまっぷ のチラシがあった。
まちあるき中部
佐久間ネットワーク
あんじゃないネ
佐久間に暮らす、お年寄りのサポートをしている団体のチラシだ。
過疎地を出て都会で暮らしている人は、一読をお願いしたい。
田舎にたまに帰って来て、街歩き、いいのかもしれない。
走ることもマラニックも。。。

ウッチャンがトイレ。
これから山歩きが多いから。
しんしんさん、トイレはイイの?

二人の会話している近くに、半場の知り合いの女性がいた。
私: 「トイレはイイ。そこらへんでする(笑)」
ウッチャン: 「男はイイね~」
女性: 「それはイイかも。しかしヒルがくっ付いてくるもとも」

気を付けてくださいョ~。
山ヒル、男も女も。
あそこについたら困ってしまう。
わたしは過去にダニが足の付け根にくっついていたことがある。
(付け根、分ります?)
最初、いぼだと思っていた。
固く丸かった。
そのうち、それが無くなり。
無くなったナ~。
と、思っていたら。寝床の横を丸くなったダニが歩いていた。
ギョエ~。。。
テュッシュを丸めて潰したら、黒い液体が出てきた。
わたしの血だろうか?

仕事で草刈りをした時にくっつかれたのだろうか?

田舎での生活は、様々な事がある(笑)

佐久間ダムを後にして。
中部天竜の駅を目指して、走って行った。
佐久間しし鍋2019
今年はどんなメンバーが集まるのだろうか?
楽しみ。。。

つづく。。。

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先日、城西に行きたまに~に同窓会の看板を付けてくれとお願いしに行った。


小学校時代の同級生の親、ダイダイ先輩の人だ。


佐久間のNPOがんばらまいか佐久間で活動委員会のとき大活躍していた人


口が悪いがヤルことやって手も早い、まさに有言実行のジェントルマン。


そんな威勢のいい人が、今回あったときにはなんか元気がなかった。


「どうも忘れっぽくなった」と言っていた。


「頭の写真を(CTのことか)撮りに行く」とも言っていた。

 

浜松市の山間部、車の免許を取り上げられ車の運転が出来なくなると困ってしまう。


実際、わたしの地区に暮らす高齢者の方で車の免許証と車を子供に取り上げられガッカリして抜け殻のようになった人もいる。


しかし、息子としては何かあってからでは御仕舞いだと心を鬼にして親から車の免許を取り上げたのだろう。


車が世に出てきて100年。


高齢者は車とともに生きて来た。


自動運転、高齢者のためには自動で走る車より、昔のようにマニュアル車ハンドルは重たく窓は手で開け閉めするような車の方が良いのではないかと考える。


便利、便利で忘れた者が多いと思う。


高齢者も忘れ去られるのか、いつか自分も。

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1960年(昭和35年)2月20日
わたしは人生のスタートをした。

 
兄に抱かれた自分の姿

佐久間町の城西地区、横吹という斜面集落の「しんや」という家の久代の二回目の旦那さんとの長男として、この世に生を受けた。

隣のナッチャンの話では、久代さんは旦那に先立たれ実家に帰る予定だったと聞く。

そこを曾祖父であるオジーが
「おまえが帰ったらワシ達は死ぬしかない」
といわれ、弟と一緒になったのだ、と。

その時、帰っていたら、わたしはこの世に存在することは出来なかったのだ。

今日、59回目の誕生日
おおくのFB友から祝福の言葉を頂いた。
FBをやるようになり、自分の誕生日を意識するようになった。
FBをやる前は、自分の誕生日など知らないうちに過ぎて行った。

自分の誕生日を意識する、自分がこの世に生まれたこと。

母親の存在を考えるようになった。

80歳から92歳まで痴呆で老人ホームに御世話になった母親のこと。

この人がいたから今の自分があるということを。

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日曜日の北遠駅伝
水窪中学校の生徒がボランティアとして働いていた。
校長先生と話す機会があり生徒数を聞いたら18名だという。
少ない生徒で地域を駆け巡り地元をPRするパンフレットを作ったそうだ。


田舎だから、少子高齢化だから。
と思たが。


土曜日に名古屋を走った時にも、子どもの姿は見なかった。
名古屋では御寺巡り、公園にも行ったが、子どもの姿は見えなかった。
ブランコに乗っている人も大人だった。

子どもは何処に行ったのだろう?


勉強が忙しく遊んでいる暇は無いのだろうか?


それとも、家でゲームで遊び外での遊びをしなくなったのだろうか?

外に出て思いっきり空気を吸って走りだろう。

オジサンたちのように。。。

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この駅前から、物語は始まった。

いつも中部天竜駅から始まった。

列車が走ってくれること。

有難いこと。

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ラジオのパーソナリティであった山谷親平さんが、テレホン人生相談で言っていた言葉。


絶望は愚か者の結論なり


もう佐久間はダメだ。


スーパーなんか一軒しかないし、農協もガラガラ。
子どもを持っている親は、生徒が少ないと出ていく。
若い人が居なく年寄りばっかで、もうどうしようもない(涙)


もう絶望的だ。


そんな声が聞こえる佐久間から、今日はテレホン人生相談、いや本物の人生相談に行ってきた!(^^)!


場所は浜北、Harmony


先生は言った。


自分の思ったように羽ばたけばいい。


よ~っしやるゾ~。。。。


絶望するのではなく希望を追い求めよう。


2月23日(土)は佐久間しし鍋マラニック

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1070年(昭和45年)
大阪万博会場におけるライブ会場にて
戦争をしらない子どもたち

戦後25年、戦争は無かった。
そして現在も戦争のない時代が続いている。

理想主義の始まりだ。

理想主義とは、国際協調によって平和を構築しようとする国際関係論における学説を言う。国際社会における道義や倫理、国際法や国際機関を重視し、平和が万国の利益であると考えた。これに基づいて平和教育の推進、不戦条約の締結、国際連盟の創設が行われた。現実主義の対極に位置すると考えられる。
ウィキペディアから

しかし、
日本は平和で良い国かも知れない、けど。
現実問題として、近隣の国から日本の領土を責められている現実がある。
拉致被害者問題も未だ解決していない。
 

日本のトップは今、憲法改正を進めている。

もとのトップが、原子力は悪だとメデアに再登場している。

戦後半世紀以上が経った今、戦争を知らないオジイが大手を振って歩いている。
先進国日本。
自分たちは戦争を知らないまま彼の世に行くだろう。

彼の世→死者の行くとされる世界。来世。 ⇔ この世

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昨日、人の噂話しをしていたら、その人が来た。


ビックリ。


しかし、このようなことは初めてではない。
58年の人生の中で多々あった。


そんなことを考えググってみたら。
こんなのが出た。


英語のことわざ
Speak of the Devil, and he is bound to appear.
うわさをすれば、影が差す。
[意味]
「悪魔の話をすれば、必ず悪魔がやってくる。人のうわさをすれば、その人が現れるものだ」


口から出した言葉は現実として現れる。

2014/06/07
に書いたブログ
ペップトークって知っていますか?


肯定的に言葉を使い、楽しい人生にしていきたいものだ。

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昨日書いた未来からの宿題

その本の発行元は一般社団法人 全国LPガス協会

自然にやさしいエネルギーとアピールしている。

しかし、そのガスも原油から精製されている現実がある。

田舎には山がある、昔は木を焚いて風呂を沸かした。食事も竈でご飯を炊て作った。


地球にやさしいエネファーム、そんなエネファームも、メリット・利点もデメリット・問題点も当然ある。


知り合いに千葉大学の教授が居て、地域で小さな発電所を管理し地域で、その電気を使う。
そんな話がテレビであった。

田舎には山がある。
その木を使用し発電し、地域がみんなで使用する。
川の流れから水車、それで発電、
田舎で過疎化が著しい所でもできるかも知れない。
いや田舎だからこそできるのだ。


しかし、法律の問題がある。河川は河川法、など。

それよりも佐久間のみんなが仲よくならないと、いや。
中山間地に暮らす人々みんなが同じような問題を持っていることを認識し進んで行くことができるようにならないといけないと思う。

八紘一宇
大きな傘の元、暮らしている人が濡れないように。。。。
お互い様の、心。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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