期間 平成29年7月11日~7月20日
交通安全協会水窪支部
スローガン:安全を つなげて広げて 事故ゼロへ
運動の重点
(1)高齢者と子供の交通事故防止
(2)二輪車の安全利用の推進
(3)飲酒運転の根絶
(4)通勤時間帯の交通事故防止(浜松市)
《活動計画》
数日前、この様な計画を、私の所へ持ってきてくれた。
同じ区内に暮らす、山ちゃん。
活動計画の中には
7月11日(火) 7:00~ 7:30中部ロータリー
7月20日(木)17:30~18:00中部ロータリー
の所に鉛筆で○を付けてある。
余白に
7月16日(日)
カーブミラー清掃作業 市営住宅前10時集合
と。
記してある。
今日は、その、夏の交通安全県民運動の初日である。
そんなに日の早朝。
自分は
朝5時に起きて、朝ラン、10㎞。
シャワーを浴びて、牛乳飲んで、ご飯を食べて、パソコン起動して、前日に書いた自分のブログを読んでみた。
静岡駅から東海道を清水駅まで走った。
次は、よいよ「薩埵峠(サッタトウゲ)」だナ~。
そんなふうに思って、昨日のブログを読み返した、そのとき。
最後の方に書いてあった、一文が。
来週は地域のクリーン作戦。
あ、明日は安全協会で中部の交差点に立たなければいけない。
あ、ああ、今日だ。
夏の交通安全県民運動
今日から始まるんだ。
急いで協会のベストを着て、帽子をかぶって、中部ロータリーに自転車に乗ってでかけたのであった。
そして、中部ロータリーに立っている山ちゃんの隣に何食わぬ顔をして立っていた。
物忘れ、心配(/_;)
昨日は「エキチカ温泉・黒潮」に宿泊。
エキチカだよエロチカでなないよ。
浜松でネットカフェでと考えていたが、ココにした。
アプレシオ
前、ココで休憩したことがある。やかましくて寝てられない。
そんな印象だった。
ところで、如何して焼津?
それは、8日にマラニックを予定していて、9日に佐久間高校が庵原球場で夏の大会があるというので、それを観戦したいからと思い、数日前にネット検索をしてヒットしたのが、この「エキチカ温泉・黒潮」だった。
また、
東海道を走りたい。
そんな、気持ちもある。
2014年 (掛川~藤枝まで走る)
2017年 (藤枝~静岡まで走る)
そして、今日は静岡から走りたかったのだ。
焼津駅から静岡駅に、静岡駅を後にして走りはじめる。
ただ真っ直ぐな国道一号線。
スマホのグーグルマップを頼りに清水駅を目指す。
汗が出てくる。
あ、
昨日、ビヤガーデンの会場にタオルを忘れた(≧▽≦)
最寄りのコンビニでタオルを探す。
あったあった。
便利だナ~。
コンビニ。
静岡護国神社があった。
城西の遺族会で旅行に行ったところだ。
ブログ
護国神社に行ってきた。
草薙、野球場・陸上競技場があるところだ。
県市町村駅伝のとき、よく来たな~。
見覚えのあるところが多くある。
清水駅の手前で、清水駅には向かわず、清水庵原球場にスマホのグーグルマップを設定し進むことにする。
東海道(旧国道1号線)から1号線バイパスに、そこから北へ。
随分山奥に来た感じだ。
佐久間に住んでいる人の言うことではないが(*^^)
庵原球場は丘の上にある球場。
手前の「JAしみず茶業センターきらり」のトイレを借り着替えを済まし、庵原球場に向かった。
時間があるので、涼しい所で休憩、前の試合天竜高校と富士宮北高校のスコアボードが見える。
4回までで17点差、5回コールドが成立しそうだ。
そこにいた大会関係者の人と話をした。
試合が早まりそうだから、次の選手を集まているのに慌ただしかったと言っていた。
会場に走り、佐久間高校と御殿場西高校の試合。
野球のことは詳しくはないので、結果だけ。
いい試合だった。
行って良かった。
あと何回、こんな試合観戦できるだろうか?
庵原球場を後にして、清水駅を目指し走り始める。
清水駅までは4,6km
清水駅では七夕祭りだろうか?
出店が出ていて、市民によるカラオケ大会もやっていた。
清水駅から静岡駅に、静岡駅から新幹線で豊橋に、豊橋駅を17時57分の飯田線に乗った。
中部天竜駅20時01分到着予定。
2日間、楽しく遊ぶことができた。
来週は地域のクリーン作戦。
あ、明日は安全協会で中部の交差点に立たなければいけない。
いろいろあるから人生おもしろい。
いろいろやるから楽しい、そんな人生にしたい。
8年前、
飯田線で知り合った、豊根村ALTジョウダン、茶臼山に行き一緒に走った。
茶臼山クロスカントリーのコース。
カナダ人のジョウダンは、片言の日本語ができる。
他に話せる言葉は?
「フランス語少し」
フランス人のガールフレンドがいたと言っていた。
そのガールフレンドとは?
との私の問いにジョウダンは、自分の右手と左手でハートの形を作って、そのハートを「ギ―」と言って割って見せた(笑)
そして次の年2010年、多国籍マラニック、私・山草人・ヒロボー・とっち―・ジョウダンが浜松駅南口に集まった。
そして今年、2017年7月8日(土)
8人のランナーが集まってくれた(^O^)/
今回の
浜松いいとこ(えんてつビアバイキング・マラニック)2017
は、浜松の良いところ発見!
7年前、この道を走り、浜松駅から中田島まで、あんがい近いんだナ。そのように感じた。
そして
中田島砂丘に防潮堤を建設するようになり、そんな中田島砂丘も形を変えていくのだと感じ、防潮堤建設の進捗状況も確認しながらのマラニックになれば良いナ~と、思っている。
浜松駅南口から中田島街道をただひたすら道沿いを行く、中田島砂丘に入り、砂丘を太平洋を目指し進む。
海岸側から防潮堤が建設されるであろう方に向かって写真を撮ってみた。
どの様に景観が変わるのだろうか?
コースはAコース(海岸を西に行く)Bコース(海岸を東に行く)とあるが、あまりの暑さ故、Bコースを選び、遠州浜天然温泉 八扇乃湯に向かうことにした。
途中、遠くに、遠州灘の東側からの建設途中の防潮堤が見えた。
高13メートル。日本一高い防潮堤を想像していただけに、遠くからの写真だからか。
浜松市南区遠州浜団地、そんな所をジョギングした。
空き家が目立た。
浜松市の山間部に暮らす人にも課題は多い。
浜松市の沿岸部に暮らす人にも、それこそ人が暮せなくなるという課題がある。
人が住まなくなると、人口が減り、店が無くなり、生活が難しくなる。
不便だから、益々人が減る。
過疎化のスパイラル。
遠州浜天然温泉 八扇乃湯に三時ごろ到着。
八千の湯から浜松駅までの送迎バスが4時半にあるので、それに乗り、次の遠鉄ビアバイキング、ビアガーデンの会場に向かった。
予約は18名、当日参加も数名あった。
私の呼びかけで、集まった仲間。
今宵もはじまりました(^O^)/~~~~~
今宵もはじまりました(^.^)/~~~ とは。
観音寺まちなか再生プロジェクトの一つ。
メンバーの一人が、晩酌する写真を「今宵もはじまりました」というフレーズとともにFacebookでほぼ毎晩のようにアップしたのが始まりだそうだ。
佐久間にもそんな人がいて、その人からFacebookのグループ「今宵もはじまりました(^.^)/~~~」に、お誘いがあったので軽い気持ちで入った。
観音寺→香川県 観音寺市
浜松市、日本で二番目に広い政令指定都市。
余りにも広すぎて課題が多い地域もたくさんあるけど、ココは、酒でも飲んで、語り合いましょう。
と、言うことで、ビヤガーデンで酒を飲み。
飲み終わってから電車で焼津に向かい、23時間営業の焼津黒潮温泉に向かったのであった(^O^)/
2009年の夏
「浜松縦断マラニック」を走り終わった後、飯田線で佐久間まで帰ろうと電車待ちホームのベンチで座っていると
隣のベンチで、変な外人が居た。
「ト・ウ・エ・イまでいきますか?」
名前はジョウダン、カナダのオタワから愛知県豊根村小中学校のALTとして派遣された外人だった。
ひょんなことから出会いがあり、そのジョウダンと色々なところを走りに行ったりウォーキングもした。
2010年冬
浜松マラソンの前日、そのジョウダンを誘って、浜松市内をマラニックしないかと萩田さんに提案し、開催したのが「多国籍マラニック」
浜松駅南口から太平洋を目指し中田島砂丘へ、そこから東に向かい遠州浜天然温泉 八扇乃湯まで走った。
温泉に入り、サッパリして、バスで浜松駅に帰り、浜松のカラオケ まねきねこ に行って打ち上げ。
当時の佐久間に来ていたALT(クリス)も加わり、大変盛り上がった。
カラオケが終わり、浜松駅まで行くと、方々からALTの仲間が集まってきた、道行く見知らぬ人も誘って記念撮影。
多国籍の人を誘ってのマラニック。
その日から試みるのだが、なかなか走るのが好きそんな人はいなかった。
そこで
萩田氏ラジオに生出演
走ってから酒を飲む。
えんてつビアバイキング・エンジョイマラニック
が、始まった。
萩田氏は今、スペインで巡礼の旅に出かけているので、今回私が呼びかけ人代理。
どの様になるだろうか?
7年前に行った、中田島砂丘も今、防潮堤建設で様変わりしようとしている。
防潮堤が全て完成すれば、今の中田島砂丘とは違う砂丘に変わってしまうだろう。
変わる前に、今の中田島砂丘を自分の脳裏に焼き付けた置きたい、そんな思いのマラニックでもある。
今回の
「浜松いいとこ(えんてつビアバイキング・マラニック)」
走り終わったら、走った人も走らなかった人も楽しく語り合う場になるといいな~。
観音寺まちなか再生プロジェクト
今宵もはじまりました。
横断幕、もっていこ(^O^)/
この登山マラソンは
私が走りはじめた頃、27年前、当時は夏の大会は無かったころの話。
雑誌「ランナーズ」記載されていて知っていた。
走った後、宴会がある。ビール一本付きと書いてあった。
如何しようかと悩んだが、やはり参加料が高いと躊躇した大会だった。
当時、走っていたならば、治郎さんに出会ったことがあっただろうに、今思うと残念でならない。
明日行く「石巻山登山マラソン」は、今「有志による…石巻山登山マラソン」となって新しくなった。
ここの大会は、もともとは石原次郎さんが始めた大会だそうだ。
その次郎さんが、病気で亡くなり、そこを萩田さんが
「こんな素晴らしい大会を辞めてしまうのはもったいない」
と、今も続けているのだ。
そして今年は、その萩田さんがスペイン巡礼の旅で留守のタメ、ノブさんが呼びかけ人代理で開催するようになった。
また、石巻山の自分の思い出がある。
37年前。
私がフジユニバンスに勤めていた頃の話。
まだ20歳代の話。
フジユニバンスはその昔「富士鐵工株式会社」だった。
第二工場はトランスミッションの歯車から組み立てまでおこないトランスミッションユニットを作っていた。
その中の熱処理に配属になって、そこでの忘年会に、ここ「石巻山」の旅館を利用したことがある。
当時、その職場では、忘年会にステッキを呼んでいた。
今ではコンパニオンと呼ぶらしい。
その時来たステッキは齢の頃も、そんなに若くはない女性だった。
しかし、そでも、若かった自分にはドキドキするものがあった。
二時間チョットでその若くはないステッキが宴会場の舞台前で挨拶をして、会場を去って行った。
余った食べ物と酒を飲み、後は寝るだけだと思ったら。
な、なななんと。
男だけの寝る部屋で、八ミリビデオの上映会が始まったではないか。
部屋の明かりを消し、ふすまをスクリーン代わりにし、ジージーっと始まった。
あられもない姿の女性が獣を相手にチョメチョメ,外人の一物が異常にデカかったのを覚えている。
そんな思いで多き石巻山へ明日は走りに行く。
明日はジージ―も無い。
今から30年前、今のようにスマホもパソコンもない。
若い人は先輩に、悪いことも良いことも教えてもらった。
今は、わからないことがあったら、スマホやパソコンで検索すれば様々な答えが返ってくる時代に暮らしている。
昔、男どもは卑猥なシーンを真っ暗闇の部屋で息をのんで見入った。
明日、自分は、若き日の思い出深い石巻山に行く。
ジージ―を見た旅館は何処だっただろうか、走った後、石巻山の山頂にも行こうと思う。
57歳になった今、ジージ―よりも走る楽しさを知って、走り終わってからの宴会の楽しさも知った。
また、夢を追いかける事の楽しみも知ったのである。
byしんしん
ゆめいらんかね やしきたかじん「伝」 角岡伸彦著
を、読んだ。
「愛」だけでは語りつくせない真実、あなたがほんとうに潰したかったのは何だったのですか。
百田尚樹さんの『殉愛』を読んだのが2015年2月
飯田線に揺られ中部天竜の駅から名古屋を目指していた電車の中で読み終えた。
二年前の自分がどんな気持ちで、この本『殉愛』を読んだのか読み終えたのか。
名古屋駅に下りた自分は、名古屋駅構内の銀の時計前で、初めて参加した「名古屋いいとこマラニック」に参加するメンバーを待っていたのだった。
この本
ゆめいらんかね やしきたかじん「伝」 角岡伸彦著
では
序章 ~第一章・第二章・第四章・第五章・第六章・第七章・第八章・終章・あとがき。
となっている。
膨大な取材を基に書き上げた本だ。
大阪を愛した男、やしきたかじんの生涯を膨大な取材で知り得た事を書いた本。
毒舌でテレビでの解説は観ている者を納得させ楽しませてくれた、やしきたかじん。
あとがき
で著者が、ふれた言葉が気になるのでブログに残しておこうと思う。
P268
自ら億ションに住み、国内外にいくつもの不動産を所有したが、母親が住む実家は昔ながらの長屋のままだった。それらは第三者がとやかくいうことでないかもしれないが、こと大阪の未来については一家族の話ではない。
たかじんが旗振りとなり10年に「大阪人を明るくするまちにしたい」という趣旨で「OSAKAあかるクラブ」を設立したことは第七章で触れた。財政赤字と不況に苦しむ大阪をなんとかしたいという、たかじんの熱い思いは充分にわかる。しかしその彼が、生まれ育った西成のことをなぜ一言も言わなかったのか、私には納得がいかなかった。ふるさとを想うなら、出身地を明らかにするのが自然であろう。
ふるさとを切り捨てて、なぜ大阪が語れるのだろうか。
原文まま
やしきたかじん
大阪を愛した男、大阪に多くの寄付をした。
>ふるさとを切り捨てて、なぜ大阪が語れるのだろうか。
そんな人は
やしきたかじん
だけではない。
そんな人はこの世に五万といる。
自分もそのひとり。
横吹(よこぶき)を後にしてココに出てきた。
「ゆめいらんかね」読書(*^^)v
やしきたかじんは我々一般人からすれば夢のような生き方をした人物。
また、この本を読んだ自分は、普通の生活を送れることに感謝していると益々思うようになる。
たとえ過疎地で不便な生活の中でも。
非常食としての栃の木は貴重で切るのは愚かなことですが、実がなるまで時間がかかるので植えて待つのは馬鹿げたことという意味。
先日、職場に、来た、電気工事の人は、小さなころ西渡(にしど)に暮らしていたそうだ。
当時の親が、西渡に見切りをつけ浜北に引っ越したそうだ。
「よかったゾ~親が早くに決断してくれて」
「ハッキリ言って、ココは限界集落」
「ここに住んでいる人には悪いが」
「ま、出るんなら早い方がいいゾ-」
年に一回、その工事の人と、出会い、心おきなく様々な事を話す。
趣味はスキー、日本全国のスキー場にいってみたいと言っていた。
北海道のスキー場は全ていった。今までいったスキー場で一番すごいと思ったのは蔵王。
その人は山登りも好きで南アルプスに登った話もしてくれた。
しかし、疲れることは、あまり好きではない、山頂が近づいても体力的に登れないと思ったならば引き返す。
話の中では、登るのを諦め引き返した話が多かった。
今、佐久間では
NPOがんばらないか佐久間では
佐久間の人と描く夢
と、広報誌に、佐久間町でアワビの養殖を発案された市の職員の人の後援会の写真がデカデカト記載されていた。
写真は田中陽樹講演会の、佐久間から走って聴きにいった(*^^)v
その講演をした人は知っているだろうか?
佐久間を西渡を出て行った人の、こんな言葉を。
佐久間には少なくなったと言っても佐久間ダム関係の仕事がある。
特別養護老人ホーム「さくまの里」もある。
しかし、そこで働いている人の中にも佐久間を出ていく人が居ることを。
地元の雇用を作り、地元を活性化する。
働くところを多くすればいいという考え方、それはそれでイイ、しかし、根本的に変えなければいけないことは。
心の問題だと思う。
「トチを切るバカ、植えるバカ」
非常食としての栃の木は貴重で切るのは愚かなことですが、実がなるまで時間がかかるので植えて待つのは馬鹿げたことという意味。
水窪町の上村から嫁に来た私の母親からも聞いた言葉。
昔、栃の実は非常食として貴重だった。
バカみたいに走っている自分、それはそれでいいのだ。
水窪町
山深い、その町は、その昔、宿場町として栄えた町だ。
1994年、三遠南信自動車道の一部として草木トンネルが開通し、これから山の時代がやって来ると期待した時もあった。
平成の合併があり、当時の浜松市長が「クラスター型」の新浜松市を目指すと言ったのも束の間、次の選挙で新市長なと時には
「コンパクトシティ」田舎は田舎なりの・・・・・。
西渡(にしど)から水窪までの国道152号線は、相月バイパスはできたものの、他の所は拡幅する兆しがない。
人のうわさでは「原田橋の大きな工事で予算がそっちの持ってかれた」そんな声を聴く。
そんな旧水窪町の木は栃の木
そこに暮らして来た人々は、昔から栃の木を大切にしていた。
水窪の名木
今、水窪には栃の実を使ったお菓子を売っている店が二軒ある。
小松屋と八幡屋
小松屋のトチモチは甘く。八幡屋のトチモチは栃本来の苦みがする。
水窪の言葉で「トチを切るバカ、植えるバカ」ということを聞いたことがある。
非常食としての栃の木は貴重で切るのは愚かなことですが、実がなるまで時間がかかるので植えて待つのは馬鹿げたことという意味。
今、現在、技術の発展は目覚ましい。
近い将来、車が自動で走るようになると言われている。
中央車線や側道の車線に反応してそこを越えない様に真っ直ぐに走るようにするという。
西渡から水窪までの国道はマダマダ二車線もおぼつかない所々落石も発生しようかと思われるところもある。
浜松市では有事の時のドローンでの災害物資を搬送を考えている。
この様な環境下では、いっそのこと町に出ようか、そんな風な考えがあっても不思議ではない。
水窪の言葉で「トチを切るバカ、植えるバカ」ということを聞いたことがある。
そんな水窪の山の中に栃の木の老木が方々に残っている。
今自分のやっていることは馬鹿げたことかもしれない。
しかし、世の中、賢い人もモチロン大事だが、こんなバカも少しは役に立っているのではと、最近思うようになった。
多くの人に、水窪、知ってもらいたい。。。
小松屋
https://5028seika.com/
八幡屋
https://yawatayaseikaho.jimdo.com/menu/tochimochi/
日本ではお酒などを飲みに行ったときワリカンにするという文化がある。
「お勘定いくら」「ぽん割にして一人いくらづつネ」
飲むのが、集まるのが好きな人が音頭を取って、気の合った仲間を集めて飲み会を開催する。
そんな時に、こんな声も聞こえたりする。
「ウーロン茶しか飲んでいないのにワリカン?」
ワリカン、平等のようで平等ではないワリカン。
みんなが同じにすることは難しい。
同じようにすることはできるかもしれない。
先日、私が行ったマラニックも、このワリカンを基本としている。
ボランティアとして駆けつけてくれる人、そんな人にどんな感謝を表せればいいのだろうか?
みんなが同じように楽しむのがベスト。
儲けたとか損したとか関係ない、マラニックの世界。
ボランティアに来てもらい思いやりを頂いたならば、その思いやりの心を次の人に投げ返す。
ワリカン、平等のようで平等ではないワリカン。
次のマラニックは中田島砂丘に建設中の防潮堤を見学しながらの砂丘マラニック。
終わってからの(酒)は遠鉄ビアバイキング。
マラニックとは?
ひとつの企画が終わって、自分なりに納得すればそれでイイ。
ワリカンを基本として、来年の夢街道90㎞
どの様にしようかと今から思案している(^O^)/
2017年6月23日(金)
仕事を半日で終わらせてもらい、遠山郷へ。
何時もの幟や横断幕を遠山に行くついでにセットしていく。
今年は新しいものを
自分の故郷である「横吹」を遠くから眺めることができるところに設定した(^O^)/
「横吹ビューポイント」
「進化の名のもとに古きものは失われていく・・・・・」
限界集落・消滅地域、日本は先進国は経済発展を続け便利な生活の渦の中にいる。
その便利さと引き換えに忘れてしまった無くしてしまった尊いものがある。
水窪の小畑の小松屋で栃もちを35個買って本町の「山に生きる会交流所」へ。
寺田さんにご挨拶。
長尾の丸太小屋で諸事情を説明し、西浦の「はくりや」では細かいことは言わずに遠山を目指した。
遠山郷観光協会「アンバマイカン」でTシャツの件を説明し
「かぐらの湯」のカウンターで風呂の団体割引券を30枚頂いた。
風呂に入って、ざぶんと入浴して、身体も洗わずに、そそくさと出て、休憩室で仮眠をとった。
16時定刻になったので、走る格好に着替えて遠山の人と浜松に向かった。
19時にレクレーション保険の人と浜松駅南口で待ち合わせ、団体保険のメンバー修正の手続きをする。
いろいろあったけど、スタート30分前には走る仲間が、ポツリポツリと集まってきた。
この瞬間が、私にとって何とも言えないひとときだ。
浜松市の中心地である浜松駅南口に、日本で二番目に広大になった浜松市を縦断しようとする仲間が集まって来る。
東は東京、西は愛知県あま市、三重県四日市、岐阜県の人が来てくれた。
普通の人には分らない、理解できない、考えられない、そんな仲間が集まって来る、そんな瞬間。。。
そんなことを企画している人が、浜松市の隅っこの佐久間町の自分。
そんな私を応援してくれるのが北遠の人でななく長野県の遠山郷の人というのも何かの縁というしかない繋がりを感じる。
長くやっていると様々な事があった。一つ一つクリヤーして今の自分がある。
2017年6月23日(金)21時30名のランナーが浜松駅南口をスタートした。
動画です↓
夢街道90㎞2017
今年走って見えてきた課題
課題1
浜松駅をスタートして、国道152号線を右側の歩道を行くと、途中(東名高速道路高架下)の手前の交差点で信号機が無い所があった。
少し戻って地下道を潜れば良かったが、そのまま道路を渡ってしまった。
解決策
国道152号線に出たら信号の具合を見て左側の歩道に行き北上し北遠を目指すようにする。
課題2
自分より後ろの方にランナーの姿が無く、もしかしたら異変が起き着いてこられなくなったのではと心配して後続のランナーを少し休憩しながら待っていた。
そんな人が初めての参加の人なら道も分からなくなると思った。
解決策
知り合いを通じての参加の方は、知り合いの方にサポートをお願いする。
課題3
Tシャツの件。
ゴール後、名簿に書いてある方に渡してくださいとお願いしたのだけど、一人なかったという方が出た。
MサイズSサイズSSサイズとだけ書いた。
解決策
Tシャツを入れる袋に名前を書く。参加名簿に自分でチェックを入れる。観光協会の人には絶対に迷惑をかけないようにする。
課題3
熊出没注意
西浦池島に最近熊が出たという情報があったそうだ。
人的被害はまだ出たことは無いが、女性が一人で走っていて熊に出会うということもあり得る。
野生の熊は人を襲うことは無い、ところが何かの拍子でビックリして怒り狂暴になり襲うこともあるらしい。
解決策
ヤハリ青崩峠を越えるときは何人かのグループで越えて欲しい。
「はくりや」から「遠山郷観光協会」まで4時間前後。
「はくりや」を10時過ぎてからの人で走力に心配のある方は車の走ることができる兵越峠を選択するようにしたらどうだろうか?
リスクとベネフィット
世の中の全ての物には、必ず良い面と悪い面がある。
走ることで楽しみを求めるマラニック。
長い距離になると様々な事が起こり得る。
たとえば天候、遠い先から決めた日程に台風が接近していたとする。
不意な事故、こけてしまうかもしれない。チョットしたかすり傷なら笑い話で済むが、打ち所が悪く何らかの事が起こるかもしれない。
走ることは辛く苦しいイメージがある。そんな過酷なイメージの走ることを楽しむ。
リスクの中にベネフィットを見つける、こと。
そんな何かに怯え、一歩踏み出すことができないなら、それでおしまい。
一人では何もできないが仲間が集まれば何かができる。
27年間のマラソン人生で、そんなことを学習した(^O^)/
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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