今年で66回目を迎えた北遠駅伝。
日本が戦争に負け、敗戦の何もない時代、水窪の人は駅伝を始めた。
当時の人は、いったい何を思って北遠駅伝を始めたのか?
1952年(昭和27年)
北遠駅伝が始まった。
水窪町は昔、奥山村だった。それが
1925年(大正14年)5月10日
まだ佐久間も城西も山香も村だったが、いち早く町になった。
それだけ栄えていたいたのか、山の価値がそうさせたのか、街道沿いを歩く人が多く宿場として栄えたのか。
わたしの産まれたところは城西地区の横吹。
その後、城西地区は佐久間ダムで潤った佐久間町へと合併する。
1956年(昭和31年)9月1日
日本のエネルギー 電気の時代の幕開け。
今、静岡県の山間地は若者の流失が激しい、ダムで出た電気のエネルギーは都会へと流れてく。
66年前、水窪の人が始めた北遠駅伝、其々の大会ごとに多くのランナーが走り競い争った。
その66回目に参加できたことに感謝する。
チーム名 さくまRC
順位 21位
記録 1時間46分57秒
いま、生きる意味を問うすべての人に捧げる。
五木寛之 小説家・随筆家 稲盛和夫 京セラ・第二電電(現KDDI)創立者、
二人の対談をまとめた本
何のために生きるのか。
を、読んだ。
五木寛之の本は、昔「人生の目的」というのを読んだことがある。
まだ30歳代、若輩だったころだ。
それが、40歳代のときに病魔に襲われ退院して何もすることが無くなった時、もう一度本棚から引き出して読み返した。
小瓶に植えたライ麦の話、狭い瓶のなかイッパイに根が張り巡らせられていた、限られた環境の中で精いっぱい生きる。
『人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。さびしいだけではなく、むなしい。むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は「自分の人生の目的」をさがすことである。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。へんな言い方だが、「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってもいい。私はそう思う。そのためには、生きつづけていてこそ・・・』
五木寛之 1932年(昭和7年)産まれ。
戦後、軌跡の復興で日本は世界の有数の新興国になった。欲福の国になった。
しかし、その陰で、この国は毎年3万人余りの人が自殺する国になった。
この本では
心が乾いていった日本人
としている。
稲盛和夫 1932年(昭和7年)産まれ。
1984年には私財を投じ稲盛財団を設立し、理事長に就任。同時に国際賞「京都賞」を創設し、毎年11月に人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。他にもボランティアで、全96塾(国内56塾、海外40塾)、12,084人の若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、経営者の育成に心血を注いでいる。
このままでは日本はダメになってしまう。
家の娘、33歳
「お父さん私のこと心配せんでいいよ。コンビニがあるから食っていける」
小さいころからゲームで遊び、自分の思い通りになってきた生き方がそうさせた。
コンビニがあれば食事もできるしお茶も、真夜中だってやっているコンビニ、お金さえあれば生きていける。
その様に講演で話していた徳野先生
日本の家族のことについて語る。家族と世帯とは違う。
家族の絆。佐久間町民の絆。天竜区の絆がシッカリ繋がればキット住んでいる人が少なくても過疎でも、地域は何とかやっていく。
家族とは?
家族とは世帯とは違う。
家族は世帯を超えられる。
世帯は住民台帳に乗っている人だ。
家族とは今は一緒に住んでいないけど絆で繋がっている近親者
それは、死んで行った両親だったり、まだ生まれていない子供だったりする。
究極の日本という国が良くなるためには、日本の国全体が一つの家族のようになること。
過疎の地域の悩みを東京の人が考える。
大都会で便利な生活になれ結婚しなくなりコンビニに依存する生活が多くなったことを、田舎の人が考える。
家族、
婚姻によって成立した夫婦を中核にしてその近親の血縁者が住居と家計をともにし,人格的結合と感情的融合のもとに生活している小集団。
地域の人々が家族のように暮せたら。
昔は地域の人々が家族のように暮らしていた。
一日休みを頂いて、佐久間から一時間もかけて、行ってきた市民交流会議、行ってきただけではもったいない。
今日は講演の内容について自分なりに復習してみようと思う。
講演
>熊本大学名誉教授 徳野貞雄
「『集落ドクター』から見た地域再生:世帯と家族は違う。子供は近場にいる」
教授の写真ではありません。
<プロフィール>
徳野貞雄(とくのさだお)
1949年大阪府貝塚市生まれ、熊本大学名誉教授。
食と農の専門家として道の駅を考案・命名した。また、家族や集落の状況を把握し将来を見通す「T型集落点検」考案者としてもよく知られ、「集落ドクター」とも言われる。
日本全国の農山村に出かけ、フィールドワークをこなす活動派研究者である。
一般社団法人 トクノスクール・農村研究所HPから抜粋
今、全国で見られる「道の駅」それを考案した氏は、ほんとうは住民・民間がやればいいと言っている。しかし、お金の面で厳しい、そこで国交省、しかし行政は・・・・。
合鴨農法、有機農業の一種、氏はその組織の頂点、農学部の先生は合鴨農法なんてことはしません、農業生産はみますけど消費者の事を考えることはやらない。・・・とか。
今までの地域創生は学問とか行政が邪魔することがイッパイある。枠の中だけで見ようとする学者・行政。
そんな氏は文学部青年だったそうだ。
浜松市の北部、天竜区は人口が減っている。浜松市でも全体の人口は減っている。日本国全体でも。
しかし、過去を見ていると明治時代・江戸時代、日本の人口は五千万人以下。それが戦後の高度成長で人口が増え一億二千万人。それが今減って来て行政が経済界が減った減ったと民衆をあおっている。
私の体重は、かつて100㎏以上あったが今ダイエットして80㎏、これを痩せてると言えるでしょうか?
等々
昔は江戸・大阪・京都、そこには人口は多くいたけど他の地域は少なかった。
どうしてか、浜松市もそうだけど大きな川の近くでは人は住めなかった。それは川が氾濫し住めるものではなかった。
そう、今は河口近くの天竜川両岸地域に住宅街が広がっているけど昔、まだ船明ダムが無かったころ台風の被害で大変だった。
システム過疎。
過去、人が増えたからと学校を多く造った。今、高齢者が多いと福祉施設を造りそのうちその施設に人がいなくなる。行政は同じ轍を踏みそうだ。
ここで問題なのは、人口減っているけど何とかガンバレでななく、本当の問題は、、、。
個々人が自分のことばかり考えるため、ここでは住めないと出ていく人々多いこと。
行政の職員んが佐久間のためにとアワビの陸上養殖をして、ココに雇用を作ろうと心血を注いでいるのに、一方ではその行政で働いている人たちが出て行っている事実。
それは、郵便局の職員だったり農協の職員だったり。農家のための農協職員だったはずがいつしか自分のための職員になってしまった。
それを人々はアタリマエというションナイという。。。
また、今のふるさと応援隊また各地域でのイベント、そんなことやって地域が潤うか?
とか。
あと、ここでは言えないことまでバンバンとしゃべりつくした講演だった。
実際、佐久間という過疎地域に暮らす自分は、ふるさと応援隊や各地域でのイベント。
それはそれでいいと思う。
過去に行われた地方創生一億円より。
過去書いたブログ↓
ふるさと創生事業
国は地域に金をばらまいた時代。
今、国は人を送り込もうとしている。
わたしは思う。
これからは今まで各地域に居た人が帰って来るような考え方をしてほしい。と。
過去、自分がお世話になったところに恩返しをする時代だと思う。
そのためにはライフライン、せめて道路整備は進めてほしい。
浜松市の中山間地の地域づくりの可能性を考える交流会議
「まちむらリレーション市民交流会議」
に、行ってきたのだ。
場所は二俣、テピヤが昔あったとこらへん。懐かしいナ~。。。
水窪のNPO山に生きる会で呼びかけがあり、今日は運転免許証の書き換えがあったのでついでに行くことにした。
内容は下記
第一部
基調講演
>熊本大学名誉教授 徳野貞雄
「『集落ドクター』から見た地域再生:世帯と家族は違う。子供は近場にいる」
第二部
>講演
静岡文化芸術大学 船戸修一
「浜松市の中間山地の集落を残していくために:船戸ゼミによる佐久間町調査から」
第三場
>講演
浜松市市民協働・地域政策課 北嶋秀明
「浜松市の中山間地政策について」
徳野先生のお話は強烈だった。
ふるさと応援隊として都会の若者を呼び込もうとする行政の政策に喝
自分の娘・息子が都会に出て行っているのに、縁もゆかりもない他人が、、、来るか。。。
等々。
片手をズボンのポケットに突っ込んでの講演は、感心したり驚いたりだった。
次の文化芸術大学の船戸先生はというと、
なんか早口。
先の先生の話しで時間を使い過ぎたか。
パワーポイントの使い方がスマート。
おっと、、、内容
佐久間町の、ある集落の調査の話
羽ヶ庄の話かな~。
オバサンがいるので聞いたことがある。
「大学の先生が来た話していった」と
オバサンは諦めきっているけど、船戸先生はあきらめてはいない。
次は、よいよわたしが聴きたかった話し、北嶋さんのアワビのこと。
その前に浜松市の中間山地地域振興策についての話
★龍山の森林文化会館の管理運営を地域に人に委ねることにより、地域のコミュニティ活動を活性化させる。
★市内観光事業ということで春野の山の学校に都市部の小学生が行くことにより中山間地の魅力を体験する事業。
★毎年、ソラモでで開催しているザ・山フェス、だいたい4万人ぐらいの人が集まり中山間地のアピールをして山に行っていただけるよう切っ掛けづくりのイベントをやっている。
★地域づくりインターン事業、都市の大学生が、中山間地域集落に短期滞在し、地域の課題やまちづくり活動について考える活動。
★移住の話、29年度で今現在493人の方が移住の事について相談に来ている。多くの人が中山間地に住んでみたいとの人が居る。いろいろな方と話をしてつなげていきたい。
移住したいという方で、問題となるのが仕事。
そこで、アワビの陸上養殖、、、、そんな感じでアワビの話に繋がっていった。
よいよ始まった。何故、何故と思った事が、今解明される。
北嶋さんが今の部署にきて中山間地を廻って思った事元気が無い、市は何をやっているのか地域振興とはいうけど何処も同じようなことをやっている。
金太郎飴と同じ。これでは中山間地には注目を浴びない。
そのときある中山間地でトラフグの養殖の話を聴いた。これだ!!
山の中で海の物を育てる。それがアワビに繋がった。そうだ。
アワビが始まり佐久間に何回も通った、がんばらまいか佐久間のオバちゃんが「大変ですネ~」と言ってくれた。
浜松の市役所から佐久間町まで約2時間。
物理的距離はは変わらないが心理的距離は変わった、佐久間までが短く感じてきたのだ。
女性たちのパワーはに圧倒されアワビ養殖は続いていった。
アワビの殻をイヤリングにしたりストラップにしたり。
可能性が広がって来る。
わたしがやりたいのはアワビがやりたいのではなくアワビによる地域づくり
不可能だということに地域の人と挑戦することに意味がある。
過疎はチャンスだ!!
と話を結んだ。
長かった市民交流会議、外に出たら薄暗くなっていた。
一日職場で休みをもらって参加した市民交流会議、過疎の地域佐久間で暮らす一人として大変参考になりました。
夢を持って楽しく頑張ること。
また、続けていれば応援してくれる人が必ずいるということを知りました。
を見た。
ブータン王国に農業技術を伝授し、国王から「最高に優れた人」を意味する”ダショー”の称号を与えられた日本人・西岡京治さんの話。
向井 理が見た、幸せの国のキセキ
読売テレビ・日本テレビ系で、本日午後3時00分~4時25分までだった。
世界で一番幸せな国・ブータン。
如何してブータンは、ブータンの人たちは幸せを感じるのだろうか。
いま、テレビを見て思った事は、仏教だったり、住民が素直だったり、多くの自然に囲まれての生活がそうさせているのではないか。
などと思う
が、どうだろうか。
国土の大半が山岳地帯で食糧事情も厳しいブータン。
そこに派遣された一人の日本人西岡京治さんのブータンに人々に残したものは計り知れない。
俳優 向井 理が話している
人の思想や努力はずっと残るんだと今回強く感じました。西岡京治という日本人が、敬虔なる仏教国家であるブータンで認められた唯一の外国人であることをすごく誇りに思います。
ブータン
私が暮らす「北遠」、中間山地。
ココで暮せることの幸せを感じることのできるようにしたい。
幸せ、それは自分が感じるもの。
先日
たつやま凸凹マラニック
で訪ねた、寺尾集落の家に饅頭を持ってお邪魔した。
そこのオバサンの笑顔が、ブータンの人とダブって見えた。
ブータンが愛した日本人
ウソ
「人生、報われる生き方」渡部昇一
を、読んでいる途中。
幸田露伴とは
1867年~1947年 慶応3年~昭和22年に生きた人、 小説家・随筆家・考証家。江戸下谷 生まれ。本名,幸田成行
そんな昔の人が書いた小説を自分には読めない。と思っているときに出会った本
「人生、報われる生き方」渡部昇一
この本は、そんな幸田露伴の「努力論」を読んで渡辺昇一さんが書いた本だ。
自分でも何とか言わんとすることがわかる。
惜福・分福・植福
惜福、惜しむ福と書いて惜福(せきふく)
昔、自分が働き始めたとき、給料が少ないと嘆いていると、ある人が
「20万貰っても20万使えば残りは0円。10万貰って8万使えば残りは2万」
「この生活を10年続ければ後者には20万の貯金が残る。前者には貯金は無い」
そんなことを言って諭してくれた先輩がいた。
今思えば、こんなことが惜福かな。
惜福とは「ケチ」とは違う、自分の使うお金を全て使い果たさずに、一部別に置いとくということ。
分福(ぶんぶく)
文字通り、自分の福を分け与えること。
惜福で残した物を他者に分け与えて二重の幸せを得る、そんな考え。
福を、お金を独り占めする、そんな生き方は良くないと言っている。
のだ。
植福(しょくふく)
自分の持つ力や情、知恵を使って世の中に幸福をもたらす、こと。
福を植える、こと。
植えることによって、その木はやがて実が付き大きな収穫がある。そんなこと。
100歳を超え現役の医師として働いた聖路加国際病院名誉院長日野原氏は、少子化で今の時代は小児科は儲からないと知りながら増設した、そんな生き方が植福なのではないかと思う。
保守派の論客で英語学者の上智大名誉教授、渡部昇一さん
2017年(平成29年)4月17日ご逝去された。
歯に衣着せぬ発言の人だった。
そんな先生の本
人生、報われる生き方
自分の、これからの生き方を考えながら読み進めていこうと思う。
しんしん
佐久間ダム往復10㎞
仕事が終わり、今日は佐久間ダムまで走ることにした。
せっかくダムまで走るのだ、佐久間ダム電力館によってダムカードをもらおう。
そう思って走り出した。
佐久間ダム
静岡県浜松市天竜区佐久間町と愛知県北設楽郡豊根村にまたがる一級河川・天竜川本流中流部に建設されたダムである。
工事が着工したのが1953年 完成したのが1956年、わずか三年で完成した。
日本の高度成長時代、電気の時代の幕開けの大事業だった。
仕事も多くあり、多くの人であふれていた佐久間の時代だった。
あれから62年、当時観光客でいっぱいだった佐久間ダムも、昨夜ふった雪がうっすらと残った山々に囲まれひっそりとしていた。
わずか三年で完成した佐久間ダム
その工事で犠牲になった人が居る、慰霊碑には96名の名前が、尊い命が犠牲になった。
自分たちの今の平和な豊かな生活は、このような犠牲の上に成り立っていることを知らなければならない。
佐久間ダム電力館に行くと三名の職員の方がいた。
知った人ばかりだ。
働くところがあり、ココに暮らしていける。
それだけで幸福を感じる。
ダムカードをもらい家路を急いだ。
ダムカードは「夢街道」の初参加者にコースマップを送るときにオマケとしてつけようかと思っている。
ダムカードは一回の入館で佐久間ダムと秋葉ダムのダムカード二枚もらえる。
何回ダムランできるだろうか?
「瀬戸ワンタン、日暮れ天丼。ゆうなみこなみ~♪ あなたの島へ♪」
わたしと同年代の人は、誰しも口にしたことがある小柳ルミ子の瀬戸の花嫁です。
瀬戸の花嫁の替え歌です。
昨日は、職場の新年会でした(^O^)/
佐久間から車に揺られ浜北まで行き、そこの某食堂での会でした(^O^)/
宴もたけなわ、そんな時、仲間は会場の窓から皆既月食を見ましたが、
わたしは浜北の賑やかな町通りに、華やかなネオンに目を奪われました。
籠に乗る人担ぐ人、そのまた草履作る人
いろいろな立場の人が居る。
暮らすところも様々だ。
「瀬戸ワンタン、日暮れ天丼。ゆうなみこなみ~♪ あなたの島へ♪」
昔、多くの人が、瀬戸の花嫁のように不安を抱えながらお嫁入りをしていた時代がありました。
佐久間から浜北まで車で約一時間。
お酒を飲まない人に運転してもらい、お酒を飲む私は、本当に本当に感謝です。
多くのランナーに
様々な地域の人に、
夢街道、参加してもらいたい、大きくなった浜松市を体験してもらいたい。
昨日は45回目の佐久間駅伝でした。
佐久間ダムの好景気の時、当時佐久間村だったココは近隣の浦川町・城西村・山香村とが合併して出来たのが佐久間町です。
佐久間町の主立った人が、大きくなった佐久間町をタスキでつなげようと45年前に始まった佐久間駅伝を無事に開催することができ体育協会一同ホッとしている次第です。
夢街道・夢の道、私の夢は何ですか?
わたしの夢は、過疎の地域に暮らしても希望を持って暮らすこと暮らせること、です。
ですが、私の暮らす佐久間町は平成の合併で浜松市になり希望を持って暮らすことができない、できなくなるのではないかのとの不安があります。
しかし、先のことを憂いているより今を楽しもう!と始めたのが夢街道でありほくえん旅ランです。
今年の参加者、そのランナーをコぺルランナーと呼ばせてもらいます。
何故、その理由は今はナイショです。
佐久間町が浜松市の大きな合併を受け入れた暑い夏の日、リックを背負ったランナーの走る姿を見かけた。次の日、新聞で新浜松市の旧市町村の役場を全て巡って最後に浜松市の市役所を目指す160㎞のウルトラランナーだと知った。
フルマラソンまでは走ったことがあるわたしは
160㎞・・・。
考えられない距離だった。
常識では考えられないことアンビリバボー
常識ッテなに。
普通人間は、自分を中心に物事を考える。
走ることが趣味といえる人は、たとえば自分、月に300㎞走りたいと朝に夕に時間を見つけて走り込む。
10年前、フルマラソンをヤットコサ走った自分は、月に100㎞も走ったことは無かった。
そのときは160㎞を走る人を常識外れと考えた。
いま、月間走行距離を300㎞走りたいと思っている自分は、朝に夕に走る自分をアタリマエと思っている。そのように思えるようにFBの走る仲間で刺激を受けて走り込んでいる。
だけど、多くの人から見れば常識外れかもしれない。
コぺルランナー
ランナーはマラソン大会に出ている。
いま、多くのフルマラソンは1万円だ。
横浜マラソンなどは2万円。
日本中の都市でマラソン大会が開催されている。
旅行を兼ねてマラソン大会を楽しんでいる。
そんな都市マラソンで、よく言われるのが経済効果○○○万円
そのため各都市ではランナーを呼び込むため頭を悩ませている。
走るのが好き、各都市が地域の経済効果のために考える。
それはそれでいいのかとも思う。
日本は先進国で豊かな国だ、名古屋ハーフを走った時など外国の女性ランナーが多かった。
しかし、少し考えてほしい。
豊かな国だけど、そんな国に暮していても、走ることを趣味だなどと言ってられない人のいることを。
大きくなった浜松市で駅前は高層ビルが建って栄えているように見えていても、広域合併を推進したために衰退していく地方の村々があることを。
先日の勉強会で
ある人が。
「広域合併を進めた人を町長に選挙で選んだ町民たちが悪い」
FBである先生が
「過疎化の問題はショウガナイこと」
との意見があった。
町民が悪い?ショウガナイこと?
2007年、353億円の赤字を抱えて事実上破綻した北海道夕張市。
そんな夕張に暮らす年寄りの人たちに何の罪があるのだろう。
経済発展の頂点に立つ多くの恩恵のなかで豊かな暮らしをする人々は都合の悪いことをショウガナイの一言でかたずけようとする。
コぺルランナーとは
最近注目の「君たちはどう生きるか」の本の中のコぺル君から頂いた。
中学生のコぺル君、そのニックネームはコぺル君のオジサンが名付けた。
地球 中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えたポーランド出身の天文学者、コぺル二スクから名付けた。
その時代に地球 中心説(天動説)が当たり前と思ったいた時に、太陽中心説(地動説)を唱えた天文学者コぺル二スクからだ。
コぺル君に、世の中のアタリマエをそうではないと覆す勇気のある大人へと育ってほしいと願って。
わたしもコぺルランナーには、そのように思ってほしい。
過疎だから、道路整備が滞るのはアタリマエと思わない人に。
多くの人が暮す所はより便利になり、過疎化が進む地方は遅れていく、それをアタリマエと思わないような。
フルマラソンが世の中の人の考えでは長距離(人が走る距離)そんなの走るのも異常だと非常識と考える人もいます。
そんな普通ではないこと、ましては90㎞も走る人。
世の中の普通ではない人。
世の中のアタリマエをアタリマエと思わない人だからこそコぺルランナーと呼びたいと思います。
地球に暮らす全ての人が、お互いにリスペクトを持って暮らしていく、そんな世の中が来なければいけない。
優位にある者が下位にあるものを見下して上から目線でしてやっている、そんな考えはおかしいことだと思う。
優位にある者こそが、一段下の世界に下り同じ目線で考える。
夢街道90㎞参加者してくれる皆さん。
真夜中に浜松駅南口を走り出し、真っ暗な国道152号線を走り、夜明けは龍山の秋葉ダム湖沿いの道です。
六月の蒸し暑い季節ですが、山間部で迎える朝は小鳥のさえずりの中で心地よい気分を味会えると思います。
西渡(にしど)まで到着すれば、よいよ塩の道です。
楽しい走りとなるよう。
お身体に気を付け走り込み、頑張ってください。
しんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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