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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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今年で66回目を迎えた北遠駅伝。
日本が戦争に負け、敗戦の何もない時代、水窪の人は駅伝を始めた。
当時の人は、いったい何を思って北遠駅伝を始めたのか?
 
1952年(昭和27年)
北遠駅伝が始まった。
水窪町は昔、奥山村だった。それが
1925年(大正14年)5月10日

まだ佐久間も城西も山香も村だったが、いち早く町になった。
それだけ栄えていたいたのか、山の価値がそうさせたのか、街道沿いを歩く人が多く宿場として栄えたのか。

わたしの産まれたところは城西地区の横吹。
その後、城西地区は佐久間ダムで潤った佐久間町へと合併する。
1956年(昭和31年)9月1日

日本のエネルギー 電気の時代の幕開け。

今、静岡県の山間地は若者の流失が激しい、ダムで出た電気のエネルギーは都会へと流れてく。

66年前、水窪の人が始めた北遠駅伝、其々の大会ごとに多くのランナーが走り競い争った。
その66回目に参加できたことに感謝する。

チーム名 さくまRC
順位 21位
記録 1時間46分57秒

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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