佐久間町から天龍村(平岡駅)まで
トンネルまたトンネル、トンネルだらけの43.4㎞。。
昨日のこの地図を見て、、、ココを走ってみたくなった。
佐久間から佐久間ダムまでトンネルが四つある。
佐久間ダムの堰堤を渡り愛知県に、佐久間ダム湖の西岸には、
昨日、ブログで書いたように15個ものトンネルがある。
トンネルがなくなり、しばらく走っていくと遠くに「富山村」の集落が見える。
すぐ近くに見えるのだが、、、曲がりくねった道路のせいでナカナカ、その集落に着かない。
昔、富山村を訪ねて時には「温泉」があり「温水プール」があった。
富山村を過ぎ、大嵐駅に行く橋「鷹巣橋」がある。
その橋を渡らずに、そのまま県道1号線を北上する。
そこから、平岡駅までトンネルは5個。
合計で24個のトンネルを潜って向かう天龍村「平岡駅」
そこには、村営のホテル「龍泉閣」がある。
そこには、村営の温泉「龍泉の湯」がある。
佐久間町中部の上島キャンプ場には、「井上靖文学碑」がある。
天龍川・讃
北斗と織姫の間に横たわっている星座は、天龍と名付けられている。長く、美しい星の帯。あるところは烈しく、あるところは静かに輝いている。
その空高く竝んだ星たちが、己が出生の地を、大和島根に求めんとすると、列島のほぼ中央、天龍渓谷ということになろうか。諏訪湖と遠州灘を結ぶ烈しく、美しい水の帯。あるところは澱み、あるところは急端をなし、時に流れは身を翻し、龍となって、天を窺っている。
井上靖
昭和63年(1988)に佐久間に建てられた文学碑。
この地「佐久間」から、天龍と名付けられた目的地の天龍村に向かおうというのだ!!
YAHOO!下の⇒をクリック。
(ルートの再生が始まります)
先ずは、試走をしてみたいものだが、、、、誰か付き合ってくれる人はいないだろうか(^O^)/
大嵐駅から中部天竜駅まで、自分の足で走ってみたい。
私の素朴な考えだ。
素朴=単純で発達していないこと。
しかし、その道は、狭いトンネルが多く危険な道程だ!!
佐久間町から佐久間ダムに上っていき、佐久間ダムの堰堤を渡ると愛知県。
トンネルはダム側から
うなぎだる隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_unagidaru.htm
丸山(まるやま)隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_maruyama_r1.htm
松島(まつしま)隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_matushima.htm
松の平隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_matunodaira.htm
湯の島隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_yunosima.htm
分地トンネル
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_bunti.htm
一の代隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_ichinosiro.htm
瀧原隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_takihara.htm
萬丈隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_banjyou.htm
滝原山隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_takiharayama.htm
一本杉トンネル
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_ipponsugi.htm
下山中トンネル
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_shimoyamanaka.htm
芦沢隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_ashizawa.htm
細畑隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_hosobata.htm
佐太隧道
http://www.geocities.jp/p_road12/aichi_tn/ap_sata.htm
と、15個ものトンネルがある。
リンクは「一二屋」さんからお借りしました。
車や自転車・オートバイでこのトンネルは走っているが、狭くて危ないトンネルだ。
歩道もなく狭いうえ平日は浚渫工事のダンプカーが頻繁に往来しており徒歩での通行は危険すぎます。
そんな危険すぎるトンネルの動画を見つけました。
佐久間ダム側から
「うなぎだる隧道」「丸山隧道」「松島隧道」
想像してください、こんなところに人が走っていることを、普通人ならびっくりすると思います。
車の運転手からすれば、ずいぶん迷惑な話だ~、、と。
まして、この道は平日に分地まで浚渫工事のダンプカーが頻繁通る、その人たちは仕事でこの道を使っている。そんな人に迷惑にならないようにするには・・・日曜日にしか人は走れないと思う。
私が
まだ、オートバイの免許しか持っていないころ、このトンネルをバイク(DT250)で走ったことがある。
なんと、トンネルを抜けたらライトが切れ、帰りは真っ暗なトンネルを無灯火で走ってきたことがある、、、。
狭く真っ暗で、とても怖い思いをした (^^;)
私は佐久間に帰ってきて消防団に入った、そんな時に、
土曜のテレビの番組(女の60分)で、日本海から太平洋まで走る企画があり、
女性芸能人がこの道を歩いたのを覚えている。
それぞれ歩く区間を決め、最後の人が富山村を出発しダムのトンネルを抜け、佐久間町を歩き、天竜川の河口について、その芸能人が日本海の水を太平洋に注ぎ込んでいた。
私は消防の入退団式で佐久間中学校にいた時だった。
また、40歳前の若き頃「とよはし・とみやまサイクルマラソン」で二回ぐらい自転車でこのトンネルを抜けたことがある。
このサイクルマラソンは、毎年夏開催、
トラックの走らないお盆休みを使用しての開催になったのだろう。
日曜日、トラックの走らないときに、この計画を決行しようかと、、、今、考え中である(^O^)
田舎で暮らしている素朴な人間の考えること(^.^)/~~~
YAMAP(ヤマップ)といは、登山・アウトドア用のアプリ。
山登りなどの時に起動して、自分の位置情報を記憶したりするスマホのアプリケーション。
まさかの遭難事故で、役に立つソフトだ。
プレゼンター:春山 慶彦 (株式会社セフリ 代表)
が、言っているように
「登山・アウトドアを通して、日本の風土をもっと豊かに!」
日本は自然が豊かな国、これからは世界の人たちが来る。
そして日本が登山・アウトドア大国になる。
何時か、ここ北遠・奥三河にも外国の観光客が来て、ココの豊かな自然に触れ感動していく時が、、、きっと来ると思う。
もしも、、、、思いがけない事故・遭難。。
そんなことがあってなならないけど、
そんなときのために、YAMAP(ヤマップ)というソフト、、、大事だと思う。
PS
佐久間で高齢者の行方不明の人が出ている。
YAMAP(ヤマップ)のようなアプリは、そんな人こそ持っていてほしい、、、と思う。
しかし、携帯すら持っていない状態だ。
GPS機能が付いた簡易な安い製品ができたらいいと思う。
株式会社セフリ の社長・・・考えてください(^O^)
先日、東栄町の明神山にマラニックで行ったときに、大変お世話になった人がいる。
走り終わって、走る仲間から
「何かお礼をしたい」
そのような話が出た。
仲間からお金を集め、近いうちにお礼に行こうと決めていた。
今日は、そのお宅に行ってきた。
北遠のお土産、、、何かないかな~?
北遠と言えば水窪の小松屋製菓 「栃もち」がいいかな~。
そうは思ったのだが、、、私の家(佐久間)から水窪まで40分かかる。
水窪までは・・・・遠い。
佐久間には、、、お土産は・・・???(-_-;)
浦川に「喜好園」という お菓子屋さんがあったみたいだけど・・・・今はもうない。
そうだ!
50歳の同窓会の時に、、、東栄町の若松屋で「やまゆり羊羹」を買ったことを思い出した(^◇^)
今回は、ココでお菓子を買うことにした。
佐久間には高校があるけど、商店街がない。
東栄町には商店街が頑張っているけど、高校はもう数年前に廃校になってしまった。
水窪の小松屋製菓も頑張っているけど、水窪の商店街付近も空き家が多くなってきたと聞いている。
同じ中山間地で過疎化に高齢化に悩む地域だ。
この事業で思い出すのが、
1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて地方交付税として一律1億円を支給するふるさと創生事業だ。
バブル期の日本で、みんなが浮かれていた時代の話だ。
竹下総理を先頭に
「ふるさと創生一億円、、、バンザイ\(^o^)/」
とテレビで放送されたの姿を、今でも覚えている。
そんな一億円を手に入れた地方自治体は、それぞれに地域活性になる案を模索しその金も元手に何をしようかと考えたのだろう。
あるところは金塊、あるところは温泉。
異色なところでは「村営キャバレー」などもある。
http://matome.naver.jp/odai/2136073851093733701
馬鹿な時代だったと通り過ぎてしまった、今、、、、感じる。
そんなことを2012年3月31日にブログで書いている
↓ブログ↓
「地域おこし」
私の父親は、合併前の町長とは同級生だったそうだ。
その町長は、まだ景気のいい時、山の値段が高い時に、
山を売り、東京に土地を買ったと聞く。
私が中学生の頃、
父親が、合併前の町長の事を
「◯之助は先見の目があるワイヤ」
と言っていた。
佐久間町に帰ってきたのは29歳の春。
佐久間町が浜松市に合併した時には、私は45歳になっていた。
その間、佐久間町の町長は、城西地区の人だった。
城西の生まれと言っても、高校は浜松、大学は東京。
都会での生活が長く、田舎くささのないシティボーイ的な風貌の町長だった。
佐久間に帰ってきて、静岡県で市町村対抗駅伝が始まって、一回だけ補欠に選ばれ、その大会の開会式に参加したことがある。
静岡県の全市町村の首長が壇上にズラーッとせいぞろいした、佐久間町の町長は他の首長よりもカンロクがありひときは目立っていたような気がする。
その時代の佐久間町民は、、、、、、、そんな人物を首長に選んでいた。
(話し上手で、カンロクもあり、中央との話し合いで予算を取ってくることができる人)
そんな時代だった。
佐久間町の佐久間町時代の過去の話。
そんな佐久間町も合併し浜松市になり。
佐久間町ではNPO「がんばらまいか佐久間」を設立した。
浜松という大きな地域への合併を選んだ佐久間町。
これからは行政に何でも頼んでいくことはできない。
NPOを設立し、行政の至らないところをNPOでやっていこう。
これからは、地域の事は地域に暮らす人が考える時代。
東京に暮らす人の考えに頼らない時代。
悪かった過去は、反省し。
これからの地域づくりを、ココに暮らすみんなで、、、考えよう。
私が合併の時から始めた。 「浜松縦断マラニック」
走る仲間が口コミで集まり、浜松駅から佐久間町まで走る。
全て自己責任。
交通規則を守り、個人的な練習の一環としての参加。
そんな集まりを企画して、、、来年で10年になる (≧▽≦)
朝の情報番組
朝日テレビ「グッド!モーニング」を見ていたら。
塾講師が、番組の出演者を相手に温泉についての話をしていた。
温泉には火山性温泉の温泉があり、火山下のマグマで温められた水をくみ上げ温泉になっていると。
そして、今は火山がなくても温泉がある。
それは「非火山性温泉」
地下では、深度が深くなるほど地温が上昇し、一般的に100mごとに温度が約3℃ずつ上昇すると言われている。
そのような説明だった。
佐久間町でも、その昔、、、この地域に温泉を掘ろうと作業していたことを思い出す。
その場所は、佐久間高校の西側だったり島中の運動公園だったり。
どちらの温泉も、噂では出なかった、、、ただそれだけで終わった。
佐久間町の住民にはなんら詳しい説明は・・・無かった。
佐久間町が温泉を諦めている時、
佐久間町の周辺地域では次々と温泉ができていた。
「とうえい温泉」「パル豊根」「梅の湯」「コマドリの湯」「秋桜の湯」「かぐらの湯」「おきよめの湯」
長野県の天龍村では「おきよめの湯」から平岡駅の「ふれあいステーション龍泉閣」の四階「 龍泉の湯 」まで温泉をもってきている。
そんな時、今から10年前の話。
その時の、佐久間町では、役場の職員や議員の人の話では、
そんな公共事業で箱モノを作っても、、、、佐久間町に残された人が大変になるだけだ!!。
そんなことを言う人ばかりだった。
朝の情報番組
朝日テレビ「グッド!モーニング」を見ていて、、、そんなことを感じた思い出した。
火山性温泉と非火山性温泉
佐久間で温泉ができなかったのは
この町で、これから頑張っていかなければならない、そう感じている人が、、、当時は居なかったのだと思う。
何時の年なら、秋のマラソン大会は13㎞だった。
今年は何故か距離が短くなった。
理由は数々あるだろう、、、、。
そんな大会に私は
1998年1999年2002年2005年と走らせてもらった。
今年は、なんと、9年ぶりに・・・その「秋のマラソン大会」に参加したのだった。
走る前、一緒に走る仲間と。
走った後、一緒に走った仲間と。
走った後の爽快感は、何とも言えない。
↓記録室↓
http://run2.ina-ka.com/kiroku.htm
昔と比べると、記録も落ちてきた(≧▽≦)
毎年この時期10月に、磐田ではマラソン大会があった。
私が走り始めたころ(25年前)は磐田・大藤マラソンがあり、私の初マラソンの思い出の大会だ。
そんな大会が終わり、同じ時期に「第一回ジュビロ磐田メモリアルマラソン」は始まった。
スタート・ゴールは、磐田市民文化会館だった。
磐田・大藤マラソンは小さな大会だったが、ジュビロになり大会も磐田市が全面的協力の元、賑やかな大会になった。
ジュビロの選手が来てくれ、表彰にも参加してくれ入賞の選手の励みになった。
そのジュビロ磐田メモリアルマラソンも、どういうわけかまた、磐田・大藤マラソンが行われていた磐田原台地で行うようになり、
スタート・ゴールはスポーツ交流の里「ゆめりあ」になったのだ。
その当時は、ゴン中山がハーフの部のスターターをしていていた、私もゴン見たさに最前列に並んだことがある(^O^)
そんな思い出のあるジュビロ磐田メモリアルマラソン、今ではメイン会場がヤマハスタジアムになった。
そんな、思い出いっぱいのジュビロ磐田メモリアルマラソンに今日は行ってきた(^O^)/
佐久間町の自宅を朝の6時出発。
会場には7時15分到着。
毎年、この大会では、佐久間中学校時代の同級生と出会い、ミニ同窓会みたいな感じになっている。
途中、応援にも駆けつけてきてくれる同級生もいる。
その中の一人は、
25年前にマラソン大会で出会い、
当時は一生懸命走っていたのだが、今では仮装マラソンに熱心になり
主要のマラソン大会を自分のお気に入りの衣装で走っている
マラソン大会だか仮装大会だか(≧▽≦)
今大会の参加者10626人、様々な人がいる。
スタート時間がもうすぐ、スタジアムは人・人・人
そんな人ごみを潜り抜け、今回は後ろの方からスタートしよう。
そんな風に思っていたのだ、やっぱり前の方に出てきた。
1時間30分のプラカードの横に並んだ。
何時ものように「骨髄バンクにご協力ください」のタスキを付けて走る。
スタート30秒前・・・。
3・2・1・スタート。
号砲とともにハーフの部、4485人がヤマハスタジアム横のスタート地点から走り始めた。
太鼓の音に見送られ、一歩一歩着実に走る。
多くの人に抜かれ、焦る気持ちもあるが、もう私は若くはない。
最近、成人行検査で血圧も高め悪玉コレステロールも高いと言われている。
無理は禁物だ、
走り込みもサボりがちだから、多くのランナーに抜かれたも我慢して走るようにした。
今日はユックリ走ろう。
応援の各学校のブラスバンドの音に励ませれ、幼稚園の園児のハイタッチに感激し、磐田の町を楽しくい走る。
「大池」のところに同級生が親子で応援してくれていた。
今日はウチワは持っていなかったな~(^O^)
老人ホームの お年寄りも応援。
お茶の仮装のランナーも
「ハイチーズ」
ところどころには、地域のお祭りで着るハッピ姿のボランティアの人たちが多くいた。
磐田は今年「しっぺい」が「ゆるキャラグランプリ2014」10位入賞!
盛り上がっていた。
自域住民が盛り上がり。
市が活性化する。
ジュビロの選手も、みんな応援に駆けつけてくれた。
最後
残り1㎞
後
500m
ゴール
記録
1時間42分08秒
ネットタイム
1時間42秒03秒
ご苦労様でした(^◇^)
ジュビロ磐田メモリアルマラソン
は、応援が多い。
幼稚園の園児の応援。そのお母さん方も。
各学校のブラスバンドが多く、いろいろな曲を演奏して選手を励ましてくれる。
おじちゃんおばちゃんも沿道に出て法被を着て旗を振ってくれる。
また、仮装の部。
仮装は、陸連登録の大会ではできないそうだ。
ココは、陸連は登録していないので仮装の部がある。
そんな仮装を、応援の人たちは笑顔で迎えてくれる。
来年は、私も・・・仮装、考えようかな(^O^)
佐久間町のランナー「さくまる」の仮装で出ませんか?
第17回 ジュビロ磐田メモリアルマラソン
動画を作ってみた(^O^)/
去年は、、、の動画 ↓↓
去年のブログ
「ジュビロ磐田メモリアルマラソンに行ってきた。 」
いかがでしょうか(≧▽≦)
和尚さんの説法では、
人の死から次の世界(あの世)に行くまでの期間は四十九日だという。
今日は、先月亡くなった叔母さんの四十九日法要だ。
亡き叔母さんが、安心してあの世に行けるように、こっちの事は心配しなくていいよ。と、お経の最後に拝んでください。
親戚が集まり、皆で和尚さんのお話を聞く、そして皆でお経をあげる。
「修証義」の第四章「発願利生(ほつがんりしょう)」
第四章「発願利生」 仏の心を起こし、自他ともに救われることを願うべきと説く。
自分も楽しく、他の人も救われる世の中を、、、。
親戚が集まり、お経を読んで、亡き叔母を忍び。
酒を飲んで、思い出話をして、次は山芋で一杯やろうと話が決まる。
そんな、山での生活も楽しいものだ(≧▽≦)
ブログの記事を見て、何らかの反応をしてくれるのは、書いているものとして励みになる。
それは"コメント"だったり"拍手"だったり。
コメントを書いてくれれば、その内容は誰でも見えるから、私もなるべく早くコメントで返そうと思っている。
拍手の場合拍手コメン場合、私しかわからない。
また、私がお世話になっているブログには"アクセス解析"があり、自分のブログの訪問者を解析することができる機能がある。
この様に、他人の目は気になるものだ、、、(≧▽≦)
他人の目も気になるけど、一番このブログを見ているのは、、、自分。
以下
私に来る致知出版社からのメール引用
小学校教師歴32年、
学級崩壊に瀕したクラスを立て直すという経験をされた
著者である平光雄氏が行ってきた、
子供たちの心に「伝わる」ため「残す」ために必要な
実践的道徳教育の話です。
例えば「自尊」という言葉を説明するのに登場するのが「目玉おやじ」です。
その説明の注目すべき内容とは・・・
***
自分の中にもう一人の自分がいること知ってる?
「自分」には、「する自分」と、それを「見ている自分」がいるんだ。
(紙芝居を見せて)
この「目玉おやじ」みたいな「見ている自分」は、
自分のやることをすべて見ているんだ。
「おまえ、あのときずるいことしたよな」
「おまえ、あのとき全力じゃなかったよね、手を抜いたよな」
「おまえ、あのとき人につられて本心じゃないことをやったよな」って。
他人に解らなくても、いつも厳しい、中立な目で見ている。
誤魔化せない。
「目玉おやじ」に、「うん、オマエモなかなかよくやっている」
と認められるということが大切なんだね。
これを「自尊」の念という。
「目玉おやじ」に尊敬してもらえるような生き方をしていこう。
***
他人の目は気になる。
しかし、そんなものを気にするより、、、、。
自分の人生なのだから、自分らしく生きよう。
「自尊」の念は大切、それはこの本でも教えられた。
自分を愛する力 乙武 洋匡 (著)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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