原田橋の件は、地元住民として本当に早くの開通をお願いしたい。
(^∧^)タノンマス-
そのため、日曜日の「噂の東京マガジン」で放送された。
噂の現場
で取り上げて頂いたことは、本当にありがたい事だと思っている。
(*^^)/。・:*:・゚★,。・:*:・゚☆アリガトー!
色々な意見はあるだろうが、、、。
2ちゃんからコピペ
(でもこういう奴らって橋作るから金出せっていっても出さねぇんだろ? )
(もう日本に過疎地を支える体力はないんだよ 、人が多い地域に住めよ )
(どうせどんどん過疎るんだから金掛けても無駄)
(70kmって東京~群馬だぞw きつすぎ)
(街の人一人一人が空飛べるようになれば この問題も解決するんだけどな)
ほんと、佐久間に住んでいない人にとっては、過疎地域の僻みしとしか映っていないように観えたかもしれないが。
浜松市の行政の考え方は・・・冷たすぎる。
(ノД`)・゜・。
そんな番組の最後に、
去年の2月10日(日)に崩落した吊り橋がその後、どうなったかの放送があった。
その事件は、第61回北遠駅伝のスタート前の出来事だった。
去年のその日の夜書いた
私のブログ↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0/%E7%AC%AC61%E5%9B%9E%20%E5%8C%97%E9%81%A0%E9%A7%85%E4%BC%9D
そんな吊り橋、その後どうなったいたのかは、知らなかった。
どうなっていたのだろう???
それは・・・な・なな、なんと。
飛び石
に、なっていた。
\(゚o゚;)/ビックリ!!
最後の、オバーさんのセリフ。
「合併したって、な~んにもいいことがない、若い衆は出ていくし」
そんな言葉が印象的だった。
ジャンジャン。
byしんしん
原田橋が崩壊して、その橋を日々の生活に利用していた地元住民は生活に困っている。
そんな佐久間町が、困っている状況をTBSのテレビ「噂の東京マガジン」で放送された。
噂の現場
http://www.tbs.co.jp/uwasa/genba/
その日は仕事だったので録画をして、仕事から帰ってきて観た。
知り合いの人がインタビューされてテレビに出ていた。
原田橋の架け替え工事の話し合いの事は、佐久間町内の噂で聞いてはいたが、こんなことだったのか~。
浜松市側とすれば、人口3千人くらいの小さな町にそんな多くの予算はつけられない。
難しい問題だ。
平成の合併があり、
佐久間町の役場の職員が我が地域に佐久間町が浜松市に合併を決めた経過を説明しに来たとき
静岡市に合併した井川地区の現状を説明し
「やがて佐久間町も、このようになるでしょう」
と話して帰っていった。
今まさに、その職員が説明したようなになったということだ。
大きな市に合併することは、小さなところは相手にされなくなる・・・・・と。
上の写真は、平成の合併で飯田市に吸収された遠山郷をマラニックしているときに撮った写真だ。
飯田市に合併した遠山郷の「和田・小嵐バイパス」の説明だ。
国が進めている三遠南信道、遠山郷の人たちは地域の人で話し合い、
三遠南信道路が地域を通り過ぎる高速道路ではよくないと、遠山郷を貫くバイパスの建設と一緒にしたのだ。
また、その遠山郷は、飯田市に合併するときには、だた合併したのではない。
その前に、合併反対派の人と、賛成派の人との選挙があったと聞く。
そして、合併に賛成した人が勝利し、合併したと聞く。
2月25日に書いたブログ
原田橋・・・その後
今、自分はここに暮らしている。
自分の暮らしているところは大事だ、しかし、佐久間町は浜松市になった。
北遠という、一つの緑豊かな郷という考えで行ったほうが良いと思う。
三遠南信道も、川合で国道に下り、佐久間町の中部地区・半場地区・佐久間地区をバイパスで結び、峰トンネルを抜け、城西・水窪と走り青崩れトンネルに入るのが良いのでなないかと思うのです。
また、そういう話を、一部の上の方だけで話すのではなく、多くの人が参加して、ココの未来を話し合うのです。
先日放送された「噂の東京マガジン」を観て。
3月2日(月)
一人で青崩峠を越え、遠山郷・天龍村をマラニックして、こんなことを感じたのであった(^O^)
byしんしん
PS
「噂の東京マガジン」では、~特別募集~→あなたの疑問、身近なニュース、ホットな情報、笑い、怒り、悩みなど、テレビで紹介したい出来事。何でも、お寄せ下さい。ディレクターが飛び上がる情報をお待ちしています。
と、メールで募集をしている。
誰かが、原田橋の問題をメールしたのであろう。
・・・・誰だろう?
また、この「噂の東京マガジン」は噂の!東京マガジン ★2 がある。
掲示板2チャンネルだ。
http://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/livetbs/1425183131
匿名で言いたい放題呟いている。
ココの佐久間町の人ではないかとの投稿も見受けられる。
匿名・・・恐るべし(≧▽≦)
朝、走る準備をして家を出た。
3月というのに肌寒い。
朝、6時17分佐久間駅発の飯田線に飛び乗り旅に出た。
相月駅に6時22分到着
190円也
私が学生の時は、多くの乗客がいたのだか今は誰もいない駅。相月(あいづき)駅。
駅の階段を下ると、そこには観光トイレがある、ここの観光トイレも、、いずれ取り壊されると聞く。
今日は、ココから走り始める。
相月トンネルを抜けると、切開(きいなま)だ。
切開くと書いてキイナマ、昔の人が山を切り開いて村を作ったのかな~。
城西・水窪と走る。
水窪は、昨日「東京噂のマガジン」で話題になった土地だ。
私も、その話題になった”飛び石”を見に行った。
ふ~ンWWWWW
誰も居なかった。
寂しい、、、。
しかし、ココ水窪は、佐久間町と違い、町が集中している。
人口は決して多くはないが、商店街もある。
佐久間町は商店街が、、、今はない。
水窪の町を抜け、西浦に、ココからは上りが続く。
ココも浜松市だ。
浜松市の最北端の雑貨屋「はくりや」により、食糧を調達。
ココからは、今まで以上に勾配がきつくなるので、歩きが多くなる。
池島に着く、
今日は、青崩峠の方に行く。
三遠南信の工事が進んでいる。
足神様、あたりに行くと、あたりに雪が目につく。
青崩峠付近は雪や多くなり、歩くのも大変だ。
青崩峠には10時到着
青崩峠から信州側に下るのだが、ココが雪だらけで大変(≧▽≦)
林道に出ても、その道が凍っていて大変(≧▽≦)
遠山郷、「このた」のバス停で休憩。
「はくりや」で買った菓子を食う。
家族や友人に、無事に青崩峠を下山したとのメールを送る。
ココの公衆トイレも、
冬季水道水凍結のため使用禁止たった。
遠山郷を後にして、平岡駅を目指す。
国道の整備が進んでいる。
平岡駅、龍泉閣に着いたのが2時06分
さ~て温泉だ、、、と思ったら、
「本日休みです」
駅の人に言われた(≧▽≦)
仕方なないので、トイレで着替えて、一人 駅で酒盛り。
3時47分の電車で帰ってきた。
ジャンジャン(≧▽≦)
私が暮らしていた、故郷の村は横吹(よこぶき)
今は限界集落といわれている村だ。
そんな村に育った人が集まり、酒でも飲もうと横吹同窓会を計画した。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E6%A8%AA%E5%90%B9%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A/%E6%A8%AA%E5%90%B9%EF%BC%88%E3%82%88%E3%81%93%E3%81%B6%E3%81%8D%EF%BC%89%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A_656
そんな仲間から、
限界集落株式会社
と、いう本があることを聴き読んだ。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E8%AA%AD%E6%9B%B8-/%E9%99%90%E7%95%8C%E9%9B%86%E8%90%BD%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE
そして、友達のブログで、その限界集落株式会社をNHKの番組で放送することを知った。
今日、昨日放送した限界集落株式会社第4話を観た。
お金は活きていくために大切なものかもしれない。
しかし、それ以上に大切なもの、そんなものが田舎にはある。
そんなように感じた。
今年の「横吹同窓会」は6月20日
浜松だ(^O^)/
深田久弥「日本百名山」を読んで、深田久弥の故郷の山「白山」2,702mの紹介で初めに書いてある言葉がある。
日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護人のような山を持っている。
そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。
深田久弥「日本百名山」から
私の心の山は 竜頭山1,352m
日本百名山に名を出すほどでもないが、自分の忘れられない故郷の山だ。
秋に東栄町の明神山に登って、地域の人に愛されている山だと思った。
その山は岩山で途中、クサリ場や馬の背などがあり、面白い山だと思った。
それに比べ、竜頭山はスギ林の中をただ黙々と登る、単調なコースには、、、面白くない山、そんな声が聞こえるときがあった。
それでも、この竜頭山1,352mは私の心の奥底に染みついている心の山だ。
佐久間町が浜松市に合併したとき、私は走る仲間と、この竜頭山に登った。
それは、だだ登るだけではなく、竜頭山の尾根沿いにあるスーパー林道をギョジングして山住神社・野鳥の森・水窪ダムと走っていきたいと思ったからだ。新城の中川さん佐久間の竹花さんと私で走ってみた。
次の年、「佐久間・水窪スーパーマラニック」が始まった。
そして、そのマラニックは、スタート・ゴールを西渡バス停に移動し、
「竜頭山スーパーマラニック」に名前を変えて去年から始まった。
富士山は日本一の山、そんな富士山に魅せられたランナーが富士山を一周するマラニックを走る。
「ぐるっと富士山一周マラニック」
2014年動画↓
地図
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=091af8c3a14393866f615d89dbcb8298
富士山は、深田久弥「日本百名山」でも格別な山と言っている。
日本一、いや世界一ともいえる・・・と。
八面玲瓏(はちめんれいろう)という言葉は富士山から生まれた。どこから見ても美しい。
「ぐるっと富士山一周マラニック」
は、その富士山を一周して八面玲瓏の、富士山をぐるっと一周して東西南北どこから見ても美しい富士山を感じるのだ。
2013年2014年と「ぐるっと富士山一周マラニック」のリハーサルマラニックに参加した。
富士山は美しかった。
次の週、私の
「竜頭山スーパーマラニック」
私の故郷の山、佐久間町の山、 竜頭山1,352m
そんな山を走る
「竜頭山スーパーマラニック」
富士山のように、大きな山ではないそんなに美しくはないかもしれない、、、、、。
それでも北遠の地を走るマラニック、多くの人に参加してもらいたいものだ。
それは、遠州・北遠地方に暮らす人たちの故郷の山のマラニックだから。
地図↓
先日、佐久間の図書館で予約をした。
深田久弥の「日本百名山」
何故この本を、読もうとしたのか。
それは、走ることが縁で知り合った友達の日本百名山の話、
去年のNHKでの番組
グレートトラバース日本百名山ひと筆書き
を観たからだった。
日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護人のような山を持っている。
そしてその山を眺めながら育ち、成人してふるさとを離れても、その山の姿は心に残っている。どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる。
深田久弥「日本百名山」から
日本百名山
http://mtpanorama.net/100list/
私の、心の山は、「竜頭山」1,352mだ。
ふるさと横吹(よこぶき)の家の前からは、この竜頭山があった。
城西小学校や佐久間中学校から帰るとき、
飯田線の相月駅に下車し、横吹の村に登っていくと、
我が家に着くころに、竜頭山が顔をのぞかせる。
今回、
深田久弥の「日本百名山」を読んで、
自分の故郷の山に思いを寄せたのであった。
byしんしん
2013年5月1日
私はこんなブログを書いている。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97/20130501
私のブログ「ほくえんの風」は、平成の合併で佐久間町が浜松市になった時から立ち上げている。
あるときは、水窪から青崩峠を越え信州に入り、遠山郷の人と触れ合い。
またある時は、佐久間ダム湖岸を走り富山村・天龍村の人と話をしたり。
とうえい温泉から明神山に向かう途中、東栄の人に甘酒・しし鍋をご馳走してもらったり。
新城の運郷公園から田峯観音まで走り甘酒をいただいたり。
近場にある、限界集落・消滅地域といわれるところを自分の足で訪ねて自分なりに思ったことを、記録している。
佐久間に暮らす人々よ、ココは平成の合併で浜松市になり
人々の目は浜松市側にばかり向いている。
たまに後ろを振り返り、遠山郷の地域おこしを参考にするのもいいのだと思うのだが。
byしんしん
原田橋が崩壊して一か月が経とうとしている。
様々な問題が浮上している。
原田橋が崩壊して、浦川方面から佐久間方面に仕事で通っている人は
電車(飯田線)での通勤となった。
車社会、電車など何年も使用していなかったが久しぶりに飯田線に乗った!!!
そんな話も聞こえてきた。
(名古屋マラニックの帰り撮影)
今ある、当たり前のことが、なくなって初めて気が付く、、、こと。
佐久間町もそうだが、浦川地区も、、、。
電車(飯田線)の駅があり。
便利だと思うところだが、、、、、、、人々はもっと便利を求めて、ココを出ていく。
また、子供が他所に出ていくのを、当たり前としている。
(川合花の舞エビ)
「天竜区協議会から要望へ」
安全を優先すべきです!!!
浜松市は、なぜ中山間地に多くの予算を出すのを渋るのか?
それは、ココに暮らす人が少ないから。
(梅花駅伝の中学生ボランティア)
佐久間町の原田橋崩壊、、、、の出来事
水窪の人は、東栄町の人は、遠山郷の人は、また天龍村の人々は・・・・・どの様に感じているのだろうか?
昨日の夜ラン8㎞、
夜10時ごろ、走り始めて一時間後 最後のラスト、、、暗闇を一人ライトを片手に走っていると。
後ろから車の気配・・・・。
その車が私の横に、
なんと、、、パトカー。
その中から
若いPoliceManに声かけられた(≧▽≦)
よほど、不審人物に感じたのだろうか、、、、???
その昔、佐久間町は都会から移動できた人を町あげて歓迎していた時代があった。
ところが、今はココも浜松市、、、、。
昨日の若いPoliceMan
今年度の 移動で佐久間に配属されたと聞く、
コンビニもないお酒を飲む店もない、不便極まりない町だけど、
若いPoliceMan、佐久間の治安を守るため、夜昼となくパトカーでの警邏、頑張ってほしい。
PS
私は不審者ではありません。
走るのが好きな、ただのオッサンです(≧▽≦)
やしきたかじん の妻さくらから話を聴き、百田尚樹が
「やしきたかじんの物語」ではなく「さくらの物語」の本を出したくなったと始まっている、この本
やしきたかじんと妻さくらの殉愛の物語だった。
百田尚樹の本は、この本で六冊目だ、どの本も私の心を震わせる内容だった。
人の生きざまを教えてくれる本、、、。
やしきたかじんは2014年1月3日、食道がんで亡くなった。
しかし、その人は人々の心の中で生きている。
「永遠の0」の宮部久蔵にしても
「海賊といわれた男」の国岡鐵造も
「影法師」での勘一を守り抜いた彦四郎も
「フォルトゥナの瞳」の木山慎一郎も
百田尚樹の本を読んだ人の心に生きている、、、、と思う。
読書って、ほんと~にいいですネ。
それでは、サヨウナラ~(^O^)/
また
この本「殉愛」は出版後に、いろいろな憶測が出ている。
素直に本を読んで感じたことの他に様々な考えが飛び交っている。
全て丸く治まることは無理なのだろうか?
人々争いはお金が絡んでいる。
やしきたかじんは最期にお金ではない殉愛を掴んでこの世を去った。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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S | M | T | W | T | F | S |
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