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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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初めて、ココの10㎞を走ったのが
1990年。
職場のダイダイ先輩、雪兄と走った、私の初マラソンだった。
44分40秒
次の年は42分14秒。
そのときは、中学生の時の同級生に出会った。

この人とは未だ、腐れ縁が続いている(^O^)/
佐久間町出身の人だけど、今回は「日本平桜マラソン」に行くと言っていた(;_;)/~~~
アッチの方がテレビ放送があり楽しいそうだ(#^.^#)

1995年
ココの10㎞で初めて40分を切った。
39分50秒。

あれから数年たって、年齢も当時、高齢者だと思っていた雪兄と同じ年代になって
今年も参加した。

32歳の自分は、50歳過ぎは高齢者だと思っていたが、自分がその年になると
まったくその様には思わない(^O^)/

スタート30分前には
走る仲間を集めて、気合をこめた。
 エイ!エイ!お~。。。

去年はたしか、サクラも散って葉桜だったような、そして雨も降っていたような気がする。
今年は桜も満開の中を快走することができた。

先ずは1キロを4分4秒。2キロは8分9秒。
ナカナカいい感じ。
そんな時、私の背中を見て、「ブログたまに読んでるョ」と声をかけてくれる人がいた。
ありがたいことです。
ここ
秋葉ダム桜マラソンは1キロごとに距離表示が出してあり、コースも比較的平たんで景色もよく走りやすいと思う。
そして、行って帰ってくるコースだ。
だからラン友とも顔を合わすことができる。

がぜん勇気がわいてくる。
女性の良いペースで走っている人をペースメーカにして最後の2キロを頑張ってゴールに飛び込んだ。
目標は45分を切りたい。
だったけど、断念ながらダメだった(≧▽≦)
45分04秒

ま、これが今の自分の実力。

早く帰って
今日は半場10班のお花見だ。
酒だ(酒)(酒)・・・・・。

 

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平成27年度第43回天竜区駅伝大会等実行委員会佐久間支部会
(第43回天竜区・佐久間駅伝大会)
こんな長ったらしい名目で、
3月30日(水)
今年度の佐久間駅伝の地域部会の連絡が来た。

携帯に予定を入れといたのだが、仕事から帰って来て何時ものようにビールを飲んでいい気分になっている時、
その体協からの封書が目に入った。
・・・・・・・・。
忘れていた。
慌てて役場まで向かったのだった。

定刻になり
支部長の挨拶から
協議事項は始まった。

(1)第43回天竜区・佐久間駅伝大会事業報告
(2)第43回天竜区・佐久間駅伝大会会計決算報告
   第43回天竜区・佐久間駅伝大会会計決算の監査報告
(3)第43回天竜区・佐久間駅伝大会への意見等について
(4)来年度の佐久間駅伝大会について
(5)その他

事務局からの「何か意見はございませんか?」の問いに
挙手があり
今年走った、ある選手からの意見があった。
「数年前にも言ったのだが、タスキの紐の通す穴が多きすぎるので何とかしてほしい・・・。」
「そのためタスキ渡しのとき、穴から抜けてしまう時がある」
その様なことを言っていた。
支部長が
「ミシンの使い方を教えてくれれば、私たちで縫ってみようか」
そんなことを言っていた。
役場の担当の職員に、気を使っての言葉なのか。
大きすぎるとは、どのくらいなのかナ~?
自分は三区を走ったが分らなかった。慰労会でその他の区間を走った人にも、そのような話は・・・なかった。
そういえば、だいぶ前の話になるが、この穴が小さすぎて大変だったことを覚えている。
自分は、そのとき初めて一区間を走り、、、やっぱり大変だった。
木の棒を拾ってきて、その棒を利用して無理やり入れた(≧▽≦)


さて、これが、今回の最大の焦点ではないか。
旧国道の土砂崩れ。


 (4)来年度の佐久間駅伝大会について
1、背景
  国道152号線(旧国道)の相月地内で発生した災害による、来年度の天竜区・佐久間駅伝の対応策について検討する必要が生じた。
2、状況整理
 ・災害の状況は、法面崩壊と路肩決壊。
 ・平成28年度に災害復旧工事で対応。
 ・現在のところ工期は未定。
3、対応の選択肢
  対応策には、次の選択肢がある。
①再度検討(課題)
・工事の発注を待って、再度検討する。
・工期が大会開催日前であっても、天候等による工期延長の可能性がある限り、現コースで募集する。
②コース変更(課題)
・新国道(相月トンネル)側に変更する。
・距離が短くなるため、二区中継所が混雑する。
・警察との協議が必要。
・警察から安全対策面への指示があった場合、これ以上のスタッフの増員は難しい。
③休止(課題)
・来年度の大会を休止する。
・再来年度の市負担金額が未定である。
来年度の駅伝大会を検討し、天竜区駅伝大会実行委員会佐久間地域部会としての結論を出す。
(最終的には天竜区駅伝大会実行委員会へ報告する)
 
この課題にとっての部員からの意見の中に
今回は休止にしよう。そのような話は全くというほどに出てはこなかった。
せっかく44回目を迎えようとしている佐久間駅伝の火を消すことは忍びないと思っていることだろう。
しかし、守っていくのも大切なことだが、時代に沿うように変化していく事も、また大切なことだと思う。
駅伝は多くの予算を必要とする。いま、浜松市になり、ここ佐久間は巨大な政令指定都市浜松市の片隅 天竜区の一部なのだ。

そう。
私は、マラソン大会にするのがベターだと思っている。
予算も駅伝ほどかからないし。スタッフは駅伝より少人数で済むし。
と前々から思っているのだが、、、。

この会合では、何も言わなかった。


(5)その他

コース変更(課題)の中の

・警察から安全対策面への指示があった場合、これ以上のスタッフの増員は難しい。
とあるのだが。
役場の職員として
佐久間から天竜や浜北などに引っ越していった人への気遣いが感じられる。
ワザワザこのようなところまで来てもらうのは大変だと。
それは違うと思うのだが、、、。
もっと積極的に、町から田舎でのイベントに応援に来てほしいとアピールするべきだと思う。
また、町に出ていった人もそんな誘いがあったなら、大変だけで時間適余裕があるのなら協力したいとの思いがある人が、きっといると思う。
佐久間町は平成の合併で巨大な浜松市の一部になることを決め、当時山間部の役所に勤める人たちはそれぞれの自分の生き方を決め道を進んだ。
今現在、暮らしているところは違えども佐久間は故郷なのだからきっと帰って来ると思う。

そう思う。
byしんしん


 

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参加人数は8名
トモゾウ・いけさん・ヒロボー・しげるチャン・あきさん・しんしん・よっぴー・うっちゃん


龍山「やすらぎの湯」駐車場の荘川桜は、今回はまだ咲いていなかった。
因みに一昨年の写真
 

しげるチャンは今回初めての参加になる。
コースマップを渡し、簡単なコース説明。

秋葉ダム桜マラソンのコース上の桜(ソメイヨシノ)もまだ二分咲きくらいだ
一週間後の桜マラソンの時期は丁度満開の中を走ることができるだろう。

吊り橋を渡り
青谷ポケットパークでトイレ休憩
ランナーは青谷の斜面集落に上ってくのだ。
途中、誰が作ったのか昔懐かしい、ししおどしがあった。

マラニック・ししおどし動画で見てね(^O^)/

鹿威し(ししおどし)
語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/si/shishiodoshi.html

今回、花桃・モクレンの花が綺麗だった。
青谷集落で咲く花桃

寺尾集落で、お昼ご飯
コンビニが無いので自分でオニギリを作ってきた(^O^)/

集合写真

上平山の雄大な茶園
ヤッパシここは外せない。

下平山の農村学校で天竜川を望む。

下平山で咲くモクレン

今回は走る人のペースが早く、ゴールである龍山「やすらぎの湯」に三時半ごろには到着することができた。

みなさん
ありがとうございました。

これから風呂に入って汗を流し
休憩室で今日のマラニックの反省をかねての語らいをしたのだった。

byしんしん

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3月26日(土)
は「たつやま凸凹マラニック()」だ。
浜松市天竜区龍山町は、浜松市に合併する前は龍山村だった。

龍山村は秋葉ダムがあり。
そのダム湖の両側には斜面集落がある。

「たつやま凸凹マラニック」は、その斜面集落を巡るマラニックなのだ。

一昨年の動画


合併前は小学校が龍山第一小学校・徹山北小学校があり
中学校もあった。

今は小学校も中学校も無い。

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「夏焼山・塩沢集落ウォーキング」

佐久間町の私だが、縁あって水窪町のNPOの活動に参加するようになった。
水窪「山に生きる会」は一昨年の冬、佐久間町野田に暮らす人が
「私も入って活動している」
そんな言葉から私もその年の春、水窪「山に生きる会」に入会、しかしその年は忘年会だけの参加、去年は新年会と忘年会だけの参加だった。
今年は初めてのイベント活動の参加になった。
「夏焼山塩沢集落ウォーキング」
事務局の人に電話して、集合場所(集合場所:JR飯田線 水窪駅)には行けないことを伝え、飯田線で平岡駅から大嵐駅に向かった。
朝の大嵐駅は静かで沢のせせらぎの音、野草のさえずりの声しか聞こえない。
今日はどの様なイベントになるだろうかと、水窪からの飯田線上り列車を待つ。

電車で来たメンバーは予想以上に多かった。
知っている会員の方に、ご挨拶。
資料を手渡され、
「1班2班3班ごとに責任者を決めてあるので3班の責任者です」
と、資料を手渡された。

「夏焼山・塩沢集落」ハイキング スケジュール

1、3月21日(月)午前7時50分 JR飯田線 水窪駅集合

大嵐駅でも集合して今回の会費を徴収。
三信鉄道建設に尽力した河村カ子ト氏の説明が守○先生からあった。
(川村カ子ト氏とは)↓
http://www.kmatsum.info/Sinsyu/Iidasen/kkaneto.html

一団は夏焼隧道を歩き、夏焼の村を目指した。

真っ暗な夏焼隧道を抜け、夏焼の村に向かう。

夏焼の集落では元夏焼集落で暮らしていた川根さんから夏焼での昔の暮らしの思い出を説明してもらた。

説明が終わり、この村の頂上、夏焼山の山頂(651m)を目指す。

登頂が終わり。
来た道を引き返し、大嵐駅に
大嵐駅で昼食、集合写真

大嵐駅13時14分の飯田線で小和田駅に移動。

小和田駅からは、塩沢集落に向けてウォーキング。

天竜川沿いの歩道から山道に、赤いスリル満点の吊り橋、変化にとんだウォーキングだった。
塩沢集落は、水窪から林道が通じていたのだけど、今は途中の所で崩壊があり通行止めになっているそうだ、迂回路は遠く長野県を経由しての遠回りだそうだ、浜松市市内の人には想像することのできない迂回だと思う。

塩沢集落、到着。
集落の大○宅にて「塩沢茶」を頂く。
ある人が水窪のお茶は苦くておいしいっと言っていた。

ココ、塩沢集落では、無農薬の野菜を作っており、その栽培方法が独特だという。
カマキリやテントウムシを使って害虫を駆除するらしい。
カマキリを越冬させているとも言っていた。

ところ変われば様々な工夫と考え方で人は生きていくのだ。

塩沢集落にサヨナラをして、一行は小和田駅に帰っていく。
途中、リタイヤをしようかと迷った人などの声を聴いて、どうなることやらと思っていたが
全員無事に小和田駅に戻ってきて、16時01分の飯田線に乗車して帰ることができた。
 

今回、水窪の自分が知らないところを拝見することができ大変貴重な時間を体験することができた。
NPO水窪「山に生きる会」
本当にありがとうございました。

マテよ
飯田方面からの参加者も1名いたので、全員というのは誤りかな(#^.^#)
その人は、小和田駅で手を振って私たちを見送ってくれた。
ありがたいことです。感謝。。。
byしんしん

 

 

 


 

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 3月20日(日)
朝早く家を出て、佐久間駅から6時17分の飯田線に乗り旅は始まった(^O^)/

水窪駅に6時32分到着
今日は今年初の青崩れ越えの予定。
水窪から西浦に向けて走る(歩く)途中、大原で知り合いの家があり、朝のご挨拶。
今日は遠山郷の温泉「神楽の湯」で田中陽希さんのトークショウがあるのでとの話をする。
「そうか~気づけて行けよ、熊に合わないように(^^)/」
激励してくれた。勝手にそう思った(^O^)
少し小腹がすいた。
長尾(なごう)に丸太小屋というラーメン屋があったので、そこで味噌ラーメンを食べる。
ココの店では「丸太小屋通信」を不定期で出し北遠と南信濃村の情報発信をしているそうだ。
一人でも多くの人の集うコミュニティーの場として頑張っているお店だ。
美味しい500円の味噌ラーメンを食べ元気ハツラツ(^O^)/

青崩れ峠を目指して猛烈に歩く。
2016年初の青崩れ峠の写真。。。。。

いつ来ても雰囲気の良い峠だ、信州側から冷たい風が吹いてきている。
なんとも言えないロマンを感じる峠だ(^O^)/

ココからは信州、長野県だ。

この様な遊歩道を下っていく。
途中、しばらく修理されていない丸太橋がある。

もう渡ることはできない。
沢に水が少なかったので沢から迂回する。

遊歩道を下り林道に。

林道に出たら、右側だよ。

ココは林道だけど、落ち葉が多く、側溝が落ち葉でふさがって林道の道もだいぶ壊れている。
舗装の下の土が流れていて、コンクリートだけがかろうして残っているところもある。
 
 国道に出る前に、自宅で作ってきたお弁当で昼食。
ココからは神楽の湯まで残り6㎞ぐらいだ。
今までの歩きは走りに変えて、頑張って陽希さんのトーク会場である神楽の湯を目指す。

12時ごろゴール。
神楽の湯の入り口には、
日本二百名山グレートトラバース2 GOALの横断幕があった。

遠山郷観光協会に行くと。
今回、こんなに反響があるとは思わず。
急遽、整理券を配ることになったそうだ。
私か行ったときは、ギリギリセーフ。何とか整理券をゲットできた(#^.^#)
風呂に入り。
食堂にと思ったが、満員御礼。。。
缶ビールで我慢(≧▽≦)

予定時刻、14時会場入り。
陽樹さん登場、、、、、、。

まだ、始まったのではなく。
今回、あまりにも人が多いので急遽、隣の部屋で中継することが決まり、その設定で来て調節をしているみたいだった。
退室のときスクリーンに邪魔にならないように猫背で退室する陽希さんが印象的だった(^^)/
観光協会のしんちゃんは立ったまま歩いて行くのも、、、また面白かった(≧▽≦)

日本二百名山ひと筆書きグレートトラバース感動よありがとう。。。。
田中陽希、トークショウ。

陽希さんが、今回の二百名山走破で感じた事、テレビでは言わなかったこと、多くの事を語ってくれた。
アリの戸渡での恐怖。
途中、登山用のリックを発見し、遭難なのかと心配したこと。
陽希さんの判断で一人の登山者の命が助かったこと。
来場者は、遠山の人ばかりではなく、遠く県外からの人が多かった。
私が話した人の中には新潟・千葉・愛知・埼玉、遠くの人が多かったような気がする。
最後の質問コーナーで
千葉からの人が
「私は遠山郷の下栗の里・木沢小学校が大好きです。陽希さんは下栗の里は行きましたか?」
の質問が印象に残っている。
下栗の里のビューポイントが素晴らしいと言っていた。
遠山のファンは、私たちマラニックを走る人ばかりではないんだっと改めて思った。
また、遠山は多くの人に応援されているのだナ~っと思った。

陽希さんのトークショウが終わり、我が水窪の人を交えての写真。


私、今日の宿は「木沢小学校」
ココは「日本二百名山」のとき陽希さんが泊まったところだ。

和田地区のスーパーでお酒と夜食を仕入れ、木沢地区まで歩いて向かった。

木沢小学校にはタカネちゃんが出迎えてくれた(≧▽≦)

ジャジャジャ~ン。
木沢小学校を朝の4時半出発、私は平岡駅を目指して走る。
あたりは真っ暗だ。
道路の白線が何とか見える。
和田地区を越え、5時ごろになると空が白み始め薄明るくなってきた。
平岡駅に着いたのが6時30分。
平岡駅を6時48分の飯田線に乗り。
大嵐駅に7時09分着

今日は、水窪「山に生きる会」の
水窪100山「夏焼山・塩沢集落ウォーキング&ハイキング」
次回に続く。

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「志学」
孔子が学問求道のプロセスをのべられた最初の一句
「我れ十有五にして学に志す」
論語
http://www2.odn.ne.jp/~nihongodeasobo/jugemu/rongo.htm

孔子は15歳にして、すでに大学の道を志した。

大学の道とは、
わが身を修めることを中心としつつ、ついには天下国家をも治めるに至る人間の歩み
孔子はすでに十五歳の若さで、ご自身んの一生を見通して、修業の第一歩を踏み出された。
自分の生涯の道を「修己知人」の大道ありとせられたわけであります。
修己知人(しゅうこちじん)
自身の知識を高めて、精神を磨き、徳を積んでから世の中を正しく治めること。
自身の修養に励み、高く積んだ徳で人々を感化して、世の中を平和に正しく治めることをいう
 
森信三先生が師範学校の教壇で孔子の志を話してから生徒に
まさに師範学校として国民に貢献し、大しては民族の前途に対して一つの寄与をするだけの決心がなくてはならぬはずですが、どうも諸君たちは、まだこの点に関して確たる信念を持たないように見えるのです。
と述べた。

とにかく諸君!!
この人生は二度とないのです。
真の志を打ち立てるところに始まるわけであります。
すなわちまた真の志学に始まると言ってよいでしょう。

一人ひとり、この”修身教授録”第七講「志学」を読み、終わってから個人こじん感じたことを発表した。
 
論語、なんてわかんないよ~。
こんな人間だったんよ(^O^)

それでも、始めることに遅すぎるということは無い。
今からでも、自分にできる範囲で、ガンバル。

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佐久間中学校時代の同級生に
「俺も勉ちゃんのように好きなことやる!」
と言われたことがある。

そう、どうせ一度の人生、やりたいと思ったことは実行あるのみ。

二十歳、横吹の竹馬の友(アキチャン)と、山の土手で煙草をふかしていた時
遠く下に見える水窪川を眺めていた時
「ハングライダーをやってみないか?」
と言われた時がある。
高所恐怖症の自分は無理無理無理、そう言った。
それから数日たって電話がかかってきて
二人で伊吹山にあるハンググライダーの講習風景を見に行った。
帰り、ハングライダーショップ「ロコ」によってアキチャンは大空にはばたきたいと講習料を払って次回から練習を始めた。
「お前もヤランカ」と言われたが、、、、俺は断った。

当時の私の職場は、鉄工所の熱処理。
4日働いて2日休むパターンだった。
普通の日が休みなので暇を持て余していた。
パチンコに行くのが多かった。

そんな自分が、
ハングライダーを始めた。
伊吹山に講習に行った。
アキチャンと大空への夢を語るようになった。
 
あれから35年
今でも夢を見続けている。
 


しかし、そんな人生も何時かわ終わる

人生という旅路の果て
本当の幸せとは? 本当に欲しかったものとは?

好きな事をやるのもいいが
そんな自分を支えてくれる人たちがいるということも忘れてはならない。

今の自分の趣味
超長距離、ウルトラマラソン・マラニック。
苦しみも楽しみも自分に教えてくれる。
 

最高の人生
それは、誰か他の人と比べることではない。

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拝啓 この手書み読んでいるあなたは~♪♪
ヤッパリここで走っているでしょう~♪♪
♪♪♪♪~。

拝啓 古希の自分へ。
元気に走っているだろうか?
まさか、その年でまだ富士山頂往復マラニック、一日寝ないで走るバカなことを続けているのかな?
ゼッケン88番を付けて

私の兄は49歳で亡くなった。
二十歳の長男、次男三男四男は小学校四年生だった。

父親のお兄さん私にとって叔父さん徳ニイは戦死している。

昭和十七年十二月十八日午前六時十分
ニューギニア島ブナにて於て戦没
             俗名 新間徳一
                                   享年 二十四歳
横吹の村の人たちに見送られ戦地に向かって行ったと
今な亡き父親に聞かされていた。
父親はその姿を母の背中で見ていた記憶が微かにあると言っていた。

城西地区 戦没者慰霊祭 解散

どんなに、故郷である横吹(よこぶき)に帰ってきたかったことだろう。

今の此の世を生きている自分は、なにを考え生きていかなければならないか。
自分の幸せだけのために生きるのではなく、何のために生きるのかを自問自答しながらの人生、今生きている自分に感謝しながらの生き方。

苦しい時にも笑顔を見せ、生きていこう。走り続けよう。

これからの自分の人生は、叔父さんや兄貴にとって、歩みたかった人生なのだから。
今を大切にして
古希(70歳)を目指して走っていこうと思うので、待っててネ(^O^)/

拝啓 この手紙読んでいる古希の自分が~♪♪
幸せな事を願います~♪♪
ジャンジャン。。。

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オッサンだけど
この歌に感動した。

生のすべてに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて
Keep on beliebing 信じ続けます。

信じ続け、走り続けていけるといいと思う。
10年後も。。。。ここ地元で。


地元のためにできる14のこと〜いつまでもあると思うな親と村〜【長文】
http://www.jimo.co.jp/blog/kodama-blog/6258/

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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