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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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第6回チャレンジマラニックin遠山郷のスタート前5時半、車の中でスマホを見ると、着信あり。
家内からだ、長女の子供が産まれたと長女の旦那さんから連絡が来たそうだ。

9月21日が予定日で、一週間前から何時生まれてもおかしくないと言われていたのだけど、結局予定日の二日後 9月23日の朝早くこの世に生まれてきたのだった。

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"しんしん"52歳と7が月でジイジになってしまった。

 

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今日は母がお世話になっている特別養護老人ホーム(さくまの里)のボランティア。

さくまの里に入所している家族で毎年、この時期にホームの周りを草を刈ったりしているのだ。

作業が終わり、母の顔を見に部屋に行くと 少しうなだれて母は車いすに座っていた。

今はもう何もわからない、息子が話しても・・・誰かも分からない。

横吹(よこぶき)という斜面部落に嫁いできて、若い時代を子育てと百姓で生きてきた。

私の母親。

井上揚水の"人生が二度あれば"を聞くと・・・・・泣けてきます。


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隣には横吹(よこぶき)から来た夫婦、なっちゃん(80歳)と いちにい(85歳)が住んでいる。

私の家の両親は、二年前 父(たけしに~)享年74歳が他界し、母親(ひさね~)84歳は 特別養護老人ホーム(さくまの里)に入所している。

なっちゃんは「たけしに~が生きていててくれれば横吹(よこぶき)の昔話もできたのに、寂し~~」と何時も話してくれる。

そんな なっちゃんに「お昼御飯が住んだら 一緒に母が居る特別養護老人ホーム(さくまの里)に行きませんか?」と話をしてみた。

お昼ご飯を食べ、車のあるところに行くと。

少し おしゃれをした なっちゃんは私のマイカー(軽トラ)の前の木陰で しゃがんでいた。

車の中で なっちゃんは「親は生きているうちに何度でも見に行けね~」「死んでからいくら悲しんでもダメだ!!」言っていた。

さくまの里 行き、母の入所している棟に行くと、何時もは車いすで居る母は 今日は部屋のベットで横になっていた。

担当の介護士さんが 言うには丁度介助の最中だそうだ。

今日は"母の日"痴呆の母親には何もわからないかもしれないが、

昨日も竜頭山に登りました。昔のままの落ち着かないわがままな息子です、そんな息子は今年 52歳になりました。

と心の中で 母に伝えてきた。

たけしに~、ひさね~、なっちゃん、いちにい みんな山の斜面にある村 横吹(よこぶき)で助け合いながら暮らしていた仲間だ。

部屋を見渡すと、母のタンスの上に、さくまの里の介護士さんからの 母の日のプレゼントがあった。
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さくまの里の介護士さんに感謝!!

 

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相月(あいつき)のお寺に一昨年他界した父親の三周忌に行ってきた。
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お墓参りをし、お寺に続く階段を上って行く、時間がまだ早いので和尚さん夫婦とお話をしていた。

奥さんの昔嫁いできたころの話、湯谷温泉の話、横吹(よこぶき)の話・・・など。

10時過ぎ、父親の三周忌の法要が始まった。

念仏を唱え、私たち親子の心が癒されてくる。

緑花木の好きな父親だった。
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春になり、庭に父が植えた花々を見るたびに、思い出す。

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私には13歳年上の兄がいる。いや居た。

1997年(平成9年)私38歳の夏、中部のお祭りで酔っ払って騒いでいた時に電話がかかってきた。

母親からだ。
母:「政彦が転勤先で吐血して入院したらしい」

俺は営業の仕事で気を使い、胃潰瘍にでもなったのかもしれないと思って。
私:「胃潰瘍かなんかじゃない?」

母:「どうもそうではないらしい・・・・」

次の日、兄の奥さんが二人の子供をつれ佐久間の私の家に来たのだった。

何が何だかわからないまま、私の車で私、義理兄、義理姉、父、4人で兄(政彦)の入院している埼玉の獨協病院に行ったのだ。

高速道路を走る車の中で、どうも兄は癌という病気にかかているのでは、そんな話になっていた。

病院に着くと、兄が入院している病棟に行き面会をした。

点滴の注射をつけてはいるが、笑顔さえ見せて話す兄を見ていると・・・・まさか・・・そんなわけがっと思った。

そんなことを思っているときに、主治医から話があるので親戚の方は来てくださいとの話がある。

私は、主治医の話を聞くことはやめた。

兄と話をしていたかった。

13歳も年上なので、小さいころ遊んだ思い出はないけれど、母親から話はよく聞かされていた。

「政彦はよく勉強していた」「政彦は本ばかり読んでいた」

私は小さいころ勉強が嫌いで遊んでばかりいた、そんな俺を母は叱るときいつも。

「政彦はよく勉強したが お前は・・・・」

と、怒られた記憶が多くある。

兄はベッドで眠り始めたので、私は車に戻っていくと、主治医の話を聴きに行った義理兄が来た。

義理兄:「癌だそうだ、胃、肝臓にまで転移しているそうだ」「もって3か月だそうだ」

兄は転勤族で、静岡から東京・八戸・青森・(その間子供も男の子ばかり4人恵まれた)そして今の山梨県甲府市に来た。子供も大きくなったので単身赴任で埼玉に行っていた その矢先の病気だった。

酒は飲まないけど、タバコやコーヒーは好きな人だった。

8月の半ばに告知され、10月16日この世を去った。

兄51歳の秋だった。

今思えば、もっと話をしておけばよかったと思う、過ぎたことを悔やんでも何もならないかもしれない。

今 弟の俺は、その兄より一つ年上になった。
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人生にはゴール(死)がある、それは何時 どのようにして来るのか誰もわからない。

これかの人生、生きていることに感謝し、亡き兄の分まで人生を楽しまなくては。

合掌

 

 

 

 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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