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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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佐久間町は3村1町が合併して誕生した町だ。
城西村・山香村・佐久間村・浦川町、当時佐久間ダムが完成し佐久間町になった。
日本の電力の礎を築いた佐久間ダムの恩恵は絶大だったと思う。
佐久間ダムができたことにより、飯田線は迂回をした、そして線路がない城西地区に飯田線ができた。
佐久間町になり城西地区に待望の飯田線が走るようになった。
しかし、その飯田線は城西の多くの家のある場所には駅を設備しなかった。

この写真のように、城西の小学校のあるところには駅は出来なかった。
子どもの頃、城西小学校に手前にある城西駅から歩いた。
私が小学校低学年の頃、城西小学校は鉄筋コンクリートの小学校になった。
小学校高学年になりプールもできた。
しかし、飯田線の城西駅からの道路は狭く通学には車の往来が恐かったと記憶する。

今、小学校は閉校して今は無い。
朝、通りすがりに鉄道マニアだろうか、眼鏡をかけた女性が伊那路号が「S型鉄橋」を通るのを待っていた。
渡らづの橋「S型鉄橋」がある。
無くなって行ったものを数えるのではなく、今ある観光資源を空から撮影したくてドローンを買った。
渡らづの橋「S型鉄橋」如何して城西の町の近くに駅を造らなかったのか?
子供達は城西駅までの距離を歩いた。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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