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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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毎回言うようだが
佐久間町は昭和の合併で佐久間村・城西村・山香村・浦川町が合併してできた町だ。

水窪町は
佐久間が佐久間ダムで潤っているときに、佐久間への合併はしなかった。

佐久間ダムができ
水窪町には飯田線が通る様になった。
それまでは、遠くに行くとき電車を利用するときは、大津峠を越えて天竜川沿いに整備された飯田線を利用した。
飯田線が佐久間ダム建設で水没するようになって、迂回路に水窪を通るようになって水窪は便利になった。
 
佐久間ダムがもたらせたもの。
いろいろある。

佐久間VS水窪

その中でも、その地域のNPO
がんばらまいか佐久間VS水窪山の会

どちらの活動にも参加した事がある、私。

佐久間のNPOがんばらまいか佐久間
他方からの意見を受け入れる。
 故郷の森づくり
 アワビ
など。

水窪のNPO山に生きる会
「故郷」を『愛する心』『誇りに思う心』を育て地域の活性化を図ることを目的にしている。

其々考え方が違っている。

それなりに良い所もあれば、チョットな~っと思うところがある。

批判は良くない。
批判からは何も生まれない。

お互い考え方が違うが
同じ山間部・過疎地域に暮す仲間。
北遠は、北遠のNPOは、協力し合って活動すべきだと思う。

佐久間VS水窪
それは
駅伝
佐久間駅伝と北遠駅伝
でも感じられる。
同じ駅伝でも、それぞれ趣が違う。


水窪から天竜方面に越した知り合いが言っていた。
「佐久間人たちは、お金が無くなると止める。水窪の人は、お金が無くても何とかやろうとする」

その言葉は
がんばらまいか佐久間の活動に疑問を持ち
水窪のNPO山に生きる会の活動に首を突っ込んだ私は
そのNPOの
活動後や飲み会で・・・ものすごく感じることができる。
byしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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