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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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2013年、「限界集落株式会社」という本を友達の紹介で知った。
2015年、年の初めから、その「限界集落株式会社」はNHKでドラマ化されて夜9時から放送が始まった。

TBSのナポレオンの村
は、その放送があった翌年から始まった。
どちらも限界集落がテーマだ。
TBSの「ナポレオンの村」
なんかコメディーぽくって、最後まで見なかった。
限界集落をバカにしたような感じに見えたから。。。

今日、そんな「ナポレオンの村」で検索して
ナポレオンの村【TBSオンデマンド】
で、最終回を観た。

主人公、唐沢寿明が演じる浅井栄治の言葉
「限界集落を立て直すにはマニュアル通りにはいかない」
最後に浅井は、公務員の役割を全国の公務員に向かって訴えていた。
「役にたってこそ、役人」

この物語が伝えたかった事

「受け継がれるのは、マニュアルじゃなくて、精神」

如何に便利になるか、より、如何にここで(佐久間)で楽しくここで暮らせるか。

ココに必要な物
勇気希望

勇気のようなものである。育てるには、希望が必要だ」

希望はまだ、旧佐久間中学校の正門にある!

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ここは限界集落
限界集落としての定義「65歳以上が人口の50%以上」限界集落の分類
 準限界集落:55歳以上が人口の50%以上
 限界集落   :65歳以上が人口の50%以上
 危機的集落:65歳以上が人口の70%以上

佐久間町の年齢別人口統計の詳しいことは分からないが、かなり危機的状態だと思う。

佐久間町は浜松市になった
佐久間町が浜松市に合併したとき、私の暮らしている半場地区の区長が、私の所にきて半場地区の10年後の男女比年齢別の人口を棒グラフで表してほしいと言われた。
その区長は、 「これから人は減って来るので、コミュニティを大事にしなければいけない」その様に言っていた。
そして、その区長のときに区民会館を利用してと呼び掛け、その区長は、自費でカラオケセットを区に寄付した。

半場10班
私の班で葬式があり、班の人たちが集まった時に
「この様な場でしか集まらないのではなく、違う場でも集まらないか?例えば花見など」
そんなようなことを話し、そのときから春になると半場10班では「お花見」をやるようになった。

全国の限界集落は10,091
限界集落とは?日本における問題点と移住に向けた対策
全国の限界集落の中では、佐久間町は恵まれている方だと思う。
佐久間ダムがあり、電源開発という会社があるからだ。
しかし、その関係で働いている人も、街に住まいを構え、佐久間に通勤で来る人が多い。
何故だろう?
 

限界集落天龍村
そんなブログを考えているとき電話が来た。
信州の天龍村での「梅花駅伝」のメンバー集めの連絡だ。
ココの駅伝、もう何回参加しているのだろう。
天龍村は平成の大合併のときに、どことも合併しない道を選んだ地域だ。
そんな地域の駅伝が、多くの選手を集めている。

限界集落
佐久間町は限界集落。
住所は浜松市になったけど、浜松市の北部「中山間地」は何処も限界集落になる。
限界集落だから考えること、限界集落だから思いつくことがある。
来年もいろいろ計画している

同窓会、マラニック、ボランティア活動。。。

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ただいま参加者 男性5名 女性6名
2016年10月14日に送った城西小学校同窓会お誘いのハガキ
予算の関係で、生徒には通知だけ、恩師には往復はハガキでの通知とした。
 ニ組の先生は、直ぐに電話が来た。
「腰痛がひどいから、参加できない」そのように言っていた。
 一組の先生からは、音沙汰がなかった。
大丈夫だろうか、心配していたが、、、、。
今朝、舘山寺からの帰り、家の玄関にある郵便受けに、その一組の先生から返信のハガキが届いていた。
「返信遅れて申し訳ありません。いろいろと迷いましたが欠席としていただきました。また、佐久間の家を片付け、こちらに・・・・・・・。」
 
攀念痴(はんねんち)を持たない。
私は、二十歳代後半で佐久間に帰って来た、
その佐久間町は私が四十歳代のときに浜松市に合併した。
合併当時の佐久間町の町長は、遥か前に東京に土地を買い、家を建てて息子が暮らしていた。
また、佐久間町という地域で生徒に地域の大切さを壇上から唱えていた先生方も合併を機会に佐久間町を去っていく人が増えていく。
攀念痴(はんねんち)を持たない。
  2016年6月9日に書いたブログ

変わりゆく時代
昔は、長男は家を継ぐもの、次男以下は都会に出て自分で家族を家庭を作っていった。
今、時代は変わり核家族が進み、長男でも家を出る。
佐久間を出ていく人が多い。中山間地、過疎で疲弊した地域が出現してきた。

誰も悪くない、時代の流れがそうさせた。
そんな時代の中、自分としては、ココに残った者として、地元でやりたい同窓会。
城西小学校同窓会。。。楽しくやりたい。
 
ブログ内容と写真は異なります
作者より。。


 

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毎週木曜日、NHK総合 午後7時30分
ファミリーヒストリー
毎週楽しみに観ている。

今週は北野武さんのルーツをたどっての番組だった。

北野武の少年時代をつづった物語「たけしくんハイ!」は本で読んでいたから、
放蕩者の父親と勉強に厳しい母親に育てられた話は知っていた。
そんな厳しい教育をしていた母親には、子供である武には言わなかった大変な過去があった。
笑い飛ばしていた武だが、その眼には涙が浮かんでいた。

多くの先祖がいて、今の自分が存在する。
ファミリーヒストリー

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2年前、読んだ本
「海賊とよばれた男」
今日は、その映画を観てきた。

2時間20分の長い映画だったが、本日この映画を観てきた本当によかったと思った。
感動した。

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12月9日は地元水窪のNPO「山に生きる会」の忘年会だった。
昨日は、走る仲間の忘年会。
浜名湖半周忘年ラン
弁天島→舘山寺(遊覧船)→レイク浜名→弁天島
約43㎞
を走り、走り終わてから弁天島のホテル
浜名湖リゾート&スパTHE OCEAN
で忘年会
 

平成の合併で浜松市になった佐久間から弁天島に向かうには、公共交通機関がある。
そう飯田線。
中部天竜駅を5時25分の始発電車がある。
中部天竜(5:25)→豊橋(7:08)
 次の列車は
中部天竜(6:05)→豊橋(7:54)
 この時間でも、じゅうぶん間に合うのに、始発列車が、なんか・・・いいんだナ~。

FBで飯田線内の様子を投稿

飯田線
 中部天竜駅
5時25分始発

なにも始発でなくても
集合時間には間に合うが
 やはり始発がいい。

乗客は私一人
 贅沢な時間を楽しむ

東京のFB友
電車待ちな~う。7時ちょい過ぎのひかりに乗って行きま~す(^o^)

おはよう✋✨☀
飯田線内は寒いです~⤵
赤字路線だから暖房代ケチってるのかナ~(≧∇≦)

東京のFB友
 山手線はあったかいよぉ(笑)

(富士山頂往復のとき6合目での食事)

受付開始時間の一時間前には弁天島に到着。
ロシアの大統領は日本の首相を3時間も待たせてそうだが、日本人は そんな人はいない。
それにしても早すぎるか(≧▽≦)
弁天島のサークルKに寄ろうとしたものの、なんと無残な姿になっていた。
警備の人に聴くと、ファミリーマートになると言っていた。
 
(MAMM のときのヌードル嬢)

受付時間になり、受付を二番目に済まし、着替えをする部屋に行き着替えを済まし。
今年一年、走りに酒に、お付き合いしてくれた仲間に挨拶をしてスタート視点である弁天島公園に行く。

浜名湖大橋は風が強かった~。
弁天島に着いて、何時もカップ麺を買うコンビニもサークルK、ココもやはり工事中、営業していない。
近くのお好み焼き屋さんでモダン焼きを食べる。
かんざんじ港から遊覧船
この時期、ゆりかもめが多くいて乗客の達を楽しませてくれる。
去年の動画↓

浜名湖の景色を楽しみ、レイクハマナに到着して、ココから弁天島のホテルまで21.6㎞
自分なりにペースを守って走ってきた。
ところが、湖西高校近くになって、身体の調子が悪くなる、最悪。
長距離は、何が起こるかわからない。
新居で国道一号線(今は違うかな?)に合流して、ココからの直線が長く感じた。
弁天島のホテルに着いたのが、16時45分、、かな。

(去年の写真)

ホテルのお風呂に入り、疲れた身体を癒す。
ヤッパリ走った後の、お風呂は最高。
次はもっと最高の忘年会。

この浜名湖半周忘年ランの主催者 ヒロボーさんが、先週、ホノルルマラソンに行ったそうだ。
写真は完走メダル。

私はヒロボーさんの大会は
1月の
湖西連峰トレイルラン
5月の
富士山一周
8月の
富士山頂往復
10月の
 浜名湖一周100㎞
そして、今回の
浜名湖半周忘年ラン
に毎年参加しようと思っている。

完走メダルは無いけれど、多くの走る仲間に出会えたヒロボーさんの大会に感謝です。
来年も宜しくお願いします。

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12月9日(金)
夜、水窪で「山に生きる会」忘年会。
次の日
12月10日(土)
は、遠山郷(木沢地区)ここで、「霜月の祭り」があるというので遠山郷に行ってきた。

水窪から遠山郷まで、青崩峠を越えれば一直線で行けるのだが、車では国道152号線で兵越峠を越える大回りとなる。
国道と152号線、国道と言っても、すれ違いも困難な狭い道だ。
遠山の人たちは、この道を利用して浜松の「ららぽーと」「プレ葉ウォーク浜北」などに買い物に行くと聞いたことがある。
 

朝早く兵越峠を越え、急な坂道を下っていくと、最初に合わられる遠山の村「このた」がある。
クニャクニャ曲がった狭い道を下り切ると、遠山郷の街が
街を貫くバイパスがある。
このバイパスができたおかげで、道の駅「遠山郷」がある「和田地区」と、今日の目的地「木沢小学校」のある「木沢地区」は近くなった。

(水窪と佐久間も何時の日にか、このような道が峰トンネルの車の道ができないかな~)

早朝、まだ早いので、バイパスを通らずに、チャレンジマラニックin遠山郷のコースを車で通ることにした。
合戸峠、周り。
ランニングでは走りやすい道だが、車では狭い道。
峠から下ったところが木沢地区、木沢小学校がある郷だ。
時計は朝の7時。まだ早い。小学校前の校庭に車を駐車して仮眠でもと思って木沢小学校に行くと。
管理棟に明かりが灯っていた。


その管理棟のドアーを開ける。
一人、先客がいた。
お互い自己紹介をして、自分は、昨日「山に生きる会」の忘年会でいただいた残り物の御飯を食べた。
先客は、朝から焼酎を飲んでいた。
酒も飲まないか?
と勧められたが、朝からの酒は、断った。
その人は群馬県からの人だった。
 
モチロン猫校長も居た)タカネちゃん

暫くすると、また一人。
この人は知っている人だ。
千葉県から来たという。
朝からビールを飲み始めた。
「ビール、一本欲し~」
3人で、木沢小学校で酒盛りが始まった。

本日の予定は、
木沢地区の「霜月の祭り」を見る。こと。
自分は、早めに木沢小学校に行き、そこに車を置いて、走って木沢地区を散策してから、和田地区にある道の駅「遠山郷」の温泉「神楽の湯」に行く。
そこで、ある人と昼12時に待ち合わせ。

時間は10時半、そろそろ走りに出よう。
遠山郷と言えば、下栗の郷、今日は下栗の郷から見える
下栗の郷の向かい側の林道をランニングすることにした。
木沢地区から国道を下り、遠山川の吊り橋を渡り、そこに出る斜面集落を目指し走って行った。
斜面集落が終わると、林道。
杉が大きく、展望は望めない。
微かに見えるのは下栗の郷だろうか?
時計は11時30分。そろそろ折り返さないと待合時間に間に合わなくなる。
諦めて同じ道を帰る事にした。

神楽の湯に着いたのが12時15分。
風呂に入って。連れの人に出会って。
風呂から出たら、近くのスーパで買出しをして、木沢小学校に行き、(泡)の始まり。

おっと、霜月の祭りは、もう始まっている。
毎年、一昼夜祭りは行っていたというが、今年から夜中の12時に終了だと言いう。

遠山の人は
毎年、冬、霜月の祭りという神事を続けている。
世の中が、いくら便利になろうとも、車が自動で動こうとする時代に、何百年という前から行っている神事。
遠山の夜は寒い。
太鼓の音、笛の音を聴きながら
 木沢小学校の理科室で就寝。

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NPO法人「山に生きる会」中間報告

山住古道
山に生きる会では、今年度、山住古道を整備したそうだ。

昔、城西小学校の遠足で、この山住の道は歩いたことがある。
たしか、家康腰掛の岩などがあったのを覚えている。

竜頭山スーパーマラニックのときに、河内浦(こうちうら)の 鳥居の所を覗いてみたが、昔の面影もなく朽ちていたような気がするが、整備してくれたのだナ~。

来年の「竜頭山スーパーマラニック」のときには、山住からの下山は、この山住古道を利用しよう。きっと昔の思い出が蘇るだろう。

水窪警察署長の挨拶があった。

平成28年度の「水窪100山」入山リスト
池の平登山口、城光寺山登山口、麻布山登山口、門桁ゲート、戸中山ゲート、奈良代山ゲート、権現橋ゲート、青崩峠登山口、それぞれの月別に入山者を記録してある。
「入山ポストに投函してあるこものだけだから、実際に山に入っている人は、この倍はいるだろう」
という話だった。

18時からは「忘年会」
山住古道の話が出た。古道の入り口に看板を建てよう。目立つように大きな立派なやつを。
水窪も佐久間と同じ高齢化している。
それでも、自分たちが立ち上がれなければと頑張っている。
そんな気持ちが伝わってくる。ビンビンと。

最後に、事務長から
「万歳三唱は、お前がやれ!」
と耳打ちされた。
「えっ」とは思ったが。
会の終わりに自分がみんなの前で
「水窪 山に生きる会が益々 発展していきますように・・・・・バンザ~イ」
を両手を上げた。

追記
私の暮らす北遠は、平成の合併で浜松市になった。
そのとき佐久間ではNPOを作り、私も活動委員として参加するようになっていた。
しかし、そこのNPOは、理事長とは事務長とは、水窪の「山に生きる会」のような関係ではなかった。
まるで会社組織のような、お前はボランティア活動さえしていればいい。そんな感じだった。
今、そのNPOではアワビを手掛けていると新聞で報道されている。
どんな経緯だかわわからないが、佐久間に暮らす者として、心配でならない。

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目指せサブフォ―

毎度、佐久間中学校時代の同級生と、その仲間の
仮装のメンバーとスタート前に記念写真

袋井のゆるキャラも一緒に。
袋井と言えばフッピーなのに、このゆるキャラは????
まっいいか~(^O^)/

そのゆるキャラの御付きの人も一緒に。
オッサンたちはノリがイイ(^O^)/

スタート位置はB。
マユミさんヒロコちゃんと一緒。
イシガミさんもいる。
2016年12月11日(日)9時10分スタート。
スタート時の渋滞もあり、1キロ地点では6分。
これではいかんと、スピードを上げ走って行くと。
赤穂浪士さん発見!!

こっち向いて。

天気は快晴、まさにフルマラソン日和。
今回は、ランナーの後ろ姿を見ていこう。
「やるときは。やるで!!」
「アベ政治を許さない」
などなど。
仮装では、サンタクロースが沢山いた。

10㎞
53分45秒
まずまず。
19㎞
1時間44分51秒
20㎞
1時間50分11秒
ハーフ
1時間8分49秒
ここまで来れば残り半分。
しかし、疲労も。。。太ももの痙攣さえなければなんとかなる。
エイドでイチゴ ゲット。

疲労困憊、、、そんな時に
メゲテイルときに、オニギリが横に来た。

諦めずに、そのオニギリを追いかける。


可睡の杜、住宅街を快走。。。
 


32㎞地点。
2時間58分16秒
仮面ライダーとハイタッチ。

最後、エコパまでの坂が大変だ。
そこで、サッポロビールの仮装の人がいた。

その仮装の人を追いかけ、何とか、ゴール。

記録
3時間57分03秒
サブフォ―を達成できた。

ゴール後
  
サッポロ
ビールの仮装の人とツーショット

ここ袋井クラウンメロンマラソンは年末のフルだ。
なんとか目標であるサブフォ―を達成できた。
重い足を引きずり、荷物預けに行き、ゼッケンを伝えてリックを手渡されると。
なんと。
佐久間の子ではないか。
春○涼○君。
ビックリポン。。。。

男子更衣室に向かい、着替えを済ませて、スマホで記録証を撮り、フェーズブックで投稿した。
有言実行。
しかし、疲れた。だけど歩くことなくゴールまでたどり着くことができたのには、自分なりに頑張った、、、、と思う。

オッサン56歳の冬。
静岡県小笠山総合運動公園スタジアム
エコパを後にした。

家に帰って酒飲むゾ~。

動画です↓

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ヒロボーさんの勉強会「修身教授録」を学ぶ

第15講 諸君らの将来

 今日は先生、たくさんの書物を持って来られたので、始めに書物を紹介されると思ったら、教卓の左の隅に置かれたままで、本の紹介は講義が一応すんでからだった。

月に一回 ヒロボーさんの勉強会の時がやってきた。
勉強会・・・読書会
「修身教授録」
明治29年生まれ、平成4年11月21日逝去 享年97歳
森信三先生の本を読んで、今を生きる私たちは、どうあるべきかと話し合う。

ヒロボーさんは、わたしより一回り年上。
団塊の世代だ。
日本で、第一次ベビーブームのときに生まれた世代。第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)に 生まれ、高度成長時代を生きてきた人たちだ。
 
私の兄も、団塊の世代だ。
いや、だった。
出張先で倒れ、緊急搬送され、悪性腫瘍が見つかり余命宣告を受け、この世を去った。
享年49歳だった。

また、この「ムーハウス」の所有者。
(有)丸宗建築の社長も、団塊の世代。
この人は、佐久間出身、城西小学校卒業ときく。
私の兄貴より、一学年年下。

ヒロボーさんの勉強会「修身教授録」を学ぶ

第15講 諸君らの将来

森信三先生は、生徒らに、多くの書物を読み、その書物から色々な知識を吸収し、嚢中に多くの知識を取り込み、それをいざというときに役立てなさい。
忙しい中でも、時間を作って本を読みなさい。
そんなようなことを言っていた。

今回、参加者の人から教えられてこと。
センテナリアン100歳以上の人物のことである。
スーパーセンテナリアン→110歳以上の人物

デカンショ節学生歌、かけ声の「デカンショ」は、「デカルト」「カント」「ショーペンハウエル」の略であるという良く知られた説もある。 他に「出稼ぎしよう」の意味であるなど、諸説ある。
人生ニコニコ顔で命がけ。。。
目指せスーパーセンテリアン(^O^)/

森信三先生の教え
動画 ↓


 
  
 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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