28㎞エイドで左足首に着けてもらった
ミサンガ
「チチンプイプイ、こらからの長い道のり気をつけて、ころばないようにオマジナイ」
ボランティアの少女に着けてもらたミサンガ
木の根っこ、チョットしたコンクリートのふくらみでつまづいて、何回もコケそうになったけど、オッととと、、、と、なっただけで、手をついて転ぶまでにはならなかった。
ミサンガの効き目だろうか?
ミサンガ
日本で流行り始めたのは、自分まだ若かったころ子供たちがまだ小さかったころ。
日本でサッカーがJリーグが始まったころとだと思う。
ネットで調べたら
サッカー大国のブラジルからラモス瑠偉という選手がやってきたのですが、彼が巻いていたの紐をミサンガと呼んだことから、日本ではこの名が定着したのです。
と、書いてあった。
流行りに乗って、自分も足首に巻いたこたあった。
願が叶って、切れる前に、うっとおしくなり、自分で取った。
長続きにしない、自分であった。
そんな、自分が、お父ちゃんと呼ばれるようになった頃から始めた、走るということ、未だに続いている。
ミサンガ
日本で流行り始めたころ、自分の走る趣味も始まった。
10月8日(日)
ぐるっと浜名湖一周エンジョイ・マラニック
真夜中の三時。
28㎞地点のエイドで着けた貰った。
ミサンガ
まだ、自分の足に着けたままにしておこう。
知らぬ間に切れて無くなっているうちに願が叶っているかもしれない。
今年から、スタートが夜中の0時になった。
今までのように前夜祭も無くなった。
楽しみの酒・カラオケ・ダンス・ネ~ちゃん・その他の前夜の楽しみも無いので、ユックリ自宅を出発した。
18 時20分中部天竜発の飯田線に飛び乗ると、水窪祭りで出会った人が団体で席を陣取っていた聞けば隣地域の浦川に飲みに行くと言っていた。
同級生のメンバーだそうだ。
(写真は私の同級生)
18時20分発、豊橋駅には20時16分着
1時間56分の飯田縁の旅、深夜スタートのマラニックに参加のため今自分は、この電車に揺られている。
明日からは、丸一日かけて浜名湖を楽しむ、楽しんでもらう。
主催者はそんな思い出「エンジョイ」というタイトルと付け加えた。
そうエンジョイしよう楽しもう。そのためには少しでも今のうちに少しでも眠ろう。
そう思うが、眠れない、、、、。心が興奮しているのだろうか。
豊橋駅に到着し20時33分の東海道線で弁天島駅まで約20分
21時ごろ弁天島海浜公園のマラニック スタート・ゴール地点に到着。
主産者に頼まれた簡易テントを渡し、近くのコンビニで夜食を買い空腹を満たし公園のベンチで横になる。
ザワザワ近くが騒がしくなる、真夜中、静かにしてくださいと の看板を持って歩くも思わぬ再会や久しぶりにあった人との話に花が咲きテンションも上がってきて騒がしくなる。
大人の遠足マラニック、他の人に迷惑にならないようにしたいものだ。
2017年10月8日午前0時
ぐるっと浜名湖一周エンジョイ・マラニック
がスタートした。
ココで、
ぐるっと浜名湖一周エンジョイ・マラニック100㎞
のコース説明&私の走り。
スタート地点は
弁天島海浜公園
ココを東へ、三番の橋を渡り、舞阪の旧東海道を浜松方面へ、松並木を進み舞阪駅へ左折、東海道線高架下を抜け宇佐美橋北を左折。
雄踏総合公園前交差点を左折、雄踏大橋を渡り先端まで行って折り返し雄踏総合公園交差点まで戻り左折、北へ行く。
古人見町まで行くと県道が右に曲がっている、間違えるところ。
ココを真っ直ぐ、砂利道を真っ直ぐ行くのである。
湖沿いにこの道を行く。
そうすると、はまゆう大橋がやがて見えてくる。
その橋の下を通り、直ぐ右折、県道49号線が出るのでそこは左折。
後はヒタスラこの県道沿いを走る。
49号線沿いにはコンビニが所々にあり、どこで休憩しても良いが、湖東団地のサークルKまでは我慢しようとガンバって走る。
坂を下って、トイレ休憩しようと目指すが、なんか暗い、営業していない、店が閉まっている。
残念。。。カックシ(/_;)
これから先にはコンビニは無い。
と思って途方に暮れていたら、直ぐ近くすじかい橋の交差点にコンビニが新しくできていた。
そこでトイレ休憩。
すじかい橋の交差点を県道48号線に行く。
和地西の交差権を左折、舘山寺街道に行けば舘山寺までは近道だが、左折。
28㎞地点のエイドを目指す。
しばらく行くと、はまゆう大橋が見える。
しばらく前にこの橋の浜松側の下を通った。今度は舘山寺側から見ることになる。
ココの交差点を右折、庄和町の交差点を左折、しばらく道なりに走り突き当りを左折。
県道323号、浜名大橋の元有料道路に出る。そこを右折。
自転車道に入ると約28㎞地点のエイド。
浜名湖県立自然公園
3時14分
ココまでケッコウ飛ばしてきたので、疲れた。
ゆっくり休んで、後はのんびり、そう思っていたが、やはり走ることにした。
が、調子が悪い。お腹の調子。
トイレは舘山寺に行くまで無い。
舘山寺のコンビニを目指す。我慢・ガマンの走り。
この自転車道の長かったこと。歩くことはできない、何とかトイレまで頑張らないと。
コンビニまでは難しい、舘山寺海水浴場に公衆トイレがある、そこを目指す。
舘山寺の明かりがダンダンに近くになって来る、やっとの思いで舘山寺海水浴場に着く、公衆トイレで汗だくのウエアを脱ぎ用を済ませた。
舘山寺のコンビニで、温かいココアを買って飲んだ。
辺りは、まだ闇夜だ。
浜名湖一周100㎞
100㎞を走ること、私の暮らしている佐久間町が合併して浜松市になると決まった時に、このようなウルトラマラソンを走る人と出会った。
そんな人の話は・・・、なんと無謀な冒険の話をしていた。
わたしとは違うところの人と感じていた。
が、今 自分がそんな世界にドップリと入り込んでいる。
浜名湖一周100㎞
を、申し込んで、しばらくして
佐久間町から引っ越した、私が城西小学校時代に6年1組を担任していた恩師に電話した。
「浜名湖100㎞というマラニックに参加する、6時~7時までには気賀の関所に行くから来てくれませんか?」
出会う約束をした。
2017年、3月。
今年、
城西小学校は閉校した。
その閉校の年に、同窓会を開いた。
城西小学校同窓会2017
当時二組、恩師の先生は佐久間在住の人と、もう一人は浜松市の息子の家にいると知り、御誘いの往復はがきを出した。
ところが、どちらの先生も用事があるので参加できないとの連絡を頂いた。
今回、約束した先生が気賀に暮らしていると知り、今回、会ってくれると嬉しいと連絡した。
大変 失礼なことだと思っても、連絡した。
約束した時間は朝の6時~7時
気賀の関所までは20㎞くらいか。
舘山寺を後にして、歩を進める。
気賀方面へ。
舘山寺の若草山に登る坂道、
かんざんじ荘に間違えそうになる道。
そこが初めて走る人には心配だった。
ところが、そこには道に道案内のテープが張ってあった。
主催者の気配りが感じられた。
東名高速道の下をくぐり、浜名湖サイクリング道路「ゆ~りん」湖岸の自転車道をユックリ走っているといつの間にか左側に浜名湖が見えなくなった。
知らないうちに、道を間違えたらしい。
まだまだ辺りは暗い、手持ちライトで地図を見て間違えたところを確認し、左手にある自転車道に戻った。
幼稚園の看板を左折して、自転車道を進むと赤いアーチの橋が見える。
みおつくし橋
その橋を渡り、気賀の関所に4時45分ごろ着く。
トイレにより、用を済ませ、関所の前で先生を待つ。
早朝、多くの人はマラニック参加者だけだった。
そこに一人、いた~。。。恩師だ。
御年81歳。
懐かしい話をした。佐久間の状況を話した。
わたしたち城西小学校同窓会を、60歳の時に還暦の時に、水窪でやるので是非、参加してほしいとオネガイしてみた。
わたしのワガママな出会ってほしいという願いがかなった。
恩師に丁寧に挨拶をして、気賀の関所を後にした。
今来た道を少し戻って「みおつくし橋」を渡らづに真っ直ぐ、自転車道では釣り人が糸を垂れている。
「釣れますか~」の声に釣果無しの悲しいお知らせ。
プリンス岬、うっちゃんの後ろ姿。
プリンス岬の出口付近に50㎞
ようやく半分。
天浜線・気賀駅を横目に走り、天浜線の高架橋出前で左折。
ライブチャート・寸座ビラ
の、横を走り。
東名高速道路 浜名湖PA
の、所を通り。
天浜線・佐久米駅
の、横を走るとき、佐久米・佐久間・との関係を考えた。
北海道にはサロマ(佐呂間)なんてのもある。
ココのHPには森と湖の町と宣伝している。
佐久間も杉とダムの街と宣伝しよう(*^^)v
と、思っても今は浜松市、地元の名もない一般人の意見など通るわけもなし。。。。
瀬戸方面に左折、うっちゃんから
「これからは自動販売機も店も三ケ日の駅前まで無いのでペットボトルを買うのが良い」
との助言で自動販売機にてスポーツドリンクを購入。
それからしばらく行くと、57㎞エイド
8時05分
ココのエイドには菊地さん特製のカレーがあった。
「旨い」
疲れた身体、カレーを食べた。
飲物も飲んだ。
57㎞エイドに別れを告げ、うっちゃんの後を着いていく。
三ケ日青年の家を通り越すと、階段を下り湖沿いの遊歩道、海のレジャーで楽しむ若者がいた。
ヨット・ジェットスキーetc
しばらく行くと、浜名湖に浮かぶ小さな島
伝説の巨人ダイダラボッチゆかりの島
「礫島」だ。
幸福の科学の道場?、かな。。
そこの横を通て、レイクサイドの歩道橋を上って、三ヶ日町の猪鼻湖に入いる。
コスモスの咲く猪鼻湖ロード
松並木の遊歩道、松の根がコンクリートを割り走りにくい、猪鼻湖の遠く反対側に三ケ日の街が見える。
東急リゾートタウン
初めて、このマラニックを走った時、自分の三ケ日のイメージが変わったのを覚えている。
フリフリのスカートでテニスでボールを追いかけている人。
別荘のテラスでバーべキュウ。
佐久間では見たこともない高級外車。。。
お~。。。。
リゾートタウンを抜け、湖岸の自転車道。
まだまだ遠くにある、三ケ日の街。
クネクネと曲がっている自転車道。
たまらずに歩くことにした。
三ケ日中学校で部活のソフトの練習をしている。
指導している人は女性。
激しい激を飛ばしている。
幼いころから、このような指導で男女同権を学んでいるのだろう。
三ケ日中学校の裏口では、男性の父兄だろうか、それとも先生だろうか?
タバコを吸っていた。
わたしが子供の頃とは、確実に時代は変わった。
昔
子供は
大人は偉いと刷り込まれていた。
今は、わたし大人だけど、大人になったけど、何も偉くない。
自分が大人になった今、家庭の中での親父の威厳は何もなくなった(涙)
話は脱線した、走り過ぎて頭が混乱してきた、そんなこんなで
よ~やく着いた三ケ日の街、駅前のコンビニで冷たいガリガリ君でも買おう。
そのコンビニの前が丁度70㎞地点。。。
が、ががが。
そのコンビニが営業をしていなかった。
がっくし。
しかし、三ケ日町はコンビニは一軒だけではないのだ。
三ケ日駅横にもあるのだ。
そこに寄って、ソフトを買った。
佐久間は、店が無くなると遠くの所に買い物になる。
今ある お店を大切にしなければ。。。
うっちゃんまゆみちゃんが踏切近くでやっている「軽トラ市」に行くというので私も見に行く。
200円でナスとかぼちゃをゲット。
良い買い物をした。。。。
う、ふふふ。
しかし、この買い物が、これからの走りを大変にしたのだった。
重い~。
ナスは良いが、かぼちゃが重い。
かぼちゃ一つだと思ったが、違った(/_;)
そんな野菜を持ってのラン、いや歩き。
入河屋五代目前治郎
和洋菓子店
に、美味しい三ケ日みかんソフトクリームがあるとコースマップに書いてあったので、フラフラと店に寄った。
10時50分
店に入ると「みかんソフト」と「栗ソフト」があるそうだ。私は迷わずに「みかんソフト」
メニューを見ると「金泊で包んだみかんソフト」も1000円であるそうだ。
是非、下の二人に「金泊ソフト」を食べてほしい↓
店を出て、知波田のエイドを目指して進む。
ナス&かぼちゃの買い物袋が手に食い込む。重い。重い。
この野菜は、知波田エイドの佳江さんへの御土産だ。
いつも笑顔で、エイドや差し入れ、本当にお世話になっている。
わたしからのプレゼント。
このナス&かぼちゃ、本当に重い。思い。
重かった。自分の思いを運んだ。
やっとこさで着いた、知波田エイド。
佳江さんにナス&かぼちゃを手渡しし、私の使命は終わった助かった。
おいしそうな、食べ物はあるが、飲物しか受け付けない。
冷たい(泡)をイッパイ。。。
これがバカ旨。
キンキンに冷えているのが旨い。
先を急ぐ。。。
川口さんに激励をされ知波田エイドを後にする。
80㎞地点を通り。
最後の間違えやすい道。
今、帰って来て復習して結果、やはり間違えた。
広場トイレで用を足し、コースマップを広げて考えたのだが、間違えてしまった。
そこの公園で前で曲がらずに宇津山の方に行ってウロウロして元の道に戻って進んだ。
なんとか、自販機は確認し、日の岡の坂手前のうっちゃんパパエイドにたどりついた。
難聴の人だそうだ、静かななエイドに二人きり。
ひと言ふた言、話してくれた。
エイドを出すタイミングのこと、今日の先頭は速い人だったこと。
走る人の飲物はコーラを良く飲むという話。
わたしもヤッパリ、コーラを二杯、頂いた。
「ありがとうございました」
挨拶してエイドを後にした。
日の岡の坂、GS東海興産の前を通り、喫茶店「ピノキオ」の三叉路を左へ。
昔、鉄工所で働いていた自分、懐かしい香りがした。鉄の臭い。
湖西高校の正門前を通過。
イオンタウン、前を通過。
昔、ここはウナギの養殖場だったところだ。
新居町に行き、湖西高校正門前を通り、左折して新居弁天海水浴場の方へ進む。
ココの先端、海釣り公園入口に折り返し地点があるのだ。
数名の今回マラニック参加者であろうランナーに出会う。
そこに、三ケ日でみかんソフトクリームを一緒に食べた、知波田のエイドで
「お先に」と言っておいていった、あの人が、先に折り返してきた。
あれ~。
何処で抜かれたのだろう。
謎だ。
そう思った、そのときは。
今思うと、知波田エイドから少し行った公園のトイレで、それか、そこから間違ったコースをウロウロしているときに抜かれたのだ。
一人旅は、コースを熟知していないとダメだ。
こんどは、一人での行動が多かったし、今、コースの反省をかねてのブログも書いている。
次は間違えないで走ろう。
最後の折り返し地点。
もうすぐだ。
そんな時、みたことがある人が。
佐久間の歯医者さん、○賀さんに似ている人が。
この人は、双子だと聞く、もしかしたら、その片割れ。
声をかけてみる。
やはり、その人だ。
良いところで出会った。
折り返し地点の証拠写真を撮ってもらう。
「ありがとう、来年は一緒に走ろう100㎞」
と言って、その場を走り去った(^O^)/
いや、トボトボと歩いて行った(*^^)v
残り4㎞。
ユックリでも走って行こう。
そう心に決め、ユックリ走って、弁天島海浜公園を目指す。
国道一号線三番の橋の歩道を渡る。
(バイパスが国道一号線になったと新聞記事に乗っていた、今は国一では無いのか)
昔、湖西で仕事をしていた時、忘年会で入ったことがある「あさ潮」という民宿の前を走る。
その隣は、ゲームセンターが昔はあったけど、今は無くなっている。
その昔むかし、そこら辺にはサウナがあった。
それがつぶれて、ビニ本屋になった。
そんな、青春を思い出す浜名湖一周100㎞
アト1㎞。
の看板
二番の橋を渡る、最後の信号、国道の信号が赤から黄色に変わった。
国道の信号は長い。
長い信号待ちを終え、国道を渡り、弁天島海浜公園へ。
2017年10月8日(日)
16時27分
100㎞にかかった時間
16時間27分
午後の4時までには帰って来る、そんな目標があったけど、それは叶わなかった。
しかし、無事に帰ってこれた。
それだけで十分だと思った。
ありがとうございました。
このマラニックを支えてくださった皆さん。
感謝・感謝・感謝です~。。。
明日はハマイチ 浜名湖一周
と言ってもサイクリングではない。
自分の足で浜名湖を一周しようとするランナーだ。
浜名湖一周サイクリングコースが紹介されているが、そのコースは庄内湖が抜け落ちている。
わたしたちは庄内湖も気賀の関所もプリンス岬も走っている。
100㎞
主催者が100㎞に、こだわって、こんなコースを設定した。
ハマイチ
この言葉は、如何してハマイチか。
浜名湖を一日かけて一周する(浜一日)→(ハマイチ)
浜名湖一周100㎞(浜1)→(ハマイチ)
いろいろな意見がありましょうが、明日はハマイチ
無理せずユックリ、一日かけて楽しもうと思う。
FBの友達は511人
佐久間町内の人
その友達の友達
マラソン大会で出会った人
一緒にマラニックを走った人
その友達の友達
その出会いはいろいろだ。
この前、ある人からメッセージが届いた。
柏崎刈羽原発の再稼働に許可をださないでください
東電に運転の資格なし。
柏崎刈羽原発は廃炉に!
柏崎刈羽6・7号機の再稼働を認める・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
1500人の賛同者が必要です。
そんなメッセージが来た。
みるみる賛同者が集まり、1500人集まろうとしている。
しかし、私の考えは違った。
賛同することは、出来なかった。
私には原子力施設で働く知人がいます。
原子力関係で働く人の子供たちが「バイ菌」とイジメられる現実があります。
それは
原子力(悪)
自然エネルギー(良)
との考えがあるからだと思います。
それぞれの人たちが、認めあい共同し、仲良く暮らすことはできないだろうか?
常に考えています。
私の暮らしているところは
浜松市になり
佐久間町時代に佐久間町の役場で採用された人々が
これを機会に都市部に引っ越していきます。
そんな人が浜松市の地域振興課に配属になり、ほくえんの過疎かを何とかしようと考えています。
人々は自分は安全安心な所にいながら、正義を叫びます。
それは、原子力も過疎化も
沖縄問題も
メッセージ
ありがとうございました
m(._.)m
スイマセン。
キャンペーンには賛同
しかねます。
とメッセージを返した。
色々な考え方が、あっていいと思う。
しかし、自分が発信した意見が誰かを傷つけている場合もあることを感じてほしい。
私のワリカン・マラニック「ほくえん旅ラン」の2018年要項・申込書
今日一日パソコンの前で作成した(#^.^#)
今年からワリカン・マラニックとサブタイトルを付けた。
そうワリカンでやっているマラニックなのでそう付けた(≧▽≦)
ワリカン漢字で書けば「割り勘」(わりかん)とは. 参加者の同等割にして代金を支払うことである。
そんな感じでやっている。
だけど、同等割を完璧にすることはできない、みんな一人ひとり考え方は違う。
飲む酒の評も違う。
三方良しという近江商人の心得がある。
「売り手良し」「買い手良し 」「世間良し」の三つの「良し」。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるの がよい商売であるということ。
わたしのは「呼びかけ人良し」「ランナー良し」「過疎地域良し」と言ったところだろうか。
わたしのは営利を目的にしてやっていいるのではない、自分の近く(山間部)の景色の良いところを走るのは一人では寂しいから仲間を誘っているだけだ。
だけど、大人数では少し困る。でも少しでも多くの人に来てほしい山の中に山間部に。
「ほくえん旅ラン」のメニューには
★たつやま凸凹マラニック(冬)
★たつやま凸凹マラニック(春)
★竜頭山スーパーマラニック
★夢街道90㎞
★地割れ花火マラニック
★浜松縦断マラニック(往復)
★峠の国盗りマラニック
★チャレンジ明神(1016m)
とある。
中でも「夢街道90㎞」は自分としては、すご~っく思いれが強い。
多くの人に来てほしいと、すご~っく思っている。
今年は32人エントリーで二人のキャンセルがあった。
30人で浜松駅から遠山郷までの90㎞を走った。
人が多いと、心配事も多い。
しかし、今まで出会ったウルトラランナーは、みんないい人だし素晴らしい人が多い。
そりゃーそうだよな~。
人知れず、練習に励んでいる人だもの。
ろくに練習しないで100㎞も200㎞も走れないもの。
10月8日には「浜名湖一周100㎞」だ、早く寝て朝ランやらなければ。
とりあえず、ここで宣伝。
夢街道90㎞2018
http://hokuen.web.fc2.com/pdf/003.pdf
申込書2018
http://hokuen.web.fc2.com/pdf/000.pdf
よかったら参加してください(^O^)/
新間
ミリオンセラー「知的生活の方法」から40年
86歳にして到達した「人生の幸福」にとっての大切なこと
知的で幸福な生活へのレポート
渡辺昇一先生の本
実践「快老生活」を読んだ。
渡辺昇一
英語学者、保守派の評論家
上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位は ミュンスター大学博士。
山形県鶴岡市出身。
1930年(昭和5年)10月15日 - 2017年(平成29年)4月 17日午後1時55分
心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。86歳だった。
渡辺昇一先生は人間学を学ぶ月刊誌「致知」を定期購買していた時に
その先生が連載していた『歴史の教訓』を読むようになって知っていた人だ、
また、『ビートたけしのTVタックル』でたまに出演して歯に衣着せない的を得た言葉で日本の将来の話をする先生に共感を受けたのだった。
先生の持論は、原子力発電は続けなけばいけない、今はまだ自然エネルギーだけでは大都会を抱える日本の電気の恩恵で生活している人々を維持することはできない。
国防軍を持て、日本が普通の国として、諸外国を相手に話を出来るようにしなければいけない。
など、過激な話が多い。
それは、致知の『歴史の教訓』では自分が調べた歴史の事実から、その事を教訓として書かれてあった。
そんな先生の本
実践・快老生活
知的で幸福な生活へのレポート
目次
第一章 「歳をとる」とはどういうことか
第二章 凡人にとって本当の幸福とは「家族」である
第三章 「お金」の賢い殖やし方、使い方
第四章 健康のために大切なこと
第五章 不滅の「修養」を身につけるために
第六章 次なる世界を覗くー宗教・オカルトについて
第七章 「幸せな日々」のためにやるべきこと
様々な賞、勲章の持ち主の先生が最終的にこの本で第七章の最後の伝えたいこと。
「人生の本当の幸せは平凡なところに宿る」P248
第一章の最後に、私はもう一度若くなりたいとは思わない、と書いた。そしてその理由は・・・・・・。
そして最後に
やはり人生の本当の幸せは、ごく平凡なところに宿るのでななかろうか。これが私の最終結論である。
と、結んである。
平凡
若い時に結婚して子供が生まれ、壮年とよばれる年齢になり仕事に追われ、気が付いたら目の前に還暦という、今まで考えもしなかった二回目の成人式が待っていることに気が付いた。
映画「最高の人生の見つけ方」
でも、私に同じ感慨をもらった。
ほくえんの風ブログ
最高の人生・・・か~。
また、読書のことも触れていた。
好きな本を読み、頭に浮かんだ考えを書いていく生活は、これまでも変わるまい。とりわけ読書は、自分よりずっと偉い人たちの考え方に触れることであり、その人たちと対話することでもあるから、ずっと続けて行きたいと思っている。
原文まま
この本を読んで、森信三先生の本「修身教授録」第10講 尚友(しょうゆう)の意味が少し分るような気がした。
ショウユウことか~。
おあとがよろしいようで(≧▽≦)
「いのちの器」日野原重明
を読んだ。
日野原重明
山口県出身の医師、1911年(明治44)10月4日に生まれ2017年(平成29)7月18日午前6時33分呼吸不全で死去。105歳だった。
いのちの器《新装版》
医と老いと死をめぐって
人間の身体は、病み、老い、やがては土に帰っていく「土の器」。
しかしその器に健やかな心を盛ることができるなら、それは朽ちることのない「宝」となるー医師と患者が、共に人間としての誇りを持って心を通わせあう医療を提唱・実践してきた著者、長年にわたる患者との対話、人間の生と死をみつめてきた時間を通しての深い思索を、わかりやすい言葉でやさしく語りかけた珠玉の随想集。
十数年前、私が大病をしてから退院した時に出会った本「生きかた上手」
日野原先生の生き方に触れ、病気を苦に悩んでいた時の私を導いてくれた大切な本だった。
今回、先生の死を知り、本屋でこの本が目に留まり買って見て読んでみた。
プロローグ-まえがきにかえて-
では、自分の重明という名前の由来から書いてある。
明は明治生まれの明、重は父親が二度目の留学を重ねたとして、日野原さんの重明の言う名前になったのだという。
目次は
いのちの四季
正月はよい習慣を身につける絶好の機会と、年の初めから新春から春になり夏が来て秋、冬と、その季節ごとの医師としての教訓、思いが書かれていた。
医と老いをめぐって
では、医師と病人との先生が肌で触れあった信頼関係などの話。
医は語り合いの中で癒される。
病人を孤独にさせてはいけない。
自分の物でない痛みや不安を汲み取る感性。
死んでいった友の遺した言葉の重さ。
生と死の狭間で精いっぱい生きる。
謎々。
先生の感性に触れる一冊だった。
エピローグ-あとがきにかえて-
のなかで、私たちの身体は、ステンレスでもプラスチックでもなく、朽ちる土の器である。その中に何を盛るかが、私たちの一生の課題である。
と書かれている。
いくら世の中が変わろうとも、化学が発達し医療が高度化しようとも、人は年をとり、やがて老いて死を迎える。
今生きている自分は何をしどう生きていけばいいのか、目標は定まっている。
そのためには何をどうすればいいのか。
良いご縁を大切にして夢の街道を実現することだ。
長い間の仕事人生、ご苦労様でした。
八月六日に、久しぶりに数年前一緒に仕事をした人からメールが入った。
佐久間の職場で大変お世話になった人が退職になったので慰労会を行おうとの連絡だった。
即効メール返信、軽く快諾した。
佐久間からの退職祝いは手作りリースにした。
その人は、職場がある佐久間まで浜北の自宅から三年間車で通っていた。
思いでの多い国道152号線だったと思う。
眩しいほどの新緑の春。蒸し暑い夏。山が紅葉で色づく秋。竜頭山が雪化粧をする冬。
佐久間で暮らしていると分らない佐久間の好い所を知っているのかもしれない。
慰労会では、そんな話を聴いてみよう。
この手作りリースは、私の手作りではない。
佐久間の知り合いが作っている物を頂いて持っていく。
野田に暮らす、その人は、近くの野山から取ってきた物で、このリースを制作している。
少し早口の、その人は、自分の暮らしている地域を誇りに思っている人だ。
リースの説明も、使っている木の実の一つ一つを詳しく教えてくれた。
まるで我が子を嫁に出すような感じだった。
数年前、移動で佐久間の職場に配属になり、三年間お世話になったあの人に、佐久間から精いっぱいのプレゼント。
浜北の暮らしになるけど、佐久間のこと忘れないでほしい。
今年で11回目の「チャレンジマラニックin遠山郷」
私は第一回目からの参加。
大会プログラムに、その第一回目の開会式の写真がある。
そのときは、木沢小学校からのスタートだった。
そんな思い出深い「チャレンジマラニックin遠山郷」
今年も多くのランナーが集まった。
スタート
「道の駅」遠山郷
6時30分
第一エイド
「合戸峠」
7時00分
第二エイド
「小嵐稲荷」
7時50分
第三エイド
「木沢小学校」
8時20分
第四エイド
「三軒家」
8時55分
第五エイド
「はんば亭」
10時00分
第六エイド
「中根」
11時30分
第七エイド
「梨元」
12時20分
第八エイド
「龍淵寺」
13時10分
第九エイド
「島畑」
13時40分
ゴール
「道の駅」遠山郷
14時40分
今年もお腹いっぱい、楽しさいっぱい、
全てのコース51.5㎞を8時間10分かけて、楽しく走ることができました(^O^)/
オプションのコース下栗の里ビューポイントも行きました。
2017年第11回目
完全完走(^O^)/
ここの大会は、走りを楽しむマラニックです。
去年のブログ「水窪祭り2016」
一昨年は遠山郷で行われている「チェレンジマラニックin遠山郷」と同じ日だったので遠山郷に行く途中に仮装を観に寄ってきた。
遠山郷に行く前に。。。
今年「水窪祭り2017」は、な・なな何と、仮装に申し込んでしまった。
二年間、水窪祭りを観に行って、水窪の人たちの仮装の意気込み完成度は感じていた。
この様な、すご~い仮装はむりだが、自分なりに伝えたいこともあった。
自分は毎年春、12市町村が合併して大きくなった政令都市浜松市を浜松駅南口から、ココ水窪町(ほくえん)と通て県境である青崩峠を越え南信州「遠山郷」まで走っている。
2011年の6月春、協力してもらうランナーを集って初めて超えた青崩峠。
参加者20名
http://run2.ina-ka.com/yumekaidou/sionomiti.htm
ネットにそんな仲間を残してある。
2014年のときには中日新聞の記者が浜松駅に現れて矢継ぎ早に質問された。
「何のために、このようなことをやっているのですか?」
「地域おこしの為ですか?」
当時、そんな言葉の返答に困った。
しかし、今では言える。
自分が楽しいから。と。
今回、申し込んだ水窪祭りの仮装も同じ、楽しもうと思ったからだ。
浜松市の北の果ての街「水窪町」
この景色が、政令都市浜松市の、このままのやり方では維持していくのは難しいと思う。
多くの人に考えてもらいたい問題だ。
中山間地が抱える問題、過疎高齢化のこと。
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |