水窪盆栽クラブ。
そんな団体に加入している。
如何して?
それは
今年の2月、水窪の知り合いから電話が入り、そんな人たちと名古屋に盆栽を見に行った。
そんなことがきっかけだった。
盆栽の展示会に行ってきた。
西渡(にしど)で待ち合わせ、会長の車に便乗して4人で舘山寺を目指す。
フラワーパークは
駐車料金200円
入園料10月~2月までは500円(園内で利用できる300円お買物券付)
なんと安いことでしょう。
水窪のオジー三人、佐久間のオジー一人で、浜松フラワーパークに入園。
早速、水窪盆栽クラブの目的である「老鴉柿(ろうやかき)」を見学した。
しばらく見学し、会長から盆栽の講釈を聞き、外に出た。
お買物券100円で、フラワートレインに乗って、温室のところまで行き、シャボテンを見学し、そこでたこ焼きを食べた。
そこを出て、次は菊花展、見物人は私たちだけだった。
外に出て、観光バスが4台、そこの長野県の観光バスのガイドさんとお喋り。
「長野の、ドコだイネ?」
浜松と言っても、北の外れ、長野県の人とは親近感がある。そんな感じ。
ガイド
「佐久市からです」
そこから会話が広がり、面白い時間を過ごした。
そんな会話が楽しかった。
帰り、車に乗って、一目散に山間部に帰って行った。
せっかく街に出たので、遊んでくるのかと思いきや。
みるもんみたら、はやく水窪に帰りたい。
そんな感じだった。
帰ってきたら
2時半
家でラーメン食って、昼寝した。
ジャンじゃん。
八っ塚実先生の資料館で撮影した書だ。
人は見方によって人それぞれに同じ風景でも感じ方が違う。
10年前の「佐久間・水窪スーパーマラニック」
6時45分集合7時00分、中部天竜駅をスタートだった。
40分に集合場所である、市営駐車場に車で行ったら、すでに多くの人たちが集まっていた。
ある人が
「一番近くの人が、一番遅い、なんたることか」
かな?そんなようなことを言っていた。
わたしも、こんなに早くみんな集まってビックリ、ひらに誤った。
そんなとき、佳江さんは、こうわたしに話した。
「しんしんさんは、いっつも朝早く起きて大会に参加してるだネ~。えらいネ~」
感じ方も人それぞれだ。佳江さんの笑顔に救われた。
そしてみんなで竜頭山を目指した。
みなそれぞれ感じ方が違う。
同じゴールを目指す仲間でもそれぞれの感じ方が違う。
しかし、同じゴールを目指す仲間が増えたことは有り難く感じる。
今まで走ってくることができて良かった。
仲間・家族に感謝です。
浜松縦断
何時のときだろう。
かぢや旅館に宿泊し朝出発するときの写真
佳江さん若い。
たつやま凸凹
にも来てくれた。
下平山の廃校になった小学校の跡でウッチャン、貴ちゃんと一緒になって両手を天に向け広げている。
子どもが通わななくなった小学校に大人が、年に二回だが行くようになった。
思い出の一枚。
下の写真は、峠の国盗りM
近藤さんの娘さんと鍔本さんとの写真
佳江さんが目立つから若いお嬢さんの方から声をかけてくれたんだったネ。
遠山のマラニックのときはまだ幼かった娘さんも大きくなって見違えて分らなかった。
佳江さんが居たから出会うことができた、そのように思っている。
東栄温泉にて写真、明日は
チャレンジ明神山
だったけど、中止にしたから。
2015年の
チャレンジ明神山
は、雨のタメにコース変更
しかし、花祭りを見に行ったネ。
途中の学校廃校跡での御昼ごはんは楽しかった。
雨の日、天気が悪い日も、それなり楽しんだマラニックだった。
名古屋いいとこ2015
これも楽しい思い出。
ピンクの上着が似合っている。
みんな楽しい楽しい思い出。
佳江さんが居たから多くのラン仲間にも出会うことができた。
そのように、ほんとうに思っています。
なかでも、わたしの、お気に入りの写真
は、↓
写真、左側で横目でウッチャンを見ている姿がかわいらしく感じます。
今年の
竜頭山スーパーマラニック
の登山口での写真。
佳江さんの思い出はたくさんたくさんあります。
多くの写真んもあります。
12市町村が合併して、佐久間町が浜松市になり。
ウルトラマラソンを走る仲間とであい。
ウルトラの母といわれる佳江さんと知り合いになれて、わたしの
夢街道90㎞
に多くのラン仲間を誘ってくれたのが佳江さんでした。
笑顔の絶えない、誰ととでも、すぐに打ち解ける、佳江さんと出会うことができたから
今の私がいるのです。
夢街道90㎞コースの
最後の遠山郷のバイパスに入ったところに、今年の
チャレンジマラニックin遠山郷
前日に10月桜を植樹しました。遠山に行ったときの楽しみになりました。
10人のラン友とで植樹に参加、遠山郷として、青崩トンネルが七年後出来上がった時に、花いっぱいの南信州になるようにとの計画だそうです。夢街道90㎞で遠山に桜を見に行こう!とのサブタイトルもできそうです。佳江さんも一緒に行きたかったのに。。。
佳江さん
あなたは太陽のような人です。
おおくの人に笑顔というひかりを与えてくれました。
当たり前のように誰もかも皆に幸せというひかりを振りまいてくれました。
わたしも佳江さんに幸せのひかりを頂きました。
佳江さんに頂いた、そのひかりを夢街道を続けることで、多くに人につないでいこうと思っています。
多くの幸せのひかりを与えてくれた佳江さんに感謝です。
おもしろき
こともなき世を
おもしろく。
長州藩の志士であり、奇兵隊を創設した高杉晋作の辞世の句です。
自分も、自分の人生を面白くするためにと始めたマラニック。
浜松駅から遠山郷までの90㎞
すみなすものは
心なりけり。
死の床にあった高杉晋作、その看病に当たっていた野村望東尼(のむら もとに)が下の句を付けたとされた。
長い距離を走ること。
浜松駅からの90㎞、自分ではおもしろい人生だと思っている。
そのコースには二つの峠がある。
最後の峠は標高1000mある青崩峠を越えて遠山郷に向かう、総距離90㎞の夢ある道程(みちのり)なのである。
おもしろき
こともなき世を
おもしろく。
すみなすものは
心なりけり。
毎年10月、長野県と静岡県の県境兵越峠では、信州軍と遠州軍が「国境」をかけて綱引きで対決する「峠の国盗り綱引き合戦」が行われる。
わたし達ランナーは、遠州軍の応援にと2014年から水窪の「国盗り」駐車場から応援部隊を結成して走って青崩峠を目指し、そこから遊歩道を経て兵越峠の決戦の場を訪れた。
信州軍と遠州軍が「国境」をかけて綱引きで対決する、天下分け目の決戦の舞台だ\(^o^)/エイエイお~
遠州軍は2015年・2016年と連敗し昨年、今年こそはと思ったその日は悪天候のため中止になった。
そして今年の合戦はどうなるのか、っとメンバーを集めて応援に行ってきたのだった。
結果は、遠州軍が勝った。
遠州軍の綱引きメンバーが飛び跳ねて喜んだ。まるで歓喜の舞を舞っているようだった。
そのうち、浜松市市長の胴上げが始まった。
交通の不便な浜松市の最北端(水窪)兵越峠にて浜松市長が宙に舞った。
静岡県浜松市天竜区水窪町から信州に貫く青崩トンネル(仮称)の開通は7年後だそうだ。
浜松市では区割りをどうするのかの問題、市営球場を篠原地区へとの協議も盛んだ。
そんな難問のある市長が宙に舞った。
遠州軍の勝利を確認し、私たちは青崩峠を後にして信州側に遠山郷に向けて峠を下った。
信州の山々が紅葉している。これから信州は冬を迎える。
チャレンジマラニックin遠山郷
のコースにつき、そこコースを下った。
峠を下り切り、遠山郷のバイパスまで行けば、後は国道を平岡駅まで11㎞。
平岡駅に着いたのは15時25分
水窪の「国盗り」を朝の7時に出発、北遠の郷「水窪町」から青崩峠~兵越峠~遠山郷~平岡駅 計約40㎞を8時間25分かけて遊んできた。
楽し面白い「峠の国盗りマラニック」だった。
2014年(平成26年)遠州軍
2015年(平成27年)信州軍
2016年(平成28年)信州軍
2017年(平成29年)悪天候のため中止
2018年(平成30年)遠州軍
青崩れトンネル(仮称)開通まで7年、7年たったこの水窪は信州の遠山郷はどうなっているのだろう。
都会から着た観光客の憩いの場になっているのだろうか。
参考HP
信州遠山郷秘境の旅
NHK大河ドラマ『西郷どん』が面白い。
明治維新、波乱の新政府、しれつな権力闘争、役人たちの贅沢三昧な暮らし。
そんな時代を経て今の時代がある。
士農工商、厳しい掟があり生まれた身分により自分の運命が決まっていた。
そんな時代から自由な時代に変わっていった。
西洋から多くの技術、暮し、考え方が日本に入ってきた。
昭和20年
太平洋戦争があり。
多くの日本人が犠牲になった。
戦前、日本人は行動を起こすときの判断の基準に人として良いか悪いか、で決めていった時があった。
調和を大切にした考え方だった。
戦後、欧米の考え方が浸透して、自分にとって得か損かに変わっていった。
個人主義に変わっていった。
戦争が終わって、戦後の復興には、その考え方は良かったのだろう勤勉な日本人は良く働き日本を世界の新興国へと築き上げた。
今の時代、日本は世界でも長寿国になった。
しかし、良いことばかりではない。
年配者の中で、また先生と呼ばれる人で、尊敬できる人が少なくなったことだ。
先生と呼ばれる、ある人が
「過疎化の問題は、ショウガナイこと」
わたしより年配の、ある人が
「佐久間町の町の議員を選んだアンタらが悪い」
そんなことを平気で言う輩を育てたのは戦後の教育が荒廃してからに他にない。
と思う。
日本人は、本来太古の昔から「調和」という意識を持って生きてきた、これから日本は世界の中心に立って「調和」という考え方を目指していくべきだ。
運がいいとか悪いとか。
今回は運について考えてみよう。
自分は運がいいのか悪いのか?
いいと思う。
また、運は呼び寄せる物だとも思う。
先日の勉強会のときの聞いたこと。
洗面器の水は手前に持ってこようとすれば、遠くに行き。
向こうに押せば、淵に沿って自分に戻ってくる。
マラニックでも、最初は自分が損ばかりしていると思った時期もあった。
が、
何回かやっていると、その時投資したことが帰って来るような気がする。
不思議。と。
むかし、夕張市が353億円もの財政赤字が発覚し財政破綻したとき、静岡新聞で特集を組んでいた時がある。
市の職員が、夕張市で家を建てた人をソンした人とと書いてあった。
家を建てなかったから運がよかった。とも。
果たして夕張市に暮らしている人はソンしている人だろうか?
運が悪い人だろうか?
佐久間町もそうだ。
都会に便利の好い所に引っ越した人は良かったのだろうか?
運がよかったのだろうか?
運が良いとか。悪いとか。人はトキドキ口にするけど。
人は人、自分は自分。
俺は運がよい。
そう思って生きていこうと思う。
半場で暮らしてよかった。
と思った10月24日の夕暮れだった。
もう何回通たのだろうか、森町三倉のムーハウス。
佐久間を朝7時に出発した。
車を走らせると、いつもの瀬尻の迂回路は無い、国道152号線を進むことができる。
信号機が無い、誘導員が居ない。
そんなことを騒いでいたが、「譲り合いありがとう」の気持ちがあれば何事もなく通り過ぎることができた。
9時少し前にムーハウスに到着したてクサリを外し、予習とおもっていたら直ぐに何人か参加者が集まってきた。
今回の修身教授録、第38講 小学校教師の理想、第39講 教育の窮極
森信三先生が
これから小学校の教員になろうと志している師範学校の生徒に向け、言った言葉が書いてある。
「物事というのは理想すなわち最終目標を、あらかじめはっきりとつかんでいないことには、とうてい本当のことはできないものであります」
このほんで森信三先生は、生徒に向かって話している。
いざ、今回の参加者一人ひとりに理想、最終目標を問うてみた。
自分は如何だろう?
理想・最終目標
理想 → 山間部で暮らしていても誇りを持って暮せること。
最終目標 → ココに暮らしてよかったと思って最後を迎えること。
多くの人が、過疎の村で暮していることを憂いている。
そんな現実がある。
宝くじで七億円当たったならば、こんなとこ出ていきたい!そんな話が聞こえる。
理想と現実とは違う。
自分にもし、七億円が多くの金が手に入ったならば、最終目標である思いは叶うことができるだろうか?
それは、わからない。
今やれることを、やらなければいけないことをやるだけ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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S | M | T | W | T | F | S |
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