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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】
[日本の根本精神]
神武天皇が即位式で唱えた世界初の人類平等思想「八紘一宇
『古事記』も『日本書記』も日本の歴史時代の始まりに神武天皇を置いてあります。神武天皇は大和に都を建てて橿原宮で即位されたことになっています。
神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」(六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす)との記述があり、世界の隅々までを一つの家とするのはまたよいことではないか。と言って国家の基本方針を表明した。この「八紘を掩ひて宇と為む」という言葉が後に「八紘一宇」という言葉でまとめられた。
神武天皇が日本にやってきた頃には、いろいろな原住民が住んでいたに違いがありません。日本は世界の東の隅にある島ですから、大陸から逃げてきた部族もいたでしょう。神武天皇はそうした異なる民族や部族を討伐して滅ぼすようなことはしないで、みんなが一つの屋根の下に集まって一緒に政治をすればいいだろうとおっしゃっていたのです。そのために、皇室の神をみんなで尊敬し、・・・・・・。
(後は買って読んでください)
そんな考えが、日本には、日本人の根本の精神には宿っているのだと書いてあります。
八紘一宇の精神に基づいてユダヤ人を救った戦時中の日本人
昭和十年に日本がドイツと手を結んでいた時代、ナチス政権のドイツはユダヤ人の迫害があった。
そんな時代、ドイツは日本に協力を要請したけど、その日本では総理大臣・外務大臣・大蔵大臣・陸軍大臣・海軍大臣が集まって五相会議を開いて検討した結果、その会議の席で板垣征四郎陸軍大臣が「特定の民俗を迫害するということは明治天皇の『八紘一宇』の誠心に反する」と言って反対し、これが他の出席者の賛同を得て、日本はユダヤ人の迫害に加担しないことを決めたのです。
この決定は当時の文明国では例外的なものでした。
人種の差別がアタリマエの時代の話しだったのです。
そんな時代に日本は国の政策として人種差別をしないとはっきり宣言した。と書いてあった。

ユダヤ人たちにビザを支給して助けた外交官の杉原千畝や、満州国へのユダヤ人難民の受け入れに力を尽くした軍人の樋口季一郎のような人たちもいる。
これは、神話の時代にあった2600年前の出来事が昭和の時代に生きていたという例です。日本が神話の時代から地続きであることの一つの証拠になると言っていいでしょう。

渡辺昇一の「少年日本史」

第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】
第一章から二章を読んで心に響いた内容だった。まだまだ、これから話は続く。

神武天皇が即位式で唱えた世界初の人類平等思想「八紘一宇」この考え方が「悪」にも「善」にもなった。考え方の違いで。
人はソレゾレ考え方が違う。話せばわかる。そんなことも無いのかもしれない。その人の考え方を変えることは出来ない。
自分はこうだ、そう思えるように様々な考え方を様々な本でわかるようにする、こと。

渡辺昇一の「少年日本史」を読んだ。
渡辺昇一先生の考え方が少し分った。

渡辺昇一
1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日)は、日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。
2017年4月17日、心不全により死去、享年86
ウィキペディアから

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「日本人にしか見えない虹を見る」
虹は、雨上がりや雨のときに見ることができる。
なぜなら、虹は雨のつぶと関係があるかだ、虹が見えるとき、空にはたくさんの雨つぶがただよっていて、まるで映画のスクリーンのようになっているだ。そして、太陽の光が雨つぶの中ではね返ると、虹ができるのだ。
雨上がりや雨のときに見える、あの綺麗な七色の虹
渡辺昇一先生は歴史を「虹」と例えて若い人たちに日本の歴史を語っている本だった。

序章 日本人にしか見えない虹を見る【歴史の見方】

第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】

第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】

第三章 武士政権の誕生と荒ぶる天皇の逆襲【中世】

第四章 信長・秀吉・家康の時代から江戸幕府の興亡へ【近世】

第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】

第六章 日本の底力を見せた戦後の復興【現代】

この本は上智大名誉教授、渡辺昇一先生が八六歳の時に書いた本です。
渡辺氏が日本史で本人が重要だと考えている出来事を参考文献に頼ることなく、しかも、若い人にわかりやすい様に書いたとされています。
そして渡辺氏本人自身が日本の歴史に虹をみたと感じたことを書いたと語っています。

様々な考え方が、あるかと思いますが。
わたしも、この本を読んで、自分なりに自分が生まれ育った国、日本の虹を少しでも感じることができました。
日本人で生まれて、ほんとうに良かったと感じた本でした。

藤原正彦「国家の品格」を読んだ!!
養老猛司「バカの壁」を読んだ。
百田尚樹「日本国紀」を読んだ。

 


 

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「日本人にしか見えない虹を見る」
虹は、雨上がりや雨のときに見ることができる。
なぜなら、虹は雨のつぶと関係があるかだ、虹が見えるとき、空にはたくさんの雨つぶがただよっていて、まるで映画のスクリーンのようになっているのだ。そして、太陽の光が雨つぶの中ではね返ると、虹ができるのだ。
雨上がりや雨のときに見える、あの綺麗な七色の虹
渡辺昇一先生は歴史を「虹」と例えて若い人たちに日本の歴史を語っている本だった。

序章 日本人にしか見えない虹を見る【歴史の見方】

第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】

第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】

第三章 武士政権の誕生と荒ぶる天皇の逆襲【中世】

第四章 信長・秀吉・家康の時代から江戸幕府の興亡へ【近世】

第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】

第六章 日本の底力を見せた損後の復興【現代】

この本は上智大名誉教授、渡辺昇一先生が八六歳の時に書いた本です。
渡辺氏が日本史で本人が重要だと考えている出来事を参考文献に頼ることなく、しかも、若い人にわかりやすい様に書いたとされています。
そして渡辺氏本人自身が日本の歴史に虹をみたと感じたことを書いたと語っています。

様々な考え方が、あるかと思いますが。
わたしも、この本を読んで、自分なりに自分が生まれ育った国、日本の虹を少しでも感じることができました。
日本人で生まれて、ほんとうに良かったと感じた本でした。

藤原正彦「国家の品格」を読んだ!!
養老猛司「バカの壁」を読んだ。 百田尚樹「日本国紀」を読んだ。

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コップの中に水が入っていて、この中にインクを一滴入れる。
そのインクがやがて消える。
 何故か?
と学生に質問した。
そしたら、ある学生は。
「そういうもんだ。と思っていた」
と、言ったそうだ。


今の人は考えなくなった。
先生のいうことを、黙って納得して聞くイイ子を育てていく教育だと。
養老先生は言っていた。


どうしてだろう?
何故そうなるのだろう?
不思議だ。

そう思って考えていても答えは出ない、その様な事はたくさんある。

そんなとき、人はショウガナイ、そんなもんだ、自分の考えることではない。
と、諦めてしまう。


昔の富士鐵工所、今のフジユニバンス、そんな会社のQCサークルで、如何して何だろうと思ったときは
「何故」「何故」「何故」「何故」「何故」「何故」と考えろと教えてもらった。


様々な本を読み答えを探しても見つからない。


ぼや~っと、灯りは見えてきているような感じはするけど正確な答えは見つからない。

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養老先生の講演で、幼少期の体験が非常に大切なことだと言っていた。


先生の場合は、幼き頃、信州で戦争が終わったと大人に言われ、膝の関節がガクガクしたと話していた。


つい昨日まで、日本は戦争に負けるわけがない、と大人たちが言っていたのに、時代が変わった。突然。


そんな幼いころの延長線上に、今の自分があると。


自分にとって「横吹」の生活は何だったのだろう。


「横吹」での生活が原点だと思う。


あの生活があり、今の生活がある。


今を感謝して、明日を生きる。

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「バカの壁」を読んで養老先生のファンになってしまった。
養老猛司「バカの壁」を読んだ。


ネットで養老先生が長野県岡谷市での講演があったので見てみた(*^^)v

長野県では「学びと自治で築く新時代」と県をあげて県民の学びを進めている。


長野県は面白い県だ。


遠山郷のマラニックの後夜祭で、長野県民が集まって長野県歌をみんなで歌う。
信濃の国、長野県(^^♪

また、中学生のとき地域の山(3000m級)に登る学校行事があるそうだ。
(今は安全のために少なくなったそう)


コップの中に水が入っていて、この中にインクを一滴入れる。
そのインクがやがて消える。
何故か?
と学生に質問した。
そしたら、ある学生は。
「そういうもんだ。と思っていた」
だそうだ。

そこから話が広がっていく。

「バカの壁」養老先生の物を考える視点が面白い。

養老先生は、わたしの親父の世代の人だ。

子供の頃、GHQがきてチョコレートを渡された世代だ。

教科書に炭で黒く塗りつぶされた世代だ。

大人は、なんとかってな人々なんだと思った世代だ。

明治維新のとき、様々な大人の話はあるが、そのとき子供はどの様に思ったか?

そんなことを、話していた。

そのときの子供が、明治の時代を引っ張ってきたと。

終戦のとき、様々な経験をした人が、戦後の復興をしてきた。

小さいときの様々な経験が、人を作っていくのだと。


感覚→運動

五感を使う。

マラニック、これは最高の学びだと、このユーチュウブを見て再確認した!(^^)!

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29歳の春、私は佐久間町に帰ってきた。横吹という斜面集落に暮らし始めた。次の年昭和天皇が崩御し時代は平成へと変わった。
夕張市(ゆうばりし)は、北海道中部空知地方の市である。夕張メロンの産地として知られる。北海道の中央部に位置し、かつては石狩炭田の中心都市として栄えたが、1990年(平成2年)までに全ての炭鉱が閉山した。その後、ヤミ起債が発覚し深刻な財政難となり、2007年(平成19年)3月6日をもって財政再建団体(現在の財政再生団体)に指定された。
ウィキペディアから。
ヤミ起債とは、地方自治体が長期の償還期限を定めた借り入れ契約を総務大臣や都道府県知事の許可を得ずに締結すること。
消滅可能性都市
少子化の進行に伴う人口減少によって、存続が困難になると予測されている自治体。「日本創成会議」人口減少問題検討分科会が、2040年までに全国約1800市町村のうち約半数(896市町村)が消滅する恐れがある、と発表した(14年5月)。10年の国勢調査を基にした試算で、40年時点に20~39歳の女性人口が半減する自治体を「消滅可能性都市」と見なしている。同時点までに人口1万人を切る523の自治体は、とりわけ消滅の危険性が高いという。「日本創成会議」座長・増田寛也が試算・発表したことから、通称「増田レポート」とも呼ばれる。
 都道府県別では、青森・岩手・秋田・山形・島根の5県は8割以上の市町村が該当し、特に秋田県は大潟村を除く全自治体に消滅の危機があるという。人口が多い首都圏も例外ではなく、東京23区では豊島区、神奈川県では三浦市(他8自治体)、大阪市では中央区(他4区)なども「消滅可能性都市」にリストアップされている。なかでも、東京都は女性の出生率が低く、また地方都市の人口減少に伴い若年層の流入も減ることから、急激な高齢化による衰退が指摘されている。
このように「増田レポート」は、具体的な市町村名も発表したため、該当する自治体には大きな衝撃となった。一方、出産適齢期の女性人口の推移による分析で短絡すぎること、11年の東日本大震災をきっかけに進んでいる「ふるさと回帰」「田園回帰」の流れが加味されていないことなどから、推計・解釈自体に問題があるという批判も多い。なお、「消滅可能性都市」は、14年のユーキャン新語・流行語大賞の候補にもなった。
知恵蔵から。
NHKの討論番組があった。世の団塊の世代と団塊ジュニア世代の討論番組だと記憶している。団塊の世代が60歳になって会社で定年を迎えはじめている。世代間によって考え方は違う。団塊ジュニアの人たちは派遣やワーキングプアなど様々な問題がる。
それぞれの世代で激論がバトル、そこを止めて司会者が、ある映像を映し出した。ある夫婦がある会社を定年して豪華客船での船旅に出かけるシーンだった。綺麗なドレスを着てゴージャスな食事、それはそれは優雅なシーンだった。
先ほどの司会者が「この映像を見て、また」団塊ジュニアの人たちから様々な意見があった。そこで団塊世代のある女性が発した言葉が印象的だった。
「われわれは戦後苦労をして、ココまで働いてきた、自分の金で行くのが、なにが悪い!」だった。
みんな唖然としていた。テレビを観ていた自分も唖然とした。
その人の胸の名札には教員と書いてあった。
 わたしの職場に水道工事で来た中学校時代の同級生が言った言葉が忘れられない。
 佐久間中学校の駐車場にある中学校の校長先生の車、ベンツを見て。
「公務員が外車など乗って、公務員は国産車を乗るべきだ、日本の金で生きているのだゾ~」と、目を三角にして私に怒鳴り散らした。
また、佐久間町の時代、佐久間町の役場職員同士の人が結婚した場合、二人とも役場職員ではいられないというルールがあったそうだ。
その規則を守り、役場の人同士が結婚した場合、どちらか一方が職場を去った、そうだ。
その佐久間町が浜松市になり、その職員は「今は浜松市だから、浜松市の何処に暮らそうともかまわない」と言っているそうだ。
その職員は、その昔、わたしの子供が小さなころ、私の家にサンタクロースの格好で子供にプレゼントを持って来てくれたことがある。
佐久間町の役場職員、地域振興課の職員だったのだろうか、若い職員が頑張っているなと感じた。そのときは。今は浜松市の職員として頑張れ、と応援したい。どこに暮らそうともかまわないけど佐久間町で行政職を初めてこたは忘れないでほしいと思った。
言論の自由、日本国憲法は,「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する」と規定している。
日本は自由な国だ、坂の道の雲のオープニングにあるように、明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために、必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、軍人にも、教師にもなることができるのだ。
「坂の上の雲」とは。維新を経て近代国家の仲間入りをしたばかりの「明治日本」と、その明治という時代を生きた「楽天家達」の生涯を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
そのような時代があり、戦争があり戦後の復興があり、今の時代が築き上げられている。その部分を、今の自分達は生きている。令和の時代を歩み始めているのだ。

つづく。

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昨日の夜、第一テレビ「沸騰ワード」その中で
「やぐらドラゴン」なるものをやっていた。
福井県の花火大会
しかし、その花火大会は普通の花火会とは違っていた。
「櫓(やぐら)ドラゴン」とは、コンビニエンスストアなどで市販をされている花火だけを使って、花火師集団の地域の若い人たちが地域を盛り上げるために、毎年創作花火大会を行っているとの話だった。
福井県高浜町、そこで行っている夏のイベント「若狭たかはま漁火想」、その中で最後、その「やぐらドラゴン」は行われるそうだ。
動画↓

全てが手作り「和」とか「絆」
地元の盛り上がりに貢献できたらいいと「やぐらドラゴン」は始まったという。
年長者も若い人たちも高浜を盛り上げようとの、同じ目的に地域の気持ちがまとまったいい例かもしれない。

まとまる
難しい事かも知れない。
人はソレゾレ考え方が違う、最後にその番組で出川哲朗が自身が沸騰ワードだと言う、竹富島の中学校での道徳の授業が面白かった。

出川が中学生に向けて

:「世の中でいちばん大事なものは何か?」

その質問に、ある中学生は「お金」といい、ある中学生は「愛」と言った。
出川の答えは違った。

:「世の中で一番大事なものは・・・・・それは、です」

と、言い切った。

そして、出川哲郎は竹富島の中学生に、それぞれを聞いた。そして竹富島の中学生は答えた。
ある人は学校の先生になる。ある人は保育士になるを話した。

そして出川哲郎は生徒に向かって

:「竹富島は素晴らしい所です、みなさんも、ココ竹富島に育ったことに誇りを持ってください」

と言って、出川哲郎先生の道徳の授業は終わった。

か~。。。。

を見続けることは難しい。

家のトイレに山本よしきサンの日めくり詩集がある。
今日、その詩集には
「悩みばかりを出さないで、わたしを箱から出してください。わたしの名前は希望です。どんな悩みも苦しみも、わたしがいれば耐えられます。ギリシャ神話のパンドラの箱、 最後に残ったわたしを出してください」

そんなことが書いてあった。

わたしにとっての希望、それは目の前にある。
のかもしれない。

第一テレビ「沸騰ワード」、思い出して書いたので違うところはあるかもしれません。
スイマセン。
しんしん

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丸子宿は日本橋から20番目の宿場であり、小さな宿場として知られる。
去年、四月に藤枝駅から駿府公園まで走り、その小さな宿場町に魅せられた。
 藤枝駅~駿府公園 24.5km 
丸子と書いて「まりこ」と読むこともなんかイイ。

今年の夏は、丸子郵便から残暑見舞いを仲間に送った。
風景印を押して。


若い男性の局員さんが丁寧に応対してくれた。
100枚、かもめ~る。
後は、そこの郵便局で切手を買った。

私「スイマセンが、風景印を押して送ってくれますか?」

若「・・・」

若「印が住所にかかるかもしれませんが」

私「よいよい、マニアではないから、想いが伝わればイイ」

若「承知しました、押して送ります」

私「お願いします」

風景印マニアは、田舎などで利用客が少なくなり辞めていく郵便局の風景印を押してほしいと来るそうだ。
そのとき、こと細かく、切手には何ミリとか文字にかからないようにとか、細かく言ってくるそうだ。
もうこの風景印は押してもらうことは出来なくなる貴重な風景印、しかし、サービスで郵便局がやっている風景印、あまり細かいのも、なんだかナ~。と思う。
また、田舎の郵便局も、そんな風景印を田舎の郵便局のアピールにと考えていくのがイイのではないかと思った。

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昨日、17時予約の新城の歯医者に行った。


三遠南信道路を通れば一時間もあれば佐久間から新城の歯医者までは行くことができる。


治療が終わり、細君にLINEで聞いた見た。


「河川内仮設道路は如何?」


「18時から通行止めだよ」


「了解しました。浜北を回ります」


新東名の新城インターチェンジ~浜北インターチェンジまで車を走らせた。


わたしのツーシターのスポーツカーのエンジンがうなる。


人はこのスポーツカーを軽トラと言う。


新城~浜北まで760円


家に着いたのが20時30分


原田橋崩壊事故 中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/tokai-news/CK2018013002000099.html
2018年1月30日 朝刊

 

「原田橋」河川内仮設道路、この道を毎日利用しなければ職場に行くことができない人がいる。

 

新々原田橋、完成は来年の三月だと言う。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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