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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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「日本人にしか見えない虹を見る」
虹は、雨上がりや雨のときに見ることができる。
なぜなら、虹は雨のつぶと関係があるかだ、虹が見えるとき、空にはたくさんの雨つぶがただよっていて、まるで映画のスクリーンのようになっているのだ。そして、太陽の光が雨つぶの中ではね返ると、虹ができるのだ。
雨上がりや雨のときに見える、あの綺麗な七色の虹
渡辺昇一先生は歴史を「虹」と例えて若い人たちに日本の歴史を語っている本だった。

序章 日本人にしか見えない虹を見る【歴史の見方】

第一章 神話と歴史が地続きになっている国【神代・古代】

第二章 遠い先祖たちが生きてきた古代日本【古代】

第三章 武士政権の誕生と荒ぶる天皇の逆襲【中世】

第四章 信長・秀吉・家康の時代から江戸幕府の興亡へ【近世】

第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】

第六章 日本の底力を見せた損後の復興【現代】

この本は上智大名誉教授、渡辺昇一先生が八六歳の時に書いた本です。
渡辺氏が日本史で本人が重要だと考えている出来事を参考文献に頼ることなく、しかも、若い人にわかりやすい様に書いたとされています。
そして渡辺氏本人自身が日本の歴史に虹をみたと感じたことを書いたと語っています。

様々な考え方が、あるかと思いますが。
わたしも、この本を読んで、自分なりに自分が生まれ育った国、日本の虹を少しでも感じることができました。
日本人で生まれて、ほんとうに良かったと感じた本でした。

藤原正彦「国家の品格」を読んだ!!
養老猛司「バカの壁」を読んだ。 百田尚樹「日本国紀」を読んだ。

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コップの中に水が入っていて、この中にインクを一滴入れる。
そのインクがやがて消える。
 何故か?
と学生に質問した。
そしたら、ある学生は。
「そういうもんだ。と思っていた」
と、言ったそうだ。


今の人は考えなくなった。
先生のいうことを、黙って納得して聞くイイ子を育てていく教育だと。
養老先生は言っていた。


どうしてだろう?
何故そうなるのだろう?
不思議だ。

そう思って考えていても答えは出ない、その様な事はたくさんある。

そんなとき、人はショウガナイ、そんなもんだ、自分の考えることではない。
と、諦めてしまう。


昔の富士鐵工所、今のフジユニバンス、そんな会社のQCサークルで、如何して何だろうと思ったときは
「何故」「何故」「何故」「何故」「何故」「何故」と考えろと教えてもらった。


様々な本を読み答えを探しても見つからない。


ぼや~っと、灯りは見えてきているような感じはするけど正確な答えは見つからない。

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養老先生の講演で、幼少期の体験が非常に大切なことだと言っていた。


先生の場合は、幼き頃、信州で戦争が終わったと大人に言われ、膝の関節がガクガクしたと話していた。


つい昨日まで、日本は戦争に負けるわけがない、と大人たちが言っていたのに、時代が変わった。突然。


そんな幼いころの延長線上に、今の自分があると。


自分にとって「横吹」の生活は何だったのだろう。


「横吹」での生活が原点だと思う。


あの生活があり、今の生活がある。


今を感謝して、明日を生きる。

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「バカの壁」を読んで養老先生のファンになってしまった。
養老猛司「バカの壁」を読んだ。


ネットで養老先生が長野県岡谷市での講演があったので見てみた(*^^)v

長野県では「学びと自治で築く新時代」と県をあげて県民の学びを進めている。


長野県は面白い県だ。


遠山郷のマラニックの後夜祭で、長野県民が集まって長野県歌をみんなで歌う。
信濃の国、長野県(^^♪

また、中学生のとき地域の山(3000m級)に登る学校行事があるそうだ。
(今は安全のために少なくなったそう)


コップの中に水が入っていて、この中にインクを一滴入れる。
そのインクがやがて消える。
何故か?
と学生に質問した。
そしたら、ある学生は。
「そういうもんだ。と思っていた」
だそうだ。

そこから話が広がっていく。

「バカの壁」養老先生の物を考える視点が面白い。

養老先生は、わたしの親父の世代の人だ。

子供の頃、GHQがきてチョコレートを渡された世代だ。

教科書に炭で黒く塗りつぶされた世代だ。

大人は、なんとかってな人々なんだと思った世代だ。

明治維新のとき、様々な大人の話はあるが、そのとき子供はどの様に思ったか?

そんなことを、話していた。

そのときの子供が、明治の時代を引っ張ってきたと。

終戦のとき、様々な経験をした人が、戦後の復興をしてきた。

小さいときの様々な経験が、人を作っていくのだと。


感覚→運動

五感を使う。

マラニック、これは最高の学びだと、このユーチュウブを見て再確認した!(^^)!

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29歳の春、私は佐久間町に帰ってきた。横吹という斜面集落に暮らし始めた。次の年昭和天皇が崩御し時代は平成へと変わった。
夕張市(ゆうばりし)は、北海道中部空知地方の市である。夕張メロンの産地として知られる。北海道の中央部に位置し、かつては石狩炭田の中心都市として栄えたが、1990年(平成2年)までに全ての炭鉱が閉山した。その後、ヤミ起債が発覚し深刻な財政難となり、2007年(平成19年)3月6日をもって財政再建団体(現在の財政再生団体)に指定された。
ウィキペディアから。
ヤミ起債とは、地方自治体が長期の償還期限を定めた借り入れ契約を総務大臣や都道府県知事の許可を得ずに締結すること。
消滅可能性都市
少子化の進行に伴う人口減少によって、存続が困難になると予測されている自治体。「日本創成会議」人口減少問題検討分科会が、2040年までに全国約1800市町村のうち約半数(896市町村)が消滅する恐れがある、と発表した(14年5月)。10年の国勢調査を基にした試算で、40年時点に20~39歳の女性人口が半減する自治体を「消滅可能性都市」と見なしている。同時点までに人口1万人を切る523の自治体は、とりわけ消滅の危険性が高いという。「日本創成会議」座長・増田寛也が試算・発表したことから、通称「増田レポート」とも呼ばれる。
 都道府県別では、青森・岩手・秋田・山形・島根の5県は8割以上の市町村が該当し、特に秋田県は大潟村を除く全自治体に消滅の危機があるという。人口が多い首都圏も例外ではなく、東京23区では豊島区、神奈川県では三浦市(他8自治体)、大阪市では中央区(他4区)なども「消滅可能性都市」にリストアップされている。なかでも、東京都は女性の出生率が低く、また地方都市の人口減少に伴い若年層の流入も減ることから、急激な高齢化による衰退が指摘されている。
このように「増田レポート」は、具体的な市町村名も発表したため、該当する自治体には大きな衝撃となった。一方、出産適齢期の女性人口の推移による分析で短絡すぎること、11年の東日本大震災をきっかけに進んでいる「ふるさと回帰」「田園回帰」の流れが加味されていないことなどから、推計・解釈自体に問題があるという批判も多い。なお、「消滅可能性都市」は、14年のユーキャン新語・流行語大賞の候補にもなった。
知恵蔵から。
NHKの討論番組があった。世の団塊の世代と団塊ジュニア世代の討論番組だと記憶している。団塊の世代が60歳になって会社で定年を迎えはじめている。世代間によって考え方は違う。団塊ジュニアの人たちは派遣やワーキングプアなど様々な問題がる。
それぞれの世代で激論がバトル、そこを止めて司会者が、ある映像を映し出した。ある夫婦がある会社を定年して豪華客船での船旅に出かけるシーンだった。綺麗なドレスを着てゴージャスな食事、それはそれは優雅なシーンだった。
先ほどの司会者が「この映像を見て、また」団塊ジュニアの人たちから様々な意見があった。そこで団塊世代のある女性が発した言葉が印象的だった。
「われわれは戦後苦労をして、ココまで働いてきた、自分の金で行くのが、なにが悪い!」だった。
みんな唖然としていた。テレビを観ていた自分も唖然とした。
その人の胸の名札には教員と書いてあった。
 わたしの職場に水道工事で来た中学校時代の同級生が言った言葉が忘れられない。
 佐久間中学校の駐車場にある中学校の校長先生の車、ベンツを見て。
「公務員が外車など乗って、公務員は国産車を乗るべきだ、日本の金で生きているのだゾ~」と、目を三角にして私に怒鳴り散らした。
また、佐久間町の時代、佐久間町の役場職員同士の人が結婚した場合、二人とも役場職員ではいられないというルールがあったそうだ。
その規則を守り、役場の人同士が結婚した場合、どちらか一方が職場を去った、そうだ。
その佐久間町が浜松市になり、その職員は「今は浜松市だから、浜松市の何処に暮らそうともかまわない」と言っているそうだ。
その職員は、その昔、わたしの子供が小さなころ、私の家にサンタクロースの格好で子供にプレゼントを持って来てくれたことがある。
佐久間町の役場職員、地域振興課の職員だったのだろうか、若い職員が頑張っているなと感じた。そのときは。今は浜松市の職員として頑張れ、と応援したい。どこに暮らそうともかまわないけど佐久間町で行政職を初めてこたは忘れないでほしいと思った。
言論の自由、日本国憲法は,「集会,結社及び言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保障する」と規定している。
日本は自由な国だ、坂の道の雲のオープニングにあるように、明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために、必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、軍人にも、教師にもなることができるのだ。
「坂の上の雲」とは。維新を経て近代国家の仲間入りをしたばかりの「明治日本」と、その明治という時代を生きた「楽天家達」の生涯を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
そのような時代があり、戦争があり戦後の復興があり、今の時代が築き上げられている。その部分を、今の自分達は生きている。令和の時代を歩み始めているのだ。

つづく。

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昨日の夜、第一テレビ「沸騰ワード」その中で
「やぐらドラゴン」なるものをやっていた。
福井県の花火大会
しかし、その花火大会は普通の花火会とは違っていた。
「櫓(やぐら)ドラゴン」とは、コンビニエンスストアなどで市販をされている花火だけを使って、花火師集団の地域の若い人たちが地域を盛り上げるために、毎年創作花火大会を行っているとの話だった。
福井県高浜町、そこで行っている夏のイベント「若狭たかはま漁火想」、その中で最後、その「やぐらドラゴン」は行われるそうだ。
動画↓

全てが手作り「和」とか「絆」
地元の盛り上がりに貢献できたらいいと「やぐらドラゴン」は始まったという。
年長者も若い人たちも高浜を盛り上げようとの、同じ目的に地域の気持ちがまとまったいい例かもしれない。

まとまる
難しい事かも知れない。
人はソレゾレ考え方が違う、最後にその番組で出川哲朗が自身が沸騰ワードだと言う、竹富島の中学校での道徳の授業が面白かった。

出川が中学生に向けて

:「世の中でいちばん大事なものは何か?」

その質問に、ある中学生は「お金」といい、ある中学生は「愛」と言った。
出川の答えは違った。

:「世の中で一番大事なものは・・・・・それは、です」

と、言い切った。

そして、出川哲郎は竹富島の中学生に、それぞれを聞いた。そして竹富島の中学生は答えた。
ある人は学校の先生になる。ある人は保育士になるを話した。

そして出川哲郎は生徒に向かって

:「竹富島は素晴らしい所です、みなさんも、ココ竹富島に育ったことに誇りを持ってください」

と言って、出川哲郎先生の道徳の授業は終わった。

か~。。。。

を見続けることは難しい。

家のトイレに山本よしきサンの日めくり詩集がある。
今日、その詩集には
「悩みばかりを出さないで、わたしを箱から出してください。わたしの名前は希望です。どんな悩みも苦しみも、わたしがいれば耐えられます。ギリシャ神話のパンドラの箱、 最後に残ったわたしを出してください」

そんなことが書いてあった。

わたしにとっての希望、それは目の前にある。
のかもしれない。

第一テレビ「沸騰ワード」、思い出して書いたので違うところはあるかもしれません。
スイマセン。
しんしん

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丸子宿は日本橋から20番目の宿場であり、小さな宿場として知られる。
去年、四月に藤枝駅から駿府公園まで走り、その小さな宿場町に魅せられた。
 藤枝駅~駿府公園 24.5km 
丸子と書いて「まりこ」と読むこともなんかイイ。

今年の夏は、丸子郵便から残暑見舞いを仲間に送った。
風景印を押して。


若い男性の局員さんが丁寧に応対してくれた。
100枚、かもめ~る。
後は、そこの郵便局で切手を買った。

私「スイマセンが、風景印を押して送ってくれますか?」

若「・・・」

若「印が住所にかかるかもしれませんが」

私「よいよい、マニアではないから、想いが伝わればイイ」

若「承知しました、押して送ります」

私「お願いします」

風景印マニアは、田舎などで利用客が少なくなり辞めていく郵便局の風景印を押してほしいと来るそうだ。
そのとき、こと細かく、切手には何ミリとか文字にかからないようにとか、細かく言ってくるそうだ。
もうこの風景印は押してもらうことは出来なくなる貴重な風景印、しかし、サービスで郵便局がやっている風景印、あまり細かいのも、なんだかナ~。と思う。
また、田舎の郵便局も、そんな風景印を田舎の郵便局のアピールにと考えていくのがイイのではないかと思った。

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昨日、17時予約の新城の歯医者に行った。


三遠南信道路を通れば一時間もあれば佐久間から新城の歯医者までは行くことができる。


治療が終わり、細君にLINEで聞いた見た。


「河川内仮設道路は如何?」


「18時から通行止めだよ」


「了解しました。浜北を回ります」


新東名の新城インターチェンジ~浜北インターチェンジまで車を走らせた。


わたしのツーシターのスポーツカーのエンジンがうなる。


人はこのスポーツカーを軽トラと言う。


新城~浜北まで760円


家に着いたのが20時30分


原田橋崩壊事故 中日新聞
https://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/tokai-news/CK2018013002000099.html
2018年1月30日 朝刊

 

「原田橋」河川内仮設道路、この道を毎日利用しなければ職場に行くことができない人がいる。

 

新々原田橋、完成は来年の三月だと言う。

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何のために今それをやるのか?




2014年
第4回浜松縦断マラニックのスタート地点で中日新聞の女性記者が取材に来た、「何のためにそんなことやるのですか?」「地域おこしのためですか?」
矢継ぎ早にでた質問に答えを考えた。




走ることが好きだし。こんなことが地域のためになるなら、それも良い。と。
そのときは考えた。



あれから5年の歳月げ流れ、今年同じ「道」を走り考えた。

 

武道、剣道、柔道、茶道、華道などで使われる「道」

「道」という漢字は、「首」と「しんにゅう」で出来ている。

 

首は人間を表し、「しんにゅう」は往来を表す。

 

剣道、柔道、合気道、空手道にしても、単に技術を磨くだけでなく、人としての成長をめざす、それが「道」という一言に表現されているのだ。

 

浜松縦断マラニック
14年前から走った「道」自分はそのときよりいくらか成長したのではないかと感じる。

 


成長とは、一匹の芋虫が葉っぱをムシャムシャ食べ倍の大きなになることではない。




 一匹の芋虫が蛹になり、やがて蝶になって舞い上がり、大空に羽ばたくことだ。

 

人間っでいえば、物事を自分本位でみるのではなく、俯瞰してみる。羽ばたく羽をもち大空から見下ろすような。物事の細部にとらわれず、大きく全体を把握するという。そんな考えが必要だと思う。

 

利己的な考えがアタリマエとして通じる世の中、そんな時代だからこそ、浜松縦断・夢街道、こらからも続けていこうと思っている。


浜松市を隅から隅まで走って得ることは大きい。。。

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別荘から車で西渡まで送ってもらい。
浜松縦断マラニック2019復路の部は、西渡バス停、ココをスタートとした。
ヒロボーさんと二人で浜松駅を目指した。
大輪まで行き、秋葉ダムの東線を歩く、所々に「秋葉神社奥の院例祭」の案内がある。
分かれ道があり、どちらに行こうか悩む。「秋葉神社奥の院例祭」は行ったことがないので一回はみたいと思っている。
が、どこまで遠いか分らない?
二人で協議の結果、行こう。寄り道もいいのではないか。そんな決断で「秋葉神社奥の院例祭」に行こうとなった。
が、上平山までの上りは激しく遠い。それでも鉄塔近くまで来ると眼下に天竜川が雄大に流れ、その天竜川を挟んで山々が折り重なるように信州に向けて連なっている。
右の上には竜頭山がそびえている。
まさに絶景である。今風にいえばインスタ映えしそうな景色である。
上平山に登りきり、「秋葉神社奥の院例祭」の矢印を左折、ココからは初めての道だ。これからどのくらいあるのだろうか?知らないことは気楽なことだ。
しばらく行くと、上平山小学校址に出る。噂では聞いていた。上平山小学校は壊してから太陽光発電施設ができたと。ココが上平山小学校があったところか~。
あの人も、この人も、この道を小学校の頃、歩いて毎日通っていたのだナ~。。。。

まっあ、後少しだろう。
そう考えていたのが、それから結構あるのだ。車も多く登っていく。参拝者だろう。
道路が悪路になり、また舗装に変わったり。車が道路わきに駐車してある。そこからは遊歩道、川のせせらぎを聴きながら歩く。自然の中に様々な展示をしてある。書だったり絵画だったり。
「秋葉神社奥の院例祭」その場所に着くと、修験道の行者の法螺貝が森林の中で鳴り響いた。
ぶぉ~~。。。
案内の人に、上に行くと修行の滝があると言われ登っていく。
一人の作務衣姿の僧が居た。
何とも言えない雰囲気、森林浴と滝の水の落ちる音に身体全体が癒されていくのを感じた。

地元の人は居ないと聞いていたが、地元の人に良く出会った。
西浦の人、水窪の人、切開の人、上平山の人、(元)大滝の人、(元)浦川の人、あれ観たことがある人が、君チャンだ!
ヒロボーさんは地元の同級生が居たと言っていた。
ヒョンナところで、ヒョンナ出逢い。
縁があるのだナ~。。。。

来た人みんなに般若心経のコピーが配られ、みんなで唱えた。
秋葉神社奥の院、修験道の行者が如何して般若心経?と思ったが。
神仏分離【しんぶつぶんり】
神仏習合をやめ、神道と仏教との区別を明確にしようとする、明治初期における維新政府の宗教政策。神道国教化の方針から、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動の激化を招いた。
コトバンクから

様々な歴史の流れを感じる、今回の「秋葉神社奥の院例祭」だった。
終わって、流しそうめんを頂いて、お茶をいっぷく頂いて、山を下りた。
君ちゃん夫妻に瀬尻まで送ってもらう。ラッキ~。。。。
瀬尻を13時33分、まだ時間があるのでドラゴンママでと思ったが長期休業中だった。ガッカし。
近くの酒屋も今は無い。ドラゴンママのメンバーの人の家から声をかけられる。
「スイマセンね~」
20分休憩後、バスが瀬尻に現れた。
このバスは、9月いっぱいで終わりだそうだ。
採算が合わないと、遠鉄グループは手を引いた。
その後を、水窪タクシーは引き継ぐそうだ。
この前、地元の観覧版でその旨を伝える挨拶があった。
地元の企業が北遠バスを引き継ぐ。地元の人は、なるべく利用した方がイイ。
無くなってからでは、再生は難しいのだから。
北遠バス、乗客は10人ぐらいいただろうか、予想していたよりも乗っていた気がする。
瀬尻から西鹿島まで690円
この値段は、瀬尻付近から、上がらない。
瀬尻~西鹿島でも水窪から西鹿島でも690円
自分は5千円札と一万円札しかなかった。
ヒロボー氏に千円貸してと言った。
小銭が1380円あるから、と出してもらった。
西鹿島駅前で(泡)そんな提案も出たが、遠鉄電車で新浜松駅を目指した。
もうすぐゴールだ。
新浜松駅で改札を抜け、外に出たら。なぬ、なにやら賑やかい。
「浜松クラフトビールフェス2019」
http://hama2.jp/archives/1075512105.html
こんなんやっていた(爆)

この場所では、昔「山フェス」をやったことのある場所だ。
今回は生ビール
200円券10枚綴りを二枚い購入。
ヒロボーさんと散策、腹が減ったので私は食べ物を買ってくる。
ヒロボーさんに場所を取っていてくださいと頼む。
フードコーナーは会場の隅っこ横断歩道を渡ってずっと向こう。
人人人人の列。人は楽しい所に集まる。
二枚では足らないのでもう一枚購入。このやり方は上手いやり方だと思った。
楽しければ人の財布は開く。
生ビールで話が盛り上がり、隣りの外国人の人と意気投合。
チリから来た女性のホットパンツが眩しい(笑)
男性はカナダ人、ドイツ人だそうだ。
カンパ―イ。人類みな兄弟。。。
「あ~私たちはマラソンランナー」Tシャツの背中を見せ「ほくえんにも遊びにきてください」
と言った。伝わっただろうか?
また、わたしの子供世代の人とも交流。男の人は肴町でステーキハウスを経営しているそうだ。
FBで繋がった。
話しは盛り上がってきたけど、帰る時間が心配だ。
はやくゴールしないと。
ヒロボーさんと二人浜松駅に行き、ゴール写真。二人握手をして別れた。
私は駅改札へ、ヒロボーさんは盛り場へ。

電車に揺られ、豊橋駅、待ち時間に壺屋、お土産を買って、飯田線中部天竜止まりに乗り込む。
後は電車が連れて行ってくれる。
中部天竜駅に21時31分に到着、家まで歩く。
門灯が点いていない。家の明かりが無い。リックから鍵を取り出し家に入る。
ソット中に入る。そっと。
仏様に御土産を供え、無事に終わったマラニックを感謝した。
風呂に入り、汗を流し、自分の布団で就寝、自分の布団はイイ、なんといってもイイ。
浜松縦断マラニック2019
無事に終わった。
14回目
10年、偉大なり。20年、恐るべし。30年、歴史になる。50年、神の如し。  続けることの大切さを説いた中国の格言。

万物流転 情報不全
【万物流転】・この世にあるあらゆるものは、絶え間なく変化してやまないということ。
【情報不変自分な出した情報は不全である事、情報は変わらない。こと。
万物流転 情報不変
私は、この言葉に出会ってブログを書くことの意味を、少し分ったような気がする、のです。
byしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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