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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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令和2年今年で8回目となる、このマラニック、ウッチャンが来てくれて楽しく走ることができた(^O^)/

はじめ、下のようなコースをと考えていたが
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=9a603a9edbab0f2a4cb277649bd0f689

龍山のやすらぎの湯~小川往復約19,6㎞

雨模様のため、コース変更
急遽「秋葉神社に登りましょう」とウッチャンに相談した。

何時もの凸凹のコースを逆から、やすらぎの湯から下平山を目指した。
すると、雨がミゾレになり、ミゾレが雪になってきた。

高度を上げると、その雪は積もりラッセル状態(≧▽≦)

ところが、スーパー林道に出て秋葉山側に行くと、雪もなく参拝者も多くいた。

秋葉神社に参拝して、食堂で山菜ウドンを食べ、下山して、やすらぎの湯にゴール。

8時17分スタート、15時17分ゴール 29,8km
ウッチャン、ありがとうございました(^O^)/

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山本 周五郎(1903年(明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年) 2月14日)日本の小説家。
この人の言葉を知った。
人生とは?
『人間の真価は、彼が死んだ時、何を為したかではなく、何を為そうとしたかである。』

今日はオンデマンドで、その山本周五郎「さぶ」を観た。
幼いころ両親を失って天涯孤独の栄二、愚図でのろまなサブ、二人は支えあって表具屋の仕事に精を出す。
そんな栄二が、罪をきせられ人足置場に流される。人を信じられなくなり心を閉ざしていく栄二、お金の力で自分の心を売る役人、女を女郎屋に売り飛ばした男が、女を助けるために死んだ、人の心に何かを感じた。

「サブ駆けようぜ」

いくら頭の良い奴だって、自分の背中を見ることはできないんだ。

山本周五郎「さぶ」
人の数だけ人生があり、人の数だけ幸せがある。
いい作品を見た。

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佐久間から一人で浜松市内に行く時の昼食は何時も五味八珍だ。

浜松で、ラーメンや浜松ギョーザで有名な五味八珍、コスパがよくて美味しいラーメンを食べたくてよっている。

昨日火曜日だというのに満員だった。

ランチメニューが安い。

ご飯おかわり自由。


五味八珍

珍→尊く珍しいこと。

珍で検索してみた。

群馬県の珍宝館の関係のページが気になった(笑)

【もはや18禁】群馬の珍宝館が下ネタのオンパレードだった

食事をして、プレ葉で用を済ませ、帰りはブックオフで中古の本を6冊買った。

「頑張ってもうまくいかなかった夜に読む本」
「池上彰の「日本の教育」がわかる本」
「松下幸之助元気と勇気がわいてくる話」
「感動する脳」
「人は誰でも作家になれる」
「バカの壁」
計654円

五味八珍のランチ、ご飯おかわり自由、私は二杯食べるのが丁度良いと思っている。

ホール係の人が忙しそうにしている、タイミングを見て声をかけた。

声をかけた人と、持ってくる人が違っていた。

そのホール係の人が、ご飯の量を

「そのくらいで良いですか?」

「また声かけてくださいネ」

と言ってくれた。

五味八珍、とってもいいお店だ。

味もスタッフも。

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昨日、還暦同窓会の往復ハガキを佐久間郵便局に出した。
佐久間町は、その昔佐久間ダムで栄えた町だ。
当時は多くの人がいた町だけど、浜松に合併してからというもの衰退の一途だ。
遠くに暮らす同級生たちに佐久間からの風を感じてほしい為、郵便局員に風景印を押しての発送をお願いした。
心よく応じてくれた佐久間郵便局の人、田舎ならではの対応だ、有り難かった。
そして、その往復はがきを見て、-往信用-・-返信用-の印刷が無いのに気づき、なにやら相談していた。
どうも、その印刷が無いと、往復ハガキとは認識しないそうだ。ヤバイと思った。「家に帰って書いてきます」と謝った。
ところが、その局員の人が「いいですョコッチで暇な時に書いておきます」と、な、なな何と、アリガタイ対応。
感謝!感謝!感謝です~。。。

佐久間町が浜松市に合併する少し前、私の暮す地区に役場の職員が着て合併の経緯を説明に来た。
本当は天竜以北での合併を臨んでいたけど、人々の恋愛を例にとり「いくらコッチが好きだと言っても相手がイヤなら恋愛は成立しません、そんなとき浜松市から強烈なラブコールが来たのです」と。
また、静岡市に合併した井川地区を例にとり「佐久間町もイヅレこうなるでしょう」とも言っていた。

暗い気持ちで佐久間病院の後ろを歩いていると、佐久間中学校時代同級生「キンパン」に出会い、中学校の同窓会をやらないか?との話になり、始まった佐久間中学校75同窓会だ。
悲しんではいられない、地元の同級生たちと様々な話し合いで第一回の同窓会を浦川の清流荘でやった。
第一回のときに作った掲示板↓↓↓
https://320.teacup.com/tsutomu/bbs

45歳50歳と清流荘でやったけど、地元の人が浜松の街中でやりたい人が多かった(涙)
55歳のときは浜松市の街中での開催となった\(^o^)/

そして60歳、還暦での同窓会は浜松のクラウンパレスでやる。
あの日があるから今がある、あんなことがあったから、こんな現在があるのだ。
いろいろなことがあったけど、楽しく酒飲んでパットやしましょう(^O^)/

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生中二杯にハイボール。先日の湖西連峰トレイルラン2020、走り終わってからの新年会、その二次会での記憶(笑)
二次会の会場は豊橋駅前「魚民」、まばゆいばかりの美ジョガーが隣に座りマラソンのベストを訪ねると三時間前半で走る走力の持ち主、話が盛り上がってきたが、多くの先輩方に「飯田線に乗り遅れたら大変だ!大丈夫~?」と心配され、泣く泣くその席を後にした。。。。
飯田線(豊橋20路42分発)水窪行きの電車に飛び乗った。
最終は中部天竜止まり、豊橋駅を21時50分、中部天竜には23時43分着、流石にこれだと次の日の仕事に差し支える。

永遠なのか、本当か~♪時の流れは続くのか~♪
湖西連峰トレイルラン2020、今年で12回目だそうだ。私はこの大会を12回参加している。
朝早く起き、着替えをして最寄りの公共交通機関中部天竜駅から始発の電車で二川駅に向かった。
浜松市の最北端の網走番外地の様な僻地だけど、このような電車が走っていることに感謝して飯田線に乗車した。
スマホの電源を切り持っていった、ありがとうを十万回唱えたらガンが消えてしまいました!という工藤房美さんの本「遺伝子スイッチ・オンの奇跡」を読みだした。

二川駅でトイレによって、スッキリして外に出ると下さんがいた。サクラさんもいた。
三人で岩屋緑地公園に行くと知り合いのスタッフたちが所狭しと準備に忙しそうだった。
走っている仲間も、この日は地元を盛り上げようとスタッフとして働いている。

私、ゼッケン8番第一ウェーブでのスタート、なんか得した気分、9時30分のクラッカーの合図とともに走り出した。
前の方ならんでいたものの、抜かれるわ抜けれる、アッというっ間に第一ウェーブの最後尾、山道に入ったころは次のウェーブの人たちが押し寄せてきた。
山の登坂では躊躇なく歩く。このままで最後まで走れるのか、心配だった。
多米峠からのショートカットも考えた。
しかし、身体が温まったら身分もハイになり、後ろから来た友さんにも励まされ勇気がわいてきた。

多米峠カレーエイドにヤット着いた。カレー大盛りを注文!
これからの山道も考えずに大盛りのカレーに挑戦した、泡もちょうだいした(笑)
少々満腹状態、ゲップ。
友さんを追いか林道を走る。こんな状態で走って良いのか?ゲップ、ゲップ。。。
走れることにカレー食べれることに感謝して走った。

林道を走り山道に入り、歩く。後ろには走りたい人が着いてくる、先を譲る。そんな繰り返し。
しばらくしたら、若い女の子が後ろを「お先に」と声をかけるが道が分らないと、「着いていきます」と、話すと蒲郡から来たそうだ。仲間は後ろにいるそうだ。
それでも、あまりにもヨレヨレすぎて、その女の子はオッサンたちの前に行った。
その姿を目で追うと、短パンに生の足が光り輝いて見えた。オッサンの目には眩しかった。
友さんと「今回も湖西連峰走って良かったネ」とお互い納得した(笑)

お汁粉エイドは本坂峠、旧本坂トンネルの近くだ、この峠には怪現象・心霊スポットで有名だった。遠い昔には様々な事があったのだろう。悲しい過去も。
しかし、令和の時代、世の中は確実に変わった、生足のうら若き女の子が腰に手を当て美味しそうに缶ビールをグビグビしておった(笑)
後は同じ道を帰るだけ、廃寺跡から宴会場がある石巻山を目指す。林道走りが心配などと言っていた人が、ピューっと先にいって行ってしまった。
急な坂道で、さっきまで一緒に走っていた人たちの姿が見えなくなった。

一人孤独にゴールを目指した。
感謝・感謝・感謝
ありがとう・ありがとう・ありがとう
59年間、生きてこれて感謝です~。

何時まで経っても変わらない♪そんな事あるだろうか~♪
年齢を重ねると体力の衰えは必ずある。
昨日の自分と今日の自分、変わらないように見えて変わっているのです。

佐久間町が浜松市に合併したころ佐久間中学校の同窓会をした。
私たち45歳の頃

当時、お互い年くったな~っと思ったが、今見ると若かったナ~っと感じる。

世の中の幸不幸は、その人がその本人が感じていること。

飯田線の電車の中で読んだ本「遺伝子のスイッチ・オンの奇跡」に、こんなことが書いてあった。
ガンになり余命一ヶ月と言われた著者は病院の先生に療養計画書を渡されたそうだ。
そのことを疑問に思った著者は自分の人生なのだから自分で人生の計画を立てたといいます。
事細かく10年後までの自分の人生の計画を書いた計画書を書いて担当の先生に持って行ったと書いてありました。

そしたら、なんと、計画通りに事は進み、余命一ヶ月と主治医に言われてた著者が10年間ガンの再発もなく今こうして生きているそうだ。

今回の湖西連峰トレイルラン、主催者の萩田さんが良く言います。
年の初めに一年間の計画を立てる。計画を立てればその通りにことは進む。
その計画を遂行するよう、自分なりに考える、と。

今年の私なりの計画は、5月の還暦同窓会、6月の夢街道90㎞
夢街道は今年で10回目となる。

情熱の真っ赤な薔薇を~♪胸に咲かせよう~♪
ほろ酔いで飯田線にゆられ、車掌に起こされて、中部天竜で下車して、千鳥足で家路に着いた。
走れることに感謝。お酒を飲めることに感謝。夢を見ることに感謝
ありがとう。
石巻山の宴会でのカラオケで「幸せさかして」五木ひろし「情熱の薔薇」ブルーハーツを歌った。
大変楽しかった新年会だった(笑)

お疲れ様でした(^O^)/

動画です。

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遺伝子スイッチONの奇跡
そんな本がやってきた。

「自分の奥深くまで届くような”我を忘れる深い祈り”は、眠っている潜在的な力を呼び起こすのです」
余命一ヶ月と癌の告知をされた主婦の本当の話し。

子供たちに遺書まで書いて死を覚悟した、その人は、ある本を読んで甦った、そんな話し。

その本は
生命の
 暗号

村上和雄

「体重60㎞の人は、約60兆個の細胞を持っている。生れたばかりの赤ちゃんでも数十兆個の細胞を持っている」
「その細胞の一つ一つの中に遺伝子が組み込まれている」
「ヒトの細胞一個の核に含まれる遺伝子情報は三十億の科学情報が書かれている」
細胞一つ一つが遺伝子情報をオンにして身体のあらゆる臓器を作っているのだ。
「人間のDNAのうち、実際に働いているのは全体のわずか5パーセント程度で、その他の部分はまだわかっていない」
ならばその他の95パーセントのスイッチをオンにする生活を、そんな書き出しだった。

明日は、湖西連峰トレイルラン、飯田線に乗っているとき、この本を読みながら行こうと思っている。

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毎月、森町三倉でやる勉強会にて、良寛さんの事を学んだことがある。
勉強会「良寛戒語」
その前の彼岸のときに相月のお寺で良寛さんの書いたといわれる般若心経のコピーをいただいた。
勉強会に、そのコピーを持っていき、みんなで眺めて、ある人が「あまり達筆とは言えないナ~」と言った。

年末のお墓掃除に行ってついでに、前借りた:酒井雄哉大阿闍梨の本を返しに行って、今度は良寛さんの本を借りてきた。
そのとき借りた本のブログ↓
酒井雄哉大阿闍梨の本「この世に命を授かりもうして」を読んだ。

「ほっとする良寛さんの般若心経」加藤僖一
良寛さんの書を味わい、良寛さんの心にふれる。

・摩訶般若波羅蜜多心経
「摩訶」は大の意。「般若」は人間が真実の生命にめざめた時にあらわれる根源的な叡智のこと。「知識」に対する「智慧」を意味します。「波羅蜜多」は完全に到達するの意の「完成」です。「心経」は心臓である経典の意で、心臓は我でもあります。
原文まま

味わい深い良寛さんの般若心経、ときに脱字や誤字がある、それは良寛さんがわざと書いたのか、わからない。
仏教はインドから中国に伝わり、日本にやってきた。
ありがたい経典だ。

良寛さんの辞世の句とされる
うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ 
裏も表も全て見せ散る紅葉のように、私は散ってゆきます。
裏をあの世、表をこの世とすれば、一枚の紅葉の葉は「表裏一体」「生死一如」死ぬとか生きるとかは紅葉の葉の裏表、切り離せないこと。

 


良寛さんの書に「心月輪」が書いてあった。
心月輪
良寛さんの知り合いの桶屋で、失敗して捨てようと思った、その桶の蓋に書いた書だという。
心も月も丸いほうがイイ。と。

今日は1月3日、テレビで箱根駅伝を見ていた。
途中のテレビのサッポロビールのCMで、こんなキャッチコピーがあった。
丸くなるな星になれ。

丸くてもイイじゃないか。
星でもイイじゃないか。
都市部に暮らしても、田舎で暮らしても、イイじゃないか。
「普通」って何だろう。。。
普通でない人、少数派→マイノリティー
 普通な人  多数派→マジョリティー。
 様々な人がいる。様々な考えの人がいる。
 多様性(ダイバーシティ)
お互いを尊敬しあう世界。を希望します。

マミちゃんから連絡が来た(笑)


 

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毎月、森町三倉でやる勉強会にて、良寛さんの事を学んだことがある。
勉強会「良寛戒語」
その前の彼岸のときに相月のお寺で良寛さんの書いたといわれる般若心経のコピーをいただいた。
勉強会に、そのコピーを持っていき、みんなで眺めて、ある人が「あまり達筆とは言えないナ~」と言った。

年末のお墓掃除に行ってついでに、前借りた:酒井雄哉大阿闍梨の本を返しに行って、今度は良寛さんの本を借りてきた。
そのとき借りた本のブログ↓
酒井雄哉大阿闍梨の本「この世に命を授かりもうして」を読んだ。

「ほっとする良寛さんの般若心経」加藤僖一
良寛さんの書を味わい、良寛さんの心にふれる。

Ⅰ・摩訶般若波羅蜜多心経
「摩訶」は大の意。「般若」は人間が真実の生命にめざめた時にあらわれる根源的な叡智のこと。「知識」に対する「智慧」を意味します。「波羅蜜多」は完全に到達するの意の「完成」です。「心経」は心臓である経典の意で、心臓は我でもあります。
原文まま

味わい深い良寛さんの般若心経、ときに脱字や誤字がある、それは良寛さんがわざと書いたのか、わからない。
仏教はインドから中国に伝わり、日本にやってきた。
ありがたい経典だ。

良寛さんの辞世の句とされる
うらを見せ おもてを見せて ちるもみぢ 
裏も表も全て見せ散る紅葉のように、私は散ってゆきます。
裏をあの世、表をこの世とすれば、一枚の紅葉の葉は「表裏一体」「生死一如」死ぬとか生きるとかは紅葉の葉の裏表、切り離せないこと。


良寛さんの書に「心月輪」が書いてあった。
心月輪
良寛さんの知り合いの桶屋で、失敗して捨てようと思った、その桶の蓋に書いた書だという。
心も月も丸いほうがイイ。と。
 
今日は1月3日、テレビで箱根駅伝を見ていた。
途中のテレビのサッポロビールのCMで、こんなキャッチコピーがあった。
丸くなるな星になれ。

丸くてもイイじゃないか。
星でもイイじゃないか。
都市部に暮らしても、田舎で暮らしても、イイじゃないか。
「普通」って何だろう。。。
普通でない人、少数派→マイノリティー
 普通な人  多数派→マジョリティー。
 様々な人がいる。様々な考えの人がいる。
 多様性(ダイバーシティ)
お互いを尊敬しあう世界。を希望します。

マミちゃんから連絡が来た(笑)


 

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この初詣ランは私の毎年恒例の行事だ。
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
今年も行こうと思い昨夜、いくよし君にラインしたら。
な、なな何と。
「明日の初詣ランは中止です」
と返信が来た。
「了解しました」
と返したが。一人でも走ろうと心に決めていた(笑)
 

佐久間の家を朝6時45分に出発。もしかしたら誰かいるかもしれない。
ヒョッコリ誰か顔出すかのしれない、と思っていたが、誰もいなかった(涙)
7時40分には着いて、朝8時、一人で何時ものスタートする場所で時計のスタートボタンを押した。
いつもはベテランさんの後を着いていたが、今回は一人、コースがハッキリしていない、今までボーっと走っていたのだと、自分で自分を呆れた。
それでも何とか新城運動公園の四季サクラのトンネルをくぐり公園を出て国道257を北上した。
花の木公園の横を走り、橋が出てきた、ここ渡たっけな~?真っ直ぐは通行止め書いてある?でも直進してみた、やはりダメだった。
戻って橋を渡った(笑)


また国道257号線を北上、見覚えのある第一エイドがあった(今回はエイドは無し)
休憩せずに進んだ。
只持の交差点で迷ってスマホで確認した、そして左折した。県道436を進んだが、待てよチョットオカシイぞ。
3人組の街人に尋ねた。
この道を行くと作手村に行くそうだ。
元の道に戻り、真っ直ぐ行くと田峯には着くそうだ。
この時、富士屋旅館がよい目印となった。インパクトの高い旅館。

間違ったところ↓


道聞いてよかった。

なんとか無事に田峯観音に到着。
初詣をして、甘酒をいただく。

売店で唐辛子を購入、これも毎年同じ。
その唐辛子をリックに詰め、田峯観音を後にする。
帰りは稲目トンネルを、これからは県道389号を南下するのであった。
やまびこの丘で休憩、残りは10㎞
ぼちぼち走り出した。重い橋どり。

「長楽」ガソリンスタンドの交差点、第一エイドのところだ。
思い出した。
あとは、この道をヒタスラ南下、アッチコッチ身体が悲鳴を上げているけど、走れることに感謝しながら走った。
新城運動公園の坂道は歩く、今回は一人だから急ぐことは無い。展望台に上って田峯観音の方を見ようかと思ったが、展望台は鍵がかかっていた。
新城運等公園内でも迷った(笑)
ウロウロしてゴールである我が愛車の前に帰ってきた。
時間は3時37分、ずいぶんかかったが恒例の初詣ランを無事に帰ってこれて安心した。

今日は走ったコース、一人で走ったが、LINEやメッセンジャ―で他の人の様子がわかり楽しいランだった。
なによりエプソンGPSランニングウォッチが走る友だった。

ありがとうございました。
今年も宜しくお願いします。

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総集編を見た!

日本人が東京にオリンピックを持ってきたのには多くの物語があったのだ。

オリンピックに初めて参加した男、マラソンの金栗四三、短距離選手として三島弥彦、たった二人の選手が1912年(明治45年)「ストックホルム大会」に参加した。

1936年(昭和11年)の「ベルリン大会」では、水泳の前畑秀子をはじめ金メダルを量産。
「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」

次の開催地に念願の「東京オリンピック」招致を勝ち取る。しかし、その年は戦争で夢と消えた東京オリンピックだった。

太平洋戦争が終わり、焼け野原になった日本が戦後の復興を世界に示したのが東京オリンピック。

明治44年、大日本体育協会の創立、初代会長は嘉納治五郎、その思いが繋がって日本にオリンピックがやってきた。

東京オリンピックが終わり、その後、 金栗四三は1967年(昭和42年)、スウェーデンに招待された。
オリンピック委員会のはからいで、1912年ストックホルム大会のときに競技場に帰ってこられなかった金栗四三の残りのコースを走ってもらったのだ。
金栗四三がマラソンのゴールに入った。ゴールテープを切った時。「54年8カ月6日5時間32分20秒3」の記録がアナウンスされたという。
金栗四三76歳のときだった。

韋駄天(いだてん)
足の速い神とされ、足の速い人のたとえにされる。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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