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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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昔、私の息子がまだ中学生の時の話である。

私が居間で横になって朝のテレビを見ている時に息子が起きてきて一言。

「なんで?カエル???」

夜勤の仕事から帰ってきて、居間でくつろいでテレビを見ていた私は。

「テレビは替えていないよ」

と言ったら、息子は。

「カエルが居るよ、カエルが」

よ~く、見たら、テレビの横にカエルがいたのだった。

とこから家に入ったのか?

居間にカエルがいたのだ。

あれから何年たったのか、息子は大学を卒業し、今では社会人になっている。

先日、我が家の庭の草刈りをやっていた時、石垣近くの草を退けたら、その時見たようなカエルが石垣の間にかくれていた。

そっと草をかぶせて、草刈りを続けた。

今日、仕事から帰ってきたら、そのカエルだろうか、玄関前に出ていた。

そのカエルは「ツチガエル」

こちらでは「イボガエル」と言われている。

動作がゆっくり、のんびり生きている。

私は今まで、セカセカ生きてきた、そんな私に、 「のんびり生きようぜ」っと言っているみたいだった。

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母家の隣にある空き地に桜の木がある。

今は亡き父親が20年前に植えたソメイヨシノだ。

その桜、大きくなり母家の屋根に架かってきたので切ることにした。

直径25センチくらいの枝を二本、慣れないチェンーソウを使い作業に入ったのだ。

斜面に傾いている枝をまず初めに切った、倒れると思ったけど倒れない?????

その枝の上の方の枝がもう一つの枝に引っかかって倒れないのだ。

ロープを使ったり、いろいろ苦労しながら枝切を終えた。

大変なのは、その切った枝の片付け、その枝がまだ残っている。

家族が少なくなり、相談する人もいなくなり、こういう作業も大変だ。

我が家庭では、三人の子供は外に働きに出ている。

佐久間町の人口も少なくなっている。

少なくなった人数で、今までの地域・家庭を守っていかなければならない・・・・ノダ。

切ったソメイヨシノの枝の切り口に、保護剤を塗って作業を終えた。

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最後の夏休み、庭の植木の選定、家の周りの草取り、などをやり一日中忙しく汗をかいた。

夕方は家内と二人、とうえい温泉に行く事になった。

我が家から、とうえい温泉までは30分程度、4時半に出かけ、前買った5時からの割引券を持って車を走らせた。

温泉に入り、身体を洗い、疲れを取って、休憩室でストレッチ。

100円のマッサージ器で体をもんでもらい、とうえい温泉を出た。

今日はプチ贅沢「山のレストラン さかた」で夕飯を食べから帰ることにした。

私は"味噌カツ定食"
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家内は"山かけ弁当"

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今年の夏休みは、こんなもんです・・・すいませんm(__)m

 

 

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今日は遠山に言って来た。

「チャレンジマラニックin遠山郷」の前夜祭の時に、6月に走った「夢街道90km」の皆の記録や写真を会場になる体育館に開示してもらうように遠山に人にたのみに行ったのだ。

家を8時に出て、観光協会(アンバマイカン)に着いたのが9時半、観光協会の会長とマラニックのコースの試走。

木沢小学校に行ったら、会長の松下さんは出かける途中だった。

木沢小学校の前夜祭会場になる体育館を見まわし、写真・記録の掲示場所を確認してみた。

「夢街道90km」、先日 佐久間での「がんばらまいか佐久間」での、ゾバの種まきの時に、前天竜区の区長と話す機会があったので聞いてみた。

「是非、天竜区役所の地域振興課に聞いてみて、村おこしのために・・・・と、言えば何とかなるかもしれない」と言っていた。

来年は、「夢街道90km」ウォーキングでもいいので道路許可を取って堂々と開催できるようにしたいものだ。

そのために、NPOがんばらまいか佐久間で頑張っているのだ。

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若いころ、まだ独身の頃、湖西の工場で働いていたころ。

風邪をひいて寮で一人 寝込んだことがある。

熱が出て、汗をかいて、食欲もないのだが、お粥を作ってくれる人はいなく、寮の食堂での食事をするしかなかった。

何日たっただろうか、調子が良くなり、汗をかいた布団を干そうと その布団を上げたら畳まで濡れていた。

体調管理が悪いのか、若いころから風邪をよくひいていたような気がする。

結婚して、長女が生まれたときにタバコを止め、今の地に引っ越してきたときに長男が生まれた、そしてその年の春に走り始めた。

走り始めた理由は、佐久間駅伝に参加するため、それと健康な体になりたい風邪をひかないようになりたい。

初め、数キロしか走れない身体が、10kmマラソンに参加するようになり、ハーフマラソンに、フルマラソンに参加できるようになった。

あれから幾年たただろうか、私も中年と言われる年齢になり、マラソン大会で一生懸命走るより、長い距離をリックを背負って ゆっくり走りるマラニックが健康にはよいのではないかと思うようになった。

マラニックを走るようになり、沢山のマラニックが縁で知り合った仲間ができた。

そんな仲間から「さくら道ウルトラ遠足」を知り、荘川桜の物語を知り、何時の日か御母衣ダム湖畔の荘川桜を(走って)見に行きたいと思う様になってきた。

ところが、270kmと言う距離、とても普通では考えられない。

今年6月に開催した「夢街道90km」夜の九時にスタート、車からランナーの存在が解るように反射板を付けての夜走りは、いつの日にか走りたいと思っていた「さくら道ウルトラ遠足」が私の夢にあったから。

そして、次に申し込んであった「富士山頂往復マラニック」このマラニックを完走できたなら「さくら道ウルトラ遠足」を申し込もうと思っていた。

そんな思いで、今年の6月7月は走り込みをしていた。

NPOがんばらまいか佐久間の用事、村の夏祭りの付き合い、他にも色々なことがあり忙しかったけど、夢があるから楽しめた。

しかし、体は疲れていた・・・。

何らかの菌が肺に侵入したのだ、病名は肺炎。

歯の治療もしていたので、その菌が気道からか、血液からか肺に侵入したのでは?

今年の夏は、目標としていた「富士山頂往復マラニック」を棄権せざる負えなくなってしまった。

同じ練習をすれば、みんな同じタイムで走れるわけでなない。

皆ひとりひとり、違う体を持っているのだから。

今の自分がおかれている環境に感謝し、来年の「富士山頂往復マラニック」を目標にして、自分の体とよ~く相談して明日からの生活を送って行こう。

夢・希望を持って未来に進もう。

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八月になり、肺炎になり、どうしてだろうと考えた。

どうして肺炎なんかになったのだろう???

私の一日は朝ランで始まっていた。

朝のランニングは気持ちよく、自分としては最高の一日を始められいいことだと思っていたのだが、走りすぎたのかな~。

昨日の 静岡新聞の夕刊の見出しに目が止まった”自律神経を鍛え元気に”「健康は自律神経のバランスで決まる」「呼吸、動き、生き方「ゆっくり」を意識」

順天堂大学医学部小林弘幸教授の本「なぜ「これは」健康にいいのか」自律神経について詳しく書いてあるそうだ。

今日、仕事から帰っていてアマゾンで草々注文した。

この本を読み、今までの生活習慣を少し変えてみよう。

風邪をひかない、風邪をひいても肺炎にならない体に変えたいものだ。

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先日、遠山郷観光協会の会長さんから電話が来て「チャレンジマラニックin遠山郷」のプログラムにコメントを載せたいので何か考えてくれないかと連絡が来た。

今日の仕事中ず~っと考え、今帰ってきて書いてみた。

その内容が↓

平成19年冬、水窪町で開催の「北遠駅伝」の待合室で、萩田さんから「遠山郷でマラニックが始まるらしいョ!」との情報を聞き、私はその年の第一回大会から参加している。
「チャレンジマラニックin遠山郷」横浜から来た二人の気の合う仲間が始めた大会、私の住む近くでの大会開催に感謝・感謝の気持ちだった。
私の住んでいるところは、遠山郷と背中合わせ、静岡県西部の"ほくえん"というところ、佐久間町相月(横吹)、下栗の里のような斜面部落に中学校まで暮らしていた。
当時、相月駅から横吹まで歩いて40分、どうしてこんなところに家があるのかと親を恨んだこともある。
あれからうん十年、今ではマラニックで国道から熊谷邸まで行くのが私の楽しみになった。
今年も遠山郷の皆さんに会いに行こうと思いますので、宜しくお願いしますm(__)m
PS
今年の6月に、浜松駅から遠山郷まで走りました。
前夜祭で話したいので、お楽しみに(^^V

今回、遠山郷のマラニック仕掛け人のM氏が遠山に来ないと噂を聞いた。

5年前、M氏と一緒にマラニックを始めたS氏も数年前から遠山に来なくなった。

第二回「チャレンジマラニックin遠山郷」は横浜から来たジャズダンスの お姉さんがスタート前のランナーの体をほぐした。

いろんなことがあり、遠山に来なくなったとは思うけれど、THAT WAS THAT(それはそれでした)と考え。

何時の日かまた「チャレンジマラニックin遠山郷」に関わった人が遠山に集まり楽しく酒を飲める時が来る時を願っているのだった。

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手筒花火YouTubeにて。

毎年7月下旬の金、土曜日に行われる"遠州新居の手筒花火"その一本がわが職場に来た。
7月の下旬、ランニング仲間S氏からの電話
「今から花火を上げるので、上げ終った手筒欲しいなら新居まで持ちに来い」
そんな手筒花火を、8月20日(土)佐久間から新居町まで持ちに行った。
今年、奉納した幾本かの"遠州新居の手筒花火"、その一本が、今 佐久間に届いた。

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二年前の8月、私が「浜松縦断マラニック」を走り終え浜松から豊橋まで来て、飯田線のホームで佐久間に帰るための電車を待っているときに隣のベンチにいた外人に声をかけられた。

「トウエイにイキマスカ??」何時もなら静かな私だが、「浜松縦断マラニック」のゴールで最終ランナーを待っているときに缶ビールを飲んでいい気分だった そんな私は「イキマス・・ワタシハ サクママデ行くのでトチュウノエキデス」っとすべて日本語で答えていた。

そんな出会いで、カナダ人のジョウダンと付き合うようになってきたのだった。

しんしん茶臼山に行く(*^^)v
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/38/

袖振り合うも他生の縁
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/51/

多国籍軍マラニック
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/167/

ほうじ峠 ウォーキング
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Date/20100418/1/

思いでいっぱい。

そんなジョウダンが、二年間の豊根村のALTの仕事が終え、今月の末にカナダに帰ると今日挨拶に来た。
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楽しい思い出をアリガトウ、カナダに行っても頑張ってネ(^^V

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7月の終わりに半場のお祭りがあり、咳が出始めて来た。

そのお祭りで久しぶりに出会た人から親戚の人が入院したと噂を聞いた。

如何したのだろうと電話を掛けたら「肺炎でね~」と言っていた。

俺も咳が出るけど・・・肺炎ではないだろうな~???と思っていた・・・そんなことはないだろう・・・とも思っていた。

その咳で少しタンが出るのだけど・・・その味が嫌な味がした。

祭りが終わり、仕事をしていたが少し心配になり・・金曜日休みをもらい佐久間病院に行って診察してもらった。

レントゲンを撮ってもらい、血液検査・CT撮影、タンの検査は思うようにタンが出なく検査できなかった。

検査の結果は・・・「肺炎ではないか~」との診断だった。

タンが出れば、どういう菌が原因なのか分かり薬もその菌に会った薬を処方で来たのではないかな~。

沢山の薬をもらい家に帰った、その時は一週間くらいでまた走れるようになるかとも思っていた。

処方された薬は6種類、中には"抗生物質"(オーグメンチン配合錠250R)病気の原因菌を死減させる薬、などが入って3日間飲むようになっていた。

薬を飲み終わり、8月9日(火曜日)にまた佐久間病院を受診、タンの検査をしたいと言われたけど、この時にはタンはほとんど出なくなっていた。

その日に、担当の先生から「もしかしたら他の病気(結核・その他)かも知れないので大きな病院で調べた方が良い」と進められたが、まだすぐ治るのではないかと思っていた私は「様子を見ようと思います」っと言っていた。

その日も、前と同じ薬を三日間処方され家に帰ってきた。

タンも出なくなり、調子も良くなってきたけど、微熱(37.0℃)あり、熱帯夜もあり大変だので、佐久間病院に電話し聖隷病院を紹介してもらい8月12日(金曜日)行くことになった。

レントゲンを撮影、血液検査をして、先生に説明してもたった。

初めて佐久間病院を受診した時の血液検査を見て、

「白血球が基準値より増えています、これは菌と戦うために増殖したのでしょう」

今日の血液検査を見て。

「白血球は基準値に近くなっています、抗生物質が効いてきたのでしょう」

「しかし肝機能が心配です、今日は"抗生物質"をオーグメンチン配合錠250Rからクラビット錠500mgに変えましょう、朝だけ飲むように」

との説明だった。

8月19日(金曜日)佐久間病院にてまた検査、レントゲン・血液検査。

「もうすっかりいいですよ、普段の様に生活してください・・・」

と言われると思って居たのだが、この日もクラビット錠500mgを七日間処方された。

しかし、生活はいつもの様に、軽い運動はOK、お酒は「大量に飲まなければ良いですよ」との話だった。

(肺炎とは)
肺炎とは、さまざまな病原菌の感染によって肺に炎症が起こった状態のことです。一般的には、体力が落ちているときや高齢になって免疫力が弱くなってくると、かかりやすくなると言われています。
  肺炎の原因となる細菌やウイルスは、呼吸をするときに鼻や口から身体の中に侵入します。健康な人は、のどでこれらの病原菌を排除することができるのですが、風邪などをひいてのどに炎症が起こっていると、病原菌が素通りして肺に入ってしまい炎症をおこしてしまいます。ただし、風邪にかかった全ての人が肺炎になるのではなく、肺に侵入してしまった細菌の感染力が人の免疫力を上回った場合にだけ発症します。
 日本では、全死因別にみると年間約8万人が肺炎により死亡し、その死亡率は8.6%になります。死因順位は、最近20年間第4位を占めています(「国民衛生の動向」1999年度版より)。

治験ドットコムより引用

疲れている体にタマタマ、肺炎になる原因菌は私の体に侵入したのだろう。

今思えば、嫌な味がしたタンが出ているときに早めに病院に行き検査してもらえばよかったのでは・・・っと思っている。

これも後の祭り、後から気が付くネジョンベンだ。

(´△`)トホホ。

 

 

 

 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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