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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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今月、戦国街道ランの次の日、カインズホームで買ってきた「ゴーヤ」と「ナス」「キュウリ」「カボチャ」「南蛮」の苗。

当時のブログ↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/711/

父が生きていたころは、父が作った野菜を採って食べるだけだったのだが。

今年から、私も挑戦してみた。

その5月7日に移植したキュウリの苗に、今朝、花が咲いていた。
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今年の夏は、我が家の家庭菜園で、夏野菜が収穫できそうだ。

PS
玄関前の、ゴーヤもツルが出てきた(^^)
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父親が亡くなって、先日 お寺で三回忌を行った。

今日は、その三回忌で拝んでもらったトウバを お墓に収めに行こうと思っていた。

仕事が終わり、家に帰ってきて、隣のオジサン(いちにー)その話をしたら「わしも連れってくれ」と言ったので一緒に行くことにする。

それを知った、その隣の忠重さん(父親の従弟)が「わしも行く」と言ってきた。

私のマイカー(軽トラ)は二人乗りなので・・・・と考えていたら 忠重さんが「俺の車を出すわいね」と言ってくれた。

家に帰り、トウバを持ってきて車を待っていると、隣のおばさん(なっちゃん)が「わしも行くかな~」と言ってきた。
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結局 横吹(よこぶき)の人たち四人で、父親のお墓のある相月(あいづき)に行くことになった。

いちにーは(86歳)、脳梗塞を患い今は歩くこともままならない。

忠重さん(73歳)は耳が少し遠い。

なっちゃん(80歳)も耳が遠い。

車の中での会話も何かちぐはぐな所もある。

それでも、みんな私の父親の眠る、お墓を拝みたいとの思いで車に乗ってくれたのだ。

相月に着き、お墓のある所までは、急な階段を下らなければならない、いちにーは車で待っていることにする。

なっちゃんと、忠重さんとお墓に行き、墓前に手を合わせた。

お墓から帰る途中、写真を撮った。
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相月の茶畑が・・・緑が・・・目に染みる。


父親も きっと 喜んでくれているであろう。

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昨日の「佐久間・水窪スーパーマラニック」竜頭山のほおづき平でヒロボーさんがオカリナを吹き始めた。

ヒロボーさんは前に”しだれ桜お花見バーベキュー”の時、伊藤さんのお宅でオカリナ仲間が集まり楽しそうに吹いていたのを思い出す。

「しだれ桜お花見バーベキュー」↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/690/

今日は、オカリナで動画検索をしてみた。

ふるさと・見上げてごらん夜の星を
相模原市緑区で2011年4月2日に開催された第14回津久井湖さくらまつりで行われた「東北・関東大震災復興支援コンサート」の動画です。


まいご(オカリナ)
ジブリ作品『となりのトトロ』より「まいご」切ない曲ですねーぇ。。


「地上の星」 を、オカリナで吹いてみた。
中島みゆきさんの、地上の星
かっこいいです(^^)


オカリナ奏者 宗次郎 Sojiro Live Stage 1990 = 道 =
オカリナと言えば 宗次郎さん 心にしみます。

オカリナの音色は私の心に深くしみこむ

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今年で7回目になる「佐久間・水窪スーパーマラニック」
一回目二回目といい天気に恵まれたけど、三回目四回目は曇り竜頭山頂に行ったときには霧で視界が悪く大変だった。

五回目の2010年は家で不幸があり私はサポートをした。
この年は天気も良かった。しかし竜頭山の登山の時 一人道に迷い 大変だったのを覚えている。

去年第6回2011年は、前日から雨で当日も大雨、急遽コース変更をしての開催だった。

そして、今年、天気は最高だった。

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今日は母がお世話になっている特別養護老人ホーム(さくまの里)のボランティア。

さくまの里に入所している家族で毎年、この時期にホームの周りを草を刈ったりしているのだ。

作業が終わり、母の顔を見に部屋に行くと 少しうなだれて母は車いすに座っていた。

今はもう何もわからない、息子が話しても・・・誰かも分からない。

横吹(よこぶき)という斜面部落に嫁いできて、若い時代を子育てと百姓で生きてきた。

私の母親。

井上揚水の"人生が二度あれば"を聞くと・・・・・泣けてきます。


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(あらすじ)
幼い頃からプロ・サーファーになることを夢見て、毎日美しいハワイの海でサーフィンに明け暮れていた、勝ち気な少女、ベサニー。
その幸せな日常は13歳のある日、突然サメに襲われた時に一変する。
一命をとりとめたものの、彼女は左腕を失ってしまったのだ。
怒り、疑念、不安、そして悲しみ……。絶望の中で、サーフィンと決別し、別の道を歩もうと決めたベサニー。
だが、彼女はサーフィンへの思いを捨てることができなかった。
そして、想像を絶する厳しい訓練と、家族の支えによって、再びサーフィンの頂点を目指すことを決意する。 
ソウル・サーファー [2012年6月9日公開] 

「どんなに辛い事にも何か意味があると信じるの」 
「明日を信じて今を生きる"私は諦めない"」

自分のこれからの人生にもこの言葉を刻んでいこう。
 

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朝の情報番組 みのもんたの 朝ズバッ!

その 朝ズバッ!が東京スカイツリーに番組が視聴者を招待する「朝ズバッ!東京スカイツリーツアー」を企画して、今朝の番組で放送していた。

祖父が亡くなり、元気をなくした祖母と一緒に このツアーに申し込んだ孫姉妹や、55歳の男性が付き合っていた彼女とこのツアーに申し込み、展望デッキでプロポーズをするという話だ。

その男性は、展望デッキでプロポーズをして、見事彼女を射止めツアーの人たちみんなに祝福された!!

放送の最後に、3時間のツアーが終わりスカイツリーから降りてきて、その男性が「スカイツリーはこれからみんなに愛されるけど、わたしは○○○さんをずっと愛していきます」と言った言葉が印象的だった。

辛いこと悲しいことも合ったけれど、これから楽しいことを求め頑張って行こう。

朝の情報番組 みのもんたの 朝ズバッ! 朝のひと時 私の好きな番組の一つだ。
 

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今年で7回目になる「佐久間・水窪スーパーマラニック」

7年前、私は何を思って竜頭山に登ったのだろう、竜頭山の山頂(展望台)で何を思い浜松の市街地を望んでいたのだろう。

当時(合併前)は佐久間町の一番高い山 竜頭山、そこから見える浜松市街、とてつもなく大きい街に吸収合併される佐久間町、これから佐久間はどうなっていくのだろう・・・過疎が益々進むだろう・・・。

そんなことを考えていたのかな。

「佐久間・水窪スーパーマラニック」は竜頭山の尾根沿いの林道「スーパー林道」をマラニックするので、私が7年前に「佐久間・水窪スーパーマラニック」と名付けた。

当時一人で、竜頭山には何度か上ったことがあるけど、そこから先のスーパー林道は行ったことがない、個人的にも竜頭山から山住の方には走ってみたかった。

そこで、友達を誘って、このスーパー林道を走ったのだ。

7年前の私は、竜頭山の山頂に登って展望台からの景色を見て、色々な事を思ったのだろう。

そして、スーパー林道に走って行った。

今、ここに住む私が楽しければ良いのではと思って始めた「佐久間・水窪スーパーマラニック」

走る人も、走らない人も 楽しく。
 

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今日の中日新聞の見出しに”小学生3年生が危険物取扱者乙種に合格”と書いてあった。

危険物取扱者は、消防法に基づく危険物を取り扱い、またはその取扱いに立ち会うために必要となる日本の国家資格である。

ガスリンスタンドでガソリンなどを取り扱うために必要なのが乙4種だ。私は昔職場で灯油などを使っていたため、この危険物乙4種を取得しなければならなくなり、危険物乙4種取得のため勉強したことがある。

危険物の性質ならびにその火災予防および消化方法・危険物に関する法令などを、法令集や試験問題の本を買って読んでみた、結構難しかったな~。

必死で勉強し、浜松の城北高校に試験に行き、数日後にハガキで合格の知らせが来た時には嬉しかったのを覚えている。

それが、今日の中日新聞に載っていた小学3年生は、この危険物取扱者の乙1種~6種までの全ての試験に合格したのだそうだ。

祖父が亡くなり「お店の伝統を守りたい」っと、小学校一年の時から勉強を始めたらしい。

いったいどんな頭をしているのだろう。

 

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昨日家に帰ってくるとポストの中にA4伴の封筒がに入っていた。私が登録している「静岡骨髄バンクを推進する会」からの手紙だ。

封筒を開いてみると、静岡県骨髄バンクを推進する会の平成24年度総会の資料がドッサリ入っていた。

その中の一つにアサガオの種が「親でさえ一致しなければ わが子に”骨髄液”をあげることはできない」のメッセージと共に入っていた。

このアサガオの種は、最愛の息子を白血病により7才で亡くした新潟県の「骨髄バンク命のアサガオにいがた」の会長 丹 後 まみこさんが一昨年「静岡骨髄バンクを推進する会」の総会に来て公演をし届けてくれたアサガオの種のなのだ。

命のアサガオとは↓
http://www.iplus.jp/~asagao/

平成5年に白血病のため7歳で亡くなった 新潟県の丹後光祐君が、約3ケ月間だけ通った小学校で大事に育てられた"アサガオ"

お母さんの"まみこさん"がそのアサガオを育て続け「アサガオが親善大使となって、命の尊さ、白血病に苦しむ人がいることを知って欲しい」という思いを込めて、多くの小中学校などにくばられました。
今では全国各地で花を咲かせています。
一人でも多くの患者さんに「命の贈り物」が届くことを願って今では「骨髄バンク命のアサガオにいがた」の会長となり運動を続けています。

そんな光祐君のアサガオが 丹後まみこさんの活動によって、静岡県の佐久間の私の家に送られてきたのだ。

大切に育てなければ。
 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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